君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第九十八話 ミレーヌの涙
喫茶店で、僕はティカというコーヒーに似た飲み物を、ミレーヌは香草茶を注文した。
注文を終えたあと、僕達は気まずい空気に包まれていた。
朝、一緒に宿を出た時、僕とミレーヌの心は、恋人とのデートで喜びに満ちていたはずだ。
それなのに、今はこんなにも重苦しい。
原因は僕だ。
僕が、勝手に商船護衛の任務を引き受けようとしたからだ。
マリアさんが危険だと忠告してくれた依頼を、ミレーヌと相談しないまま受けようとした。
ミレーヌが怒るのも当然だった。
「ごめんね、ミレーヌ。怒ってる?」
そう言って、僕はミレーヌの顔色を窺った。
ミレーヌは明らかに不満そうな顔をしている。
いつも僕のために笑ってくれる顔が、今は険しい。
香草茶の入ったカップを静かにテーブルへ置き、ミレーヌはため息をついた。
「悔しいけど、マリアさんの言う通りだね。ボク、ちゃんと不満は言うことにするよ」
ミレーヌは、僕をまっすぐ見た。
「ボクは、さっきの依頼を受けるのは反対だよ。海の上は危険が大きすぎる。報酬が高額ってことは、依頼書に書いていないことが起こる可能性も高いってことだよ」
ミレーヌの声は、いつもより硬かった。
「相手が海賊くらいならまだいい。でも、マーマンみたいな集団で船を襲う魔物かもしれない。もっと悪ければ、クラーケンみたいな船ごと引き裂く怪物かもしれないんだよ」
僕は何も言えなかった。
船の上では逃げ場がない。
海に落ちれば、それだけで命に関わる。
どれだけ剣が強くても、足場ごと沈められたら意味がない。
そんなことは、僕にも分かっている。
「そんなの覚悟の上だよ!! それでも僕は、あんな悲惨な犠牲者が出たのを見過ごせない!! それが悪いことなの!?」
落ち着け。
落ち着け、僕。
僕が今話しているのは、愛しい恋人であって敵じゃない。
それなのに、言葉が敵対的になってしまうのを抑えられなかった。
だって、困っている人を助けるのは当たり前じゃないか。
百人も犠牲者が出ているのに、見なかったふりなんてできないじゃないか。
「契約っていうのは、双方が納得した上で結ぶものなんだよ!!」
ミレーヌの声も強くなった。
「ボク達冒険者の場合は、特にそう!! 今回戦う場所は海の上だよ。逃げ場がない場所で襲われたらどうするんだよ!!」
ミレーヌは、喫茶店のテーブルをばんっと叩いて立ち上がった。
「ボク、ユキナを失いたくなんかないよ!!」
周りにいた客が、驚いたようにこちらを見る。
ミレーヌも自分の行動に気まずくなったのか、ゆっくりと椅子に座り直した。
その表情が曇る。
俯いたまま、膝の上で手をぎゅっと握っている。
感情を必死に堪えているのが分かった。
「ボクはユキナの恋人だよ? どうして相談もしないで勝手に決めようとしたの?」
その言葉は、怒りよりも、痛みに近かった。
僕は素直に答えるしかなかった。
「僕は、早く強くなりたいんだ」
ミレーヌが顔を上げる。
「僕が強くなったら、この間オーガに襲われた村の人も、ゴブリンに攫われた人達も、一人でも多く助けられるって思った。それに、大魔導士ベスパルみたいな闇の勢力がいることも分かった」
僕は、自分の手を見つめた。
「だから、もっと強くなりたいんだ。それは悪いことかな?」
「そうだね。ユキナの言う通りだよ」
ミレーヌの声は、少し震えていた。
「ユキナは悪くないよ。困っている人を助けたいって思うユキナを、ボクは好きだよ」
そう言ってから、ミレーヌは唇を噛んだ。
「でもね、もしボクが一緒に行きたくないって言ったら、どうするつもりだったの? ボクの意見も聞かずに決めたら、ボクがどう思うか考えた?」
