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警察庁の一室、窓一つない部屋で私は、風見さん経由で「アドバイス」と言う名の黒田さんからのコメントを受け取っていた。風見さんに相談したつもりだったのにおかしな話だと思う。タブレットを見ながら読み上げてくれる。
「――『お伽噺の語り部を気取るのは勝手だが、観客を選べ。舞台の上で道化を演じるなら、せめて脚本からはみ出すな。これ以上の独断専行は、舞台そのものを壊す行為と見なす』……以上です」
一応、数秒考えてみるが思わず首をかしげる。
「比喩表現が多くてよくわかりません」
「…本気でおっしゃっていますか?」
風見さんが眼鏡の奥の瞳を、わずかに見開いて問い返してくる。その声には信じがたいものに対する困惑が混じっているのがわかる。
「はい。風見さんこれ分かりますか?」
「分かるとか分からないとか、そういった次元の話ではなく……これは明確な警告ですよ。あなたが例の組織の情報を盾に、勝手な立ち回りをすることを、これ以上は容認しないという……」
「……私、結構真面目にやってるつもりなんですけど。風見さん、これ翻訳して黒田さんに返せませんか? そうですねぇ…『脚本があるなら共有してほしいです。具体的にどのシーンの演技が気に入らなかったのか教えてください』って」
「……っ!そんな不敬な返答が出来るわけがないでしょう!」
風見さんが声を荒げたその時
「――――脚本の共有……ですか……」
背後の扉から落ち着いた心地よい低音が響いた。
振り返ると案の定、そこには高明くんが立っていた。
わぁ!すごく久しぶりだ!
高明くんはそのまま音もなく近づくと、風見さんの手からタブレットを流れるような動作で受け取った。
「風見くん、君は戻りなさい。彼女の『再教育』は、上司である私の役目です」
「……はっ。失礼します」
風見さんは複雑な表情を残し、足早に去っていった。
部屋には高明と夢主の二人だけが残される。 高明は切れ長の瞳で射抜くように見下ろすと、指先で私の顎を僅かに持ち上げた。
「…………座りなさい」
低く、有無を言わせぬ声。
促されるまま椅子に腰を下ろすと、室内に微かな電子音が響いた。再生されたのは、あの日居酒屋から風見さんに掛けた電話の音声だった。
『今日の監視役の人って、茶髪につり目の人と………』
『……分かってらっしゃるなら、やめてください。穏便に……願います』
スピーカーから流れる自分の音声は普段思っている声質とはやはりズレがあって、他人の声のようにも聞こえるが、内容からして自分に間違いないだろう。こんな声なんだ私。
「録ってたんですねぇ」
「公安を侮るのも大概にすべきです」
高明くんがゆっくりと椅子に座る私の周りを歩く。規則正しい足音がコツコツと部屋に響く。
「あなたが軽口を叩いた監視役は、命がけで現場に立つ訓練を受けた選り抜きの職員です。それを暴き、挑発を行う。これが警察組織の中でどう解釈されるか、少しでも考えたことはありますか?」
「何かおかしな点がありましたか?私はただ、敵対組織ではないかの確認と、身内としてのアドバイスをしただけで……」
高明くんが正面で足を止めると、その影が私を完全に覆い尽くす。
「……減らず口を叩くのはやめなさい」
「がはっ………!?」
高明くんの手が容赦なく私の顎を押さえ、強引に口を開かせるといきなり口内へ迷いなく親指を突き入れた。
「…っ、ははあひふん?……っ」
容赦のない力で、指が歯列をなぞる。異物が口腔を占拠する不快感に顔を背けようとしたが、下顎を掴んで頭を固定され、身動きが取れない。
「よごへまふよ………」
「……まだ、そんな余計なことを考える余裕があるのですね」
冷徹ながらも熱をたたえる複雑な光の宿る瞳を向けられた。さらに深く指が口の中に割り込み、グッと舌を下顎に向けて力任せに押さえつけられる。
「……いふぁいれふ………はなふぃてふださ…………」
思わず目の前の骨張った手首を掴むが、微動だにしない。
「あなたという役者は舞台上で進行を無視した台詞を気まぐれに喋る。物理的に言葉を奪うほかに更生させる術はないかもしれませんね……」
高明くんの顔が至近距離まで近づく。
「このまま、二度とその減らず口が叩けぬよう砕いて差し上げましょうか?」
自分の喉の奥が鳴るのが分かった
舌を押さえる親指の力が徐々に強くなる
私は舌を圧迫される鈍い痛みに弱り切ってしまい眉を下げる。困った。掴んでいる高明くんの腕をもう一度そっと遠ざけようと遠慮がちに力を込めるがやはりびくともしない。離してくれないかなぁという気持ちを込めて高明を見るが……
……多分だめだなぁ、高明くんに引く気がない……これ以上は怪我をさせる……
抵抗を諦め力を抜く。すると無言のまま、さらに指が舌の奥深くへと滑り込んできた。
「噛むぐらいの気概はあるかと思いましたが……」
高明くんの声音はどこまでも静かだったが、その瞳はまるで獲物を追い詰めた鷹のようだった。柔らかな粘膜を執拗になぞり、喉の奥を突くような位置で指先をゆっくりと往復される。そうされると生理的な拒絶反応で喉が小さく鳴って震える。
「……っ、ふ…っ」
その様子を高明くんが至近距離で観察している。
「…………苦しいですか?」
目を細め、慈しむように問いかけてくるのに対し、小さく首を縦に振って答えると、さらに力を込めて舌の付け根を押さえつけられる。
