君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第五十話 ミレーヌとお母さんの思い出――雲の王国を夢見て――
二人で仲良く手をつないで歩いていると、喫茶店の看板が目に入った。
大きなガラス窓のある、光が差し込むお洒落な喫茶店だった。
店の中からは、僕の好きなティカの香りが漂ってくる。
ティカは前世でいうコーヒーに似た飲み物だ。
この匂いからして、普段僕が飲んでいる安物とは違う。
「あそこで休んでいかない?」
「うん♪ ボクも喉が渇いちゃった」
店に入ると、香ばしいティカの匂いがふわりと鼻をくすぐった。
店内には数人の客がいて、静かに飲み物を楽しんでいる。
窓際の席には身なりのいい婦人が二人、何かの本を広げながら話し込んでいて、奥の席には書き物をしている男性もいた。
外の市場の賑わいとは違って、ここだけ時間がゆっくり流れているように感じる。
メニューを見るとお茶や菓子もあるが、僕はやっぱりティカを選ぶことにした。
ただ、値段を見て少しだけたじろぐ。
普段僕が飲んでいるものの何倍もする。
入る店を間違えたかと思ったが、今さら安さにこだわっているのを見せるのも気が引ける。
そう思っていると、ミレーヌが助け舟を出してくれた。
「ボクこれがいいな。ユキナもこれがいいよね」
ミレーヌが指さしたのは、一番安い香草茶とティカだった。
これなら僕も気兼ねなく注文できる。
「それじゃ、このお茶とティカをお願いします」
「はい。お菓子はいかがいたしましょうか」
「いりません」
僕が迷う前に、ミレーヌがきっぱり言った。
店員さんは少し驚いた顔をしたけれど、すぐに引き下がる。
こういう時は、ミレーヌのほうがよほど度胸がある。
男は見栄を張りたがるけど、そんなものはいらないとミレーヌはよくわかっているのだ。
「ユキナはティカが好きだよね」
「うん。お酒とティカのどちらかを選べって言われたら、一生禁酒しても悔いはないよ」
「仮にも酒屋の子が禁酒なんて言っていいの?」
くすくすと笑うミレーヌ。
ミレーヌは香草茶が好きだ。
医者の娘らしいといえば、らしい。
やがて運ばれてきたティカは、湯気の立ち方からして上等だった。
深い色の液体から、焦げた木の実みたいな香ばしい匂いが立ちのぼる。
一口飲むと、苦みのあとにかすかな甘みが舌に残って、思わずため息が漏れそうになった。
安物とは全然違う。
値段が高いのも少しだけ納得してしまう。
向かいでは、ミレーヌが両手でカップを包み込みながら、香草茶の匂いを楽しむように目を細めていた。
「ミレーヌもいつも香草茶を飲んでるけど、それってお父さんが勧めたの?」
「うん。ボクのお母さんは胃に石が出来てね。それで死んじゃったんだ。香草茶にはその予防効果があるって、お父さんが教えてくれたの」
前世でいう癌のようなものだ。
そう言って思い出すように呟いたあと、ミレーヌは少しだけ表情を曇らせた。
さっきまで楽しそうに笑っていた横顔に、ふっと静かな影が差す。
でもそれは、深く沈み込んでしまうような暗さではなかった。
何度も思い出し、そのたびに胸の中でそっと撫でてきた痛みのように見えた。
ミレーヌのお母さんに会ったことはない。
でもミレーヌを見ていれば、お母さんにとても愛されて育ったのだとわかる。
きっと優しくて、素敵な人だったのだろう。
困っている人を見ると放っておけないところも、誰かの痛みにすぐ気づくところも、ミレーヌの中にある明るさも、みんなそのお母さんから受け継いだものなのかもしれない。
そう思うと、僕の知らない人なのに、少しだけ懐かしいような気持ちになる。
「ごめんね。お母さんのこと思い出させちゃって」
「ううん。いつかボクから言おうと思ってたから。ボクのお母さんが冒険者だったってことは知ってるよね」
「うん。ミレーヌが子どもの頃によく話してくれたからね」
「ボクのお母さん、すごい冒険をたくさんしてたんだよ。だからボクも冒険者に憧れてた」
そう言うミレーヌの声は少しだけ誇らしそうだった。
悲しいだけじゃないのだ。
失った人のことを、ちゃんと大好きだったまま話せるのは、それだけ大切な思い出が残っているからだろう。
きっとミレーヌにとって、お母さんはもういない人ではなくて、今も自分の中で一緒に歩いている人なのだ。
「……うん」
こういう時は余計な事は言わない。
ミレーヌが続きを話すまで待つ。
僕はティカを飲みながら、静かに耳を傾けた。
「雲の王国の話は知ってるよね?」
「うん。ずっとずっと空の向こうにある、空を飛ばないと行けない国の事だよね」
ミレーヌから何度も聞かされた冒険譚の一つだ。
ミレーヌのお母さんは、そこから降りてきたのだと幼い頃よく聞かされた。
「みんなは信じてくれなかったけど、ユキナだけ信じてくれたよね」
「うん。そういう話は、僕は好きだから」
前世ではアニメやゲームで、神様の血を引くとか、世界の果ての迷宮とか、そういう話をいくらでも見てきた。
この世界には魔法もあるし、空を飛ぶ生き物もいる。
だったら、そういう場所があってもおかしくないと思っている。
「ユキナが言う話みたいな、世界の果ての迷宮とか行ってみたいな」
「あくまであるかもって話だからね」
「うん。それでも、想像するだけで楽しいんだよ」
そう言った時のミレーヌの目は、少しだけ遠くを見ていた。
喫茶店の窓の向こうに広がる首都の街並みではなく、もっとずっと先の、空の向こうの景色を見ているようだった。
その横顔はどこか子どものようでもあり、同時に冒険者を夢見る少女そのものでもあった。
「お母さんね、よく寝る前に色んな話をしてくれたんだ。空を飛ぶ船の話とか、雲の上にある庭園の話とか、夜になると星が手に届きそうなくらい近く見える国の話とか。小さい頃のボクは、そういうの全部本当にあるんだって思ってた」
ミレーヌは小さく笑う。
でもその笑い方は、自分の幼さを笑うものではなかった。
大切な思い出を、そっと両手で包み直すような優しい笑い方だった。
「お母さんが死んだあともね、そういう話を思い出すと少しだけ寂しくなくなったんだよ。どこか遠い場所で、今も旅をしてるんじゃないかなって思えて」
その言葉を聞いて、僕の胸も少しだけ締めつけられた。
ミレーヌはただ冒険に憧れているんじゃない。
冒険の向こう側に、お母さんの面影を見ているのだ。
だからあの子は、危険だとわかっていても前へ進もうとする。
ただ強くなりたいからじゃない。
自分の大切な記憶と、同じ空の下を歩きたいからなのかもしれない。
ミレーヌにとって冒険譚は、お母さんと繋がる話なんだと思う。
本当にあるかわからない。
でも、もしあるのなら。
いつかミレーヌと一緒に、そんな場所を探しに行けたらいい。