君とボクの二度目の冒険 〜病弱だった僕は、二度目の命で幼なじみと世界を旅する〜 作:屠龍
第八話 君を救えた朝
その夜、ヤオの店には次々と町の大人たちが集まってきた。
顔見知りの商人もいれば、僕の知らない大人もいる。
店の奥では急ごしらえの会合が始まり、低い声が途切れず続いていた。
昼間は魚や干し肉の匂いが強い店も、夜になると炭火と茶の香りが混じって、どこか張りつめた空気に包まれている。
「ユキナ君もシンジ君も泊まっていきなさい」
ヤオのお父さんがそう言って、僕たちに菓子を持たせてくれた。
別室で休むように言われたけれど、そんなので眠れるはずがなかった。
ミレーヌが泣いていた顔が、何度も頭に浮かぶ。
暗い診療所の前で立ち尽くしていた姿も、泥で汚れた包帯を拾い上げる震えた手も、目を閉じるたびに思い出してしまう。
寝床を抜け出して、僕はそっと大広間のほうへ耳を澄ませた。
扉の向こうで、いくつもの声がぶつかり合っている。
「腹を切り開くなど、人の道に外れる」
「冒険者上がりの医者など信用できん」
反発する声が聞こえる。
思わず息を呑んだ。
やっぱり、噂だけじゃない。
大人たちの中にも、ミレーヌのお父さんをよく思わない人がいるのだ。
けれど、そのあとすぐ別の声が重なった。
「だが実際に助かった者もいる」
「うちの店の者も、兵舎の若い者も助けられている」
「噂で潰していい腕ではない」
眠いはずなのに、全然眠れない。
窓から差し込む月明かりが、暗い部屋の床を白く照らしていた。
ミレーヌも今頃、眠れずにいるのかもしれない。
僕よりずっと不安な夜を過ごしている。
そう思うと、胸の奥がじくじくと痛んだ。
出来ることはやったはずなのに、もし本当にミレーヌが町からいなくなったらと思うと、不安でたまらなかった。
その時、ようやく自分の気持ちがはっきりした。
僕はミレーヌが好きなんだ。
初めて会った時、あの子に手を引かれたように。
今度は僕が、その手を離したくなかった。
守りたい。
笑っていてほしい。
ただそれだけのことが、どうしようもなく大事だった。
そう思いながら壁にもたれていたら、いつのまにか意識が落ちていた。
「ユキナ、起きなさい」
その声で目が覚めると、もう朝だった。
店の外からは荷車の音がしている。
窓の隙間から差し込む朝の光が、昨夜よりずっとまぶしく見えた。
「まったく、お前がこんなに頑固だとは思わなかったぞ」
お父さんはそう言って、僕の頭を軽く撫でた。
大広間にはもう誰もいない。
長い話し合いは、夜明け前まで続いたのだろう。
「お父さん、どうなったの?」
僕が尋ねると、お父さんは小さく笑った。
「ミレーヌちゃんのお父さんを、正式に組合付きの医師として迎えることになった。これで簡単には誰も文句は言えん。もう大丈夫だ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に張りついていた重たいものが、少しずつほどけていく。
あんなに長かった夜のあとに、ようやく朝が来た気がした。
きっとミレーヌも喜んでくれる。
ミレーヌは、ずっとこの町にいられる。
それだけで世界が急に明るくなったみたいだった。
僕たちは急いで朝ご飯をかき込み、学校へ向かった。
道すがら、ヤオもシンジも落ち着かない様子だった。
「なあ、どうなったんだ?」
「ミレーヌのお父さん、大丈夫なんだよな?」
「うん。組合の医師として迎えるって、お父さんが言ってた」
そう答えると、二人とも目に見えてほっとした。
けれど学校の門が見えてくると、妙に騒がしい。
何かあったのだろうか。
教室へ入った瞬間、その理由がわかった。
リンがミレーヌの前で頭を下げていた。
頬は赤く腫れ、長かった髪も短く切られている。
昨日までの気取った空気はどこにもなかった。
「ユキナ、ヤオ、シンジ、おはよう」
先に来ていたミンが、小声で僕たちを呼ぶ。
「どうしたの?」
「今朝、リンのお父さんが会合に呼ばれたの。そこでリンが噂を広めるきっかけを作ってたって話になって……すごく怒ったみたい」
「みんなの前で謝らせてるんだよ」
あまりの低姿勢に、むしろミレーヌのほうが困っているくらいだった。
リンのざまあよりも、教室の空気が昨日までとまるで違うことのほうが僕には大きかった。
噂に呑まれていた連中も、今は誰も大きな声を出せないでいる。
昼休みになると、ようやく教室の空気も少し落ち着いた。
その時ミレーヌが、僕たちに朝のことを話してくれた。
「朝早く、リンのお父さんとリンがうちに来たの。お父さんにもボクにも、何度も謝ってくれて……」
そこまで言ってから、ミレーヌは息をついた。
昨夜まで張りつめていたものを、ようやく下ろせたみたいな顔だった。
「それでね、お父さんも正式に組合でお医者さんを続けられるって聞いて……ボク、すごく嬉しくて」
言葉の最後で、目に涙がにじんだ。
今度の涙は、昨日の涙とは違った。
悲しさじゃない。
やっと救われた人の涙だった。
「へへ、よかったなユキナ」
「そうそう。かっこよかったぜ」
ヤオとシンジがにやにやしながら僕を小突く。
事情のわからないミレーヌに、ミンとスグハが何か耳打ちした。
ミレーヌは目を丸くしたあと、まっすぐ僕を見た。
「ユキナ……ボクのために、あそこまでしてくれたんだね」
「ぼ、僕は大したことしてないよ」
そう言ったけれど、声が少し裏返ってしまった。
ミレーヌは少しだけ笑って、それから昨日とはまるで違う、やわらかい顔になった。
「違うよ。すごく嬉しかった。ボク、本当に心強かった」
その言葉だけで、胸がいっぱいになる。
でもミレーヌはそれだけでは終わらなかった。
「ありがとう、ユキナ。ボク……ユキナがいてくれて、本当によかった」
そう言って、ためらいもなく僕の両手をそっと握る。
あたたかい。
初めて会った日に手を引かれた時と同じなのに、今日はその意味がまるで違っていた。
そしてミレーヌは少し背伸びをして、僕の頬にそっと唇を触れさせた。
軽く、でもはっきりとわかるくらいに。
一瞬、何が起きたかわからなかった。
遅れて顔が熱くなる。
たぶん耳まで真っ赤になっていたと思う。
教室の向こうで、ヤオたちが大げさに騒いでいる。
ミンが笑って、スグハまで珍しく口元を緩めていた。
でもその声は、もうほとんど耳に入らなかった。
目の前で、ミレーヌが笑っている。
泣いていたあの子が、ちゃんと笑えている。
それだけで、十分だった。