君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百五十九話 赤い旗の伝承
「支配するのではなく、教える。奪うのではなく、残す。我らが前世で得た知恵と技を、フミンの民に渡すことにしたのじゃ」
清盛の言葉に、ロッテが小さく息を呑んだ。
「……まさか」
その声は小さかった。
でも、部屋の中にはっきりと響いた。
「ロッテ?」
クヌートが彼女を見る。
ロッテは自分の胸元を握りしめていた。
その表情には、驚きと戸惑いが浮かんでいる。
「古い歌にあります。海の底から来た赤い旗の人たちが、フミンの民に文字と船と町の作り方を教えたって。子どもの頃、おばあちゃんに聞かされました。ただのおとぎ話だと思っていました」
「赤い旗……」
僕は思わずつぶやいた。
平家の赤旗。
もしその歌が本当に平家の記憶を伝えているのなら、ロッテたちの中に清盛たちの足跡は残っていたのだ。
清盛の目がわずかに揺れた。
「……覚えておったか。いや、正確には伝わっておったと言うべきか」
清盛は嬉しそうに、けれど泣きそうにも見える顔で微笑んだ。
「儂らはフミンの民に文字を教えた。記録を残す術を教えた。田畑を広げる方法、川を治める方法、船を造る方法、港を作る方法、病を防ぐ方法。前世で平家が持っていたもの、都で見聞きしたもの、宋との交易で得たものを、少しずつ教えていった」
清盛の声には、懐かしさがにじんでいた。
「もちろん、最初からうまくいったわけではない。言葉も違う。考え方も違う。儂らが便利だと思うものを、彼らが望むとは限らぬ。逆に、儂らがくだらぬと思っていた習わしに、あとから大切な意味があると知ることもあった」
「一方的に教えたわけではなかったんですね」
フェリシアが静かに言った。
清盛はうなずく。
「そうじゃ。教えたつもりで、儂らも教えられておった。フミンの民は森を壊しすぎぬ。川を汚しすぎぬ。獲物を取り尽くさぬ。目先の富より、明日の暮らしを重んじる民だった」
その言葉に、クヌートがわずかに顔をしかめた。
「……今の人間族とはずいぶん違うな」
「クヌート」
ミレーヌがたしなめるように名前を呼ぶ。
けれど、クヌートは目をそらさなかった。
「悪い。でも、そう思ったんだ」
清盛は怒らなかった。
「お主がそう思うのも無理はない。フミンの民は、長く奪われる側に立たされてきたのであろう」
ロッテは何も言わなかった。
ただ、膝の上で握った手に力が入っていた。
清盛は話を続けた。
「やがてフミンの民は大きくなった。集落は町になり、町は国の形を持つようになった。人間族、魔族、妖精族と肩を並べても、決して劣らぬほどに育っていった」
その言葉には、祖父が孫の成長を語るような誇りがあった。
「彼らは強くなった。じゃが、儂らはただ強くなれとは教えなかった。権力に酔うな。富に溺れるな。弱い者から奪るな。勝った後こそ慎め。そう教えた」
清盛は自嘲するように笑った。
「自分たちができなかったことを、彼らには教えたのじゃ。おかしな話であろう」
「おかしくなんてありません」
ミレーヌが即座に言った。
清盛が少し驚いたようにミレーヌを見る。
ミレーヌはまっすぐに清盛を見返していた。
「失敗した人が、次の人に同じ失敗をしないでほしいと思うのは、間違っていないと思います」
「……勇者殿は、優しいことを言う」
「優しいかどうかは分かりません。でも、そう思いました」
ミレーヌの言葉に、僕は胸の奥が少し温かくなった。
清盛も、しばらく黙ってミレーヌを見ていた。
そして、静かに笑った。
「そうか。ならば、儂らの二度目の歩みも、まったく無駄ではなかったのかもしれぬな」
その言葉は、誰かに許しを求めるもののようにも聞こえた。
「知盛も、よく働いてくれた」
清盛がふと遠くを見る。
「知盛……平知盛ですか?」
僕は思わず聞き返した。
