君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百六十話 恨み骨髄
先ほどまでフミン族との日々を懐かしげに語っていた清盛の顔から、笑みが消えた。
怒鳴ったわけではない。
声を荒げたわけでもない。
ただ、安徳天皇をあやしていた好々爺の目から、温度だけがすっと抜け落ちた。
僕はその変化に息を呑んだ。
そこにあったのは単なる怒りではない。
長い年月を経ても消えなかった悔恨と、骨の奥まで染み込んだ憎しみだった。
「……じゃが、それが仇となった」
清盛は低く言った。
「魔王との戦が終わり、フミンの民は戦勝の宴を催しておった。長く苦しい戦であった。多くの者が傷つき、多くの者が帰らなかった。それでも、生き残った者たちは笑っておった。ようやく平和が来ると信じておったのじゃ」
その言葉に、ロッテがわずかに顔を上げた。
さっきまで、自分たちの祖先が大陸のために戦ったことを知って、彼女の目には確かに光があった。
けれど今、その光が不安に揺れている。
「その夜を狙って、人間族が夜襲をかけてきた」
部屋の空気が凍りついた。
ミレーヌが息を止める。
フェリシアは唇を引き結び、クヌートは拳を握った。
「……宴の最中を、ですか」
僕の声は、自分でも驚くほどかすれていた。
「そうじゃ。武器を手放し、酒を酌み交わし、死者を悼み、生者を労っていた時じゃ。儂らは油断しておった。いや、油断というより、信じたかったのじゃろうな。共に魔王と戦った者たちが、その直後に刃を向けてくるはずがないとな」
清盛はそこで一度、目を閉じた。
「儂らは鳥居に逃げ込むことができた。だが、あの場にいたフミンの民の殆どが殺された」
ロッテの肩が小さく震えた。
「……そんな」
声になりきらない声だった。
彼女は膝の上で手を握りしめていた。
その指先が白くなるほど強く。
清盛はロッテを見た。
その目には、痛ましさがあった。
だが同時に、自分自身への怒りもあった。
「わしらは前世で公家化していて、武士の心構えを忘れておったのじゃ。勝った時こそ警戒せねばならぬ。宴の時こそ刃を置いてはならぬ。それを知っていたはずなのに、儂らは忘れておった」
「清盛さんたちのせいじゃ……」
ロッテがそこまで言って、言葉を止めた。
責めたいのか。
責めたくないのか。
自分でも分からないのだろう。
清盛は静かに首を横に振った。
「責めてよい。儂らがもっと警戒しておれば、救えた者もいたはずじゃ」
その言葉に、誰も何も言えなかった。
「ではマナジ教というのは」
僕は慎重に尋ねた。
清盛の目が、再び冷たく光った。
「アルスラン帝国を滅ぼすことを目的に、儂らが作り上げた組織じゃ。人間族の国を滅ぼし、この大陸を統一し、フミン族に安住の地を与える。そのための刃じゃ」
「──そんな」
ミレーヌが小さくつぶやいた。
その声には拒絶だけでなく、戸惑いも混じっていた。
清盛たちの恨みを、彼女は理解してしまったのだと思う。
けれど、それでも受け入れられないものがある。
その狭間で、ミレーヌは言葉を失っていた。
「馬鹿なことをと思うじゃろう」
清盛は静かに言った。
「じゃが考えて欲しい。自分たちが手塩をかけて育てた民を、共に歩んできた者たちを、信じた相手に奪われたのじゃ。黙っていられるほど、我らは甘くはない」
「そんな事をして何になります?」
僕はそう聞くしかなかった。
清盛は悪びれもせず答えた。
「恨みを晴らせる」
その声には、迷いがなかった。
「加害者は忘れればよい。時が経てば、過去のことだと言える。だが被害者は違う。奪われた者は、奪われた日のまま止まっておる。恨みを晴らすまで、心はその場から一歩も動けぬものじゃよ」
清盛は鋭い眼光で僕を見た。
復讐は何も生まない。
そう言うことは簡単だった。
けれど、目の前の老人にそれを言えば、僕の言葉はあまりにも軽く響くだろう。
手塩にかけて共に歩んだ民を奪われた者に、忘れろなどと言えるはずがなかった。
それでも、僕は納得できなかった。
「でも……それで殺される人たち全員が、フミン族を襲ったわけじゃありません」
「そうじゃな」
清盛はあっさり認めた。
そのことが、逆に怖かった。
「では、なぜ」
「戦とはそういうものじゃ。無実の者だけをきれいに避けて、罪ある者だけを斬ることなどできぬ」
「それを分かっていて、やるんですか?」
「分かっておるからこそ、やるのじゃ」
清盛の声は静かだった。
「中途半端な情けは、またフミンの民を危うくする。人間族の国が残る限り、彼らはいつかまた奪われる。ならば、根を断つしかあるまい」
ロッテが顔を伏せた。
その言葉に救われたのか、傷ついたのか、僕には分からなかった。
フミン族のためと言われれば、否定しきれない。
けれど、その未来を本当にフミン族自身が望んでいるのか。
そこが、僕にはどうしても引っかかった。
なぜその事を、僕たちに話すのだろうか。
僕がそう思った時、清盛はゆっくりとミレーヌを見た。
「このことをお主たちに言うのはのう。勇者ミレーヌに、儂らの邪魔をしないで欲しいからじゃ」
名を呼ばれたミレーヌの肩が、わずかに揺れた。
清盛の視線は穏やかだった。
だが、その奥には一歩も引かない覚悟があった。
「勇者は魔王を倒す者。大陸を救う者。ならば、マナジ教を悪と見て討つこともできよう。じゃが儂らからすれば、これはフミンの民を救うための戦じゃ」
「……ですが、それでは無実のアルスラン帝国の人々も殺すことになります」
ミレーヌはようやく声を出した。
震えてはいなかった。
けれど、いつものように迷いなく正しさを口にしているわけでもなかった。
「源氏は無実の平家の者を皆殺しにした。戦争とはそういうものじゃ」
「それでは源氏と同じことではないですか。それでいいんですか?」
ミレーヌの言葉に、徳子さんがかすかに目を伏せた。
安徳天皇は不安そうに清盛を見上げている。
清盛はしばらく黙っていた。
その沈黙の後、低く答える。
「よいとは言わぬ」
僕は思わず清盛を見た。
「じゃが、許せぬのじゃ」
清盛の声が、初めてわずかに震えた。
「正しさではない。誇りでもない。救いですらない。ただ、許せぬ。あの夜を忘れて生きることなど、儂らにはできなんだ」
その言葉に、僕は何も言えなくなった。
清盛は自分の復讐を正義だと言い切っているわけではない。
けれど、止まれないのだ。
それが分かってしまった。
「理解してもらおうなどとは思わぬ。だが邪魔だけはしないで貰いたい」
「もし邪魔をすると言ったら?」
僕が問い返すと、清盛は静かに僕たちを見渡した。
その目が、最後にミレーヌで止まる。
「平家一門、最後のひとりになるまで勇者ミレーヌと戦うことになるじゃろう」
部屋の中に、重い沈黙が落ちた。
ミレーヌはすぐには答えなかった。
クヌートも、フェリシアも、ロッテも黙っている。
フミン族を奪われた恨み。
無実の人々を巻き込む復讐。
そのどちらも、簡単な言葉では裁けなかった。
僕はマナジ教の、平家の恨みを押しとどめる言葉を見つけられなかった。