### 第四十五章:孤独なメイドと、奪われた『ママ』
「……チャンピオン、獲れちゃった」
深夜の自室。湊あくあは、モニターに表示された『APEX LEGENDS』の「YOU ARE THE CHAMPION」の文字を見つめながら、ぽつりと呟いた。
普段ならガッツポーズをして喜ぶところだが、今日のあくあの声には覇気がなかった。
コントローラーを机に置き、ため息をつきながらスマートフォンの画面を開く。
LINEのトーク画面。相手は『マリンママ(宝鐘マリン)』だ。
あくあ:『ママ〜、今日APEXやらない? あてぃしキャリーするよ!』
マリン:『あくたんごめんねぇ! 今日はちょっと……その、用事があって! また今度ね!』
このやり取りが、ここ数週間で何度繰り返されただろうか。
あくあは知っている。マリンの言う「用事」というのが、仕事でも他のホロメンとのコラボでもなく、ただ一人の人物——『ときのそら』のための時間であることを。
「……ママのばか。最近、そら大先輩とばっかり一緒にいて、あてぃしのこと全然かまってくれないんだから」
あくあは、ゲーミングチェアの上で膝を抱えて丸くなった。
あの「第一防音室」での決定的な密会(キスシーン)を目撃して以来、あくあはマリンとそらの関係を理解し、陰ながら応援する(というか畏怖して手が出せない)立場になっていた。
大好きなマリンママが、あんなにも幸せそうに誰かの腕の中にいる。
そら大先輩も、マリンのことを本当に大切に(少々愛が重すぎるきらいはあるが)想っている。
その事実自体は、あくあにとっても嬉しいことだった。二人の関係を壊したいなんて、1ミリも思っていない。
しかし、それとこれとは話が別である。
「あてぃしは……あてぃしは、マリンママの娘なのに! 娘には、ママに甘える権利があるはずなのに!」
最近のマリンは、そらの圧倒的な独占欲とスパダリ力によって完全にプライベートを制圧されており、あくあが「ママ〜!」と甘えに行こうとしても、いつの間にか背後に現れたそらの【 全てを無に帰す女神の微笑み 】によって牽制され、近づくことすら許されない日々が続いていた。
「このままじゃ、あてぃし、完全に捨てられた子犬(メイド)になっちゃう……。あてぃしだって、たまにはママと一緒にゲームしたり、ご飯食べに行ったりしたいのに!」
あくあは、キュッと唇を噛み締めた。
極度の人見知りで、コミュ障を自称する彼女だが、大好きなもの(マリンママ)に対する執着心は決して弱くない。
「……決めた。あてぃし、そら大先輩に直接言う。ママを独り占めするのはズルイって、ちゃんと直談判するんだから!」
誰もいない部屋で、あくあは小さな拳を天井に向かって突き上げた。
それは、孤独なゲーマーメイドが、ホロライブに君臨する『絶対神』へと反旗を翻す、無謀で勇敢な決意の瞬間だった。
### 第四十六章:神域への侵入と、メイドの決死行
翌日の午後。
あくあは、ホロライブのスタジオの廊下で、壁の陰からコソコソと様子を窺っていた。
ターゲットであるときのそらは、今、廊下の突き当たりにある小さな休憩ラウンジで、一人で台本を読んでいる。
マリンは別のスタジオで収録中であり、そらの隣には誰もいない。直談判をするなら、今しかない。
(よし……行くぞ、あてぃし。深呼吸して。すー、はー、すー、はー……)
あくあは、自分自身を鼓舞するように胸をトントンと叩き、意を決して壁の陰から飛び出した。
トタトタトタ、と小走りでラウンジに向かい、そらの座るソファの数メートル手前でピタリと止まる。
「そ、そ、そら大先輩!!」
裏返りそうなほどの大きな声。
そらは驚いたように顔を上げ、あくあを見ると、ふわりといつもの優しい笑顔を浮かべた。
「あ、あくあちゃん。どうしたの? そんなに慌てて」
「あ、あの! あてぃし、そら大先輩に、い、言いたいことがあって来ました!」
あくあは、直立不動の姿勢で両手をギュッと握りしめ、顔を真っ赤にしながらそらを見つめた。
そらは台本をパタンと閉じ、ソファの隣の席をポンポンと叩く。
「うん、いいよ。どうしたの? ここに座って話そ?」
「い、いえ! ここでいいです! 座ったら、そら大先輩のオーラに飲み込まれて言えなくなりそうだから!」
「ふふっ、何それ。あくあちゃん、面白いね」
そらはクスッと笑うが、あくあは真剣そのものだった。
(負けるな、あてぃし! マリンママを取り戻すんだ!)
