君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第八十二話 勇者と恋人
尖塔までは、狭い石造りの回り階段が続いていた。
僕とミレーヌは、時折石の壁に肩をこすらせながら駆け上がっていく。
下からは、扉を叩く音と仲間達の声がかすかに響いていた。
背中越しに、ミレーヌの光を感じる。
さっき礼拝堂で見せた、恐怖を鎮め、人々を癒した光だ。
その暖かさに触れていると、どんな敵にも立ち向かえそうな気がした。
「ユキナ、ボク身体が熱いよ。この先に邪悪な者がいるのがわかる」
ミレーヌの声は、いつもより少し高ぶっていた。
「そいつは尖塔の一番上にいるの?」
「間違いないよ。ボクの心に、そいつの闇の感情が渦巻いてるのがわかるもん」
そう言って、ミレーヌが僕の後ろで息を弾ませる。
もしミレーヌが本当に伝説の勇者なら、今の彼女は一気に僕の手が届かない場所まで行ってしまったのかもしれない。
冒険者の等級で言えば、今のミレーヌは銀級か金級に届いていてもおかしくない。
もうすぐ鉄級になれるかどうかという僕とは、あまりにも差がある。
この戦いが終わったら、ミレーヌのもとには国中、いや世界中の王侯貴族から縁談が殺到するかもしれない。
勇者の血を求めて、彼らが放っておくはずがない。
ミレーヌは、その時も僕と一緒にいてくれるだろうか。
怖かった。
誰かに奪われることだけじゃない。
勇者という名前が、僕の知らない場所へ彼女を連れて行ってしまうことが怖かった。
僕が守りたいと思っていた恋人が、世界中から求められる存在になる。
その変化に、僕の心が追いついていなかった。
ミレーヌが世界のために生きるなら、僕は足手まといになるかもしれない。
それでも、彼女の隣にいたいと思ってしまう。
送り出すべきなのか、引き止めたいのか、自分でも分からなかった。
僕はミレーヌを世界一愛している。
たとえ今は釣り合わなくても、必ずミレーヌに相応しい男になってみせる。
でも、不安なのは確かだった。
「こんな時に不謹慎だけど、聞いていいかな?」
「ユキナが、ボクに釣り合うかどうかなんて聞いたら怒るよ」
僕の考えと不安は、ミレーヌにはお見通しだった。
流石、僕の恋人だと思う。
同時に、僕の後ろからミレーヌが怒っている気配が伝わってきた。
「ユキナ。ちょっと止まって」
「え、どうしたのミレーヌ?」
僕は階段を駆け上がる足を止め、ミレーヌに振り向いた。
その瞬間、ミレーヌが僕の胸に飛び込むように抱きついてくる。
顔がすぐ近くにあった。
怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える顔だった。
「ボク、他のことなら我慢できる。でも、ユキナにそんな女だって思われるのは許せない」
「勇者になったからって、ユキナを置いていくと思ったの? ボクが?」
ミレーヌの声が少し震えた。
「世界中の人に求められても、ボクが一緒にいたいのはユキナだよ。ユキナにだけは、そこを疑ってほしくなかった」
そう言って、ミレーヌは僕にキスをした。
僕もミレーヌを抱きしめ、深く唇を重ねる。
言葉にできなかった不安が、その温もりの中で少しずつほどけていった。
狭い階段の途中。
下では仲間達が戦っている。
上には黒幕がいる。
それでも、この一瞬だけは、僕とミレーヌだけの時間だった。
やがて唇が離れる。
ミレーヌは、僕の胸に額を押しつけたまま、はっきりと言った。
「ボク、ミレーヌ・フォリ・アリストラードは、ユキナを愛しています」
その声は、冗談でも照れ隠しでもなかった。
「豊かな時も、貧しい時も。幸せな時も、不幸な時も。世界に呼ばれても、誰に求められても。ボクは一生、死ぬまで、ユキナだけを愛しています」
僕は息を呑んだ。
胸の奥が、痛いくらい熱くなった。
これは慰めではない。
僕を安心させるためだけの言葉でもない。
ミレーヌが、自分の全部をかけて僕に差し出してくれた誓いだった。
「これでも、まだ不安?」
「ごめん」
僕はミレーヌを強く抱きしめた。
「僕もミレーヌを、ずっとずっと愛しています」
「今度そんなこと思ったら、ボク当分口きいてあげないから」
そう言って、ミレーヌは少しだけ頬を膨らませた。
でも、その目は優しかった。
僕は馬鹿なことを思った自分を恥じた。
世界で一番愛している恋人を疑うなんて、恥知らずにも程がある。
勇者になったから。
誰かに求められる存在になったから。
そんな理由で、ミレーヌの心まで遠くへ行ってしまうと思った。
でも、目の前にいるのは僕の知っているミレーヌだった。
僕を怒り、僕を抱きしめ、僕に愛を誓ってくれる、僕の大切な恋人だった。
「行こう、ミレーヌ。この先にいる悪党を倒して、ルクス城のみんなを救うんだ」
「うん♪ ぱぱぱっと倒しちゃおうね」
二人で頷き合い、僕達は再び階段を駆け上がった。
尖塔の一番上へ続く扉が見えてくる。
その向こうから、黒く濁った気配が流れ込んでいた。
冷たい泥のような感情が、扉の隙間から滲み出しているようだった。
下では仲間達がまだ戦っている。
ここで足を止めるわけにはいかない。
ミレーヌが僕の隣に立つ。
さっきまで僕を叱っていた恋人の顔ではなく、邪悪を見据える勇者の顔だった。
僕は扉に手をかけた。
「行くよ」
「うん」
手のひらに、石扉の冷たさが伝わる。
その向こうにいる何かが、僕達を待っている。
僕達は息を合わせ、尖塔の扉を開いた。