君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第八十五話 二人の勝利
「ユキナっ!! ユキナっ!! ユキナ!! 目を開けてよ、死んじゃやだ!! ボクを一人にしないで!!」
誰かの泣き声が聞こえた。
遠くから聞こえるようで、すぐ傍から聞こえるようでもある。
身体が重い。
まるで全身が石になったみたいに動かない。
それでも、その声だけは分かった。
ミレーヌだ。
うっすらと目を開けると、目の前に涙で顔をぐしゃぐしゃにしたミレーヌがいた。
いつの間にか、あの緑色の光は消えていた。
背中に広がっていた天使のような羽根もない。
そこにいるのは、勇者になる前と同じ、僕のよく知っているミレーヌだった。
でも、その顔は見たことがないほど怯えていた。
あの戦いのあと、どれくらい経ったのだろうか。
大魔導士ベスパルを斬ったこと。
光の加護を失って落ちていったこと。
マリータさんに抱きしめられたこと。
そこまでは覚えている。
気がつけば、僕は尖塔の床に仰向けで倒れていた。
砕けた石材が周りに散らばり、開いた窓からは赤い煙を含んだ夜風が吹き込んでいる。
ベスパルの姿はなかった。
あれほど濃かった闇の気配も、今は薄れている。
ただ、床に黒く焦げた跡だけが残っていた。
僕が目を覚ますと、ミレーヌが僕の身体を必死に支えてくれていた。
「ミレーヌ……怪我してないみたいだね。良かったよ」
「ユキナの馬鹿!! ボクの事より自分の身体の心配してよ!!」
ミレーヌの声が震えていた。
怒っている。
けれど、それ以上に怖かったのだろう。
ミレーヌの言う通り、僕の身体は満身創痍だった。
闇の槍で貫かれた傷は塞がっている。
けれど完全に治ったわけではないらしく、少し息をするだけで胸と腹に鋭い痛みが走った。
左腕は骨折しているのか、ほとんど動かない。
右目も霞んでいて、ミレーヌの顔が少しぼやけて見える。
それでも、僕は心の底から安堵していた。
ミレーヌが生きている。
それだけで、今は十分だった。
僕は震える右手を伸ばし、ミレーヌの頬に触れる。
涙で濡れた頬を、そっと拭った。
「僕、格好悪いな。これじゃ恋人失格だって、マリータさんに笑われそうだよ」
「そんな事ない」
ミレーヌは、僕の手を両手で包み込むように握った。
「そんな事、絶対ないよ。ユキナはボクを助けてくれた。手を離さないでくれた。お母さんだって、きっと喜んでくれるよ」
そう言って、ミレーヌは涙の残る顔で微笑んでくれた。
その微笑みだけで、胸の奥が満たされる。
僕がこの世界で一番大切にしたい笑顔だ。
この笑顔を守れるなら、腕の一本くらいどうなってもいい。
そう思ってしまうくらい、僕はミレーヌを愛している。
「マリータさんと、お話はできた?」
僕が尋ねると、ミレーヌは少しだけ目を伏せた。
「うん」
小さく頷く。
「ほんの少しだけ。夢みたいだったけど……でも、ちゃんとお母さんだった」
ミレーヌの声が、少し震える。
「もう助けてあげることはできないけど、ユキナと一緒なら、どんな苦難も必ず乗り越えられるって言ってた」
「そっか」
「あと、ユキナに伝言」
「伝言?」
ミレーヌは僕の手を握ったまま、少し恥ずかしそうに笑った。
「私の愛しい娘を、よろしくお願いしますって伝えておいてって」
「……照れるね」
「うん。照れるよね」
二人で小さく笑い合う。
こんな場所で。
尖塔の上で。
街はまだ燃えていて、仲間達は下で戦っているかもしれないのに。
それでも、その瞬間だけは、マリータさんが僕達を見守ってくれているような気がした。
僕はミレーヌの手を握り返す。
「僕、ちゃんと約束したよ。ミレーヌは僕が必ず守るって」
「ボクも守るよ」
ミレーヌが即座に言った。
「ユキナだけがボクを守るんじゃない。ボクもユキナを守る。だって、ボク達は一緒に生きるんだから」
その言葉に、胸が熱くなる。
そうだ。
僕が一方的に守るんじゃない。
ミレーヌに守られることもある。
支えて、支えられて、二人で歩いていく。
それが、僕達の選んだ未来なのだ。
「あ~……いい雰囲気のとこすまないけどさ」
階段の下から、少し気の抜けたセシルさんの声が聞こえた。
「いい加減降りてこないと危ないよ~。多分そこ、そろそろ崩れるんじゃないかな」
その言葉と同時に、足元の石床がぎしりと嫌な音を立てた。
僕とミレーヌは顔を見合わせる。
「……降りようか」
「うん。ユキナ、立てる?」
「正直、かなり厳しい」
「じゃあ、ボクが支える」
ミレーヌはそう言うと、僕の動かない左腕をそっと取った。
僕の身体を支えながら、ゆっくりと立ち上がらせてくれる。
痛みで視界が白くなる。
思わず膝が崩れそうになったけれど、ミレーヌがしっかり支えてくれた。
「無理しないで。今度はボクが支える番だから」
「ありがとう、ミレーヌ」
「どういたしまして、ユキナ」
ミレーヌが笑う。
僕達は、壊れかけた尖塔の階段をゆっくりと下り始めた。
下では仲間達が待っている。
ルクス城も、まだ完全に救われたわけじゃない。
でも、僕達は生きている。
僕はミレーヌに支えられながら、一段ずつ階段を下りていく。
これからも、きっとこうやって生きていくのだろう。
僕がミレーヌを支える時もある。
ミレーヌが僕を支えてくれる時もある。
二人で支え合って、手を離さずに歩いていく。
それが、僕達が選んだ未来なのだから。