芳賀ココノの献身   作:レバニラ炒め

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あの子は泣いていた

あの時。

 

あの子は泣いていた。

 

銃口を向けながら。

私を拒絶するように叫びながら。

 

それでも、あの子は泣いていた。

 

ならば。

 

私のすることは一つだ。

 

 

 

 

エデン条約調印式の襲撃後、状況は混乱を極めていた。

 

古聖堂は崩れ、トリニティとゲヘナはそれぞれの立て直しに追われていた。

 

アリウススクワッドは各所で行動を続け、ユスティナ聖徒会はなおも顕現し続ける。

アズサは、彼女たちを阻止しようと動いていた。

 

補習授業部の皆も、一度は散り散りになった。

 

それでも、少しずつ戻ってくる。

 

コハルは怒っていた。

怒りながらも、泣きそうな顔をしていた。

 

ヒフミは震えていた。

それでも、アズサの隣に立つのだと言った。

 

ハナコは冷静だった。

状況を整理し、これ以上の混乱を収めようと動いていた。

 

そしてアズサは、一人で終わらせようとしていた。

 

自分がアリウスの生徒だから。

自分は人殺しだから。

自分が背負わなければいけないから。

 

そう考えていたのだと思う。

けれど、ヒフミはそれを許さなかった。

 

「これで終わりになんてさせません!」

「私たちの物語を、青春の物語を!」

 

その言葉で、アズサの表情が変わった。

 

罪が消えたわけではない。

過去がなかったことになったわけでもない。

 

それでも、アズサは一人ではなかった。

 

隣に、その手を握ってくれる人がいた。

 

あの子には、いたのだろうか。

 

 

 

 

「そう。私たちが、新しいエデン条約機構」

 

その宣言は、戦場に確かな意味を持った。

 

連邦生徒会長と同等の権限を持つシャーレ。

その先生を基軸とする、新たなエデン条約機構。

 

それによって、永遠に出現し続けるユスティナ聖徒会を止める。

 

その目論見は、一部成功した。

 

正義実現委員会や風紀委員会と交戦していたユスティナ聖徒会の動きは弱まった。

 

場所によっては、完全に停止している。

だが、すべてではなかった。

 

「……まだ動き続けている?」

 

アズサが呟く。

ハナコが周囲の状況を確認する。

 

「ツルギさんたちの方面では動きが止まっています。ですが、こちら側の個体はまだ顕現を続けていますね」

「どういうこと?」

 

コハルが眉をひそめる。

 

「おそらく、向こう側の戒律の方がまだ強く残っているのでしょう」

 

ハナコは淡々と考察する。

 

「アリウス側のエデン条約機構。その成立に関わった存在は、秤アツコ一人だと考えていましたが……」

「もう一人、いる」

 

アズサが低く言う。

いずれにせよやることは変わらない。

 

「サオリたちを止めよう。」

 

アズサが銃を構える。

 

「ククク……まだ! 何も! 始まっていないんだ!」

 

サオリの声が響く。

それは笑い声というより、叫びに近かった。

 

「私たちの、この憎しみは!」

 

動き続けていたユスティナ聖徒会が、こちらへ向かってくる。

 

……このメンバーで対処しきれるか。

 

「構えて」

 

皆が迎撃態勢を取る。

 

だが、こちらへ迫るユスティナ聖徒会は、横合いからの銃撃によって一掃された。

 

砂埃の向こうから、聞き覚えのある声がした。

 

「なんだか大変なことになっちゃったねぇ」

 

特徴的な桃色の髪。

眠たげな目。

 

「ホシノ!?」

「ホシノさん!?」

 

続けて、アビドスの面々が現れる。

 

「ニュースを見てすっ飛んできたのよ!」

 

セリカが銃を構えながら言う。

 

「ん。今度は私たちが助ける番」

 

シロコは短くそう言って、アリウススクワッドの動きを牽制した。

ノノミは後方から火力支援の準備を整え、アヤネはすぐに通信網へ接続する。

 

「先生、補習授業部の皆さん、支援します!」

 

ホシノは私の方を見る。

 

「ここはおじさんが抑えるから、先生たちは先へ行って」

「ホシノ、無理は」

「無理は禁物ですよ、ホシノ先輩!」

 

ノノミが声をかける。

ホシノは、いつもの調子で手を振った。

 

「大丈夫大丈夫。おじさん、ちょっとだけ頑丈だからねぇ」

「……分が悪い。地下へ撤退する」

 

サオリの声が通信越しに響く。

アリウススクワッドが、古聖堂の地下へ退いていく。

 

アズサが前に出る。

 

