学園生活を満喫したいだけのモブ(チート)   作:ハスバル

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第8章:疑惑のお茶会、ベリータルトの策略

 

大修道院の朝は、規則正しい鐘の音によって幕を開ける。

冷涼な空気が霧となって大聖堂の尖塔を包み込む中、兵士たちの足音や修道士たちの祈りの声が静かに響き渡る。いつもなら、その厳かな空気に少しばかりの敬虔な気持ちを抱くところだが、今朝の俺――金鹿の学級(ヒルシュクラッセ)の平穏をこよなく愛するモブ生徒マイルズの心境は、地獄の門を叩く罪人のそれと何ら変わりはなかった。

 

「……どうしてこうなった」

 

俺は厨房の片隅で、目の前にある純白の磁器皿を見つめながら、深いため息をついた。

皿の上には、完璧という言葉すら生ぬるい、一切の妥協なき美しさを放つ『ベリータルト』が鎮座している。

 

外側のタルト生地は、極限まで薄く、かつ均一な厚さで焼き上げられ、上質なバターの香ばしい香りを放っている。その内側を埋めるカスタードクリームは、卵黄のコクとバニラビーンズの甘い香りが完璧な比率で調和し、一切のダマなく滑らかに引き詰められていた。そして何より、その上に敷き詰められた大修道院の温室産のベリーたち。

赤、紫、黒の宝石のような果実が、艶やかなゼリーの膜を纏い、まるで芸術品のような配置で並んでいる。

 

(……待てよ。俺はただ、小麦粉と砂糖を混ぜて、適当に型に流し込んで焼いただけのはずだろ?)

 

心の中で激しいセルフツッコミを入れるが、現実は無情だ。

昨晩、厨房で「神速の包丁捌き」を披露し、リシテア、クロード、レオニーの三人に『至高の白身魚のソテー』を強奪されたあの悪夢のような出来事の後、クロードから冷酷な宣告が下されたのだ。

 

『明日、大修道院のテラスで俺とお茶会をしようじゃないか。マイルズ、お前が焼いた最高の菓子、期待してるぜ?』

 

それは事実上の出頭命令であり、拒否権など最初から存在しない脅迫だった。

何とかしてクロードの期待値を下げ、毒にも薬にもならない「平凡な味」のお菓子を作ろうと、俺は今朝、夜明け前から厨房にこもった。あえて分量を適当に量り、目をつぶって生地をこね、焼き時間も適当に切り上げた。

 

だが、俺の肉体に宿るクソバグ仕様――【調理・製菓:S(潜在)】および【限界突破:常時発動】は、俺の「下手に作ろう」という歪んだ力の入れ方すらも、**『あえて生地のグルテンを抑え、サクサク感を極限まで高めるための高度な脱力技法』**として脳内変換し、最高効率の神業へと自動補正してしまった。

結果として、宮廷の専属菓子職人が見れば一目散に弟子入りを志願するレベルの、世界に一つだけの究極のベリータルトが誕生してしまったわけである。

 

「マイルズ、準備はできたかい? 級長様がお待ちかねだぜ」

 

厨房の入り口から、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべたレオニーが顔を出した。今日の彼女は、クロードの「護衛」兼「おこぼれ預かり役」として同行するらしい。その隣には、すでにお腹を鳴らしているラファエルの巨体もあった。

 

「……ああ、今行くよ。できれば、このままフォドラの闇に失踪したい気分だけどな」

 

俺は諦めと絶望を皿に乗せ、お茶会の会場へと向かった。

 

 

大修道院の南側に位置するテラスは、フォドラの大地を一望できる絶景のロケーションだ。

白と青の爽やかなパラソルが心地よい日陰を作り、心地よい高原の風が吹き抜けていく。普段なら、お洒落な貴族の生徒たちが優雅に談笑する華やかな場所だが、今日のその一角は、張り詰めたような独特の緊張感に包まれていた。

テーブルの対面に座るのは、もちろんこの男――

 

金鹿の学級の級長、クロード・フォン・リーガンだ。

 

彼はいつも通りの飄々とした、どこか掴みどころのない笑みを浮かべていたが、その琥珀色の瞳の奥には、獲物をじっと観察する猛禽類のような鋭さが隠しきれずにいた。

 

「いやー、待ってたぜマイルズ。わざわざ朝早くから作らせて悪かったな」

 

「いえ、級長直々のお誘いですから、光栄の至りですよ(棒読み)」

 

