### 第三十五章:やかまし娘の終演後と、油断大敵の海賊
ホロライブのスタジオにある、広々としたラウンジ。
つい先ほどまで行われていた、宝鐘マリン、白銀ノエル、雪花ラミィ、戌神ころねの4人による「やかまし娘」コラボ配信が終わり、オフの空気が流れ始めていた。
「あーっ! 疲れたぁ! ころね先輩、最後の最後で裏切るなんてひどいですよぉ!」
「へへへ〜! 勝負の世界は非情なんだぞぉ! マリン、まだまだ詰めが甘いな!」
「いやー、でも今日もめちゃくちゃ笑ったねぇ。腹筋痛いよぉ」
「本当ですね。船長のあの叫び声、鼓膜破れるかと思いました」
ゲーム配信の熱気冷めやらぬまま、4人はソファに身を投げ出し、それぞれが持参したお菓子や飲み物をつまみながら世間話に花を咲かせていた。
(ふぅ……安心する……)
マリンは、スポーツドリンクをストローで啜りながら、内心で深く息を吐き出していた。
ここ最近のホロライブ内は、マリンにとって「地雷原」そのものだった。
みこ、フブキ、すいせい、ぺこら、そして目の前にいるノエルとラミィ。彼女たち『そらマリ観測委員会』のメンバーは、マリンがときのそらと付き合っていることを完全に把握しており、隙あらばその話題でマリンをイジって楽しもうとしてくる。
しかし、今日のコラボ相手である戌神ころねは違う。
ころねは、良くも悪くも我が道を往くマイペースな犬である。他人の恋愛事情になど微塵も興味がなく、誰と誰が付き合っていようが「ふーん、そうなんだー。で、このゲームやらない?」で済ませるようなタイプだ。
マリンは確信していた。ころね先輩だけは、絶対に私の秘密(そら先輩との関係)に気づいていないし、気づくはずがない、と。
(ノエル団長とラミィにはバレてるけど、この二人はころね先輩の前ではあえてその話題を出さないはず。つまり、今の私は完全に安全地帯にいる……!)
マリンはすっかり気を抜き、ソファの背もたれにぐでーっと寄りかかった。
しかし、彼女は忘れていた。
戌神ころねという存在が、時に常人の理解を凌駕する【 野性の直感 】と【 鋭すぎる観察眼 】を持っているということを。
### 第三十六章:名犬の嗅覚と、冷や汗の二人
「……ん? あれ?」
ころねが、ふとポテトチップスを食べる手を止め、クンクンと鼻を鳴らした。
そして、じりじりとマリンの方へと近づいてくる。
「え、なんですかころね先輩。船長の顔に何かついてます?」
「……スンスン。……スンスンスンスン」
「ひゃっ!? ちょ、近いです! 匂い嗅がないでください!」
ころねはマリンの首筋から肩のあたりに鼻を近づけ、猟犬のように匂いを嗅ぎまわった。
そして、パッと顔を上げ、無邪気な笑顔でこう言い放った。
「マリン、今日なんか『そら先輩』の匂いがするぞ!」
「——ッッッ!?!?!?!!」
マリンの心臓が、肋骨を突き破りそうなほどの勢いで跳ね上がった。
同時に、向かいの席でコーヒーを飲んでいたノエルが「ブフォッ!」と吹き出しそうになり、ラミィは持っていたクッキーをボキッと真っ二つにへし折った。
(き、きききき来たァァァァァ!!!)
ノエルとラミィは、目配せで激しくSOSのサインを交わし合った。
ころねは何も知らない。何も知らないからこそ、悪気なく、そして恐ろしいほどの精度で急所を突いてくるのだ。
「そそそそそ、そら先輩の匂い!? な、何をバカなことを言ってるんですかころね先輩! そら先輩の匂いなんて、するわけないじゃないですかぁ! アハハハハ!」
マリンは、両手をバタバタと振って不自然極まりない高笑いを上げた。
「えー? 本当かぁ? ころねの鼻は誤魔化せないぞ! この、ちょっと甘くてお花みたいな、高級そうな石鹸の匂い! 絶対そら先輩の匂いだぞ! ころね、この前そら先輩とすれ違った時に同じ匂いしたもん!」
「そ、それは……! そら先輩が使ってるのと同じ柔軟剤を買ったからです! そう! 憧れのそら大先輩に少しでも近づきたくて、同じものを買ったんですぅ!」
「ふぅーん? そっかー。マリン、そら先輩のこと大好きだもんな!」
ころねはアッサリと納得し、再びポテトチップスに手を伸ばした。
(あ、危なかった……!)
マリンは滝のように流れる冷や汗を拭った。ノエルとラミィも、寿命が5年ほど縮んだ顔で胸を撫で下ろしている。
(実際は柔軟剤なんてレベルじゃなくて、昨日の夜からそら先輩の家に泊まって、同じベッドで寝て、そら先輩の服を借りてきたから匂いが染み付いてるだけなんだけど……!!)
