その日の晩、加藤と浜口が岡井に話をしていると思われる。
「うまくやってくれますかね……?」
神崎は中里に呟くように聞く。
「まぁ、彼女たちの仲を考えれば問題はないだろう」
「ところで、命令をした時に何かメモを渡していたようですが、何が書いてあったんですか?」
加藤と浜口に命令を下した時に、ポケットサイズのメモ帳の紙を渡していた。それを神崎は横目で見ていたのだ。
「あぁ、事務処理に必要な書類の一覧だ。おそらくこれまでの服薬の履歴、いわゆるお薬手帳があるはずだ。今はスマホで見られるだろうがな。それと障害者手帳と自立支援手帳の有無だ。これがあると必要書類が増えるんだよなぁ」
そんなことを言う。
「とにかく、二人が岡井さんのことを説得するのを祈るしかないか……」
そうして夜が更けていく。
翌朝。神崎たちが庶務室に出勤すると、加藤と浜口がやってきた。
「説得に成功しました。『必要な書類があるなら、自分も動きます』と言ってましたよ」
「そうか。正直個人情報の山だからな。その心意気やよし。ちなみに自立支援手帳はどこの病院が書いてあった?」
「えと、柏田病院です。石川県にある病院です」
「分かった」
中里は加藤からの報告を聞いて、神崎の方を見る。
「神崎、車を出せ。新幹線の手配もだ。今すぐ石川に行く」
「は、はい」
神崎は言われるがまま、新幹線のチケットを手配するためパソコンに向かうのだった。
その日の午後、中里と神崎、岡井の3人は、石川県へ向かうために車を最寄り駅まで走らせていた。当然運転は神崎である。
「岡井、体調は大丈夫か?」
「はい……。頓服用の薬が少し残っていたので、それを飲みました……」
「余っていた薬か。……正直もうちょっと早く相談して欲しかったな」
「すみません……。なかなか言い出しにくくて……」
「まぁ、そうか。精神疾患ってカミングアウトするのは難しいもんな」
そして静寂が訪れる。一種の気まずさのようなものだった。
そのまま最寄り駅の石岡駅に到着する。常磐線に乗って東京駅まで出て、そこで北陸新幹線に乗り換える。
夕方になれば、石川県の金沢駅へと到着した。駅前にあるビジネスホテルで一泊する。
翌日にはレンタカーを借りて、小松市に移動する。全日本航空高等学校金沢は小松空港の近くにある。そして岡井は小松市に戸籍を移動していた。
自治体が発行する障害者手帳と自立支援手帳は、当然ながら市役所でしか変更することはできない。
その関係でわざわざ石川県まで来たのだ。
市役所の福祉課で手続きをして、正午ごろに解放された。
「さて、なんとかなったな」
「ほとんど中尉が公権力を行使してただけじゃないですか」
「今は緊急事態宣言下だからな。ようやくこの日本でも軍人の優越権が浸透してきて嬉しい限りだ」
「それ喜んでいるの中尉だけですよ?」
「そもそもだな、自衛官は日本のために身を粉にして働いているんだ。もっと感謝されてもおかしくはないだろ」
そんな話をしながら市役所前の通りを歩いていると、岡井がふと立ち止まる。
「ん、どうした岡井?」
「いえ……。ありがとうございます。ここまでしていただいて」
そういって岡井は頭を下げる。
「別に問題ない。これも仕事の一つだからな。まぁ、それだけではないがね」
「え、なんか急にデレた?」
「おう神崎曹長。喧嘩売ってるのか? 買ってやるぞ」
「そこまで言ってませんよ。あの、黙って拳上げるのやめてください」
本当に拳を挙げる中里。その時、ふと岡井の方を見る。
「そうだ、岡井。せっかく石川に来たんだ、何かしたいことはあるか?」
「……せっかくの気遣いありがとうございます。でも、今日は疲れちゃいました」
「そうか。少し無理させたか。帰るか?」
「はい、そうします」
「分かった。神崎、帰るぞ」
「はい」
拳を下した中里は神崎に指示する。
こうして石川県への弾丸旅行は弾丸のまま終わった。
百里基地に戻ってきた数日後の6月29日。百里基地に一人の民間人がやってくる。
「初めまして。精神科医の大井です」
中里が呼んでいた精神科医が来たのである。ここでも自衛隊と防衛省のコネと権力を利用して呼んできたのだ。ちなみに石川県小松市で書類を提出していたのは、この精神科医の受診で自己負担額を1割にするためである。
そのまま宿舎で診察し、処方箋をもらうと、これまた連絡していた近くの薬局で薬を受け取る。
こうして、精神科医の駐在と薬局での特別扱いを行ったことで、岡井はその後1週間で体調を回復させるのだった。