学園生活を満喫したいだけのモブ(チート)   作:ハスバル

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第15章:百花繚乱の合同魔道講義

士官学校の生活が始まってまだ間もない五月の終わり。ガルグ=マク大修道院を包む空気は、初夏の気配を孕んで僅かに汗ばむようになっていた。

入学以来、目立たず、騒がず、便利な背景(モブ)として平穏にフォドラの戦乱を生き延びるという俺――マイルズ

のライフプランは、早くも暗雲が立ち込めつつあった。

 

今日の午後は、黒鷲、青獅子、そして我が金鹿の三学級が合同で行う『合同魔道・戦術基礎講義』が予定されている。大規模な演習だ。

 

我が金鹿の担任であるベレス先生は、前世が凄腕の傭兵だったらしいが、今のところ俺のことは

「ちょっと気が利いて、雑用をテキパキこなす大人しい生徒」

程度にしか思っていない。

……はずだ。先生の目が時々、獲物を観察するそれに見えるのは、きっと俺の気のせいだろう。

 

「よし……。午後の合同授業は長丁場になるし、今のうちにしっかり腹ごしらえをしておかねえとな」

 

昼休み。俺は大修道院の広大な食堂の片隅にある、普段は予備として使われている小さな「第二厨房」にいた。

食堂の正規のメニューは芋や干し肉ばかりで少々味気ない。そこで俺は、実家から送られてきた乾物や、裏山でこっそり採集した野草を使い、厨房の片隅を借りて自分用の昼食を手早く作っていた。

 

ピコン。

 

俺の頭の中で、誰も知らないシステム音声が鳴り響く。

【家事万能・調理技術:S(潜在)】

【限界突破:常時発動】

(誰も見てないな……? よし、神速の下ごしらえだ!)

 

シュババババババババババババババッ!!!!!

俺の右手が残像を残す速度で動き出す。

 

支給品の硬いパンをコンマ数ミリの厚さで均等にスライスし、大蒜の断面を鉄鍋に滑らせて香りを移す。さらに、地元の猟師から安く分けてもらった猪の端肉を【調理技術:S】の魔技で一瞬にして叩き、特製のスパイスと和えて肉汁を閉じ込めた即席の「ガレット風ミートパイ」を焼き上げていく。

厨房に、バターと肉汁、出来立てのハーブの暴力的とも言える芳醇な香りが立ち込めた、その時だった。

 

「――っ!? 待って、アネット、シルヴァン。私は確かに、この奥から素晴らしい香気を感じました。

……絶対に、何か美味しいものがあるはずですよ!」

 

ガラッと勢いよく厨房の扉が開いた。

 

現れたのは、凛とした美しい顔立ちに長い金髪をポニーテールに結わえた、青獅子の学級の生徒――

イングリット=ブランドル=ガラテアだった。

 

その背後には、小柄な体をひょこひょこと動かすアネットと、赤髪を軽薄に揺らすシルヴァンが呆れた顔で続いている。

 

「もう、イングリットってば! 廊下を急に猛ダッシュするからびっくりしちゃったじゃん!」

 

「まったく……飯のことになると、ディミトリより突進力あるんじゃねえの、イングリットはさ。……お、先客?」

シルヴァンが、調理台の前で固まっている俺に気づいて、ニヤリと片眉を上げた。

 

「あ、金鹿のマイルズくんだ! 先日のお茶会の時は、美味しいお菓子の準備を手伝ってくれてありがとね!」

アネットが、以前お茶会で知り合った時のことを思い出して、人懐っこい笑顔で手を振ってくれる。

 

「あ、ええ。その節はどうも、アネットさん。……ええと、そちらのお二人は?」

俺が尋ねると、真っ直ぐにこちらを見つめていた金髪の少女が、ハッと我に返ったように姿勢を正した。

 

「あ、失礼いたしました。私は青獅子の学級のイングリット=ブランドル=ガラテアです。美味しそうな香りに誘われて、つい不躾に飛び込んでしまいました。驚かせてしまってすみません」