清盛はうなずいた。
「そうじゃ。儂の自慢の息子よ。前世では最後まで戦い、海の底へ沈んだ男じゃ」
平知盛。
平家随一の猛将であり、壇ノ浦の戦いで最後まで戦い、海へ沈んだ人物だ。
その知盛まで、この世界に来ていたのか。
「この世界で魔王が現れた時、フミンの民も戦に巻き込まれた。知盛は彼らと共に戦い、軍を率いた。船を操り、兵を動かし、魔王軍の背後を突いた。あれは見事であった」
清盛の声には、父親としての誇りがあった。
「魔王を倒す戦いにも、フミン族は関わっていたんですね」
僕が言うと、清盛は深くうなずいた。
「そうじゃ。歴史にどれほど残っているかは知らぬ。勝者の記録とは、いつも都合よく作られるものじゃからな。だが、フミンの民は確かに戦った。人間族のためにも、魔族のためにも、妖精族のためにも、この大陸の未来のために戦ったのじゃ」
ロッテの肩が小さく震えた。
「そんな話……私は、知らない」
悔しそうな声だった。
フミン族自身の歴史なのに、ロッテはそれを知らなかった。
いや、知らされなかったのかもしれない。
「知らぬのも無理はない」
清盛は静かに言った。
「民の誇りは、奪われる時にはまず記録から奪われる。名を消され、功を消され、やがて存在そのものが薄められる。そうなれば、子や孫は自分たちが何者だったのか分からなくなる」
その言葉に、誰もすぐには返せなかった。
僕はロッテを見る。
ロッテは唇を噛んでいた。
彼女は今、自分の知らない祖先の姿を、清盛の言葉の中に見ているのかもしれない。
弱く、虐げられ、保護されるだけの民ではない。
かつて大陸のために戦い、町を作り、船を出し、国を支えた民。
それを知ることは、きっと誇りになる。
でも同時に、痛みでもある。
なぜ、それほどの民が今は追いやられているのか。
その問いが、自然と胸の中に生まれてしまうからだ。
「儂らは、フミンの民を誇りに思っておった」
清盛は静かに言った。
「彼らは儂らの民ではない。儂らが支配した民でもない。だが、共に歩んだ民だった。儂らが教え、彼らが学び、彼らが工夫し、儂らもまた学んだ。そうして築いた日々は、前世で手にしたどの栄華よりも穏やかで、温かかった」
清盛の顔に浮かぶ笑みは、本当に穏やかだった。
平家の棟梁。
前世で権力の頂点に立ち、やがて一門を滅亡へ導いた男。
その清盛が、この世界ではフミンの民と共に、まったく別の道を歩もうとしていた。
人は、やり直せるのかもしれない。
清盛たちは前世で失敗した。
けれどこの世界では、支配ではなく、未来を残すことを選んだ。
それは確かに、救いのある話のはずだった。
けれど、清盛の瞳の奥にある悲しみは消えていなかった。
幸せだった日々を語れば語るほど、その奥に沈んだものが濃くなっていくように見えた。
「清盛さん」
僕は慎重に声をかけた。
「そこまでフミンの民と深く関わっていたのなら、どうして今、フミン族はあんな扱いを受けているんですか?」
言ってから、少しだけ後悔した。
ロッテの前で聞くには、あまりにも重い問いだったかもしれない。
けれど、清盛は怒らなかった。
ただ、ゆっくりと目を閉じた。
部屋の外を、魚の影が通り過ぎる。
青い光が畳の上で揺れた。
その揺らぎの中で、清盛の顔から好々爺とした笑みが消えていく。
長い沈黙だった。
安徳天皇が不安そうに清盛を見上げる。
徳子さんは、すでにその先を知っているのだろう。
膝の上で、静かに手を握りしめていた。
やがて清盛は、重い息を吐いた。
「……そうじゃな。そこを話さねば、お主らには何も分からぬ」
その声は、先ほどまでとは違っていた。
懐かしさも、穏やかさも、そこにはほとんど残っていなかった。
あるのは、深い後悔と、長い年月をかけても薄れなかった痛みだった。
清盛は僕たちを見た。
そして、静かに告げた。
「だが、その穏やかな日々はアルスラン帝国によって奪われた」