「追う」

 

ヒフミが頷く。

 

「行きましょう」

 

私たちは、古聖堂の地下へ向かった。

 

 

 

 

地下は、冷たい空気に満ちていた。

 

崩れた石壁。

古い聖堂の残骸。

どこかで鳴る機械音。

 

その奥で、アリウススクワッドと対峙する。

 

サオリ。

ミサキ。

ヒヨリ。

そして、アツコ。

 

彼女たちは満身創痍だった。

けれど、まだ止まっていなかった。

 

アズサがサオリと向き合う。

互いに傷つき、互いに届かない言葉を抱えたまま、それでも銃を向ける。

 

変化を起こしたのはアツコだった。

彼女はサオリのもとへ歩み寄り、静かに告げた。

 

もうやめよう、と。

 

その言葉で、サオリの中にあった何かが崩れたように見えた。

だが、それで終わりではなかった。

 

古聖堂の地下に、異質な気配が満ちる。

 

マエストロ。

ゲマトリアの一人。

 

彼は、古聖堂地下の教義と歪んだ信仰を材料に、人工天使ヒエロニムスを完成させた。

 

それは、祈りというより呪いだった。

 

生徒たちの憎しみ。

アリウスに積もった絶望。

トリニティとゲヘナの対立。

 

それらを形にしたような存在。

ヒエロニムスが顕現する。

 

通常の戦力では届かない。

 

『大人のカードを取り出す』

 

ヒエロニムスを退けた時、地下にはしばらく音がなかった。

 

完全な勝利とは呼べなかった。

 

アリウススクワッドは戦闘の余波に紛れ姿を眩ました。

補習授業部も、アビドスも、無事とは言い難い。

 

けれど、古聖堂での混乱は一段落した。

ユスティナ聖徒会の顕現も、ようやく収まり始めていた。

 

 

 

 

 

「秤アツコは、ただの人質ではない」

 

百合園セイア。

 

夢と現を行き交う彼女は、アリウスについて多くを知っていた。

 

公会議から追放された分校。

閉ざされた自治区。

ベアトリーチェによる支配。

アリウスの生徒たちが、憎悪と諦めの中で育てられてきたこと。

 

そして、ロイヤルブラッド。

 

秤アツコ。

ベアトリーチェが儀式のために必要としている生徒。

 

「儀式の鍵、ということ?」

「そう見ていい。ベアトリーチェは彼女を利用するつもりだ」

 

私はその言葉を聞きながら、ココノのことを考えていた。

 

「セイア」

「何かな」

「芳賀ココノという生徒を知っている?」

 

セイアは少しだけ目を細めた。

 

「名前だけなら」

「どこにいると思う?」

「君は、もう答えを持っているのではないかな」

 

 

 

 

「ベアトリーチェのそば」

 

アズサが断言する。

 

「ココノは、マダムに強く縛られている」

 

アズサはそう言った。

 

「縛られている?」

「命令だけではない。恩義、役目、救われたという記憶。そういうものに」

 

アズサは視線を落とす。

 

「私は、手を取れなかった」

「アズサのせいじゃない」

「それでも、あの時のココノは迷っていた」

「うん」

「なら、まだ間に合うかもしれない」

 

アズサの言葉に、私は頷いた。

 

まだ間に合う。

そう信じたい。

 

 

 

 

「先生」

 

サオリは私を見る。

 

「頼みがある」

 

その声は、今まで聞いたどの言葉よりも切実だった。

 

彼女は傷だらけだった。

顔色も悪く、立っているだけで限界に近いように見えた。

それでも、目は折れていなかった。

 

アツコを助けたい。

サオリはそう言った。

 

ベアトリーチェのもとへ渡ったアツコを救うために、私の力を借りたいと。

 

彼女は多くを間違えた。

傷つけた。

騙した。

取り返しのつかないこともした。

 

それでも、アツコだけは救いたい。

 

ならば、私のやることは。

 

「行こう」

 

サオリは驚いたように私を見る。

 

「いいのか」

「アツコを救うんだろう」

「……ああ」

「なら、目的は同じだ」

 

サオリはしばらく黙っていた。

そして、低い声で言った。

 

「芳賀ココノも、マダムのそばにいる可能性が高い」

「やっぱり」

「私たちスクワッドとは別系統で動いている。だが、マダムに近い場所にいるだろう。あいつは、マダムに救われたと思っている」

 

救われた。

 

ココノが何度も口にしていた役目。

 

アズサの手を取らなかった理由。

古聖堂で泣きながら銃を向けた理由。

 

その奥にあるもの。

私はまだ知らない。

 