「そら大先輩! 単刀直入に言います! 最近、マリンママ……宝鐘マリンを、独り占めしすぎです!!」
ラウンジに、あくあの悲痛な叫びが響き渡った。
「あてぃしは、マリンママの娘なんです! それなのに、最近は全然一緒に遊んでくれないし、連絡しても『今日はそら先輩とお出かけだから』って断られるし! そら大先輩がママを独占するせいで、あてぃしは寂しい思いをしてるんです!」
一気にまくしたて、あくあはゼエゼエと肩で息をした。
言ってやった。ついにホロライブの頂点に対して、真っ向から文句を言ってやった。
しかし、言い終えた直後、あくあの全身を強烈な【 恐怖 】が襲った。
(や、やばい……怒られる! 絶対消される! そら大先輩の逆鱗に触れちゃった!)
あくあはギュッと目を閉じ、来るべき女神の天罰(物理)に身構えた。
しかし。
数秒の沈黙の後、聞こえてきたのは、怒声でも冷たい言葉でもなく、コロコロと転がるような、楽しげな笑い声だった。
「あははっ! あくあちゃん、すっごく可愛い!」
「……え?」
恐る恐る目を開けると、そらがソファから立ち上がり、あくあの目の前まで来ていた。
そして、あくあの頭を、まるで本物の子供をあやすように優しく撫で始めたのだ。
「えっ、あ、あの、そら大先輩……?」
「そっかぁ。あくあちゃん、マリンちゃんにかまってもらえなくて、寂しかったんだね。ごめんね、私がマリンちゃんを独り占めしちゃってたから」
そらの顔には、怒りの欠片もなかった。
そこにあったのは、純粋な慈愛と、ほんの少しの申し訳なさそうな表情だった。
### 第四十七章:絶対神の提案と、新たな関係性
「あ、怒って……ないんですか?」
あくあが拍子抜けしたように尋ねると、そらは不思議そうに首を傾げた。
「どうして怒るの? あくあちゃんがマリンちゃんのこと大好きだって知ってるし、マリンちゃんもあくあちゃんのこと『手のかかる可愛い娘』だって、よく私に話してくれてるよ?」
「ママが……あてぃしのこと……?」
「うん。『あくたんと最近ゲームできてないから、寂しがってないかなぁ』って、この前も私の家でシチュー食べながら心配してたよ」
「ママぁ……っ!」
あくあの目に、じわっと涙が浮かんだ。マリンは、ちゃんとあくあのことを想ってくれていたのだ。
「でも、だったらどうして……」
「それはね」
そらは、あくあの目を真っ直ぐに見つめ、少しだけ声のトーンを落とした。
「私が、『ダメ。今日は私だけを見てて』って、マリンちゃんに我慢させてたから」
「——ッ!」
あくあの背筋が凍った。
さっきまでの優しいオーラが一瞬にして反転し、底知れぬ独占欲の塊のような「魔王」の顔が顔を覗かせたのだ。
「マリンちゃんが私以外の誰かのことを考えてるのが、ちょっとだけ嫌だったの。……ごめんね、私、大人げないよね」
そらはペロッと舌を出して悪戯っぽく笑ったが、あくあは心の中で(この人、やっぱり怒らせちゃいけないガチのヤバい人だ……!)と本能で理解した。
「で、でも! あてぃしは娘ですから! 恋愛対象じゃないですから! だから、ちょっとくらいママを貸してくれたって……!」
あくあが必死に食い下がると、そらはポンッと手を打った。
「そうだね。あくあちゃんの言う通りだ。あくあちゃんは、マリンちゃんの『娘』だもんね」
「そ、そうです!」
「マリンちゃんがあくあちゃんの『ママ』で、私がマリンちゃんの『恋人』……」
そらは顎に手を当て、何かを計算するように虚空を見つめた後、パァッと顔を輝かせた。
「じゃあ、私が『パパ』だね!」
「…………はい?」
あくあの思考回路が、完全に停止した。
「うん、そうだ! 私があくあちゃんのパパになれば、全部解決じゃない? 家族なんだから、みんなで一緒に過ごせばいいんだよ!」
「パ、パパ!? そら大先輩があてぃしのパパ!? いやいやいや、意味がわかりません!!」
「どうして? マリンちゃんがママなら、そのパートナーである私はパパでしょ? それとも、あくあちゃんは私のお家の子になるのは嫌?」
そらが、少しだけ悲しそうな、捨てられた子犬のような上目遣いであくあを見つめる。
(ズ、ズルイ!! そんな顔されたら断れないじゃないか!!)
