君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百六十三話 前途多難
問題は山積みだった。
移住とは地図の上で矢印を引くような簡単な話ではない。
そこには、老人がいて、子どもがいて、病人がいる。
明日食べるものにも困っている人たちに、遠い島へ行けば未来があると言ったところで、すぐ信じてもらえるはずがない。
僕はそのことを、頭では分かっているつもりだった。
まず、アルスラン帝国とシリカ国は戦争に発展する可能性が高い。
シリカ国に助けを求めること自体が、アルスラン帝国から見れば敵対行為と受け取られるかもしれない。
それに、フミン族の人たちを移住させる場所も問題だ。
アルスラン帝国から離れていて、シリカ国と友好を保てる場所。
シリカ国は交易国家だというから、広い未開の島を譲ってもらえればありがたい。
もちろん、人の手が入っていない島なら、産物も少ない。
一から住めるようにしなければならないだろう。
家もいる。
井戸もいる。
畑もいる。
港もいる。
最初の何年かは、食べ物にも困るかもしれない。
それでも、アルスラン帝国で蔑まれながら生きるしかない生活よりはいいと思った。
もちろん、強制はできない。
僕たちが勝手に決めていい話ではない。
僕がそんなことを考えていると、いつも真面目なクヌートが、いつも以上に真剣な顔でロッテに話しかけた。
「方針はいいとしてだ。ロッテはそれでいいと思うか?」
「え、え、私ですか?」
クヌートの問いに、ロッテが愛くるしい瞳を見開いた。
明らかに動揺している。
「そうだ。今ここにいるフミンの民は、ロッテだけだからな」
クヌートは淡々と言った。
「アルスラン帝国に住んでいるフミンの民は、移住を提案されたら受け入れると思うか?」
「受け入れないと思います」
即答だった。
僕は思わずロッテを見る。
まったく予想外の答えだった。
どうしてだろう。
アルスラン帝国で虐げられてきたなら、そこから離れたいと思うのではないのか。
ロッテは少し困ったように視線を落とした。
「移住先に食べ物があるか分からないからです。アルスラン帝国に暮らしていれば、蔑まれても、馬鹿にされても、食べ物はあります」
その言葉は、僕の胸に重く落ちた。
「それに、住んでいる土地を離れる不安もあります。フミンの民にも相互に助け合う組織がありますし、長年培ってきた路地裏の情報網を、冒険者ギルドに売るというささやかな収入源もあります」
「現状に満足していなくても、移住しないというのか?」
僕は思わず聞き返した。
ロッテは静かに頷いた。
「飢え死にしないという保証がないと、無理でしょう」
「それに、弱い人ほど、今ある小さなつながりを捨てられません」
ロッテは小さく続けた。
「誰が病気の子に食べ物を分けてくれるか。どの路地なら兵士に見つかりにくいか。どの商人なら古い服をくれるか。そういうものを、みんな何年もかけて覚えて生きています」
「新しい土地には、それがないんです」
ロッテの声は、決して移住案を否定したいだけのものではなかった。
むしろ、彼女自身もどこかへ行けるなら行きたいと思っているのかもしれない。
けれど、願うことと実際に動くことは違う。
希望だけでは腹は膨れない。
安全な寝床も、明日の食べ物も、誰かが用意してくれるわけではない。
その言葉に、僕は目の前が暗くなるような気がした。
フミンの民は、アルスラン帝国に長年虐げられてきた。
それでも、今の生活に慣れ、現状維持が一番安全だと思っている。
それは怠惰ではない。
臆病でもない。
生き延びるための知恵なのだ。
僕が絶句していると、クヌートが静かに頷いた。
まるで全てを理解しているかのように。
ハーフエルフとして差別されてきたクヌートには、フミンの民の気持ちが分かるのだろう。
助ける。
救う。
新しい国を作る。
「……分かるよ」
クヌートが低く呟いた。
「外から見れば惨めでも、そこにはそこで生きるためのやり方がある。誰が味方で、誰が危険か。どこまでなら許されて、どこから先は殴られるか。そういう線を覚えないと生きていけない」
クヌートの声は苦かった。
「それを全部捨てて、見たこともない土地へ行けと言われても、簡単に頷けるわけがない」
言葉にすれば簡単だ。
でも、当事者にとっては住み慣れた場所を捨て、食べ物があるかどうかも分からない土地へ向かうということなのだ。
僕は、少しだけ自分が恥ずかしくなった。
善意だけでは、人は救えない。
正しいと思う道を示しただけでは、人は動かない。
僕は、助けたいと思っていた。
でも、助けたいという気持ちだけで、相手の暮らしを動かそうとしていた。
そのことに気づいた瞬間、胸の奥が冷たくなった。
善意なら許されるわけじゃない。
正しいと思った道でも、押しつければそれは別の暴力になる。
それでも、何もしなければ何も変わらない。
怖いからといって立ち止まれば、フミン族は今のままだ。
復讐に走る者も、蔑まれながら生きる者も、誰も救われない。
「前途多難だ」
僕が呟くと、ミレーヌがそっと僕の手を握ってくれた。
僕はミレーヌを見つめる。
「ユキナがみんなを助けたいって思うなら、ボクは協力するよ」
ミレーヌは静かに言った。
「だから、一緒に考えよう」
ミレーヌの言葉に、クヌートもフェリシアも頷いた。
少し遅れて、ロッテも小さく頷いてくれた。
まだ全てを諦めるには早い。