君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第五十八話 怒れる優しさ
街道沿いの宿兼修道院に着いた時には、すっかり日が傾いていた。
中庭には乗合馬車や商人の荷車がいくつも並び、馬を世話する御者たちの声や、旅人たちのざわめきが絶え間なく響いている。
西の空にはまだ赤みが残っていたが、石造りの建物の影はもう長く伸び、夜の気配が足元からじわじわと広がっていた。
今夜はここで一晩休み、明日の朝から森へ向かう予定だった。
僕たち六人が玄関をくぐると、暖かな灯りと煮込みの匂いが迎えてくる。
煮えた豆と肉の匂い、焼きたてのパンの香ばしさ、濡れた外套を乾かす火の熱気。
冷えた身体にはそれだけでほっとするような空間だった。
けれど、その暖かさは僕たち全員に平等に向けられたものではなかった。
最初に空気が変わったのは、クヌートとフェリシアが中へ入った瞬間だった。
話し声が、ほんの一瞬だけ弱まる。
食卓でスープを飲んでいた男が露骨に眉をひそめ、荷物を抱えた旅の女が子供の肩を引き寄せる。
商人風の男は、見ないふりをしながらも明らかに横目で二人を観察していた。
暖炉の火がぱちりと爆ぜる音だけが妙に大きく聞こえ、その短い沈黙がかえって視線の意味をはっきりさせていた。
――ハーフエルフだ。
口には出さなくても、そんな視線だった。
クヌートは何も気にしていないように歩き、フェリシアも静かな顔を崩さない。
けれど、慣れているから平気だというのと、傷つかないというのは違うはずだ。
僕の胸の奥が、じわりとざらついた。
そのまま受付へ向かうと、今度は神官見習いらしい若い男が対応に出てくる。
宿帳を見せ、人数を告げると、男は僕たちの顔を一人ずつ確認し、クヌートとフェリシアを見たところでほんの僅かに表情をこわばらせた。
その変化を、ミレーヌは見逃さなかった。
案内された女子部屋は、北向きの小さな部屋だった。
窓は小さく、陽はほとんど入らない。
湿気がこもり、廊下の奥の厠にも近いのか、空気も少し淀んでいた。
石壁にはうっすらと染みが浮き、寝台の敷布もどこか湿っぽい。
鼻を抜ける冷たい黴の匂いが、ここが歓迎の部屋ではないことを嫌でも教えてくる。
同じ料金を払って泊まる部屋とは思えない。
「フェリシアさんのお部屋はこちらになります」
神官見習いが、事務的な声で言う。
「……どうしてフェリシアさんだけこんな部屋なの?」
ミレーヌが、低い声で言った。
普段の明るさの抜けた、はっきりした怒りの声だった。
神官見習いは一瞬たじろぐ。
「他の部屋は、もう埋まっておりますので」
「嘘だよ」
ミレーヌは即座に言い返した。
「さっき南側の廊下、まだ空いてた部屋が二つあった。ボク見たもん」
横でセシルさんが小さく片眉を上げる。
「ちゃんと見てたんだねえ」
「当然でしょ。フェリシアさんだけこんな扱い、おかしいもん」
ミレーヌは一歩前へ出た。
その横にシグレさんが静かに並ぶ。
「こちらは六人分、正規の料金を払っている。相応の部屋を用意してもらいたい」
シグレさんの声は落ち着いていた。
だが、その静けさは譲歩ではなく、相手に逃げ道を与えない硬さを帯びている。
神官見習いは目を泳がせた。
「ですが、その……他の宿泊客から不安の声が……」
「不安?」
今度はセシルさんが口を開いた。
軽い調子なのに、妙に鋭い。
「不安ってのは、ハーフエルフと同じ階で寝るのが嫌だって? ずいぶん親切な宿だねえ。お客の偏見まで面倒見てくれるなんてさ」
神官見習いの顔が強張る。
図星だったのだろう。
その間にも、廊下の向こうから別の客たちの視線が刺さってくる。
年配の女は露骨に口をへの字に曲げ、若い男たちは面白がるようにこちらを見ていた。
中には、フェリシアを見るなり鼻で笑った者もいる。
その視線の一つ一つが、まるで「お前たちはここにいていい存在じゃない」と言っているようで、僕まで息苦しくなった。
けれど当のフェリシアは、ひどく静かな顔をしていた。
怒っているわけでも、泣きそうなわけでもない。
ただ、こういうことには慣れていると言いたげな、諦めを含んだ顔だった。
「……私は大丈夫です」
フェリシアが小さく言う。
「兄さまも、こういう事には慣れていますし」
「ボクは大丈夫じゃないよ」
ミレーヌがすぐに返した。
「フェリシアさんが平気かどうかじゃなくて、こんな事するほうが変なんだよ」
その言葉に、フェリシアが少しだけ目を見開いた。
たぶん、こんなふうに真正面から怒ってくれる人に慣れていないのだろう。
シグレさんが神官見習いへ向き直る。
「ではこちらで別の部屋を借りる。空き部屋はあるのだろう?」
「そ、それは……」
「あるんだね」
セシルさんがにっこり笑った。
その笑みは明るいのに、目だけが冷静で、相手の逃げ道を一つずつ塞いでいく。
「じゃあさ、四人部屋を一つ借りる。追加料金が要るなら払う。こっちは今日の寝床がほしいだけだし、そっちも余計な揉め事は避けたいだろ?」
神官見習いは露骨に嫌そうな顔をしたが、やがて奥へ引っ込んだ。
しばらくして、もう少し年上の神官が現れ、結局、南向きの四人部屋を追加料金付きで貸すことになった。
「……最初からそうしろって話だよね」
ミレーヌがまだ怒った顔のまま呟く。
「でも通ったんだから良しとしな。全部真正面から殴ればいいってもんでもない」
「セシル、それはお前が言うと説得力が微妙だな」
シグレさんが肩をすくめる。
セシルさんは「失礼だねえ」と笑った。
そのやり取りに、フェリシアが小さく笑う。
ほんの少しだけ、張りつめていた空気が緩んだ。