「い、嫌じゃないですけど……っ! でも、そら大先輩がパパって……なんか、パワーバランスがおかしなことになりませんか!?」
「大丈夫だよ。私がしっかり、この『家族』の大黒柱になるから」
そらはニコリと笑い、あくあの肩を抱き寄せた。
「これからは、マリンちゃんに会いたい時は私に言ってね。パパが、ママとの面会時間をちゃんと作ってあげるから」
「め、面会時間……(囚人かな?)」
「その代わり、あくあちゃん。……ママに甘えすぎたり、ママを困らせたりしたら、パパが『お仕置き』するからね? わかった?」
そらの耳元での甘い囁きに、あくあはヒッ!と悲鳴を上げて首を縦に激しく振った。
「わ、わ、わかりましたぁ!! パパの言う通りにしますぅぅ!!」
こうして、湊あくあの直談判は、「宝鐘マリンを取り戻す」という目的とは全く別のベクトルで、斜め上の着地を迎えることになった。
ホロライブ最強の「パパ」と、それに完全服従する「ママ」、そして怯えながらも愛を求める「娘」という、世にも奇妙な疑似家族がここに誕生したのである。
### 第四十八章:家族団欒(カオス)の始まり
その週末。
宝鐘マリンは、ウキウキとした足取りでときのそらのマンションを訪れていた。
「そら先輩〜! 遊びに来ましたよ〜! 今日は一緒に映画見ましょうって言ってた……って、ええっ!?」
マリンがリビングのドアを開けた瞬間、その手から下げていたお菓子の袋が滑り落ちそうになった。
「あ、ママ! いらっしゃい!」
「あくあちゃんが『ママ』って呼ぶと、なんだか本当に家族みたいでくすぐったいね。ほらマリンちゃん、あくあちゃんが待ってたよ」
リビングの巨大なテレビ画面では『大乱闘スマッシュブラザーズ』の対戦画面が光っており、その前のソファには、なぜかコントローラーを握りしめた【 湊あくあ 】と、そのあくあに優しく麦茶を差し出す【 ときのそら 】が並んで座っていた。
「あ、あくたん!? なんであくたんがそら先輩の家にいるの!? っていうか、なんで二人でスマブラやってるの!?」
マリンはパニックになりながら、二人を交互に指差した。
「ふふっ。あくあちゃんがね、どうしてもマリンちゃんに会いたいって言うから、今日は『家族団欒』の日にしようと思って、私から招待したの」
そらが、マリンを迎え入れながら優しく微笑む。
「か、家族団欒!?」
「そうだよ、ママ! 今日からそら大先輩が『パパ』で、あてぃしたちは家族になったんだから!」
あくあが、そらの背中に隠れるようにしてドヤ顔で言い放つ。
「パパ!? そら先輩がパパ!? あくたん、あんた何勝手なこと言って……!」
マリンが抗議しようとしたその時。
「……マリンちゃん?」
そらが、スッと目を細め、静かだが絶対的な圧力を持った声でマリンの名を呼んだ。
「あ、はいっ!」
マリンは条件反射で背筋を伸ばし、直立不動になった。
「あくあちゃん、私の可愛い『娘』になったんだよ。マリンちゃんも、あくあちゃんのお母さんとして、ちゃんと娘を可愛がってあげてね。……それとも、私たちが家族になるのは、不満?」
そらの、逃げ場を塞ぐような笑顔。
ここで「不満です」などと言おうものなら、後でどんな恐ろしい(そして甘い)お仕置きが待っているかわからない。マリンは野生の勘でそれを悟った。
「ふ、不満なんてあるわけないじゃないですかぁ〜! アハハ! あくたん、私の可愛い娘! そら先輩、私の頼れるパパ! 最高の家族ですね!!」
マリンはヤケクソのように叫び、あくあの隣にドスリと座り込んだ。
「よしっ! じゃあママ、あてぃしとスマブラで勝負だよ! 負けた方が今日の夕飯の皿洗いだからね!」
「上等じゃない! あんたこそ、ママの本気を見せてやるわよ!」
マリンとあくあが、ギャーギャーと騒ぎながらコントローラーを握って対戦を始める。
その賑やかな(やかましい)様子を、そらはソファの特等席から、まるで本当の父親のように、慈愛に満ちた優しい眼差しで見守っていた。
「あはは、マリンちゃん、そこ隙だらけだよ」
「あーっ! パパ、あくたんにヒント出さないでくださいよ!」
「ずるいぞママ! 今のはあてぃしの実力だもん!」
画面の中で暴れ回るキャラクターたちと、画面の外で騒ぐ二人の「母娘」。
そらは、マリンの頭をポンと撫で、次にあくあの頭も優しく撫でた。
(……うん。二人だけの時間もいいけど、たまにはこういうのも悪くないかも)
そらの心の中にあった、どろりとした独占欲は、あくあという「娘」の存在によって、少しだけ丸く、温かいものへと変化していた。
もちろん、マリンを愛する気持ちが減ったわけではない。むしろ、「私の家族」という新たな枠組みができたことで、その支配領域(テリトリー)はより強固なものになったと言えるだろう。
「……あ、でも」
そらは、小さく呟いた。
「夜になったら、あくあちゃんには帰ってもらわなきゃね。……『夫婦』の水入らずの時間は、ちゃんと確保しないと」
その呟きはゲームの音にかき消されて二人の耳には届かなかったが、そらの瞳には、夜の帳が下りるのを待ちわびる、肉食獣のような艶やかな光が宿っていた。
ホロライブの裏側でひっそりと(しかし確実に周囲を巻き込みながら)育まれる、そらとマリンの愛。
湊あくあという新たな「娘」を迎え入れた秘密の疑似家族は、今日もドタバタと、そして底抜けに甘く、幸せな時間を紡いでいくのだった。