### 第十一章:記念すべき初デートと、忍び寄るゲスい影
「お忍びデート」——その響きだけで、宝鐘マリンの心拍数は朝から限界を突破していた。
そらとの関係が恋人に変わってから数週間。スタジオでの秘密のやり取りや、夜通しの甘い通話は重ねてきたものの、丸一日を二人きりで過ごす「正式なデート」は今日が初めてだった。
待ち合わせは、都内から少し足を伸ばした海沿いの大型水族館。
マリンは、普段の真紅の海賊服とは打って変わった、淡い水色のオフショルダーワンピースに身を包んでいた。少しでも「そら先輩の隣を歩くに相応しい、清楚な女の子」に見えるようにと、昨晩遅くまでクローゼットをひっくり返して選んだ勝負服だ。
「……お待たせ、マリンちゃん。ごめんね、待った?」
「ひゃあっ!? そ、そら先輩……!」
背後から掛けられた声に振り返ると、そこには白いブラウスにネイビーのフレアスカートという、清楚のお手本のような私服姿のそらが立っていた。変装用の伊達メガネと深く被った帽子すら、彼女のオーラを隠しきれていない。
「ううん、私も今来たとこですっ! そ、そら先輩、その服……すっごく、その……綺麗です」
「ふふっ、ありがとう。マリンちゃんのそのワンピースも、すごく可愛いよ。いつもと違う雰囲気で、ドキドキしちゃうな」
そらはあっさりと甘い言葉を口にして、自然な動作でマリンの隣に並んだ。その距離感にマリンの顔がカッと熱くなる。
しかし、この初々しくも甘酸っぱい二人の空間を、少し離れた物陰から**ねっとりとした視線**で舐め回す男がいた。
三流ゴシップ誌『週刊ゲス・オンライン』の契約カメラマン、鮫島(さめじま)である。
(ヒヒッ……ビンゴだぜ。ホロライブのときのそらと宝鐘マリン。天下のトップVチューバーが、休日に二人でお忍びデートとはなぁ!)
鮫島は、望遠レンズ付きの一眼レフカメラを構えながら、下劣な笑みを浮かべた。
最近の読者は、Vチューバーのスキャンダルに飢えている。男の影があれば最高だが、同僚同士の「ただならぬ関係」も、書き方次第では極上のゴシップになる。
(あの宝鐘マリンのことだ、裏ではさぞかしエゲツない遊び方をしてるに違いねぇ! イチャイチャと過激なスキンシップをしてるところを激写して、「清純派アイドル、裏の顔は発情海賊!」って見出しでスッパ抜いてやるぜェ……!)
下世話な妄想を膨らませながら、鮫島は息を潜めて二人の尾行を開始した。
### 第十二章:水族館の純情と、狂い始めるシャッター
「わぁ……マリンちゃん、見て。あのクラゲ、すごく綺麗」
「ほ、ほんとですね……! ライトアップされてて、なんだか幻想的です〜」
薄暗いクラゲの展示エリア。青い光に照らされる水槽の前で、二人は肩を並べていた。
鮫島は展示パネルの影に隠れながら、ファインダー越しに二人を狙っていた。
(さあ来い! 暗がりだぜ? ここでボディタッチだ! 腰に手を回すとか、なんならちょっと胸の谷間を覗き込むとか、そういうゲスい展開を待ってるんだよ俺は!)
カメラを構える鮫島の手が期待で汗ばむ。しかし、ファインダー越しの二人の様子は、彼の下世話な予想を大きく裏切るものだった。
「……マリンちゃん」
「はい? ――あっ」
そらが、マリンの手にそっと自分の手を重ねた。
それだけだ。ただ指と指を絡ませる、至極単純な「手繋ぎ」。
しかし、その瞬間のマリンの反応が、異常なほど純情だった。
『……っ! そ、そら先輩……ここ、人、いますよ……!?』
『大丈夫。暗いし、みんな水槽に夢中だから。……それに、こうしてたいの。ダメ?』
『ダ、ダメじゃないですけど……! 船長、心臓が爆発しそうで……』
声までは聞こえないものの、限界まで赤くなったマリンの顔と、それを愛おしそうに見つめるそらの優しい微笑みが、レンズ越しに痛いほど伝わってくる。
(……な、なんだこの空気は!?)
鮫島は思わずカメラから目を離した。
なんだ、この圧倒的な「てぇてぇ(尊い)」空間は。
ゴシップ誌のカメラマンとして、これまで数々のドロドロとした不倫現場や、裏垢での暴言現場をパパラッチしてきた彼だが、目の前で繰り広げられているのは、中学生の初恋すら凌駕するほどの「純愛」だった。
(いやいやいや! 騙されるな俺! あの宝鐘マリンだぞ!? 配信でいつもお尻叩いたり際どいこと言ったりしてる女だぞ!? 絶対この後、もっとエグい展開になるはずだ……!)
己のゲスいプライドを奮い立たせ、鮫島は再びレンズを覗き込んだ。
### 第十三章:間接キスの破壊力と、浄化されるゲス
お昼時、二人は水族館内のオーシャンビューカフェで休憩を取ることにした。
鮫島は少し離れたテラス席に陣取り、メニューで顔を隠しながら聞き耳を立てる。
「はい、マリンちゃん。あーん」
「ええっ!? そ、そら先輩!? さすがに『あーん』は恥ずかしいですってば!」
そらが、自分が頼んだシーフードグラタンをスプーンですくい、マリンの口元に差し出している。
シャッターチャンスだ。鮫島は急いでカメラを構えた。
(ヒヒッ、来た来たァ! 百合ップルのあーん! これは「白昼堂々、カフェでイチャつく発情アイドル!」で記事が書けるぜ!)