知らないままでは、話せない。

 

 

 

 

アリウス自治区へ向かうことが決まる。

 

向かうのは、サオリたちアリウススクワッド。

 

サオリ。

ミサキ。

ヒヨリ。

 

それだけではなかった。

補習授業部も来ると言った。

 

ヒフミは、静かに頷いた。

 

「アズサちゃんのことも、アリウスのことも、もう他人事にはできません」

 

コハルは腕を組み、少し怒ったような顔をしている。

 

「ココノにも言いたいことあるし」

「コハルちゃん、それは怒りに行くということですか?」

「違うわよ! ……たぶん」

 

ハナコは小さく笑った。

 

「先生だけで行かせる方が危ないですからね」

 

アズサの目には迷いがなかった。

 

「私も行く」

 

アビドス対策委員会も動く。

 

「ココノさんがアリウスにいるかもしれない?」

 

セリカは驚いた顔をした後、すぐに眉を吊り上げた。

 

「何やってるのよ、あの人」

 

シロコは短く言った。

 

「ん。連れ戻す」

 

ノノミは心配そうに胸元へ手を当てた。

 

「ココノちゃん、大丈夫でしょうか……」

 

アヤネは端末を操作しながら言う。

 

「共有されたアリウス自治区の地形データは不完全ですが、可能な限り支援します」

 

ホシノは、眠たげな目で私を見た。

 

「先生」

「うん」

「おじさんたちも行くよぉ」

「危険だよ」

「そんなこと、今さらだねぇ」

 

ホシノは少しだけ笑う。

 

「ココノちゃんには、アビドスで借りがあるし」

 

借り。

 

そういう言い方をしているけれど、たぶんそれだけではない。

 

ココノはアビドスで、彼女たちを助けた。

 

ホシノを止めた。

アビドスを守るために動いた。

 

その繋がりが、今ここで戻ってきている。

 

ココノが自分で気づいているかは分からない。

けれど、彼女が関わった人たちは、もう彼女を放っておけなくなっている。

 

それが、少しだけ嬉しかった。

 

……ココノ、私は君にもう一度会いたい。

 

あそこは、私には少し広いから。

 

 

 

 

アリウス自治区へ向かう道は、静かだった。

 

崩れた建物。

古い弾痕。

放置された教室。

壁に残る、意味だけが乾いてしまった標語。

 

そこには、長い時間をかけて積もったものがある。

 

憎しみ。

諦め。

祈り。

呪い。

 

どれも、簡単に言葉にできるものではない。

 

サオリは前を歩いていた。

焦っているのは分かる。

けれど、足取りは乱れていない。

 

アツコを助ける。

その一点だけが、彼女を支えているように見えた。

 

アズサは、サオリと一定の距離を取りながら進んでいる。

 

ヒフミはその隣にいた。怖がっていないわけではない。それでも、離れようとはしなかった。

 

シロコは周囲を警戒し、ホシノは私の少し後ろを歩いている。

 

「先生、無理はしてない?」

 

ホシノが、いつもの調子で聞いてきた。

 

「大丈夫」

「うへぇ。その返事、信用できないなぁ」

「よく言われる」

「だろうねぇ」

 

胸の傷は痛む。

歩くだけでも、呼吸のたびに奥が軋む。

 

古聖堂で倒れた時の感覚が、何度も蘇る。

 

この先にアツコがいる。

そして、おそらくココノもいる。

 

途中、ミカが現れた。

彼女はサオリを見つけると、すぐに銃を向けた。

 

「見つけた」

 

その声は冷たかった。

 

サオリは抵抗しなかった。

銃を構えることも、逃げることもしない。

 

ただ、ミカを見ていた。

 

「ミカ」

 

私が声をかける。

 

「止めるの?」

 

ミカは私を見た。

笑っている。

 

けれど、その笑みの奥には、まだ怒りがあった。

 

「うん。止める」

「先生も、そういうこと言うんだ」

「許せとは言わない」

 

ミカの目が細くなる。

 

「君の怒りは、間違っていない。サオリがしたことも、なかったことにはならない」

「じゃあ、どうして止めるの?」

「今ここで撃てば、誰も助からない」

 

ミカは何も言わなかった。

サオリも黙っている。

 

「許さなくていい。納得しなくてもいい。でも、今は止まってほしい」

 

「私も、罰を受けるよ」

「ミカも、彼女たちも私の生徒だ」

 

しばらく、静かな時間があった。

やがてミカは、銃口を少しだけ下げる。

 

「……先生って、ずるいね」

「そうかもしれない」

「私は許したわけじゃないから」

「うん」

「見届けるだけ」

「それでいい」

 