俺は内心で冷や汗をだくだくと流しながら、慎重な手つきでベリータルトを切り分け、クロードの前の皿へとサーブした。

さらに、お茶会に欠かせない紅茶を淹れる。これも、ただ普通に茶葉をお湯に躍らせただけのはずなのだが、

【調味・茶芸:S】が勝手に発動。

大修道院の湧き水の温度を1度単位で完全に見極め、茶葉の旨味と渋みを極限の黄金比で抽出した、透き通った琥珀色の芸術的な一杯がカップに注がれた。

 

「ほう……こいつはまた、見事なタルトだ。香りを嗅いだだけで、宿舎のまずい飯の記憶が消し飛びそうだぜ」

 

クロードは感心したように目を細め、フォークを手に取った。

彼がタルトを小さく切り分け、口へと運ぶ。その瞬間、彼の美しい眉がピクリと跳ね上がった。

 

「……………………」

 

クロードの動きが、数秒間、完全に停止した。

彼は咀嚼するごとに、その驚愕を噛み殺すように目を閉じ、やがてふっと、信じられないものを見るような、深く、かつ複雑なため息をついた。

 

「……美味いな。美味すぎる。生地のサクサク感も、カスタードの甘さを引き締めるベリーの酸味の残し方も絶妙だ。お前、本当にただの同盟の下級貴族なのかい?」

 

「だから、何度も言ってるじゃないですか。実家がちょっと大家族で、お菓子の配分とかにめちゃくちゃ厳しかったから、自然と技術が身についただけで……」

 

俺は紅茶をすすりながら、必死に無難な言い訳を並べ立てた。

前世の知識(ゲームの記憶)が、俺の脳内で警報を鳴らし続けている。風花雪月における「お茶会」は、単なる懇親の場ではない。選択肢を一つ間違えれば好感度が急降下し、逆に完璧な受け答えをすれば相手がこちらの顔をじっと見つめてくる恐怖の精神戦(デッドヒート)の場だ。

ましてや相手は、あの「卓上の欺瞞者」の異名を持つクロードである。

 

彼はフォドラの歪んだ仕組みや、セイロス聖教会が隠し持つ秘密に対して、人一倍強い猜疑心を抱いている。紋章を持たぬ身でありながら、石壁を溶かす魔力を放ち、気配を完全に消し去り、フェリクスの剣をいなし、レオニーの矢を真っ二つに裂いた俺という存在を、教会の秘密組織の隠密か、あるいはどこかの勢力が送り込んできた「特級の不穏分子」だと疑っているに違いないのだ。

 

(落ち着け。ここはクロードが食いつきそうな『フォドラの未来』や『戦術の議論』といった重い話題は徹底的にスルーするんだ。ただの世間話、ただの無能な雑談に終始するぞ……!)

 

「まあ、実家の話はいいさ」

 

クロードは不敵な笑みを浮かべ、紅茶のカップをソーサーへと戻した。チリン、と繊細な音が響く。

彼は背もたれに深く体を預け、顎に手を当てながら、その琥珀色の瞳で俺の全身をねめ回すように見つめた。

 

「それよりさ、マイルズ。お前、昨日は大司教様に呼び出されたんだろ? ……一体、何を話したんだ?」

 

(キターーー!! 本題だ!! 完全に俺の素性を探りにきてる!!)

 

背筋に極寒の氷水を流し込まれたような衝撃が走る。

テラスの爽やかな風が、一瞬にして凍りついたかのように思えた。

 

「いや、本当に何でもないですよ。

ただ『授業の調子はどうですか』とか、そういう他愛のない世間話です。俺、緊張しすぎて『これからは毎日、大修道院の草むしりをがんばります』って言っちゃいましたし」

 

俺はへらへらとした笑みを浮かべ、必死に「無害なモブ生徒」を演じた。

だが、クロードの鋭い眼光は、そんな薄っぺらい仮面など微塵も通じさせてはくれなかった。

 

「へえ、世間話ねぇ……」

クロードの笑みが、徐々に温度を失っていく。

 

「レア様がただの生徒と世間話、か。マイルズ、お前さ、隠すのが上手いよ。だけど、上手すぎて逆におかしいんだよな」

 

「おかしい、ですか?」

 

「ああ、大いにおかしいね」

クロードはテーブルに身を乗り出し、声を一段と低くした。

 