イングリットは少し恥ずかしそうに、しかし騎士らしく凛とした礼儀正しい態度で一礼した。

 

「俺はシルヴァン=ジョゼ=ゴーティエ。

よろしくね、マイルズくん。アネットから君の噂は聞いてたよ。

お茶会の準備で、すっげえ気の利く奴がいるってさ」

シルヴァンがひらひらと手を振り、気さくに笑いかけてくる。

 

「どうも、金鹿のマイルズです。ちょっと厨房を借りて、自分のお昼を作ってたところなんですよ」

俺は全力で「ただの料理好きのモブ」を装い、一礼した。

 

しかし、イングリットの目はすでに俺の自己紹介など聞いていなかった。彼女の鋭い視線は、鉄板の上できつね色に焼け残り、パチパチと音を立てているガレット風ミートパイへと完全にロックオンされていた。ゴクリ、と彼女の美しい喉が鳴るのが、静かな厨房に響く。

 

「ま、マイルズくん。……その、鉄板の上にある黄金色の食べ物は……何でしょうか? 非常に、その……芳しき香りがするのですが」

 

「ああ、これですか? 猪の端肉と残り物の野菜を包んで焼いた、ただの味見用の試作品ですよ。もしよければ、皆さんでひとくちずつ食べますか?」

ここで断って騎士の恨みを買うのはモブとして悪手だ。俺は生存戦略として、ナイフで三等分に切り分けたパイを、小皿に乗せて差し出した。

 

「な、何と……! では、ありがたくいただきます」

イングリットは「他学級の生徒の施しを無闇に……」と頭で考えつつも、手が本能的に動いてパイを取り、思い切り口へと放り込んだ。アネットとシルヴァンも、つられるようにして口へ運ぶ。

 

サクッ。

 

「――ッ!?!?!?」

 

次の瞬間、厨房にいた青獅子の3人組が、まるで同時に落雷を受けたかのように激しく硬直した。

イングリットのポニーテールがピンと跳ね上がり、その美しい瞳から、感動のあまりじわっと涙が溢れ出してきた。

 

「な、何ですかこれは……!

歯を入れた瞬間の、この軽やかな食感……!

そして溢れ出す肉汁の、圧倒的な旨味……!

我がガラテア領の、あの貧しい冷害の地では絶対に味わえない、素晴らしい美味しさですわ……!!

美味い、美味すぎます、マイルズくん!!」

 

「わわわ、何これーっ!?」

アネットが頭を抱えて、その場でぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。

 

「お肉が口の中でとろけて、スパイスの香りが鼻からドカーンって抜けていくよ! マイルズくん、お茶会の時のお菓子も凄かったけど、料理はもっと頭の中で美味しい小人たちがダンスを踊り始めるレベルだよ~っ!」

 

「……へえ、嘘だろ?」

シルヴァンが、目を見開いてパイの断面を見つめている。

 

「この猪肉、普通なら泥臭くて硬いはずだぜ? なんでこんなに柔らかくてジューシーなわけ? マイルズくんさ、君、どこの宮廷料理人の隠し子? 帝国や同盟のどんな高級店の料理より、これ、遥かに洗練されてんじゃん……」

 

「あはは、ただの田舎の家庭料理ですよ……」

俺は冷や汗を流しながら苦笑いした。

 

「マイルズくん!」

イングリットが、俺の両手をガシッと掴んできた。その目は、戦場に赴く騎士のような、凄まじい真剣味を帯びている。

 

「我がガラテア家は貧しいですが、君のような、食を大切にする優秀な人材を心から求めています。どうでしょうか、我が青獅子の学級へ転籍し、我が家の専属料理人、いえ、騎士になってはいただけないでしょうか!? 毎日の食事を君が作ってくれるなら、私は生涯、君のために盾となりますわ!」

 

「ちょっとイングリット、抜け駆けはずるいってー」

 

