君とボクの二度目の冒険 〜病弱だった僕は、二度目の命で幼なじみと世界を旅する〜 作:屠龍
第九話 進路――医者の娘は冒険者を目指す――
第九話 進路――医者の娘は冒険者を目指す――
ミレーヌのお父さんは、ミレーヌのお母さんを亡くした傷心のあまり、住んでいた町の診療所を引き払い、僕たちの街に招かれた。
外科手術の名医で、薬学が中心だったこの街では重宝される存在だ。
だからミレーヌも、父親の跡を継いで医者になるか、どこかに嫁ぐのだろう――僕たちは、そう思っていた。
「やっぱミレーヌは、医者になるか金持ちの嫁になるんだろうな」
そう言ったのはシンジだ。
兵士の家系だから、あいつもいずれは家の決めた道を進む。
「その点、うちは乾物屋だから有利だよな」
にひひ、と八重歯を見せて笑うヤオの家は、干し魚や干し肉を扱う乾物屋だ。
裕福だから、嫁ぎ先として人気がある。
実はすでに何件か縁談があるらしい。
ミンの家は仕立て屋で、僕たちの服もミンの家の手製だ。
スグハの家は猟師。
山に入る仕事なので、当分会えなくなる。
今は同じ教室で笑っていても、十五歳になれば皆それぞれの仕事につく。
もう今みたいに、一緒に遊んではいられない。
昼下がりの教室には、春のやわらかな光が窓から斜めに差し込んでいた。
木の机には小さな傷や落書きが残り、開け放たれた窓からは土の匂いと遠くで鳴く鳥の声が入ってくる。
ついこの前まで何も考えず騒いでいた場所なのに、その日だけは妙に静かで、笑い声の裏にうっすらと落ち着かない気配が混じっていた。
だからなのか。
その日の教室には、いつもより少しだけ妙な空気があった。
誰もが自分の将来を思いながら、それでいて口にするのは他人の進路ばかりだった。
そして、その視線の先にいたのがミレーヌだ。
ミレーヌは美人だ。
しかも医者の娘で、頭もいい。
貴族の家に嫁げるかもしれない――そんな風に、女の子たちにまで羨ましがられる存在だった。
もし本当にそうなれば、もう僕たちとは住む世界が違う。
幼馴染だの、昔一緒に遊んだだの、そんな思い出が通じる相手じゃなくなる。
今は同じ机を並べていても、数年後には口を利くのもためらうような相手になってしまうかもしれない。
そう思うと、胸の奥が妙にざわついた。
まだ何も始まってすらいないのに、置いていかれる気がしたのだ。
だから僕は、勇気を出して聞いた。
「ミレーヌはどうするの? やっぱりお父さんの跡を継いで、お医者になるの?」
その瞬間、教室の空気が変わった。
椅子をきしませていた連中まで動きを止め、窓際でぼんやり外を見ていたやつまでこちらを振り向く。
クラス中の男子が、露骨なくらい耳をそばだてる。
皆、知りたかったのだ。
ミレーヌがどこへ行くのか。
そして、自分たちに最初から勝ち目がなかったのかを。
けれど――
「ボクは冒険者になるよ♪」
ふんすっ、と鼻を鳴らして胸を張るミレーヌ。
陽の光を受けた緑色の髪が揺れて、その笑顔は妙に眩しく見えた。
その一言で、教室中の表情が固まった。
冒険者。
男の子なら、一度は憧れる職業だ。
けれど現実には、あまりに不安定で、危険すぎる。
保証なんてない。
明日食べていけるかどうかも分からない。
それに、魔物を倒すだけじゃ済まない。
ゴブリンのような人型の魔物ならまだしも、山賊や盗賊、敵が人間であることも珍しくない。
つまり冒険者になるというのは、必要なら人を殺せる側に立つ、ということだ。
そんな職業を、よりによってミレーヌが。
医者の娘で、将来は安泰で、貴族に嫁ぐことすらできるかもしれないのに、わざわざ苦労するのか。
僕は言葉を失った。
たぶん、皆も同じだった。
ぽかんと口を開けたままのシンジも、さっきまで得意げだったヤオも、今はただ呆然とミレーヌを見ている。
まるで、自分たちが知っているはずの世界の形が、目の前で少しだけずれたみたいだった。
だけど――胸の奥では、別の感情が疼いていた。
驚きとも、呆れとも少し違う。
羨ましい、のだと思う。
ミレーヌは自分の未来を、自分の意思で選んでいる。
誰かに決められた役目じゃない。
家の都合でも、周りが納得する無難な道でもない。
危険で、無茶で、笑われるかもしれない生き方を、それでも当然みたいな顔で掴みにいこうとしている。
僕だって、世界を旅してみたいと思ったことがある。
自分の身体と剣一本で、知らない景色の中を歩いてみたいと。
笑われるかもしれない。
安定した酒造業の跡取りが、そんな夢みたいなことを考えているなんて。
家業は立派な仕事だ。
人を酔わせ、楽しませる。
お金だって困らない。
両親だって優しい。
何も不満なんてないはずだ。
そうやって自分に言い聞かせれば、たいていの夢は子供っぽい空想として片付けられる。
実際、僕もそうしてきた。
どうせ叶うはずがないと、勝手に諦めていただけだ。
けれど、僕の代わりはいる。
だけど冒険者になれば、冒険者ユキナはただ一人だ。
前世でできなかったこと。
自分の足で道を選び、自分の足で世界を歩くこと。
それを、ミレーヌは当たり前みたいな顔で口にした。
――その瞬間、僕の中で何かが音を立てて揺れた。
退屈な将来を受け入れるはずだった心が、
今さらになって、自由という言葉に手を伸ばそうとしていた。
この世界に生まれ、健康な身体を手に入れたのだ。
走ることもできる。剣を振るうこともできる。遠くまで歩いていくことだってできる。
前世では、それがどれだけ特別なことか分かっていたはずなのに、いつの間にか当たり前みたいに思っていた。
だけど、本当は違う。
僕にはもう、夢を見る資格がある。
なら――前世で夢見ることしかできなかった景色を、この目で見てみたい。
教室の窓の向こうでは、春の風が木々を揺らしていた。
村の外へ続く道は、いつもと同じようにそこにある。
けれど今の僕には、それがどこまでも遠くへ続いているように見えた。
たぶん、この日だったのだと思う。
僕は自分の人生を、誰かに決められるだけでは嫌だと、初めて思った。