君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百五十六話 壇ノ浦の先へ
僕は、目の前の僧形の老人に深い敬意と怯えを抱いた。
武士として初めて権力の絶頂へと至った人物。
のちの武家政治の原点になった偉人。
そして、老いてなお衰えぬ覇気。
「儂は、そなたと同じ異世界転生者じゃ」
そう言って笑う老人の眼光は鋭い。
けれど顔立ちは整っていて、若い頃は美男子だったのだろうと思わせるものがあった。
前世で見た、木彫りの怖そうな像とはずいぶん印象が違う。
僕が驚いていると、ミレーヌがそっと僕の手を握って聞いてきた。
「ユキナ、このお爺さんは誰なの?」
「僕がいた前世の人で、ものすごい権力者だよ。王様を操っていた大臣……って言えば分かるかな」
「偉い人なんだね」
「うん。偉いなんて言葉じゃ足りないくらいの人だと思う」
会社で言えば、いくつもの大会社をまとめる会長だろうか。
いや、それでも教科書には載らない。
国の仕組みそのものを変えた人。
そう言った方が近いのかもしれない。
「ユキナは、このゴーストと知り合いなのか?」
クヌートが僕に聞いてくる。
どう説明すればいいのかと悩んでいると、屋敷の奥から女性の声が聞こえた。
「父上。庭先では客人に失礼です。中へ入っていただいた方がよろしいかと」
現れたのは、絶世の美女と言っていい女性だった。
艶やかな髪。
整った顔立ち。
幾重にも重なった衣を身にまとい、立っているだけで周囲の空気が静まるような気品があった。
そして、その腕には小さな男の子が抱かれている。
「それもそうじゃ。では徳子、客人の相手を頼むぞ」
そう言って、平清盛は庭の奥へと歩いていく。
そこには僕たちを見つめていた男女がいて、清盛は彼らを安心させるように軽く手を上げていた。
徳子と呼ばれた女性に案内され、僕たちは木の廊下へ向かった。
板で作られた廊下を前にして、僕は思わず足を止める。
そして、無意識に靴を脱いでいた。
「ユキナ、どうしたの?」
急に靴を脱いだ僕に、ミレーヌたちが目を瞬かせている。
転生しても、やはり僕は日本人だった。
木の床を土足で踏むことに、どうしても抵抗があったのだ。
「ごめん。ちょっとね」
僕が困っていると、徳子さんがすぐに清潔な履物を用意してくれた。
「よろしければ、こちらをどうぞ」
「すみません」
そう言って僕が履き替えると、ミレーヌたちもそれに倣った。
その様子を見て、徳子さんは少しだけ懐かしそうに微笑む。
僕がこの屋敷の作法に反応したことを、不思議に思ったのかもしれない。
廊下を歩きながら、クヌートとフェリシアは興味深そうに辺りを見回していた。
精霊魔法も扱える二人でさえ、これほど木材を使った邸は珍しいのだろう。
僕も柱や梁に目を奪われる。
木と木を組み合わせ、隙間なく噛み合わせる木組み。
釘を使っているようには見えないのに、建物は少しの歪みもなく立っている。
前世の寺や古い屋敷で見た技術に近い。
この世界で石造りの建物ばかり見てきた僕には、木の匂いも、床板の感触も、懐かしすぎるものだった。
胸の奥が温かくなる。
それと同時に、怖くもなる。
ここは、僕の前世の世界ではない。
それなのに、あまりにも日本に近いものが目の前にある。
屏風を衝立にした部屋へ入ると、そこには椅子が用意されていた。
床に座るものだと思っていた僕は、少し意外に思う。
けれど、平家は交易に積極的だった一族だ。
中国風の椅子が置かれていても、不思議ではないのかもしれない。
僕たちは念のため、椅子に罠がないかを確認してから着席した。
この世界にはあるはずがない平安時代の浄土庭園と屋敷。
フミン族の神殿の中に現れた、平家の人々。
そして、目の前に座っている徳子さんと幼い男の子。
僕たちも驚いていたが、ロッテが一番動揺しているようだった。
自分たちの民の神殿の奥に、見知らぬ異国の屋敷があり、そこで平安の人々が静かに暮らしている。
恐ろしくないはずがない。
けれど、ロッテの目には恐怖だけではなく、どこか引き寄せられるような戸惑いもあった。
「あの、ここは本当に平家の屋敷なのですか?」
僕が尋ねると、徳子さんは静かに頷いた。
「はい。京にあった邸を模しています。ですが、ここに住んでいるのは、間違いなく平家一門の者たちです」
徳子さんの胸元に抱かれた幼い少年が、僕たちと母親を交互に見つめている。
その目は利発そうで、幼いのにどこか遠い未来まで見ているようにも思えた。
少年がロッテを見つめ、穏やかに微笑む。
ロッテは困ったように僕を見た。
「この人たちは敵じゃないと、僕は思うよ」
僕がそう答えると、ロッテは少し安心したのか、少年を見つめ返して小さくはにかんだ。
少年も、少し照れたように視線を逸らす。
言葉は通じていない。
けれど、その一瞬だけは、恐怖や警戒よりも先に、柔らかなものが二人の間を通ったように見えた。
「ようこそ、御所へ参られました」
徳子さんは、僕たちに深く頭を下げる。
「私は平徳子。徳子と呼んでいただいて構いません」
平徳子。
平清盛の娘。
時の天皇に嫁ぎ、安徳天皇の母となった女性。
前世の歴史で、壇ノ浦を生き延びた人。
そう考えた瞬間、僕は目の前の少年を見る。
まさか。
「この子は、帝。言仁皇子です。後に、安徳天皇と呼ばれた方です」
徳子さんの言葉に、僕は息を呑んだ。
安徳天皇。
源平合戦末期の壇ノ浦で、幼くして海へ沈んだ天皇。
歴史上、戦乱の中で命を落とした唯一の天皇として知られている。
その少年が、今、僕の目の前にいる。
ただ歴史の中の名前ではなく、母のそばで静かに座っている一人の子供として。
「勇者よ、よくぞ来られました」
徳子さんはミレーヌへ向き直り、丁寧に頭を下げた。
その姿には気品があり、とても名を騙っているようには見えなかった。
隣の少年は真っすぐに僕たちを見つめている。
その手には、古い剣が握られていた。
ただの剣ではない。
鞘越しにも、今まで見たどの武器とも違う気配がある。
神気、とでも言えばいいのだろうか。
冷たく、静かで、それでいて底知れない力が、そこから漏れているように感じた。
僕はその剣の名を知っている気がした。
けれど、口に出すのはやめた。
ここでその名を呼んでしまえば、また別の大きな謎を開いてしまう気がしたからだ。
平清盛。
平徳子。
そして、安徳天皇。
この屋敷にいる人たちは、僕たちが探していたフミン族の神殿と、間違いなく深く関わる存在だった。