シルヴァンがニヤニヤしながら、俺の肩に腕を回してきた。

「マイルズくん、青獅子に来るなら俺の部屋使いなよ。可愛い女の子口説くより、君の料理食べてる方がよっぽど幸せになれそうだわ。あ、でも君、この腕前あったら、女の子なんて百発百中でイチコロだろ?」

 

「もう、シルヴァンは不純なんだから!」

アネットがぷんぷんと怒りながら、俺の前に割り込んできた。

 

「マイルズくん、お茶会の時の続きのお菓子の研究もしたいから、私の実家にも来てほしいな!」

 

(アアアアアア!! もう嫌だ! 料理一つ作っただけで、なんで青獅子の主力メンバーにこんなに迫られてんだよ俺は! モブの平穏な昼休みを返せ!!)

俺は、青獅子の3人組の熱烈な勧誘(というか食欲の包囲網)に冷や汗を流しながら、なんとか昼休み終了の鐘が鳴るまで耐え忍ぶのだった。

 

 

キーン, コーン……。

昼休みの終わりを告げる大修道院の鐘の音が響き渡り、俺は命からがら中央校舎の一階にある「第一実技演習場」へと滑り込んだ。

いよいよ、午後の『合同魔道・戦術基礎講義』の開始だ。

 

「はぁ……。午後からの授業、何事もなく後ろの席で寝て過ごせますように……」

 

俺が演習場の隅で盛大な溜息を吐き出していると、

「マイルズくん。

……昼下がりの神聖な演習場で、ずいぶんと

陰気な溜息を吐いているのだね」

背後から、ツンとすました、しかしどこか気取った声が聞こえた。

 

振り返ると、美しい紫の髪を完璧に整えたローレンツ=フォン=グロスタールが立っていた。

「あ、ローレンツくん。いや、ちょっと昼休みに一仕事ありましてね……」

 

「だが、今日の午後の講義は各学級の魔道習得者が集う大規模な演習だ。我が金鹿の学級の優雅さを、他学級に見せつける絶好の機会。

君も背景として、しっかり僕の活躍を目に焼き付けるといい」

 

「はいはい、期待してますよ」

俺が適当に受け流していると、演習場の大きな鉄扉がギギギ……と音を立てて開き、生徒たちが続々と入場してきた。

 

「あら、金鹿の『手際のいい雑用係』がもう来ているのね」

凛とした気品を孕んだ声。黒鷲の学級の級長、エーデルガルトが、影の如きヒューベルトを伴って現れた。彼女は俺の姿を見ると、フッと紫の瞳を細めた。

 

「マイルズ、先日の教壇の準備の手際、見事だったわ。今日の演習でも、あなたの無駄のない動きを期待しているわよ」

 

「あはは、ただのモブですから、過度な期待は勘弁してください!」

 

俺は全力でやる気のない背景をアピールした。

すると、その横から、先ほど厨房で俺をハントしようとした青獅子の3人組――イングリット、アネット、シルヴァンが、級長のディミトリを伴って入場してきた。

 

「あ! マイルズくん!!」

イングリットが俺の姿を見つけた瞬間、その美しい目をキラキラと輝かせ、ディミトリを置いてこちらへ直進してきた。

 

「マイルズくん、先ほどは素晴らしい味見をありがとうございました! 午後の授業でお腹が空いたら、またいつでも君の『試作品』の相談に乗りますわ!」

 

「マイルズくーん! 先日のお茶会に続いて、午後の呪文の実演も頑張るから見ててねー!」

 

「よっ、未来の宮廷料理人。午後の演習が終わったら、またじっくり転籍の話をしような?」

3人が親しげに俺に声をかけていく。

 

「……? イングリット、アネット、シルヴァン。君たち、金鹿のマイルズくんとそんなに親しかったか?」

ディミトリが本気で不思議そうに首を傾げ、俺の肩をガシッと掴んだ。彼の生まれ持った【怪力】のせいで、俺の鎖骨がミシミシと悲鳴を上げる。

 

「痛い痛い痛い! ディミトリくん、手が、手の圧力が凄いです!」

 

「あ、す、すまない! つい加減を忘れてしまった……」

(ゲェーッ! 昼食の一件のせいで、青獅子の上層部にまでガッツリ顔を覚えられてるじゃねえか!!)