祭壇へ向かう途中、ユスティナ聖徒会やアリウスの残存部隊が進路を塞いだ。

長く足を止める余裕はない。

 

サオリが先導し、アズサが援護する。

ヒフミはアズサの隣で、デコイを展開し敵の注意を分散させる。

ミカは怒りを押し殺すように前線を切り開く。

シロコは冷静に敵の要所を撃ち抜き、ホシノは盾を構えて私たちの背後を守った。

 

やがて、私たちは祭壇へ辿り着いた。

 

 

 

 

薄暗い光に包まれた場所だった。

 

古い石。

複雑な機材。

儀式のために組まれた回路。

空間そのものが、異様な熱を持っている。

 

その中央に、アツコがいた。

 

白い髪。

静かな表情。

拘束された体。

どこか、現実から切り離されたような姿だ。

 

「アツコ!」

 

サオリが叫ぶ。

アツコがわずかに顔を上げる。

 

「……サオリ」

 

祭壇の奥には、ベアトリーチェがいる。

 

アツコを奪われかねない状況だというのに、彼女は取り乱していない。

その落ち着きが、嫌な違和感として胸に残る。

 

ココノの姿が、未だ見えない。

 

だが、今はアツコを救うことが先だった。

 

戦闘が始まる。

祭壇を守る装置。

ユスティナ聖徒会。

アリウスの残存戦力。

 

サオリが前に出る。

迷いはなかった。

 

アツコまでの道を切り開くためだけに動いている。

 

「アズサ、右側を抑えて」

「分かった」

 

アズサがサオリを援護する。

 

「ヒフミ、下がりすぎないで。アズサの後ろを」

「は、はい!」

 

ヒフミが銃を握り直す。

 

「シロコ、左の装置を」

「ん」

 

シロコの射撃が、祭壇の回路の一部を撃ち抜く。

 

「ホシノ、前を支えて」

「了解だよぉ」

 

ホシノの盾が、敵の進行を止める。

ミカは前へ出すぎないようにしながらも、強引に道を押し開いていた。

 

「ミカ、突出しすぎない」

「分かってるよ、先生」

 

本当に分かっているかは怪しい。

けれど、今の彼女は怒りに呑まれきってはいなかった。

 

やがて、サオリがアツコの拘束具へ辿り着く。

 

「アツコ、今外す」

「サオリ……」

「もう少しだ」

 

アズサが周囲の敵を押さえ、シロコが装置の接続部を撃ち抜く。

ヒフミがアズサを支え、ホシノが背後を守る。

ミカが強引に開いた隙間を、サオリが通る。

 

最後の拘束が外れた。

アツコの体が崩れる。

サオリが受け止めた。

 

「アツコ!」

 

アツコは薄く目を開ける。

 

「……よかった。サオリ、来てくれたんだ」

 

その声を聞いた瞬間、サオリの表情が崩れた。

泣きそうな顔だった。

 

「当たり前だ」

 

ヒフミが息をつく。

アズサは静かに目を伏せる。

ミカは、複雑な表情でその光景を見ていた。

 

救えた。

少なくとも、アツコは救えた。

 

そう思った。

けれど、ベアトリーチェは笑っていた。

 

「秤アツコは、純粋なロイヤルブラッド」

 

その声は、奇妙なほど落ち着いていた。

 

「彼女を祭壇に捧げることで、私は崇高をこの身に宿すことができる」

「その儀式は止めた」

 

私が言うと、ベアトリーチェはゆっくりとこちらを見る。

 

「ええ。彼女だけであれば、そうでしょう」

 

その言葉で、背筋が冷えた。

まだ終わっていない。

 

祭壇の奥に、別の影があった。

私はそちらを見る。

 

ココノだ。

 

拘束されているわけではない。

誰かに銃を向けられているわけでもない。

ただ、自分の足でそこに立っていた。

 

顔色は悪い。

目は虚ろで、ひどく静かだった。

 

「ココノ」

 

私が呼ぶと、彼女は少しだけ肩を揺らした。

 

「……」

「ココノさん……?」

 

ヒフミが息を呑む。

シロコが静かに銃を構えた。

 

「ん。あれはよくない」

 

ホシノの声が、少しだけ低くなる。

 

「厄介だねぇ」

 

ベアトリーチェは静かに続ける。

 

「芳賀ココノは混血のロイヤルブラッド。秤アツコのように、祭壇へ捧げる器にはなれません」

「なら、ココノをどうするつもりだ」

「崇高を宿した私が、彼女を取り込むのです」

 

空気が冷えた。

ヒフミが言葉を失う。

アズサの表情が歪む。

 

