君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第八十七話 晴れた心の奥に
店主も客も逃げ出した酒場跡で、僕とミレーヌは尖塔で起きたことをみんなに説明した。
椅子とテーブルだけが残った店内には、まだ略奪の跡がある。
それでも外からは、住人達が街を片付ける音が聞こえていた。
「ルクス城攻撃の指揮を取っていた大魔導士ベスパルを倒す時、僕とミレーヌに勇者の力が溢れてきたんです」
僕がそう切り出すと、みんなの視線が一斉にこちらへ向いた。
信じられないという顔。
けれど、誰も笑わなかった。
あの礼拝堂でミレーヌが見せた光を、みんなも見ている。
だからこそ、軽く聞き流せる話ではなかったのだろう。
「ミレーヌのお母さん……マリータさんは、勇者だったそうです」
「ボクも、今まで知らなかったんだ」
ミレーヌが小さく言った。
その声には、まだ戸惑いが残っていた。
「お母さんは、死ぬ時に勇者の光をボクに託してくれていたみたい。それで……ユキナにも、少しだけその力が流れたんだと思う」
「少しだけ、というには随分派手な奇跡だったようだな」
クヌートが苦笑する。
「僕にもよく分かりません。ただ、マリータさんの力を通して、一時的に僕にも勇者の光が宿った。そしてベスパルを討った時、その光が街を覆っていた闇を浄化した……そういうことだと思います」
僕は、尖塔で起きたことをできるだけ順を追って話した。
マリータさんの声。
ミレーヌの手から流れ込んできた光。
ベスパルが集めていた、人々の恨みや苦しみを凝縮した闇。
そして、それを切り裂いた時に広がった光。
すべて、包み隠さず話した。
「きっと、ユキナさんとミレーヌさんの勇者の光が、街を覆っていた闇の感情を浄化したんですね」
フェリシアがそう言うと、クヌートが静かに頷いた。
クヌートは、外の通りを見ていた。
掃除を手伝う住人達。
泣いている子供をあやす母親。
壊れた戸板を運ぶ男達。
その顔には、僕が今まで見たことのない穏やかな笑みが浮かんでいた。
「多分、俺の心の闇もだ」
クヌートがぽつりと言った。
「ずっと抱いていた人間やエルフへの恨みが、嘘みたいに軽い。消えたわけじゃない。何があったかを忘れたわけでもない。でも、今は……息がしやすい」
フェリシアが、そっと兄の袖を握る。
クヌートは妹を見ると、少し照れたように笑った。
「兄さまがそんな顔をしているの、久しぶりに見ました」
そう言って、フェリシアが嬉しそうに笑う。
きっと、フェリシアだけが知っている兄の顔なのだろう。
クヌートが抱えてきたものを、僕達は少しだけ知っている。
だからこそ、その笑みが胸に残った。
「あたいもさ」
セシルさんが、空になった酒瓶を指先で軽く転がしながら言った。
「なんか、心が軽いんだよ。こう、言い方が下世話で悪いけどさ。酒を飲んで騒いでる時より、ずっと胸の中があったかいんだ」
セシルさんがどんなものを胸の奥に押し込めてきたのか、僕はまだ知らない。
けれど、その笑顔はいつものおどけた笑みではなかった。
どこか幼く、照れくさそうで、それでも本当に楽そうな顔だった。
セシルさんから、時折感じていた殺伐とした空気が薄れている。
「私は、クヌートやフェリシア、セシルほどではないが……心が落ち着いている」
シグレさんが静かに言った。
「まるで、死んだ弟と接しているようだ」
「弟さんがいたのですか?」
僕が尋ねると、シグレさんは少しだけ目を細めた。
「ああ。もし生きていたら、今年十八歳になる。ユキナによく似た、自慢の弟だよ」
シグレさんの表情は晴れ晴れとしていた。
悲しみが消えたわけではない。
けれど、その悲しみに押し潰されているわけでもない。
僕は、みんなが本来持っていた顔を少しだけ見た気がした。
もし最初から、こんなふうに笑えたなら。
もし誰もが、抱えている闇に飲まれずに済んだなら。
そんなことを考えて、少しだけ胸が痛くなる。
「えっとね」
それまで黙っていたミレーヌが、少し困ったように口を開いた。
「これは頭で考えたんじゃなくて、勇者の力がそう言ってる感じなんだけど……たぶん、これは一時的なものだと思う」
みんながミレーヌを見る。
「闇が晴れたのは本当だと思う。でも、根っこの問題がなくなったわけじゃない。差別とか、貧しさとか、孤独とか、そういうものが残っていたら、また心は闇に閉ざされる気がするんだ」
確かに、そうかもしれない。
汚れを洗い流しても、街の貧しさが消えたわけではない。
恨みが薄れても、差別や孤独がなくなったわけではない。
クヌートとフェリシアが受けてきたものも、セシルさんが抱えてきたものも、シグレさんの喪失も、奇跡一つでなかったことにはならない。
それでも、一時的にしろ、みんなが本来の自分を取り戻せたのは良いことだと思う。
光は、全部を解決したわけじゃない。
けれど、もう一度立ち上がるきっかけにはなったのだ。
カチュアさんが、静かに立ち上がった。
「まずはルクス侯爵閣下……ティニーの所へ戻ろう。敵の指揮官、大魔導士ベスパルを討った報告をしないといけない」
僕は一瞬、カチュアさんを見た。
ティニー様ではなく、ティニー。
その名前の呼び方は、騎士が主君を呼ぶものではなく、姉が妹を案じる声だった。
カチュアさんは、そのことに気づいていないようだった。
けれど、その一言だけで、彼女がティニー嬢をどう思っているのか分かった気がした。
主君としてだけではない。
妹のように見守ってきた少女として。
今だけは、主従の距離を越えて、素直な想いがこぼれたのだろう。
「そうですね。早く安心させてあげましょう」
僕がそう言うと、カチュアさんは小さく頷いた。
外では、まだ街の片付けが続いている。
遠くの砦からは、兵士達の声が聞こえていた。
ルクス城の戦いは、まだ完全に終わったわけではない。
けれど、最も深い闇は晴れた。
僕達は、ティニー侯爵の待つ本城へ戻るため、酒場跡を出た。