 

「そこまでにしようか、他学級の皆さん?」

冷徹なまでに静かで、どこか抑揚のない、しかし鈴の鳴るように美しい女性の声が、演習場全体を支配した。

 

我が金鹿の学級の担任――ベレス先生が

ゆっくりと教壇へと歩を進めてきた。

今日の彼女は、前髪を軽く上げ、動きやすい細身のタイツに包まれたその美しい脚を堂々と見せつけながら、教壇の前に立った。

まだ俺のバグ能力のことは何も知らない彼女だが、担任としてのプライドはあるらしい。

 

「講義の時間。……各自、自分の学級の席につきなさい。マイルズ、あなたは私の隣へ。今日の授業の『魔力測定』のスコア記録を任せる。……あなたの手際は、文字が綺麗で、速いから」

 

「了解です、先生!」

 

俺は他学級の怪物たちの視線から逃れるように、神速の速度でベレス先生の背後に隠れた。

ベレス先生の後ろ姿、特に引き締まった腰のラインから伸びるタイツ姿の脚が、至近距離で目に入り、俺の心臓は恐怖とドギマギのダブルパンチで激しく脈打ち始めるのだった。

 

 

 

「それでは、合同魔道講義を始める。……目的は、個人の魔導出力の正確な把握と、実戦における発動速度の限界を知ること」

 

ベレス先生が教壇の前に立ち、抑揚のない声で説明を始める。彼女の隣には、黒鷲の担任であるハンネマン先生と、青獅子の担任であるマヌエラ先生も並んでいた。

 

「まずは、各学級の代表による、魔力測定のデモンストレーションを行う。……黒鷲からはヒューベルト。青獅子からはアネット。金鹿からはリシテア。……前に出なさい」

 

「ふむ……、我が闇の魔道、士官学校の生徒たちの良い刺激になれば良いのですがな」

ヒューベルトが不気味に笑いながら、学校支給の訓練杖を手に取った。

 

「はい! 先ほどマイルズくんの美味しいパイを食べて、元気百倍です! ドカーンと一発、お見せしますね!」

アネットが、小さな体を弾ませて、元気いっぱいに杖を構える。

 

「フン……。昼休みに他学級の連中とこそこそ油を売っていた誰かさん(マイルズ)はともかく、私が『子供ではない』ということ、我が金鹿の魔道の質の高さを、ここで証明してみせます」

リシテアが、なぜか俺を鋭くギロリと睨みつけながら、強気の笑みを浮かべて教壇の前に立った。

 

(いや、俺は別に油を売ってたわけじゃなくて、胃袋を襲撃されてただけなんだけど!?)

 

演習場の中央には、魔力の衝撃を吸収し、その出力を数値化する巨大な「魔力測定水晶」が設置されている。

 

「では、黒鷲のヒューベルトから。……始めなさい」

ベレス先生の合図と共に、ヒューベルトが杖を掲げた。

 

「『ドーラ』」

ヒューベルトの口から放たれたドスの効いた詠唱と共に、演習場の空気が一瞬にして禍々しい紫色の魔力に染まった。彼の掲げた訓練杖の先端から、巨大な闇の矢が放たれ、猛烈な速度で測定水晶へと着弾した。

 

ズドォォォォォン!!!!!

