学園生活を満喫したいだけのモブ(チート)   作:ハスバル

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第11.5章:司祭の執務室、あるいは観測された異分子

ガルグ=マク大修道院の最上階。大司教の執務室は、夕暮れの残光がステンドグラスを透過し、床一面に血のような深い赤と、厳かな紫の影を落としていた。

 

大図書館の騒がしさとは完全に隔絶されたその静寂の中、部屋の主である大司教レアは、机の前に立ち、窓の外に広がるガルグ=マクの街並みを静かに見つめていた。

その横顔は聖母のように穏やかでありながら、近づく者を拒むような絶対的な神聖さを纏っている。

トントン、と規則正しいノックの音が静寂を破った。

 

「大司教、セテスです。定例の報告に参りました」

 

「入りなさい、セテス」

 

レアが静かに振り返る。入室してきたセテスは、いつものように厳格な法衣に身を包み、その手には数枚の羊皮紙――先ほどマイルズが神速で書き上げた、古代典礼書の翻訳本をしっかりと抱えていた。

 

セテスはレアの正面まで進むと、深く一礼し、一切の私情を挟まない公人としての声で報告を始めた。

 

「まず、昨日市場にて発生した『由来不明の古代遺物』の暴走劇についてです。騎士団の調査により、あの鉄の造形物は、我々セイロス聖教会の記録、あるいはフォドラのどの国の歴史にも存在しない、極めて異質な術式によって駆動していたことが判明しました。

……おそらくは、地底の闇に潜む者たちの残滓かと」

 

「……やはり、そうなのですね」

 

レアの慈愛に満ちた瞳の奥に、一瞬だけ、冷徹な炎のような鋭さが宿った。

 

「ですが、事態はすでに収束しております」

セテスは言葉を続け、手元の羊皮紙を机の上に厳かに置いた。

「騎士団が動く前に、術式が完全に『解体』され、魔力の暴走が停止したためです。これを行ったのは、金鹿の学級に籍を置く、マイルズという名の平民の生徒です」

 

「平民の、生徒……?」

レアが微かに眉を動かした。

 

「はい。それだけではありません。先ほど、滞っていた古代典礼書の翻訳作業の現場に彼を立ち合わせたのですが……」

セテスは、めくった羊皮紙の文字をレアに提示した。

 

「彼がこれらを翻訳するのに要した時間は、わずか1時間足らず。熟練の司書が何年も頭を抱えていた複雑怪奇な神聖文字を、まるで最初から現代語で書かれていたかのように、本をめくる速度と同じ速さで完璧に書き起こしてみせました。

その場に居合わせた青獅子の級長ディミトリ、黒鷲のリンハルト、金鹿のリシテアらも、彼のその超人的な能力を目の当たりにしています」

 

レアは机の上の羊皮紙を手に取り、そこに並ぶ寸分の乱れもない美しい公式書体(フォント)の列を見つめた。翻訳の正確さ、そしてこれが「1時間で書かれた」という事実。大司教の顔から、徐々に笑みが消えていく。

 

「……セテス。この少年は、十傑の紋章、あるいは『力』を持っているのですか?」

 

「いえ。紋章官の検査によれば、彼にはいかなる紋章の兆候もありません。魔力回路の規模そのものも、ごく一般的な平民のそれです。だからこそ、不気味なのです」

セテスは腕を組んで、硬い声で言った。

 

「紋章の力に頼らず、地底の不気味な古代技術を瞬時に解体し、教会が秘匿してきた古代の叡智を、呼吸をするように紐解いてみせる。

……マイルズという少年、その背後にある知識の底流は、フォドラのパワーバランスすら揺るがしかねない危険性を孕んでいます。あるいは、どこかの勢力が送り込んできた、高度な訓練を受けた工作員である可能性も否定できません」

 

セテスとしては、愛する妹(フレン)が暮らすこの大修道院に、正体不明の「何でもありの規格外」が存在していること自体が、胃の痛むリスクでしかなかった。

しかし、レアはその羊皮紙を愛おしそうに指先でなぞると、ふっと、再び穏やかな笑みを浮かべた。

 

「工作員、ですか。……いいえ、セテス。もし彼がどこかの勢力の息がかかった者なら、もっと自身の能力を隠し、闇に紛れようとするはずです。これほど周囲の目を惹くような目立つ真似はしないでしょう」

 

「それは……確かにそうですが。現に彼は、自分の能力が露見するたびに『俺はただの運が良いだけのモブ(背景)です』と、酷く狼狽しながら言い訳をしておるようです」

 

「ふふ……面白い子ですね」

レアは窓の外、生徒たちが暮らす宿舎の灯りへと視線を向けた。

 

「紋章を持たぬ平民でありながら、世界の理の枠組みを軽々と飛び越えてみせる異分子。神祖の御加護か、あるいは……。

いずれにせよ、彼がその力を教会への敵対に使わない限り、私たちは彼を温かく見守り、導くべきです」

 

「大司教、しかし……」

 

「構いません、セテス。彼を警戒し、縛り付けるのではなく、ガルグ=マクの生徒として、クロードたちと共にフォドラの未来を学ばせるのです。……それに、ディミトリや級長たちが彼を求めているのでしょう? 若者たちが互いに競い、高め合うのは、とても素晴らしいことです」

 

「はぁ……。

大司教がそうおっしゃるのであれば、これ以上の詮索は控え、私も職務の範囲内でのみ彼を注視することにいたします」

セテスは深くため息をついた。レアがこうなると、もう意見を翻さないことは分かっている。

 

何より、あのマイルズという少年は、今日、セテスが提示した「課題の免除」という目先の餌に釣られて、あっさりと自分の能力をフル出力で晒してしまったのだ。国家を転覆させる陰謀を持った悪党にしては、あまりにも間抜けで、あまりにも俗っぽかった。

 

「……では、本日の報告は以上です。失礼いたします」

セテスが礼をして執務室を退室していく。

 

一人残されたレアは、マイルズが残した神速の翻訳文をもう一度見つめ、静かに呟いた。

 

「マイルズ……。あなたがこのフォドラに、どのような風を吹き込むのか……楽しみにしていますよ」

 

大司教のその言葉が、明日からさらに苛烈になるであろう「金鹿の包囲網」と、マイルズの胃壁崩壊を加速させる決定打になることを、この時のマイルズはまだ知る由もなかった。

 




流石にこれはレア様に報告されないと色々歴史がおかしくなりそうなので書きました。
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