芳賀ココノの献身 作:レバニラ炒め
シャーレに戻ってからも、仕事は続いた。
アビドスに関する報告書。
カイザーローンの不正資料。
カイザーPMCの武装蜂起に関する記録。
トリニティとゲヘナの介入経緯。
クロノス報道の影響分析。
今後の監視対象の整理。
机の上には、処理すべき書類が積まれている。
先生は椅子に座り、報告書の確認をしていた。
「ココノ、ここの時系列、もう一回確認してもらえる?」
「カイザーローンのしっぽ切り発表が午前九時二十分。連邦生徒会の返済停止通知が九時四十二分。カイザーPMCの移動開始確認が午後一時十七分なのよ」
「ありがとう。助かる」
「記録に書いてあるのよ」
「それをすぐ出せるのが助かるんだよ」
先生は普通にそう言う。
私は少しだけ目を逸らす。
助かる。
ありがとう。
先生は相変わらず、そういう言葉をすぐに使う。
対策委員会の皆も、何度も礼を言ってきた。
アヤネさんも。
セリカさんも。
ノノミさんも。
シロコさんも。
ホシノさんも。
そして、ヒフミさんも。
『今度は私たちが助ける番です』
あの声が、まだ耳に残っている。
私は報告書を保存する。
「先生、今日はここまでにするのよ」
「まだ少し残ってるけど」
「先生の処理能力では、疲労状態で続けるとミスが増えるのよ」
「手厳しい」
「事実なのよ」
先生は苦笑して、書類を置いた。
「じゃあ、今日は解散にしよう」
「はい」
私は端末を片付ける。
「明日は?」
「母校の友人と会う予定なのよ」
「皆岸メメ?」
私は少しだけ先生を見る。
「名前、言ったのよ?」
「前に聞いた気がする」
「そう」
「気をつけてね」
「ええ」
翌日。
聖ウィストリア学園のカフェテリアは、相変わらず穏やかな空気に包まれている。
アビドスの砂とは違う。
窓から差し込む光。
整えられた花壇。
談笑する生徒たち。
焼き菓子の甘い匂い。
ここには、戦闘の跡も、砂に埋もれた街も、迫る装甲車両もない。
私はいつもの席へ向かう。
皆岸メメは、すでにそこにいた。
目の前には紅茶とアップルパイ。
この子はいつもこれを食べている気がする。
メメは私を見ると、軽く手を上げた。
「お疲れ、ココノ。シャーレって忙しそうだね」
「そういうメメは、随分優雅な時間の過ごし方をしてるね」
「ここに来て、これは外せないのさ」
私は向かいに座る。
メメはフォークでアップルパイを切りながら言う。
「アビドス、派手だったみたいじゃん」
「しゃんとして、報告するから」
「はいはい」
私は端末を開く。
今回のアビドス案件。
当初は借金問題としてシャーレへ相談が入った。
しかし調査の結果、カイザー側がアビドスの土地の多くをすでに押さえていることが判明。
特に砂漠地帯にも権利移動が及んでいた。
ブラックマーケット調査では、ヘルメット団への武器供給元を特定。
商人から闇銀行との関係を聞き出し、シャーレ権限で強制調査を実施。
カイザーローンおよびカイザーPMCとの資金関係を示す証拠を入手。
同時に、アビドス砂漠探索班がカイザーPMCの基地を発見。
写真、位置情報、搬入物資の記録を確保。
それらをクロノススクールへ流し、報道によってアビドスへの注目を集めた。
連邦生徒会を通じて借金への異議申し立ても行い、カイザーローンの請求は停止。
カイザー本体は、カイザーローンとPMCの一部を切り捨てた。
だが切り捨てられたカイザーPMCは暴走、テロ組織化、小鳥遊ホシノの身柄を要求してアビドスへ侵攻。
黒服が小鳥遊ホシノへ接触。
身柄を預ければPMCを止め、アビドスを守ると提案。
小鳥遊ホシノは一度、それを受け入れようとした。
しかし、最終的には拒否。
アビドスは防衛戦に突入。
戦闘中、クロノス報道でアビドスを注視していたトリニティの阿慈谷ヒフミ率いる部隊が介入。
さらに、カイザーPMCの武装行動を看過できないゲヘナ風紀委員会も参戦。
戦況は逆転し、カイザーPMCは撤退。
アビドスは守られた。
私はそこまで報告した。
メメは途中で何度か相槌を打ち、アップルパイを食べ、紅茶を飲んでいた。
「なるほどね」
「以上」
「先生の影響力、また上がったんじゃない?」
「うん。シャーレがアビドス問題に介入し、クロノス、トリニティ、ゲヘナを動かした形になる。各学園から見ても、先生の存在感は強くなった」