事実を知るノエルとラミィは、マリンの必死の言い訳を心の中で補足しながら、ただただこの場が平穏に過ぎ去ることを祈っていた。
### 第三十七章:パック(群れ)の力学と、絶対服従のポーズ
しかし、ころねの無自覚な爆撃はこれで終わらなかった。
「でもさー、マリンって本当にそら先輩の前だと別人みたいになるよな!」
ころねが、ゲームのコントローラーを弄りながらケラケラと笑う。
「別人、ですか……?」
マリンが引きつった笑顔で聞き返す。
「そうそう! なんていうかさ、マリンって普段は強気じゃん? ころねたちにも『船長は〜!』って偉そうにしてるし、セクハラおじさんだし!」
「偉そうって酷くないですか!?」
「でもさー、そら先輩が近くにいる時のマリン、完全に『服従のポーズ』取ってるもんな! 犬で言ったら、すぐにお腹見せてキャンキャン言ってる感じ! あれ、すっごい面白いぞ!」
「ふ、服従のポーズ……!?」
マリンは自分の顔がカッと熱くなるのを感じた。
「そう! なんていうか、そら先輩が『アルファ(群れのボス)』で、マリンが一番下っ端の『オメガ』みたいな! そら先輩がちょっと微笑んだだけで、マリン、尻尾ちぎれるくらい振ってるのが目に見えるもん! ころね、いつも『マリン、完全に手懐けられてるなぁ〜』って思って見てるぞ!」
(((ヒィィィィィィィィ!!!!)))
ノエルとラミィの内心の悲鳴がハモった。
ころねの野生の勘、恐ろしすぎる。彼女は「恋愛」という概念フィルターを通さずに、純粋な「群れの力学(マウントの取り合い)」として、そらとマリンの圧倒的な主従関係(スパダリとメロメロ彼女)を完璧に言語化してしまったのだ。
「て、手懐けられてなんか……! 船長はただ、偉大なる先輩に対して深い敬意を払っているだけで……っ!」
「えー? そうかぁ? こないだ全体収録の時なんて、そら先輩に頭撫でられて、マリン、完全に溶けた顔してたぞ? あれはもう『飼い犬』の顔だったぞ!」
「ころね先輩、やめてぇぇぇ! もう船長のライフはゼロよぉぉぉ!」
マリンはソファに突っ伏し、両手で耳を塞いだ。これ以上、自覚している恥ずかしい部分を言語化されたら精神が崩壊してしまう。
「あれ〜? マリンどうしたの? 照れてるの? まぁいいじゃん、そら先輩優しいし、マリンが懐くのもわかるぞー」
ころねは、マリンのパニックを「図星を突かれて照れている」程度にしか受け取っておらず、無邪気に笑っている。
ノエルとラミィは、死体となったマリンを見下ろしながら、
(そりゃあね……毎晩のようにあんなことやこんなことされてたら、アルファにもなりますよ……)
(古参リスナーの私から見ても、最近の船長のそら先輩への従順さは異常よ……完全に骨抜きだわ……)
と、声に出せない感情を必死に押し殺していた。
### 第三十八章:無自覚なトドメの超絶爆弾
「あ、そういえばさ!」
ころねが、何かを思い出したようにポンと手を叩いた。
マリンがビクッと肩を震わせ、ノエルとラミィは身構えた。
「な、なんですか、今度は……」
「昨日、事務所でそら先輩に会ったんだけどさー。そら先輩、スマホでなんかニヤニヤしながら写真見てたんだよ」
「……写真?」
マリンの顔から、再びスッと血の気が引いた。
「そうそう。ころねが『何見てるのー?』って後ろから覗き込んだらさー……マリンの寝顔の写真だったんだぞ!」
「——ッッッ!?!?!?」
マリンがガバッと顔を上げた。
「しかもさ! ただの寝顔じゃなくて、誰かの膝枕で寝てる写真! そら先輩、『この無防備な顔、世界で一番可愛いと思わない? ころねちゃんには特別に見せてあげるね』って、すっごいドヤ顔で見せてきたんだぞ!」
「あ、あああ、あああああああ!!!!」
マリンは頭を抱えてソファの上を転げ回り始めた。
ノエルとラミィは、あまりの衝撃に言葉を失った。
(そら先輩……! 相手が恋愛事情に疎いころね先輩だからって、ここぞとばかりに惚気(マウント)かましてる!?)
(恐ろしい……! 女神の独占欲、ついに『匂わせ』の枠を超えて物理的証拠を見せびらかすフェーズに入ってる……!)