「…あ“っ………ごほっ」
「……そうでしょうねぇ………」
高明がゆっくりと指を引き抜く
口腔を占拠していた圧迫感がなくなり、私はゲホッと激しくむせ込んだ。生理的な涙で視界は潤み、圧迫でしびれの残る舌を震わせながら荒い呼吸を整える。
高明くんは懐からハンカチを取り出すと自身の指先と私の顔を丁寧に拭った。先ほどまでの苛烈な行いが嘘だったかのようにその動作は優しく穏やかだ。
高明くんはハンカチを畳むと、デスクに腰を預け、見下ろすように私を見つめた。
「………ここまでされて抗わないだけの従順さは、先ほどの録音からは微塵も読み取れませんね。………何故ですか?」
解答の出ない数式を眺めるような純粋な疑問と探究心を持った瞳が私を覗いていた。
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私は自身の指と夢主さんの顔を丁寧に拭ったハンカチを畳んでからデスクに寄りかかり、噎せ返る彼女を眺め、口を開いた。
「……ここまでされて抗わないだけの従順さは、先ほどの録音からは微塵も読み取れませんね。………何故ですか?」
「……ゲホっ…な…んですか?」
「噛むなり、椅子を蹴って暴れるなり、いくらでも抵抗の手段はあったはずです。……噛みちぎってもおかしくない状況でしたよ?何故、従順に従うのですか?警察組織に挑発行為を繰り返し、盤面をひっくり返し戯れるような真似をしながら…時に家畜のような従順さを見せる理由は何ですか?」
「噛んだら、高明くんが怪我するじゃないですか」
「………」
夢主さんは何を当たり前のことを聞かれているんだと困惑したような、訝しげな顔で見上げてくる。予想しなかった反応と答えに言葉を失い、暫し無言で彼女を見つめた。媚びるような色ひとつ浮かんでいない。
「………顎を砕かれてもですか?」
「……え?砕かないですよね?高明くんの事だから深い考えがあってのことだとは思いますが。結局、今のって何だったんですか?」
顎を掴む手にも、舌を押さえる指にも本気の力を込めていた。文字通り力でねじ伏せられそうになったにもかかわらず、逃げるそぶりも見せずそこに…私の手の届く範囲に留まっている。澄んでいて読みづらい、まっすぐな視線に困惑を乗せながらも、そこに脅えも恐怖も浮かんでいない。…私はこみ上げてくる形容しがたい感情を押し殺すように片腕を組み、自らの口元を手で覆った。純粋すぎる信頼が私の中に歪んだ燃料を投下する。
「……なぜ、あの言動とその従順さが、あなたの中で矛盾せず同居しているのです?」
「……あの言動って何ですか?」
「風見くんへの電話の件です。あれを聞いた人間は、明白な反逆、あるいは挑発行為と受け取るでしょう」
「えぇ?…普通の報告、連絡、相談ですよ?気付いたことはすぐに報告しろと先日注意を受けたので…全部黒田さんに通すとお忙しいのに悪いですし。付けていただいた監視役の風見さんを通したのですが……?問題点も指摘してくれと常に上に従う姿勢みせているつもりです」
私は彼女のあまりにも根の深い『歪み』に気付き、目眩を覚えた。彼女の今の評価や状況と照らし合わせれば、挑発とも取れる言葉。しかし…
「あぁ…分かってきました…成程…あなたには…正しく従う意思がありながら、『何故か』そのような含みのある言動が表出すると…」
「……含み?」
「…………ご自分で気が付かれませんか?」
「私が何か指示を読み違えたのなら申し訳ないのですが、行間を読むのは苦手なんです。……すみません、先ほどの黒田さんからのアドバイスも、比喩が多すぎてよく分からないので困っていて…。高明くんは聞きました?私にも分かるように、かみ砕いて貰えますか?」
夢主さんは椅子の上で身を乗り出し切実に問いかけてくる。
「具体的に、私は何を求められているんですか?とりあえず事件を解決させているだけじゃいけないんですよね?」
「…………行間を読む事、比喩表現が苦手………ですか」
私はデスクの上の録音機を見つめ、その内容を反芻する。そして再び彼女の瞳を覗き込んだ。
「………あなたに求められているのは、単なる成果そのものではない。組織という巨大な歯車の一部として予測可能な動きをすることです。ですがあなたは―――」
私は再び夢主さんに歩み寄り、今度は羽毛に触れるような心持ちで赤く腫れた彼女の唇を親指でなぞった。先ほどのことがあったのに、その瞳に脅えはなく、ただまっすぐこちらを見ている。目の前の存在が自分を害すると微塵も思っていない。そこには私がずっと追い求めてきた深淵が相変わらず揺らぐことなく存在している。そんな私が執着してきた存在が今この瞬間
私を『頼って』いる。
それを認識した途端、私の頭の内側でぞわりと蠢いた何かが、疑念や苛立ちといった、中で燻っていた雑念を全てを焼き切るのが分かった。あれだけ腹が立ったこの『危機に瀕しても揺らがない瞳』が、今はたまらなく愛おしい。
「…脚本にない言葉を紡ぎ、周りを惑わせる…その予測不能な歪んだ献身が……見るものによっては『舞台を壊す行為』に見えるのです」
「………もう少しわかりやすく………」
「分からなくていい。分からないままで……ただ、これだけは覚えておきなさい。君を正しく『翻訳』できるのは、世界で私1人だけです。他の者に、不用意にあなたの『中身』を覗かせるべきではない………いいですね?」
その言葉は上司としての指導ではなく
ただ、一人の男としての呪いだった。