 

凄まじい衝撃波が走り、水晶に「出力を示す光」が灯る。

 

「出力数値:420! 素晴らしいわ、ヒューベルトくん!」

マヌエラ先生が歓声を上げる。生徒たちからも「おお……!」というどよめきが漏れた。

 

「次は、青獅子のアネット。……行きなさい」

 

「はいっ! ――風よ、集え! 悪しきものを吹き飛ばせー! 『ウィンド』!」

 

アネットが可愛らしい声で叫び、杖を思い切り振り下ろした。

その瞬間、先ほどの「ガレット風ミートパイ」のエネルギーが完全に乗ったのか、彼女の小さな体からは想像もつかないほどの、猛烈な暴風の刃が形成され、水晶を直撃した。

ゴオォォォォォっ!!!!!

 

「出力数値:410!? すごいわアネットちゃん、いつも以上の出力よ!」

ハンネマン先生が眼鏡を光らせて記録する。

アネットは「えへへ、美味しいものを食べたおかげです!」と、嬉そうに俺の方を見てパタパタと手を振った。

それを見たリシテアの眉間が、さらに深く険しくなる。

 

「最後は、金鹿のリシテア。……始めなさい」

ベレス先生の声に、リシテアは静かに一歩前に出た。彼女は白銀の髪を揺らし、紫の瞳を限界まで鋭く引き締めると、手にした訓練杖を静かに水晶へと向けた。

 

彼女が魔力を練り始めた瞬間。

 

演習場全体の空気が、これまでの二人とは明らかに違う、肌がピリピリと痺れるような「絶対的な魔圧」に支配された。

(……おいおい、リシテアさん、初手から本気すぎるだろ。いくら負けず嫌いだからって、ただの測定であの魔法を使う気か!?)

 

俺が冷や汗を流しながら見守る中、リシテアの唇が神速の速度で術式を紡ぎ出した。

「――理(ことわり)の果て、光の届かぬ深淵の底にて、すべてを無に帰せ……『ルナ』!!」

 

彼女が叫んだ瞬間、杖の先端から放たれたのは、光すらも吸い込む完全な「漆黒の球体」だった。それは空間を歪めながら猛烈な速度で突進し、魔力測定水晶へと激突した。

――轟音すらも一瞬、光の中に消え去った。

ドガァァァァァァァァン!!!!!!!!!

演習場全体が、まるで地震が起きたかのように激しく揺れ動いた。測定水晶は、リシテアの放った規格外の魔力出力を受け止めきれず、激しい火花を散らしながら、一瞬にしてその許容数値を突破した。

 

ピピピピピピピピピピピ……ドカン!

 

「し、出力数値:――計測不能(999オーバー)!?!???」

ハンネマン先生の叫び声が演習場に響き渡る。

 

「な、何よあの強さは……! 本当に同い年の生徒なの……!?」

黒鷲の生徒たちが絶句する中、リシテアはふぅ、と小さく息を吐き、他学級の生徒たちに向かって不敵に胸を張ってみせた。

 

「どうですか? これが私の、我が金鹿の学級の魔道の力ですわ。子供だと思って侮らないことです。

……ね、マイルズ?」

リシテアが、なぜか真っ直ぐに俺の方を振り返り、自慢げに同意を求めてきた。

 

「あ、はい! さすがリシテアさん、圧倒的な天才っぷりです!」

俺はパチパチと拍手を送った。まだベレス先生は俺の能力を知らないが、こうしてリシテアの圧倒的な実力を間近で見られるだけでも、金鹿にいて良かったと思える(後ろに隠れられるし)。

 

 

 

放課後の居残り雑用。

俺は他学級の生徒たちの追撃を何とか振り切り、誰もいない夕暮れの演習場で、一人で機材の片付けを行っていた。

 

「やっと静かになったな……」

窓から差し込む茜色の夕光が、広大な演習場を赤く染めている。俺は壊れた魔力測定水晶の破片を箒で掃き集めながら、今日一日の激動を振り返って深く溜息をついた。

 

「マイルズ。……まだ、残っていたのね」

背後から、静かな足音が響いた。

 

振り返ると、教官服の裾を夕風に揺らしながら、ベレス先生が歩み寄ってきた。彼女の手には、俺の分の「温かいお茶」が入った水筒が握られていた。

 

