君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第八十八話 ティニーの涙
ルクス城の本城は、喜びに包まれていた。
届く伝令は、どれも味方の優勢を伝えるものばかりだった。
第3砦では守備隊が態勢を立て直し、侵入したゴブリンを押し返し始めているらしい。
落城寸前だった空気は、確かに変わっていた。
廊下を行き交う兵士達の足音にも、さっきまでの切迫した重さはない。
まだ戦いは終わっていない。
けれど、誰もが最悪の結末だけは避けられたのだと感じ始めていた。
カチュアさんが、敵の指揮官である大魔導士ベスパルを僕達が討ち取ったことを報告した。
けれど、僕達の働きを大勢の前で正式に讃えることはできない。
ミレーヌが勇者だと知られるわけにはいかないからだ。
だからティニー嬢は、再び応接の間で僕達を迎えてくれた。
「カチュア」
「ティニー」
他の家臣がいないことを確かめた瞬間、ティニー嬢は駆け出すようにカチュアさんへ近づいた。
カチュアさんは慌てて膝をつく。
けれど、次の瞬間には、ティニー嬢がその胸に縋りついていた。
「無事で……本当に、無事でよかった……」
「ティニーこそ……よく耐えられたな」
カチュアさんの声も震えていた。
ティニー嬢は、小さな手でカチュアさんの鎧をぎゅっと掴んでいた。
青い鎧には煤と傷が残っている。
それを確かめるように、ティニー嬢は何度もカチュアさんの胸元に額を押しつけた。
「怖かった……でも、カチュアが戻ってくるって信じていたから……」
「すまない。傍にいてやれなくて」
「ううん。戻ってきてくれたから、それでいい」
二人は、しばらく言葉もなく抱きしめ合っていた。
主君と騎士ではなく、姉と妹のようだった。
いつも凛としていたカチュアさんが、今だけは年相応の少女のように見える。
ティニー嬢もまた、侯爵ではなく、怖さに耐えていた一人の女の子だった。
大切な人と、公式には上下関係にある。
それはきっと、とても窮屈なことなのだろう。
ひとしきり無事を喜び合ったあと、僕達は尖塔で起きたことを改めて報告した。
応接の間には、まだ外の喧騒がかすかに届いていた。
遠くで兵士が走る音。
伝令の声。
城壁の方角から響く鐘の音。
その中で、ティニー嬢は背筋を伸ばして僕達の話を聞いていた。
涙の跡はまだ頬に残っている。
それでも、もうそこにいるのは幼い少女ではなく、ルクス侯爵だった。
けれど、ミレーヌが勇者マリータの力を受け継いでいると知ると、すぐに立ち上がった。
そして、ミレーヌの前で片膝をつき、胸に手を当てる。
「伝説の勇者様に拝謁できましたこと、ルクス侯爵家の誉れにございます」
その声には、形式だけではない敬意があった。
幼い頃から聞かされてきた伝説の存在が、目の前にいる。
ティニー嬢は本気でそう受け止めているようだった。
「やめてよ、ルクス侯爵閣下!」
ミレーヌは慌ててティニー嬢の手を取った。
「ボク、そんなふうに礼をされるの苦手なんだってば」
「ですが……」
「普段通りでお願い。ボクはミレーヌでいいから」
ティニー嬢は困ったように瞬きをする。
大貴族としては、勇者に対して礼を尽くさないわけにはいかないのだろう。
けれど、ミレーヌの方も譲らなかった。
何度かの押し問答のあと、ティニー嬢はようやく小さく笑う。
「では……ミレーヌ様」
「様もいらないんだけどなあ」
ミレーヌが頬を膨らませると、応接の間に少しだけ柔らかい空気が戻った。
ティニー嬢は僕達にソファーへ座るよう勧めてくれた。
クヌートとフェリシアにも、当然のように同じ席を勧める。
それが勇者の一行だからなのか、ティニー嬢自身の性格なのかは分からない。
けれど、二人が少しだけ驚いた顔をしたのを僕は見逃さなかった。
フェリシアは遠慮がちに椅子の端へ腰を下ろし、クヌートは少しだけ居心地悪そうに腕を組む。
それでも、二人を下に見るような空気は、この部屋にはなかった。
「勇者ミレーヌ様のお力については、当面お隠しになった方がよろしいかと存じます」
ティニー嬢が真剣な顔で言った。
カチュアさんも頷く。
「魔王軍だけではありません。人間側も、勇者という名を利用しようとするでしょう」
それは、僕達も考えていた。
勇者だと知られれば、魔王軍はミレーヌが完全に覚醒する前に狙ってくる。
人間側も、守護の名目で囲い込み、政略結婚を迫るかもしれない。
今のミレーヌには、まだそれを跳ね返すだけの立場もない。
ミレーヌは少しだけ眉を寄せた。
勇者と呼ばれることより、その名前で誰かに縛られることの方が嫌なのだろう。
「ボクも偉そうに振る舞うのは嫌だよ。でも、みんなの活躍には報いてあげてほしいんだ」
ミレーヌが言った。
「ボクだけじゃない。みんなで頑張ったから、大魔導士ベスパルを倒せたんだよ」
その言葉に、僕は少しだけ胸が温かくなった。
ミレーヌは勇者になっても、やっぱりミレーヌのままだった。
自分だけが特別扱いされることを嫌がり、仲間の働きを当然のように大切にする。
そういうところが、僕は好きなのだ。
「もちろんです。公式に大々的に報いることはできませんが、非公式であれば、できる限りのことをいたします」
ティニー嬢はそう言って、カチュアさんに視線を向けた。
カチュアさんは静かに頷く。
その仕草には、あらかじめ何かを用意していたような落ち着きがあった。
ティニー嬢もまた、小さく息を整え、侯爵としての顔に戻る。
僕達の働きに、どう報いるのか。
それを聞くのは、次の瞬間だった。