君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百五十七話 海の底の都
「ユキナ、この人とこの子は誰なの?」
ミレーヌが僕に聞いてくる。
ミレーヌには、僕も転生者だと説明した。
けれど、クヌートとフェリシアとロッテにはどう説明すればいいのだろう。
僕が言葉に詰まっていると、クヌートが助け船を出してくれた。
「ここに住む貴族たちを、ユキナは知ってるんだろ? 今はそれ以上聞かない。ユキナは、この貴族たちがフミン族と関係していると思うのか?」
クヌートのお陰で、僕が別世界からフォーチュリアに転生してきたという、信じてもらえるか分からない説明をせずに済んだ。
親友の配慮に感謝しながら、僕は徳子さんへ向き直る。
「どうして、平家の方々がここにいるんですか」
僕は言葉を選びながら尋ねた。
歴史の知識としては知っている。
けれど、目の前に本人たちがいる以上、軽々しく口にしていい話ではない。
「平家は……壇ノ浦で滅びたはずでは」
僕がそう言うと、徳子さんは辛そうな顔をしながら、安徳天皇を抱きしめた。
徳子さんの様子に驚いた安徳天皇が、母を慰めるように小さな手で頭を撫でる。
その仕草はあまりにも幼く、あまりにも優しかった。
「大丈夫ですよ」
徳子さんは安徳天皇にそう囁いてから、僕たちへ視線を戻した。
「壇ノ浦の海は、とても冷たかった」
静かな声だった。
けれど、その静けさの奥にどれほどの記憶が沈んでいるのか、僕には想像することしかできなかった。
「船の上では叫び声が聞こえていました。矢の音、波の音、泣き声、祈る声……けれど海に沈んだ瞬間、それらが遠ざかっていったのです」
徳子さんは、安徳天皇を抱く腕に少しだけ力を込める。
「私はこの子を離すまいと、それだけを思っていました。母として、皇后として、何が正しかったのかなど、もう考える余裕はありませんでした。ただ、この子を一人で沈ませたくなかった」
安徳天皇は、徳子さんの袖を小さな手で握っていた。
まるで、その時の母を今も慰めているようだった。
「その時です。暗い海の底に、光が見えました。そして、あの鳥居が現れたのです」
そう言って、徳子さんは異界の門の役目を果たしている鳥居を指さした。
あの鳥居はいったい何なのだろうか。
地球とフォーチュリアを繋ぐ門なのだろうか。
それとも、死者の願いをどこかへ運ぶものなのだろうか。
「ですが、私は皆と同じ時にここへ来たわけではありません」
徳子さんは、遠いものを見るような目をした。
「私は、海から引き上げられました。そして長く生きました」
長く生きた。
それは本来なら救いの言葉のはずだった。
けれど、徳子さんの声には、救われた者の明るさはなかった。
「父も、母も、兄弟も、一門の多くも海へ沈みました。この子も……私の腕の中から、歴史の中へ消えてしまった」
徳子さんは、安徳天皇の髪をそっと撫でる。
「私にできたのは、祈ることだけでした。皆が安らかであるように。この子が寂しくないように。私が生き残った意味が、せめて祈ることにあるのだと思わなければ、立っていられませんでした」
子供を亡くし、一人生き残った徳子さんの悲しみを思うと、胸が張り裂けそうになる。
滅んだ親兄弟。
滅んだ一族。
そして、幼くして海に沈んだ我が子。
その冥福を祈り、祈り続けることしかできない。
もし僕が同じ立場だったとしたらどうなるだろう。
正気を保てる自信はない。
「そして、私が天寿を終えた時です」
徳子さんは、自分の胸に手を当てて微笑んだ。
先ほどの辛い表情とは違う。
その顔には、少しだけ安堵があった。
「私は、あの鳥居に吸い込まれるように導かれました」
徳子さんは優しく語り続ける。
亡くなった親族と、自分の子供と再会できた時の喜びを思い出すように。
「あの鳥居を潜り抜けた先にあったのは、この屋敷でした。ここには父母も、兄上たちも、妹もいました」
そこで、徳子さんの声が少し震えた。
「そして、この子がいたのです」
徳子さんは、腕の中の安徳天皇を見つめた。
「最初にこの子を見た時、私は声も出ませんでした。夢だと思いました。長く祈り続けた私が、最後に見ている都合のよい夢なのだと」
安徳天皇は、少し不思議そうに母を見上げている。
「けれど、この子は私の手を握りました。温かかった。夢ではありませんでした」
徳子さんは微笑んだ。
その笑顔は、深い悲しみの底からようやく掬い上げられたような、静かな笑みだった。
「父も母も、兄上たちも、妹も、皆がいました。失ったと思っていたものが、ここにあったのです」
僕たちは、何も言えなかった。
ここにいる人々は、ただの幻影ではない。
歴史の中で滅んだ一族が、別の世界で確かに息をしている。
そう思うと、目の前の屋敷が急に重く見えた。
「私は最初、ここが極楽浄土なのだと思いました」
徳子さんは小さく微笑む。
「人は死ぬと、最も望んだ世界へ行けると言われています。私は生前、両親とこの子と、一門の霊が成仏することを願い、祈り続けました。それが報われたのだと思ったのです」
けれど、徳子さんは首を横に振った。
「ですが、ここは極楽浄土ではありませんでした。ここは、フォーチュリアという別の世界でした」
そう言って、徳子さんは安徳天皇を優しく抱きしめる。
「最初は、とても驚きました。けれど……」
徳子さんの表情が、少しだけ柔らかくなる。
「ここは私にとって、極楽そのものでした。確かに栄華は失いました。ですが、それが何だというのでしょう。すべてを失ったと思った私は、こうしてまた皆と出会えたのですから」
その言葉を、ミレーヌたちも黙って聞いていた。
クヌートとフェリシアとロッテには、僕の前世や異世界転生の話を詳しくしていない。
でも、家族を失った悲しみは知っている。
母の温もりを奪われ、誰も頼れない人間たちの中で生き延びてきたクヌートとフェリシア。
家族を失い、路地裏で生き延びるしかなかったロッテ。
徳子さんの話は、ただの昔話ではなかったのだろう。
ロッテは膝の上で両手を握りしめていた。
失った者と再会できる場所。
それは彼女にとって、あまりにも遠く、あまりにも眩しい話だったのかもしれない。
「この屋敷にいる者たちは、皆、あの時の姿のままです」
徳子さんは、庭の方へ視線を向けた。
「年を取ることもなく、けれど幻ではなく、確かにここで生きています」
その言葉に、僕は改めて屋敷の気配を感じた。
静かな庭。
光を帯びた平安の人々。
母に寄り添う幼い天皇。
これは、死者の幻ではない。
滅びたはずの人々が、もう一度与えられた都なのだ。
海の底にある都。
壇ノ浦の先にあった、もう一つの平家の都。
僕たちが言葉を失っていると、障子がゆっくりと開いた。
先ほどまでの柔らかな空気が、すっと引き締まる。
そこに、平清盛が立っていた。
徳子さんの語った再会の物語とは違う、もっと重く、鋭い何かを背負った目をしていた。