「あ、ベレス先生。お疲れ様です。機材の片付け、あと少しで終わりますから」

 

「……これ、お茶、飲みなさい。今日、あなたはたくさん働いた。……昼も、青獅子の生徒たちに囲まれて、大変そうだったから」

ベレス先生は無表情のまま、俺の前に水筒を差し出してきた。どうやら厨房での騒ぎは、先生の耳にも入っていたらしい。

 

「あはは、先生、見てたんですね。本当に疲れましたよ。俺、ただの静かなモブ生徒として、目立たずに卒業したいだけなのに……」

俺はお茶を受け取り、一口飲んだ。大修道院の一般的な紅茶だが、先生の優しさが染み渡る。

 

ベレス先生は俺の隣に静かに腰を下ろすと、夕日に染まる演習場を見つめた。

 

「マイルズ。

……あなたの言う『モブ』が何なのか、私にはよく分からない。

……だけど、あなたの事務処理の正確さや、気の利くところは、とても助かっている。

……それに、今日の講義中、あなたが私の脚を時々見て、緊張していたの……気づいていたわ」

 

「ぶふっっ!?!???」

俺は飲んでいたお茶を豪快に吹き出しそうになり、猛烈にむせた。顔が一瞬にして沸騰したように真っ赤になる。

(き、気づかれてたァァァァァァッ!!!!! 能力は隠せても、男高校生としての視線の動きは元傭兵の勘で完璧に捕捉されてやがった!!)

 

「せ、先生! あれは違うんです! 不純な意味じゃなくて、その、先生の立ち姿が余りにも完璧で、その, タイツの機能美とかに関心してただけで――」

 

「……怒っていないわ」

ベレス先生は小さく首を傾げ、ほんの僅かに、本当に微かにだけど、嬉しそうに唇を緩めた。

 

「私の体を、そんなにじっと見つめてもらえるのは、悪くない。……これからも、私のサポート、よろしく頼むわね。マイルズ」

 

(アアアアアア!! 先生、まだ俺のバグスキルを知らないくせに、無表情でそういう天然な破壊力のあるセリフを言うのは、本気で心臓の限界突破を招くから勘弁してください!!)

 

俺が真っ赤になって頭を抱えていると、演習場の扉が、再び賑やかな音を立てて開いた。

 

「おーい、マイルズ! 先生! こんなところで二人きりで何セクシーな雰囲気作ってんだよ! 大変なんだよ、食堂でさ、イングリットが『マイルズの夕食を食べるまでここを動きません』って、テーブルに居座ってデモを始めちゃってさ!」

 

現れたのは、金鹿の級長、クロードだった。彼の後ろからは、「マイルズくーん、青獅子に引き抜かれちゃう前に、私におねだりされた特製スイーツ作ってねー!」とヒルダが手を振っている。

 

さらには、廊下の奥から

「マイルズくん! すみませんが、今すぐ晩餐の厨房へ向かってはいただけないでしょうか。

私はあの料理を諦めきれません!」

と叫ぶイングリットの足音と、「あ、マイルズくん見つけた! 私にもパイの作り方教えて!」

と追いかけてくるアネット、そして「やれやれ、うちの女の子たちがすまねえな。……で、俺の分の夕飯は残ってんの、マイルズくん?」と笑うシルヴァンの影まで見え隠れしていた。

 

「……はは、終わった。俺の静かな大修道院生活、まだ実戦も迎えてないのに完全に終了だ……」

俺は夕暮れの演習場の床に両手をつき、深い絶望の溜息をついた。

 

ベレス先生の天然な距離感、そして昼食の一件で完全に俺の胃袋(?)にロックオンした青獅子の食いしん坊たち。

能力を隠し通しているはずなのに、なぜか主役たちに360度完全に包囲され、俺の「ただの便利なモブとして生きたい」という切実な祈りは、今日もガルグ=マクの高く聳え立つ鐘の音と共に、初夏の夜空へと虚しく霧散していくのだった。

 

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