「魔道も、隠密も、剣も、弓も、そしてこの料理も……。どれも、普通の人間が血の滲むような努力を何年も、十何年も続けて、ようやく手に入れられるかどうかっていう『達人の領域』だ。なのに、お前の手を見てみなよ。そんな過酷な鍛錬を物語るような、深いマメも傷跡も一つもない」

 

「それは、俺の肌がちょっと頑丈というか、体質で――」

 

「まるでさ」

クロードは俺の言葉を遮り、確信に満ちた口調で言い放った。

 

 

「――ある日突然、そのすべての『最適解』が、お前の頭の中に直接降ってきたみたいじゃないか?」

(うっ……!! 鋭すぎるだろこの男!! 核心を突きすぎてて心臓が口から飛び出るかと思ったわ!!)

 

さすがはクロード。

俺の「潜在能力Sの暴走」という、この世界の人間には到底理解できないメタ的な現実を、ただ数日間の観察力だけで、ほぼ正確に言い当ててきやがった。

 

彼の言う通り、俺の肉体は努力の結果ではなく、バグシステムによって「最適解」を勝手に出力しているだけなのだ。

このまま「そんなことないですよ」とトボけ続ければ、猜疑心の塊であるクロードは、俺を『教会の不気味な暗殺者』か『自分の命を狙う刺客』だと断定し、裏で本気の排除に動くかもしれない。だが、本当のことを言ったところで「前世のゲームの記憶があって、能力がバグってます」なんて信じるわけがない。

 

どうする。どう切り抜ける、俺の頭脳――!

その時、俺の意思とは完全に無関係な場所で、肉体が勝手に駆動を始めた。

 

【話術・欺瞞:S(潜在)】

【悲劇的演出・表情管理:S(潜在)】

【限界突破:常時発動】

(待て、俺の喉! 勝手に声を枯らすな! 目元を潤ませるんじゃない!!)

 

俺は静かに紅茶のカップを置いた。その動作は、まるで重い十字架を背負った聖者が、己の宿命を受け入れるかのような、圧倒的な悲哀に満ちていた。

俺はゆっくりと顔を上げ、ふっと遠い目をした。テラスの向こうに広がるフォドラの山々を見つめるその瞳は、まるで幾千の戦場を潜り抜け、すべてを失ったかのような、深く、暗い孤独を湛えていた。

 

「……クロードさん。世の中には、知りたくなくても『見えてしまう』人間がいるんです」

 

「……何?」

 

クロードの眉が、わずかに動いた。彼の頭脳が、俺の「劇的な変化」に即座に反応し、警戒レベルを最大に引き上げたのが分かった。

 

「術式の流れ、風の抵抗、包丁の角度、筋肉の収縮……。俺が意識しなくても、俺の頭は、世界を生き抜くための『最適解』を勝手に計算し、肉体に強制してしまう。それは才能なんて綺麗なものじゃない。……呪いです」

 

俺は少しだけ声を枯らし、絞り出すように言葉を続けた。

 

「だから俺は、目立ちたくないんです。その『力』が、どれだけ周囲を狂わせ、血を流させるかを知っているから。……レア様に呼ばれた時も、俺はただの無能でいたいと、ただのモブとして静かに生涯を終えたいと、それだけを主の御前で祈っていました。信じてもらえないかもしれませんが……これが、俺の真実です」

 

嘘は言っていない。前世の知識とバグのせいで「見えちゃう」のは本当だし、目立ちたくないのも、ただのモブでいたいのも100%本心だ。

だが、それを俺の【話術:S】というクソバグ能力は、**『過去に凄まじい悲劇を経験し、強大すぎる力を隠して生きることを教団や祖国から強いられた、亡国の元特級暗殺者(あるいは実験体)』という、最高にシリアスで重厚なバックボーンとして演出して出力してしまった。

 

テラスに、針が落ちても聞こえるほどの、息詰まるような沈黙が流れた。

 

クロードは目を見開いたまま、じっと俺の顔を凝視していた。

彼の天才的な頭脳が、俺の「完璧すぎる演技(能力の暴走)」から得た情報を元に、ありとあらゆる高度な政治的背景、フォドラの裏の歴史、闇に蠢く組織の存在を爆速で考察(深読み)しているのが、空気の震えで伝わってくる。

 

(あいつ……今、絶対にとんでもないスケールの勘違いをしてるぞ……!)