「だって君は――」
勇者じゃないか。
そう言おうとして、僕は口をつぐんだ。
違う。
それは言ってはいけない。
勇者だから全てを背負わせるなんて間違っている。
ミレーヌが無条件で人々に奉仕するなんて、そんなのは間違っている。
ミレーヌは、僕の恋人だ。
勇者である前に、僕の大切な人だ。
「君は何? 言ってよ、ユキナ。ボクが何だっていうのさ」
ミレーヌは、僕が何を言おうとしたのか気づいていた。
その目が、痛いほど訴えていた。
ユキナだけは、ボクを勇者という名前で縛らないって信じていたのに。
瞳に涙を浮かべながら、それでも泣くまいと耐えているミレーヌに、僕は何も答えられなかった。
僕は、ミレーヌの心を傷つけてしまった。
「ボクは勇者失格だよ」
ミレーヌの声が、小さく震えた。
「勇気なんてないよ。ユキナと引き換えに世界を救うなんてできないよ。ボクは強くなんてない。ユキナがいない世界で生きていけるほど、強くない」
そう言いながら、ミレーヌは肩を震わせて泣き出した。
そんなミレーヌを見て、僕は自分がどれだけ愚かだったか思い知った。
「ごめんね、ミレーヌ。でも、僕は誰かのために戦いたいんだ。誰かのために生きていきたいんだよ」
「勝手だよ。そんなの勝手すぎるよ」
ミレーヌが涙を拭おうともせず、僕を見た。
「その誰かの中に、ボクは入らないの?」
胸を突かれた。
「ボクは、ボクは……他の人なんてどうでもいいって思っちゃうんだよ。他の人がどんな目に遭っても、ユキナがボクの隣にいてくれればそれでいいって思っちゃうんだよ」
ミレーヌの声は、悲痛だった。
「ボク、こんな醜い女になっちゃったよ。ユキナと出会う前は、こんな気持ち持たなかった。ユキナがボクの隣で笑っていてくれたら、それだけでいい。ボクは他に何もいらない。……何もいらないんだよ」
そう言って、ミレーヌはテーブルに泣き崩れた。
僕は、その姿を見て胸が締め付けられるような気持ちになった。
ミレーヌは、勇者なんて名前で勝手に自分の意思を縛らないでほしいと言っている。
世界より僕が大切だと言ってくれている。
それは、醜いことなんかじゃない。
誰かを愛するというのは、きっとそういうことでもあるのだ。
「ミレーヌは醜くなんてないよ」
僕は立ち上がり、泣き崩れたミレーヌの背中にそっと腕を回した。
「僕は、そんなミレーヌが好きだよ。ミレーヌが僕を愛してくれるように、僕もミレーヌを愛している」
ミレーヌが震える手で、僕の手をぎゅっと握った。
勇者に覚醒したミレーヌが、今の言葉を口にするのに、どれだけ苦しかったのだろう。
ミレーヌを勇者という名前で縛ろうとしてしまった僕は、恋人失格かもしれない。
僕は人を助けたいと思っていた。
でも、そのために一番大切な人の心を踏みにじっていた。
それは、僕が憎んだ理不尽と何が違うのだろう。
「わかった。僕が間違っていたよ」
僕は、ミレーヌの手を握り返した。
「この依頼を、僕一人で決めるのはやめる。受けるかどうかは、ミレーヌと、みんなと相談して決める」
「本当に?」
「本当に。ミレーヌが嫌だって言うなら、僕は無理に行かない」
ミレーヌは涙で濡れた目を僕に向ける。
「ユキナは、それでいいの?」
「よくないよ」
僕は正直に答えた。
「本当は、放っておきたくない。百人も犠牲者が出ているのに、何もしないのは嫌だ。でも、ミレーヌを泣かせてまで、僕一人で正義を決めるのは違うと思った」
ミレーヌの瞳が揺れた。
「僕は誰かを助けたい。でも、その誰かの中にミレーヌが入っていないなら、それはきっと間違っているんだ」
ミレーヌは何も言わなかった。
ただ、震える手で、僕の手を握り返してくれた。