「だから戻ったのか」

 

サオリが、低く言った。

 

「マダムは、そこまで」

 

ベアトリーチェは微笑む。

 

「彼女の血は不完全です。ですが、無意味ではない。崇高を定着させ、私をより完全なものとするには十分な価値がある」

「ふざけないで」

 

ミカが言った。

その声には、怒りがあった。

 

「価値とか、不完全とか、何様のつもり?」

「その問いに答える必要はありません」

 

ベアトリーチェは、まるで些細なことのように返す。

 

私はココノを見る。

 

「ココノ」

 

彼女は目を逸らさなかった。

 

「これは、私の役目です」

 

短い声だった。

 

「私は、そのためにここにいます」

「そんなものは役目じゃない」

 

虚ろな瞳が、わずかに揺れる。

 

「役目です」

「違う」

「違いません」

「君は、消えることになるんだよ」

「分かっています」

 

考える隙を自分に与えたくないかのように、返事が早い。

 

「私はマダムに救われました」

 

平坦な声だ。

 

「居場所をもらいました。役目をもらいました。だから、返さなきゃいけないんです」

「それで自分を差し出すの?」

「はい」

「本当に、それが君の望み?」

 

ココノは一瞬だけ黙った。

 

けれど、すぐに答える。

 

「望みではありません」

「なら」

「役目です」

 

それは覚悟じゃないよ。

 

救われた記憶に縋って、自分を消そうとしているだけだ。

 

古聖堂で銃を向けた時と同じだった。

あの時も、彼女は迷っていた。

 

怖がっていた。

それでも役目と言い聞かせて、引き金を引いた。

 

ベアトリーチェの声が割って入る。

 

「もう、遅いのですよ。先生」

 

その言葉の意味を理解するより早く、祭壇の回路が赤黒く脈打った。

 

「ココノ!」

 

私が叫ぶ。

ココノの足元に、植物の根を思わせる異形の紋様が広がる。

それは石床を這い、彼女の足首へ絡みつく。

 

「……これで、いいんです」

 

小さな声だった。

 

「私の、役目だから」

「違う!」

 

アズサが叫ぶ。

ヒフミが手を伸ばす。

シロコが撃つ。

だが、弾丸は祭壇の光に弾かれた。

 

次の瞬間、異形の根がココノを包み込む。

 

「あ」

 

ココノの声が漏れた。

それは諦めにも、恐怖にも聞こえた。

 

「ココノ!」

 

私の手は届かなかった。

植物を思わせる異形と化したベアトリーチェの内側へ、ココノの姿が沈んでいく。

 

ベアトリーチェの体が、さらに変化を始めた。

 

「いついかなる時も、計画とは想定通りには進まぬもの」

 

彼女は静かに告げる。

 

「故に、サブプランを用意する」

 

 

 

 

「先生!」

 

アズサが悲痛な表情でこちらを向く。

 

しっかりしろ。

 

今のままでは、すべてを取りこぼす。

 

「……戦闘、開始」

 

声が震えそうになるのを押し殺して、私は指示を出した。

 

サオリがアツコを抱えたまま後退する。

ホシノが前に出て、異形の腕を盾で受け止める。

シロコが関節部を撃ち抜こうとするが、すぐに再生する。

ミカが正面から殴りつける。

 

アズサは、奥に沈んだココノの姿を探すように銃口を揺らしていた。

 

「アズサ、集中して!」

「分かってる……!」

 

分かっている声ではなかった。

 

無理もない。

私も同じだった。

 

ベアトリーチェの中に、ココノがいる。

攻撃を加えれば、ココノにも何かが起こるかもしれない。

だが、止まれば全員が呑まれる。

 

何か。

何か手は。

 

私は、まだ。

 

『先生!』

 

アロナの声が聞こえた。

私はシッテムの箱を握る。

 

『大人のカードを取り出す』

 

胸の傷が痛む。

呼吸が浅くなる。

視界が少し白む。

 

シッテムの箱が光を帯びる。

大人のカードが熱を持つ。

 

空間が軋む。

 

祭壇も、ベアトリーチェも、アツコも、サオリたちの声も遠ざかっていく。

最後に聞こえたのは、ココノの声だった。

 

「見ないで」

 

小さな声。

 

「先生、見ないで」

 

それは拒絶だった。

けれど、同時に悲鳴にも聞こえた。

 

私は手を伸ばす。

ココノがずっと隠していた場所へ。

 

彼女が役目という言葉で閉じ込めていた記憶へ。

 

そして、私は落ちていく。

 

芳賀ココノの過去へ。

 

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