「ほら、冷めちゃうよ? 船長、口開けて?」
「あぅ……〜〜〜っ、あ、あーん……」
マリンは顔を真っ赤にして湯気を出さんばかりの勢いで、そらのスプーンからグラタンをパクリと食べた。
「どう? 美味しい?」
「ひゃい! しゅっごく美味しいれす……!」
「ふふっ、よかった。口の端、ソースついてるよ」
そらはそう言うと、マリンの口元を指で優しく拭い、その指をペロリと自分の口で舐めた。
(……っっっっっ!!!!)
鮫島の心臓が、スキャンダルへの興奮とは全く別のベクトルで大きく跳ねた。
なんだこれは。
エロい。確かにエロい。しかし、それ以上に美しすぎる。
マリンの純粋すぎる動揺と、そらのナチュラルなスパダリ(スーパーダーリン)っぷり。この二人の関係性は、下世話な邪推を挟む余地など微塵もないほどに「完成」されていた。
(いや、待て……俺はゴシップカメラマンだぞ……。こんな、まるで恋愛映画のワンシーンみたいな写真を撮って、どうやって汚い記事を書けばいいんだ……!?)
鮫島は混乱していた。
ファインダー越しに見える二人が放つ強烈な「ピュアの波動」に、彼の中に長年蓄積されていた「ゲスい根性」が、まるで漂白剤をかけられたかのように白く浄化されていくのを感じていた。
### 第十四章:観覧車の頂上と、カメラマンの敗北
夕暮れ時。デートの締めくくりは、遊園地エリアにある巨大な観覧車だった。
二人が乗り込んだゴンドラがゆっくりと空へ上がっていくのを見届けながら、鮫島は地上から超望遠レンズを構えた。
(これが最後のチャンスだ……! 密室のゴンドラ。ここで絶対、何か決定的な「ゲスい証拠」を撮ってやる……!)
夕日に照らされるゴンドラ内。レンズの先には、向かい合わせではなく、隣同士で座る二人の姿があった。
「……今日は、すごく楽しかったです。そら先輩」
「私もだよ。マリンちゃんと一日一緒にいられて、本当に幸せだった」
ゴンドラが頂上に近づくにつれ、オレンジ色の夕日が二人の横顔を美しく染め上げていく。
そらが、マリンの頬にそっと手を添えた。
マリンは逃げることなく、その手に自分の手を重ね、瞳を潤ませてそらを見つめ返している。
(……あ)
地上からレンズを覗く鮫島は、息をするのすら忘れていた。
そらがゆっくりと顔を近づけ、マリンがそっと目を閉じる。
そして、夕日の光が一番強く差し込んだ瞬間、二人の影が一つに重なった。
それは、下世話な妄想やゴシップの入り込む隙など1ミリもない、ただただ純粋で、美しく、愛情に満ちたキスだった。
『カシャッ』
無意識のうちに、鮫島はシャッターを切っていた。
しかし、撮れたプレビュー画面を見て、彼は膝から崩れ落ちそうになった。
そこには、スキャンダル写真などではなく、世界で一番美しい「愛の記録」が映し出されていた。これを週刊誌に売って「発情アイドル」などという汚い見出しをつけることは、もはや芸術に対する冒涜に思えた。
「……負けた。俺の、完全敗北だ」
鮫島はカメラを下ろし、深く溜息をついた。
彼の胸の中にあった「二人のスキャンダルを暴いて金にしてやる」というゲスい野心は跡形もなく消え去り、代わりに「この二人の尊い関係を、誰にも邪魔させず永遠に守り抜きたい」という、厄介なオタク特有の強固な感情が芽生えていた。
「おい、編集長か」
鮫島はスマートフォンを取り出し、職場へ電話をかけた。
『おう鮫島! どうだ、ときのそらと宝鐘マリンのゲスい裏の顔は撮れたか!?』
「あー……いや、ダメでした。あいつら、ただの仲のいい先輩後輩でしたよ。水族館で魚見て帰っただけです。……ええ、ガセネタですね。この記事はナシです」
鮫島は嘘をつき、通話をブツリと切った。
そして、カメラのデータフォルダを開き、先ほど撮った「世界で一番美しいキス」の写真だけを自分のスマホにこっそり保存すると、カメラ内のデータをすべて消去した。
「……末長く、お幸せにな」
夕日を背に降りてくる観覧車に向かって、かつてゲスと呼ばれた男は、一人の熱狂的な「そらマリ」のファンとして深々と頭を下げた。
### 第十五章:終わらない甘い時間
観覧車から降りてきた二人は、もちろん自分たちが一人の男の人生(と性癖)を狂わせたことなど知る由もなかった。
「……っ〜〜〜、そ、そら先輩のバカ! あんな明るいところで、もし下から見られてたらどうするんですか!」
「ふふっ、大丈夫だよ。あんな高いところ、誰も見てないって」
真っ赤な顔でポカポカとそらの腕を叩くマリンの顔は、怒っているというよりは完全に照れ隠しだった。そらはその手を優しく捕まえると、チュッと指先にキスを落とす。
「ひゃっ!?」
「それに、もし見られてたとしても……私は平気だよ。マリンちゃんが私のものだって、世界中に自慢したいくらいだもん」
「〜〜〜っ! もう、本当に敵いません……!」
両手で顔を覆い隠すマリンを、そらは愛おしそうに抱き寄せた。
すっかり日の落ちた遊園地の帰り道。繋いだ手から伝わる温もりは、朝の待ち合わせの時よりもずっとずっと熱く、確かなものになっていた。
ゲスい尾行者すらも浄化してしまうほどの、二人の圧倒的で甘い純愛。
彼女たちの秘密の航海は、これからも誰にも邪魔されることなく、甘く、そしてどこまでも深く続いていくのだった。