 

やがて、クロードはふっと肩の力を抜くと、これまでに見たこともないような、どこか苦々しくも親近感の籠もった苦笑いを浮かべた。

 

「……なるほどな。お前も、見た目以上に色々とクソ重いもんを抱え込んでるってわけか。悪かったよ、マイルズ。無粋な真似をして、お前の傷口を抉るようなことを言っちまった」

 

(よし!! 信じた!! 完全に深読みして納得してくれたぞ!!)

 

「いや、いいんです。俺のことは、ただの『ちょっと器用で、影の薄いモブ』だと思って、これからは放っておいてくれると本当に助かります」

 

「あはは、そいつは無理な相談だ」

 

クロードは元の飄々とした笑みに戻ると、タルトの最後の切れ端を口に放り込み、悪戯っぽくウィンクしてみせた。

 

「気に入ったぜ、マイルズ。お前がどこの誰であれ、その力をフォドラのために……いや、俺の味方として使ってくれるなら、これ以上心強いことはない。

……まぁ、裏の事情はお互い様ってことで、これ以上は突っ込まないでおいてやるよ。その代わり、これからもこの美味い菓子を俺に提供し続けてもらうだけどな」

 

「お茶会係の解任状は、まだ貰えそうにないですね……」

 

俺はガクッと肩を落とし、テーブルに突っ伏した。

 

探りは何とか切り抜けたものの、クロードの中で

「マイルズ=ワケありの超重要・超危険人物(でも味方にすれば最高に頼もしい)」

という認識が完全に固定され、神格化されてしまった気がする。モブへの道は、さらに遠のくばかりだった。

 

「おいクロード! 密談は終わったかい? 皿に残ったタルト、私が全部食べていいんだろ!?」

 

「オレも食うぞ! 筋肉がこの甘みを求めてるんだ!」

 

パラソルの影から、今か今かと待ち構えていたレオニーとラファエルが猛烈な勢いで突っ込んできて、テーブルの上の残りのタルトを瞬く間に平らげていく。「美味すぎる!」「これなら毎日特訓できるぞ!」という彼らの賑やかな声を聞きながら、俺は冷めた紅茶を喉に流し込んだ。

 

胃は相変わらず痛むが、最悪の危機は脱した……はずだ。

席を立ち、賑やかに騒ぐ仲間たちの皿を片付けようとした、その時だった。

 

大修道院の正門の方から、何やら騒がしい馬蹄の音と、チリンチリンというやけに陽気なベルの音が響いてきた。

 

「ん? なんだ、あの大荷物の馬車は……。商人のようだが」

 

クロードがテラスの石造りの柵から身を乗り出して、眼下を見下ろす。

俺も釣られて視線を向けると、そこには、大修道院の長い坂道を登ってくる、これでもかと商品が詰め込まれた巨大な馬車と、その御子席に座る、見覚えのある「真っ赤な衣装」を着た女性の姿があった。彼女は人差し指を頬に当てて、にやりと不敵な、商魂逞しい笑みを浮かべている。

 

(あ、あの姿は……。ファイアーエムブレムシリーズお馴染みの、神出鬼没の旅行商人アンナさんだ!?)

 

「へえ、噂に聞く珍品売りか。大修道院にも出入りしてるんだな。面白いものを仕入れてなきゃいいけど」

 

クロードが琥珀色の瞳を面白そうに細める。

だが、ゲーム知識のある俺の脳裏には、嫌な予感しか浮かばなかった。あの人が持ってくる珍品や、生徒たちに振るタスク(クエスト)は、決まって厄介なトラブルの引き金になる。

ただでさえ『潜在能力S』のせいで、何をやってもバグ級の成果を出してしまい、周囲にロックオンされている俺だ。もしあの商人に目を付けられ、怪しいアイテムの実験台にされたり、あるいは彼女の扱う奇妙な道具に俺の能力が反応してしまったら……。

 

(ダメだ、関わっちゃいけない。あの赤い商人には、絶対に近づかないでおこう……!)

 

「おいマイルズ、何をぼーっとしてるんだ? 片付けなら俺たちも手伝うぜ」

 

「あ、いや、なんでもないですクロードさん。……ただ、明日からのさらなる胃の痛みに備えてただけです」

 

遠ざかっていく真っ赤な商人の馬車を見つめながら、俺は「頼むから俺の前に現れないでくれ!」と、心の中で切実に、切実に祈るのだった。だが、この時のマイルズはまだ知らなかった。

大修道院という狭い世界において、逃げようとすればするほど、トラブルの方から全力でダッシュしてくるという、この世界の絶対的な法則を。

 

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