「マダムも喜びそう?」
「警戒は強めるはず」
「だよね」
メメはフォークを置く。
「で、楽しかった?」
私はすぐに答えた。
「任務だから」
「そっか」
「楽しいとか、そういう話じゃない」
「ふーん」
メメは頷く。
けれど、その顔は納得していない。
「ココノ、任務の話してる時、そんな顔してたっけ」
私は言葉を止めた。
「どんな顔してるの?私」
「自分では分かんない?」
「分からない」
「じゃあ、いいや」
メメはそれ以上言わない。
私は端末の画面を見下ろす。
アビドスの校舎。
砂の市街地。
カイザーPMCの基地。
ホシノさん。
ヒフミさん。
対策委員会の皆。
守った。
アヤネさんはそう言った。
『ココノさんも、アビドスを守ってくれたんです』
私は先生の補佐として動いただけだ。
証拠を集め、資料を整理し、通信をつないだだけだ。
必要なことをしただけ。
そう説明できる。
説明できるはずだった。
けれど、ホシノさんに言った言葉だけは、そう処理しきれなかった。
『置いていかれるのは、辛いことなのよ』
あれは、任務に必要な発言だったのだろうか。
ホシノさんが黒服の提案を受ければ、アビドス側は崩れる可能性があった。
それを止める必要があった。
そう考えれば、必要な発言だったと言える。
でも。
あの時、私は本当にそれだけを考えていたのか。
姉さん。
「ココノ」
メメの声で、私は我に返る。
「……何」
「無理しないでね」
「無理はしない」
「うん。そう言うと思った」
私は端末を閉じる。
「それより、エデン条約について追加情報はないの?」
メメは少しだけ表情を変えた。
「あるよ」
カフェテリアの空気は変わらない。
窓の外では、生徒たちが楽しそうに話している。
誰かが笑い、誰かが手を振り、誰かが授業の資料を抱えて歩いている。
その中で、メメは静かに言った。
「トリニティの方がね」
「ティーパーティーの百合園セイア、少し前にうちが襲撃した。表向きは死亡扱い。桐藤ナギサはその件でかなり疑心暗鬼になってる」
「それで桐藤ナギサは、怪しい生徒をまとめて補習授業部に放り込むらしいよ」
「補習授業部?」
「退学候補の寄せ集め。そこに、先生も呼ばれるかもしれない」
「マダムの方からも近々指示が出る」
「そう」
分かっている。
すべては、マダムのために。
私はそのためにいる。
先生の隣に。
シャーレに。
このキヴォトスの中心に近い場所に。
「トリニティ、ゲヘナ、エデン条約」
私は小さく呟く。
「そして、アリウス」
メメが紅茶を飲む。
「忙しくなるね」
「他人事みたいに言うのよ」
「そういわないとやってらんない」
前にも似たようなことを言っていた。
私は窓の外を見る。
聖ウィストリアの生徒たちが、何でもない顔で歩いている。
役目がなくても、誰かに必要と証明されなくても、普通に笑っている。
アビドスの生徒たちも、そうだった。
失いかけた場所を、自分たちの居場所として守ろうとしていた。
私は、彼女たちとは違う。
そう思う。
そう思わなければいけない。
マダムの計画が進めば、いつか彼女たちを傷つけることになるかもしれない。
アビドスの皆も。
ヒフミさんも。
先生も。
その考えが、一瞬だけ胸に刺さる。
私はそれを押し込めた。
今考える必要はない。
私は、役目を果たせばいい。
メメが、ふと尋ねる。
「ココノ、アビドスってどんな匂いだった?」
「急に何なのよ」
「なんとなく」
私は少し考える。
砂。
古い校舎。
油の匂い。
戦闘後の硝煙。
先生の作ったチャーハン。
いくつもの記憶が混ざる。
「砂の匂いなのよ」
「そのまんまだね」
「実際そうなのよ」
「そっか」
メメは笑った。
その日の報告を終え、私はシャーレへ戻った。
先生はまだ仕事をしていた。
「おかえり、ココノ」
「ただいま戻りました」
「メメとは会えた?」
「ええ」
「そっか」
先生はそれだけ言って、書類へ視線を戻した。
私は自分の席に座る。
端末を開く。
エデン条約についての資料を整理する。
トリニティ。
ゲヘナ。
古聖堂。
アリウス。
マダム。
次の役目が近づいている。
窓の外には、夜の街の光が見えた。
アビドスの砂の匂いだけは、しばらく消えなかった。