君とボクの二度目の冒険 〜病弱だった僕は、二度目の命で幼なじみと世界を旅する〜 作:屠龍
第五話 僕は見過ごせなかった
翌朝、ミレーヌと一緒に教室に入った瞬間、空気が昨日までと違うとわかった。
ひそひそと囁き合う声。
誰かがわざとこちらを見て、すぐに目を逸らす。
僕が席に着くと、少し離れたところでミレーヌも立ち止まっていた。
机の上に、黒い墨で乱暴に書かれた文字があった。
“よそ者は出ていけ”
僕は思わず息をのんだ。
昨日までは、落書きだの教科書隠しだの、まだ子どもの嫌がらせで済んでいた。
でもこれは違う。
悪意そのものが、前よりはっきり形になっていた。
「……ほんと、くだらないね」
ミレーヌはそう言って肩をすくめると、布で机を拭いた。
遅れて登校したミンとスグハがミレーヌに事情を聞いたらしい。
普段寡黙なスグハがリンの取り巻きを睨みつけた。
睨まれた取り巻きはびっくりした様子で目をそらす。
書いたのはあいつか。
リンに一番親しい女子だった。
ミレーヌは怒っているようには見えなかった。
でも、笑ってもいなかった。
その時、後ろの席の女子たちの声が耳に入った。
「ほら、やっぱり本当なんじゃない?」
「前の町で患者を死なせたって……」
「しかも金持ちしか診なかったんでしょ?」
胸の奥が、冷たくなる。
僕が怒る前にミレーヌが叫んだ。
「違うよ!」
ミレーヌが顔を上げた。
緋色の瞳がまっすぐ相手を見据える。
「ボクのお父さんはそんな人じゃない!」
教室がしんと静まり返る。
一瞬だけ、みんなの視線がミレーヌに集まった。
けれど、すぐにまたざわざわと小さな声が戻る。
「でも、そういう噂があるって……」
「火のないところに煙は立たないっていうし……」
何の証拠もないくせに。
勝手な言葉だけで、人を傷つけていいわけがない。
僕は席を立った。
視線の先にはリンがいる。
何食わぬ顔で本を開いているが、その口元には薄く笑みが浮かんでいた。
昼休みになるや、僕は真っ直ぐリンの席へ向かった。
「リン、お前だろ」
リンはゆっくり顔を上げた。
取り巻きの女子たちが、面白そうにこちらを見ている。
「何の話?」
「噂だよ。ミレーヌのお父さんのこと、広めたの、お前だろ」
僕がそう言うと、リンは小さく肩をすくめた。
「失敬だな。僕がそんなことをしてる証拠でもあるのか?」
涼しい顔だった。
いかにも自分は無関係ですと言いたげな顔。
でも、こういう時こいつは絶対に自分で手を汚さない。
誰かに言わせて、自分は高みの見物だ。
「お前、ほんと卑怯だな」
「ひどい言いがかりだね。僕はただ、みんなが心配してるから、よそ者には気をつけたほうがいいって言っただけだよ」
その言い方がまた腹立たしかった。
いかにも善意みたいな顔をして、他人を追い込む。
これだから嫌いなんだ。
でも僕がどれだけ睨んでも、リンは平然としていた。
教師に言ったところでどうせ強くは出ない。
リンの家はこの町でも有力者だ。
そんな相手に、本気で逆らう大人なんてそうはいない。
それが悔しかった。
放課後、僕はミレーヌと一緒に帰ることになった。
教室を出ても、廊下の端や校門のそばで、まだ誰かがこちらを見ている気がした。
「ミレーヌ……大丈夫?」
「大丈夫じゃないけど、泣くほどじゃないかな」
そう言ってミレーヌは、少しだけ無理をしたみたいに笑った。
「お父さんは、そんな人じゃないのに」
その一言だけが、妙に重かった。
僕は何か言おうとした。
でも、うまい言葉が見つからない。
大丈夫だよ、と言いたかった。
けれど、本当に大丈夫なのか自分でもわからなかった。
町の広場へ差しかかった時だった。
井戸端で話していた大人たちの声が、風に乗って聞こえてきた。
「例の医者の話、聞いた?」
「前の町で問題を起こしたって……」
「やっぱり、よそから来た人は怖いねえ」
僕の足が止まった。
ミレーヌも同じように止まる。
学校の中だけじゃない。
噂は、もう町にまで広がっていた。
僕たちは、そのまま診療所の前まで歩いた。
いつもなら夕方まで誰かしら出入りがあるはずなのに、その日は扉の前に誰の姿もなかった。
風が吹いて、軒先の札がかすかに揺れているだけだった。
ミレーヌが何も言わずに立ち尽くす。
その横顔を見た瞬間、胸が苦しくなった。
これはもう、教室の中だけの話じゃない。
僕は、ようやく思い知った。