君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百五十三話 湖底の厳島神社
湖の中は、想像していたよりも静かだった。
水面の光はすぐに遠ざかり、周囲は青黒い闇に包まれていく。
普通なら何も見えなかっただろう。
けれど、クヌートとフェリシアの魔法のおかげで、僕たちの周囲だけはぼんやりと明るい。
「すごいです……」
ロッテが小さく呟いた。
最初は怖がっていた彼女も、水の中で息ができると分かると、少しずつ周りを見る余裕が出てきたようだった。
「私、こんな世界を見たのは初めてです」
その声には、恐怖よりも好奇心が勝っていた。
クヌートがそれを見て、ほんの少しだけ微笑む。
普段は不愛想だけど、彼が本当は優しい人なのを、僕たちはもう知っている。
僕たちは湖底へ向かって泳いだ。
やがて、深い泥の層が見えてくる。
底に近づくと、わずかな水の流れだけで泥が舞い上がりそうだった。
「近づきすぎるな。視界が死ぬ」
クヌートが警告する。
僕たちは湖底から少し離れたところで止まった。
「神殿はこの下でしょうか?」
フェリシアが目を閉じ、手を泥の方へ向ける。
しばらくして、彼女は小さく頷いた。
「あります。深いですけど、人工物らしい反応があります」
「土の精霊で掘れない?」
ミレーヌが尋ねる。
クヌートは少し考えてから首を振った。
「掘るだけならできる。だが、泥の量が多すぎる。俺とフェリシアが魔力を使い切れば、水中呼吸も危うい」
「それに、神殿を傷つけるかもしれません」
フェリシアも言った。
泥をどかすだけで、簡単に済む話ではない。
湖底に何百年も積もった泥だ。
一気に動かせば視界は失われるし、下手をすれば神殿ごと崩す可能性もある。
僕は泥の層を見つめながら考えた。
凍らせる。
熱を入れる。
亀裂を作る。
そして、魔法で吹き飛ばす。
「……僕とミレーヌなら、少しは何とかできるかもしれない」
「どういうこと?」
ミレーヌが首を傾げる。
僕は愛剣、青龍氷牙を抜いた。
白銀色の刀身が、水の中で青く光る。
柄には青い宝石が埋め込まれている。
「ミレーヌも、赤龍雷牙を」
「うん」
ミレーヌは赤龍雷牙を抜いた。
同じ白銀色の刀身。
けれど、柄の宝石は赤く輝いている。
「僕の青龍氷牙で泥を凍らせる。ミレーヌの赤龍雷牙で熱を入れる。急に冷やして、急に熱すれば、泥の層に亀裂が入るはずだ」
「水の中でもできるの?」
「赤龍雷牙の炎は、普通の火じゃない。水を燃やすんじゃなくて、対象に熱を流し込むんだと思う」
ミレーヌは真剣な顔で頷いた。
「分かった。やってみる」
「亀裂が入ったところを、俺とフェリシアが土の精霊でどかすわけか」
クヌートが理解したように言う。
「多少荒っぽいが、それなら魔力の節約にはなる」
「神殿を傷つけないよう、少しずつ進めましょう」
フェリシアも頷いた。
作戦は決まった。
まず僕が泥を凍らせる。
次にミレーヌが熱を流し込む。
亀裂の入った泥を、クヌートとフェリシアが精霊魔法で離れた場所へ運ぶ。
何度も、何度も。
勇者一行にしては、随分と泥臭い作業だった。
けれど、他に方法はない。
僕は青龍氷牙を構え、湖底の泥へ向ける。
刀身から冷気が広がり、泥の表面が白く凍っていく。
そこへ、ミレーヌが赤龍雷牙を振るった。
赤い光が水中を走り、凍った泥に熱が流れ込む。
ぱきり、と音がした気がした。
水の中なのに、亀裂が走る感覚がはっきり伝わってくる。
「今だ」
クヌートとフェリシアが同時に魔法を放つ。
土の精霊が泥の塊を持ち上げ、少し離れた場所へ運んでいく。
泥が舞い上がらないよう、フェリシアが水の流れを抑える。
それを何度も繰り返した。
時間の感覚が分からなくなっていく。
腕が重い。
魔力も少しずつ削られている。
ロッテは直接魔法を使っているわけではなかった。
けれど、誰よりも真剣な顔で泥の向こうを見つめていた。
そこに何があるのか、まだ誰にも分からない。
ただ、彼女にとっては本で読んだだけの歴史ではなかった。
失われた神殿。
消された言葉。
誰にも省みられなかった祈り。
その一つ一つが、今この泥の下に眠っているのかもしれない。
「もう少しです」
フェリシアが小さく言った。
その声に、僕は重くなった腕に力を込める。
ここでやめるわけにはいかない。
ロッテが見つめているものを、僕たちも見届けなければならなかった。
さらに泥を凍らせ、熱を入れ、亀裂を広げる。
クヌートとフェリシアが、慎重に泥を運び去っていく。
その繰り返しの先で、ついに泥の下に何かが見え始めた。
石。
いや、柱だ。
さらに泥をどかす。
赤い色が見えた。
水底に沈んでいたはずなのに、そこだけ鮮やかに残っている。
僕は息を呑んだ。
泥が取り払われるにつれて、神殿の姿が現れていく。
朱塗りの柱。
瓦葺きの屋根。
板で作られた通路。
そして、その前に立つ鳥居。
この世界には、存在しないはずの形だった。
前世で、まだ身体が少し元気だった頃。
父と母に連れられて見に行った、海の上に浮かぶ神社。
朱色の鳥居と、潮の匂い。
記憶の中にある景色が、湖の底で目の前に現れていた。
「──厳島神社」
思わず、その名が口からこぼれた。
ミレーヌが不安そうに僕を見る。
ロッテも、クヌートも、フェリシアも、言葉を失っていた。
フミン族の神殿。
湖の底に沈んでいた、古代の聖地。
その姿は、僕の前世の記憶にある神社とあまりにもよく似ていた。
なぜ、この世界に。
なぜ、フミン族の神殿が。
僕はしばらく、何も言えなかった。