「でさー、ころね思ったんだけど! マリン、そら先輩の家でお泊まり会したの!?」
ころねが、目をキラキラさせてマリンに身を乗り出した。
「お、お泊まり会……!? い、いや、あれは! 違うんです! 仕事で疲れてて、たまたま控え室で寝落ちしちゃって……!」
「嘘だぁ! あの写真、どう見ても背景が控え室じゃなかったぞ! ちゃんと間接照明がある、いい匂いのしそうな部屋だったぞ!」
「ころね先輩の観察眼がエグい!!」
マリンはついに白旗を揚げ、ソファにぐったりと沈み込んだ。
もうダメだ。戌神ころねには敵わない。彼女の悪意のない純粋な刃は、海賊の張りぼての盾などいとも容易く切り裂いてしまう。
「いいなー! そら先輩のお家でお泊まり会! ころねも今度おかゆ誘って、そら先輩の家でお泊まり会したいなぁ! マリン、今度そら先輩に頼んでよ!」
「…………えっ?」
絶望の淵にいたマリンは、ころねのその言葉にパチリと瞬きをした。
ノエルとラミィも「……ん?」と顔を見合わせた。
「そら先輩の家で……おかゆ先輩と、お泊まり会?」
「そう! お泊まり会して、みんなで膝枕し合うの! マリンとそら先輩みたいに、仲良し親友ごっこするんだぞー!」
ころねは、満面の笑みでそう言った。
その屈託のない笑顔には、「恋愛」や「交際」といった裏の意味など1ミリも含まれていなかった。
戌神ころねの頭の中では、
『そら先輩がマリンの寝顔を自慢する』=『二人はめちゃくちゃ仲良しの親友(ベストフレンド)』
という、信じられないほどピュアな変換が行われていたのである。
### 第三十九章:奇跡のすれ違いと、神への祈り
「……ころね先輩は……」
マリンが、震える声で呟いた。
「んー?」
「私とそら先輩が……ただの、すっごく仲のいい友達(親友)だと……思ってるんですか……?」
「当たり前だろー? そら先輩がマリンのこと大好きで、マリンもそら先輩に懐いてる! まるでころねとおかゆみたいな、最強の仲良しコンビだぞ! 違うの?」
ころねが不思議そうに首を傾げる。
その瞬間。
マリン、ノエル、ラミィの三人の心の中に、言葉にならない「脱力感」が押し寄せた。
(……この人、本当に何も気づいてない……!!)
(あれだけの決定的証拠を見ておきながら、すべて『親友の延長線上』として処理しちゃったよ!?)
(戌神ころねの純真無垢フィルター、恐るべし……!)
「ち、違わないですぅぅぅ!! そうです! 私とそら先輩は、最強の仲良しベストフレンドなんですぅぅぅ!!」
マリンは、藁にもすがる思いでころねの解釈に全乗っかりした。
「だろー? だから、今度ころねとおかゆも混ぜて、4人で仲良し膝枕パーティーしような!」
「は、はいぃぃ! ぜひぃぃ!」
(そら先輩の神聖なベッドルームに他の女を入れたら、私、そら先輩に本気で怒られる(お仕置きされる)気がするけど、今はもう話を合わせるしかない……!)
マリンは半泣きになりながら、ころねと固く握手を交わした。
「よしっ! じゃあころね、おかゆにLINEしてくるわ! おつころね〜!」
ころねは満足そうに笑うと、機嫌よく鼻歌を歌いながらラウンジを去っていった。嵐のように現れ、嵐のように去っていく犬であった。
バタン、とドアが閉まった瞬間。
マリンは糸が切れたように床に崩れ落ちた。
「……死ぬかと思った……」
「お疲れ、マリンちゃん……。私たちも心臓止まるかと思ったよ……」
ノエルが、マリンの背中を優しくさする。
「でも、結果オーライじゃない? ころね先輩には完全に『親友』ってことで誤魔化せたし」
ラミィが慰めるように言うが、マリンは絶望的な顔で首を振った。
「誤魔化せたのはころね先輩だけだよ……! 考えみてよ! そら先輩、裏でころね先輩に私の寝顔写真を見せびらかしてたんだよ!? 他のメンバーにも見せてる可能性大じゃない!!」
「あ……」
ノエルとラミィが同時に顔を引きつらせた。
「隠す気がない……! あの人、私が必死に隠蔽工作してるのを特等席で眺めながら、裏では『私のマリンちゃん』アピールを全方位にぶっ放してるんだ……! もうやだぁぁぁ! そら大先輩の愛が重すぎるぅぅぅ!」
床に突っ伏してジタバタと暴れる海賊の姿は、まさにころねが言った通りの「ご主人様に手懐けられ、降参してお腹を見せている犬」そのものだった。
「……アーメン」
「……南無阿弥陀仏」
ノエルとラミィは、圧倒的なスパダリ力でホロライブを裏から支配しつつある女神の姿を想像し、そっと手を合わせてマリンの平穏(と貞操)を祈るしかなかった。
秘密を隠したいポンコツ海賊と、周囲にマウントを取りまくる無敵の女神。
そして、それに振り回される観測者たち。
ホロライブの裏側で繰り広げられる奇妙な生態系は、一部の鈍感なメンバー(ころね)の存在という奇跡のバランスを保ちながら、今日もてぇてぇと混沌を量産し続けているのであった。