君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百六十一話 復讐の甘さ
第百六十一話 復讐の甘さ
平清盛との会話の後、僕たちは浄土庭園を見学しながら考えを巡らせていた。
水面には、屋敷の灯りが静かに揺れている。
海の底にあるはずなのに、庭園には穏やかな風のようなものさえ感じられた。
整えられた池。白砂。丸く刈り込まれた木々。
その美しさが、かえって胸の奥を重くする。
恨みを忘れることは、とても難しい。
しかも、自分たちが大切に育てた人々を皆殺しにされた恨みとなれば、返す言葉など簡単には見つからなかった。
それは綺麗ごとではない。
このままでは、平家の陰謀によってアルスラン帝国は無謀な戦争に突入する。
そして大敗北し、長く苦しい歴史を歩むことになるかもしれない。
経済の混乱は内乱へと発展し、大陸そのものが戦乱に沈む可能性もある。
平家は、それを望んでいる。
マナジ教徒も、おそらくそれを望んでいる。
では、フミン族は本当にそれを望んでいるのだろうか。
「ロッテも、アルスラン帝国が憎い?」
僕は隣でしゃがみ込み、庭園の池を眺めていたロッテに語りかけた。
フミン族のロッテは、今の話を聞いてどう思ったのだろう。
清盛たちの恨みを、どう受け止めたのだろう。
ロッテはしばらく水面を見つめていた。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「……憎いです」
その声は静かだった。
けれど、静かだからこそ重かった。
「私たちフミン族は、路地裏で汚物の処理や、ごみや死体の掃除のような仕事しか許されませんでした。友達の一人は、酔っぱらったアルスラン帝国の兵士に斬り殺されて、それを笑いものにされたんです」
ロッテの手が、膝の上で小さく震えていた。
「憎んでは、いけないのですか?」
そう言った後、ロッテは瞳に涙をためて俯く。
友達の事を思い出したのだろう。
ロッテは多分、誰かを憎むという事をしたくない。
それでも、憎まずにはいられないのだ。
優しいからこそ、なおさら苦しいのだと思った。
憎みたくない。けれど、許したと言えば、殺された友達まで踏みにじることになる。
そんなふうに、自分の心の中で何度も何度も引き裂かれてきたのかもしれない。
「……ごめんなさい。こんなことを言うつもりじゃありませんでした」
ロッテは小さく謝った。
「謝らなくていいよ」
僕はそう答えるのが精一杯だった。
憎むな、などとは言えなかった。
僕はすぐに答えられなかった。
僕だってヤオやシンジやミオやスグハを面白半分で命を奪われたら、きっと憎むだろう。
綺麗ごとじゃない。
憎しみでは何も解決はしないというのは簡単だ。
けれど、忘れられない思いが晴れる。
いつも優しくて、思慮深いロッテでさえ、恨みは深い。
当然だ。
彼女が受けてきたものは、きっと僕が想像できるような軽いものではない。
マナジ教徒は、憎しみと恨みで結束しているのだろう。
その根は、僕が思っていたよりずっと深い。
このままでは、破滅する数億と言われているアルスラン帝国の人々のために、マナジ教徒と平家一門を全員殺してでも、この陰謀を阻止するべきなのだろうか。
歴史上の偉大な政治家たちなら、迷いなく選択できるのかもしれない。
でも僕には、そんなことはできない。
僕は政治家じゃない。
ただの冒険者で、ミレーヌの隣にいる一人の人間でしかない。
「俺には、あいつらの気持ちがよく分かるよ」
そう発言したのはクヌートだった。
ずっと差別と偏見の中で生きてきたハーフエルフのクヌートにとって、同じように虐げられてきたフミン族の気持ちはよく分かるのだろう。
「俺だってユキナやミレーヌと会う前だったら同じことを考えたさ。どうして何もしていない俺たちが傷つけられるんだと」
クヌートの声には、怒りよりも疲れが滲んでいた。
きっと彼は、何度も同じような目を向けられてきたのだ。
人間でも、エルフでもない。
どちらにも属せず、どちらからも疑われる。
その積み重ねが、今の言葉になっているのだと思った。
フェリシアも迷った後、静かに頷いた。
「私も、クヌート兄さまも、ミレーヌの勇者の力で憎しみの心を浄化されなかったら、フミン族の人たちに味方したと思います」
フェリシアの声は、いつもより硬かった。
「ですが、今はそれが正しくないと分かっています。けれど、正しくなくても、被害者にとって蓄積された恨みを晴らすという果実は、とても甘いのです。復讐心を満たすという誘惑に勝てるほど、私たちは強くはありません」
クヌートも、フェリシアも、ロッテも、平家の気持ちに近いようだった。
差別も偏見も受けずに生きてきた僕とミレーヌには、綺麗ごとしか浮かばない。
けれど、この場の誰かが、その綺麗ごとを言わなければいけない。
ミレーヌはしばらく黙っていた。
いつものミレーヌなら、間違っていると思えばすぐに声を上げる。
けれど今は違った。
ロッテの痛みも、クヌートとフェリシアの言葉も、清盛の恨みも、全部分かってしまったからだ。
それでも、飲み込んではいけないものがある。
ミレーヌは小さく息を吸った。
「ボクは反対だよ」
ミレーヌが、はっきりと言った。
その声に、ロッテが顔を上げる。
クヌートもフェリシアも、ミレーヌを見た。
「フミン族の人たちの恨みは分かる。ロッテが憎いって思うのも、間違ってるなんて言えない。でも、アルスラン帝国の遠い遠い昔の先祖がしたことで、今生きているアルスラン帝国の人たちが苦しまないといけない理由が、どこにあるの?」
ミレーヌの言うことは正しい。
ただ、前世には『親の因果が子に報う』という言葉もあった。
過去の罪が、何も知らない子孫にまで降りかかる。
歴史では、そんなことが何度も起きてきた。
でも、それは間違っている。
こんなのは、間違っているんだ。
だから僕は、綺麗ごとを言うことにした。