君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第六十五話 夜の森へ
僕たちはスカウトのセシルさんを先頭に、夕方の森へ入った。
冷たい風が頬を撫で、赤く染まった広葉樹の葉がはらはらと散っていく。
収穫を終え、冬へ向かう森。
地面にはドングリが転がり、足元で小さくはじけた。
夕方といっても、森の中はもうかなり暗い。
それでも僕たちの目には周囲がはっきり見えていた。
フェリシアに、ミレーヌの肩に乗る黒猫と同じ夜目の魔法をかけてもらっているからだ。
その黒猫は相変わらずミレーヌになついていて、頬に頭をすり寄せている。
……少し羨ましい。
黒猫の視界は人間とは違うらしい。
小さな獣の足跡も、わずかな光も見逃さず、冷えた石と温かな生き物の違いまで輪郭になって浮かぶ。
まるで夜そのものに目があるみたいだった。
鎧の擦れる音や足音も外へ漏れない。
クヌートが沈黙の魔法をかけてくれているからだ。
暗い森の中でも、根や小枝まで昼間のように見え、僕たちは湿った土の匂いの中を慎重に進んだ。
魔法とはもっと派手なものだと思っていた僕は、その神髄がこういう補助にあるのだと知った。
フェリシアが同行すれば夜襲は成功する。
シグレさんが誠意を尽くして彼らを味方にした理由が、よくわかった。
しばらく行くと、湿った土がブーツにこびりつき、川の水音が聞こえてきた。
教わった沢を越え、獣道に入る。
ここから先は山道に慣れた人でも四時間かかるらしい。
僕たちの足なら、もっとかかるかもしれない。
「適度な休憩は入れたほうがいい。慣れない山道は思わぬ疲労がたまるものだ」
シグレさんの言葉で、一時間ごとに短い休憩を挟むことになった。
休憩のたびに、僕はフレーベルで買っておいた蜂蜜飴をみんなに配る。
甘いものは緊張を和らげるし、少しでも空気を軽くしたかった。
みんなが飴を口に含むと、ほんの少しだけ笑みがこぼれた。
「こういう気遣いができる男はモテるよ♪」
セシルさんにからかわれたので、素直に喜んでおく。
僕はミレーヌが隣にいてくれればそれで十分だけど、流石にそれを口に出すのは照れくさい。
そんな僕を見て、セシルさんは面白そうに笑っていた。
夜の山道は思った以上に冷える。
厚手のマントを着ていても寒いものは寒い。
特に女性陣には厳しいだろうと思い、僕は予備で持ってきた毛布を二枚渡した。
「ごめんねユキナ。寒くない?」
「大丈夫だよ」
そう答えたものの、寒いものは寒い。
指先はかじかみ、鎧の下に入り込んだ冷気がじわじわと熱を奪っていく。
火を焚けない以上、身体が冷え切る前に動かなければならなかった。
「少し待ってくださいね」
そう言ってフェリシアが手頃な石を並べ、そっと手をかざした。
「炎の精霊よ。我らにささやかな暖を与えたまえ」
石の表面がじわりと赤みを帯び、やがて炭火のように熱を持つ。
フェリシアはそれを厚い布で包み、一つずつ渡してくれた。
「簡易のカイロです。熱すぎたら言ってください」
「ありがとう」
受け取った布包みを手のひらで包むと、じんわりとした熱が指先から腕へ染み込んでくる。
石みたいに冷えていた手が、少しずつほどけていった。
ミレーヌは胸元に抱え込み、セシルさんは「こりゃ便利だ」と小さく笑う。
シグレさんも無言のまま、わずかに肩の力を抜いていた。
さらにフェリシアは、温めた石の熱で小鍋の水を温め、細かくちぎった干し肉と塩、それに少しの香草を入れた。
夜の森に火はない。
それでも、小鍋から立つ細い湯気と、ほどけていく肉の匂いだけで、冷えた身体には十分だった。
「はい、できました」
木の器を受け取って口をつける。
最初に熱が唇を温め、そのあと塩気の効いた肉の旨みがじわっと広がった。
豪華な味ではない。
でも、冷えた身体には驚くほどおいしかった。
固いパンを浸せば、表面がふやけて食べやすくなり、スープの旨みもよく染みた。
「……おいしい」
思わず漏らすと、フェリシアが少しだけ嬉しそうに笑う。
「よかったです」
ミレーヌも器を両手で包み込みながら、「あったかい……」と幸せそうに息をついた。
セシルさんは「こりゃ宿の飯よりありがたいかもね」と肩をすくめ、シグレさんも静かに頷いている。
固いパンをスープに浸して食べていると、隣に座っていたクヌートとふと目が合った。
クヌートはほんの少しだけ口元を和らげていた。
その小さな変化が、なぜだか少し嬉しかった。
みんなで温かな干し肉スープを飲み干すころには、身体の芯まで少しずつ熱が戻っていた。
僕たちは空になった器を片づけ、またゆっくりと夜の森を歩き出した。
しばらく進んだところで、先頭を歩いていたセシルさんがふいに右手を上げた。
その小さな合図だけで、僕たちは反射的に足を止め、次の瞬間には草陰へ身を伏せていた。
僕の心臓がどくりと鳴る。
けれど音はクヌートの魔法に吸われ、外へ漏れない。
セシルさんは片膝をつき、まず風を確かめるように顔を上げた。
それから地面へ手を置き、耳を澄ませる。
梢を揺らす風、水音、落ち葉の擦れる音。
その雑多な気配の中から、必要なものだけを拾い上げているようだった。
やがてセシルさんの表情が変わる。
昼間の軽口混じりの顔は消え、研ぎ澄まされた刃のような目になる。
僕たちは息を殺したまま、その横顔を見つめた。
セシルさんは音を立てずに紙を取り出し、石墨で短く書きつける。
『ゴブリンが4匹いる』
その文字を見た瞬間、休憩のぬくもりが一気に消えた。
僕たちは無言で頷く。
セシルさんはさらに二本の指を立て、少し離れた場所を示した。
敵は近い。
まだこちらに気づいていないだけで、もう警戒線の中に入りかけているのかもしれない。
ここから先は、スカウトであるセシルさんの独壇場だ。
僕たちはさらに身を低くし、彼女の次の動きを待った。
夜の森の中で、セシルさんだけがはっきりと敵の輪郭を掴んでいるように見えた。