噂によると / Legend Has It [CP2077 × NIKKE]   作:Narrenschiff

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3.語りて満ちよ / One for My Baby (and One More for the Road)

邦題:

英題:

 

 天井の照明は半分が死んでいて、残った半分も気まぐれに明滅しながら、店内をかろうじて照らしていた。ここ『欲望の一雫(ラスト・ドロップ)』はアウターリム東部の寂れた場末の酒場(シーディー・バー)だ。

 

 カウンターの隅では客が一人突っ伏したまま動かず、奥のテーブルでは男が二人、黙々とグラスを傾けている。その向こうではもう一人、黄色いコートの男が一人で管を巻き、『ソゼに勝った』だの、誰に向けるでもない与太話を陽気に語っていた。

 

 それ以外に人影はなく、安酒と古い油の匂いが、淀んだ空気の底に沈んでいた。流れ者、落伍者の行き着く先。誰も俺のことなど見ていなかったが、むしろその方が都合が良かった。

 

 俺はカウンターに肘をつき、カードの束から一枚抜いて置く。クレジットはアウターリムじゃ滅多に通用しないが、ブラックマーケットに通じたこの店なら別だ。近づいてきた店主にウイスキーを一杯頼んだ。待つ間もなく、目分量で測られた琥珀色の液体が滑り出される。氷のないグラスを手に取り、静かに舌の上で転がしてみる。

 

 ──溜息が出る味だ。当然、いい意味でじゃない。

 

 ウイスキーといえるのは名前と色だけ。喉を通るのは、安い溶剤、セメント、機械油──薬臭い甘さが、舌の奥に残った。

 

 ナイトシティの飯はまあまあだった、と思う。ゴロウの奴は文句ばかり言っていたが、ちゃんと食える味だった。だが酒は別だ。樽熟成のウイスキー、ブルーアガヴェで作られたテキーラ、どれもこれも本物が揃っていた。

 

 ここじゃ何もかも逆だ。合成された食事(パーフェクト)の味は気に入ったが、酒だけがどうしようもなかった。

 

 ただ、ロザンナの所で飲んだあの赤ワインだけは悪くなかった。葡萄から作られた一品は、合成物とは隔絶した味わいだ。それでも、ナイトシティの酒に比べると、どうしたって見劣りはしてしまうが。

 

(……あーあ、そんなもんよく飲めるな)

 

 頭の奥で幻覚が顔をしかめた。顔は見えなかったが、そういう声がした。

 

(犬の小便とコレ、どっちを飲むかで小一時間は悩める代物だぞ。んで、一時間経ったら俺はどっちも捨てる)

 

 珍しく、心の底から賛同できる文句だった。

 だが、せっかく頼んだ酒を無駄にしたくはない。飲めるだけマシだ。意を決して、大きく一口飲み込むと、気配はそれで薄れていった。

 

 ジェリーの遺志を引き継いだ俺は、地図に記された『赤い点』を選ぶことにした。だが、赤い点のエレベーターに乗ってここ──アウターリムに降りてからは、生きるだけで精一杯だった。それどころか、次々に問題は積み重なっていく。ジェリーの鍵の意味は分からず、ロザンナからは軽度の監視下に置かれている。

 

 ……後者は自分で蒔いた種か。

 

 だが、こうしてアルコールが血の中を巡っている時だけは、静かに過ごせる。そう思いながら、俺はもう一口、わずかに残った酒を胃の中へと流し込んだ。

 

「よう、(あん)ちゃん!」

 

 ──ここで俺の静寂はおわった。

 

 声をかけられて顔を上げると、さっきから一人で喋り続けていた男が、いつの間にかすぐ隣に立っていた。人懐っこい笑みを浮かべ、断りもなく俺の隣の席に腰を下ろす。

 

 少しハゲ気味の頭に、痩せた身体に不釣り合いな下腹。あちこちが擦り切れて、色落ちの酷い黄色いコートは、元の色の想像すらつかない。歳は四十か五十か。酔いで赤らんだ顔つきが近づくと、染みついた酒の匂いがいっそう濃くなった。

 

「ここじゃ見ない顔だなあ。いやいや、悪い意味じゃねえぜ。この辺じゃ珍しいってだけだ」

 

「……なあ、一人で飲んでんのか? 酒ってのはなあ、誰かと飲んでこそ旨いんだぜ〜!」

 

 口数は多いが、棘はない。気のいい飲んだくれ、といった風だった。一人で喋りすぎるってこと以外は──俺も人のことは言えないか。

 

「おれぁ、ジグってんだ。兄ちゃんは? 名前くらい教えてくれよ」

 

 名乗りは向こうから来た。

 ジグ──ナイトシティのジグジグストリートを思い出す。この男みたいに雑多で賑やかな場所だった。綺麗な場所じゃなかったがな。

 

「Vだ」

 

「V!いい名前だ。短くて締まりがある。で、何して食ってんだ、兄ちゃんは」

 

「さあな。色々だ……」

 

 ジグは目をぱちくりさせ、それから俺の上着のあたりを無遠慮に、しかし悪気なく眺め回した。クロームの埋まったこめかみ、見慣れない造りの衣服。何かを察したのか、あるいは単に酔いが回っただけなのか、男はにかっと笑った。

 

「ふうん。あんまり言いたかねえ、と。……いいぜ、いいぜ。深く詮索はしねえ」

 

「でもよぉ、だったらおれも言わねえからな〜。これでお互い様だ!」

 

 張り合うように胸を反らしてみせると、ジグは機嫌よくカウンターに肘を乗せた。互いに素性を伏せたまま──どうやらそういう流れになったらしい。

 

「しっかし兄ちゃん、この店の酒は、どれもこれも雑巾を絞った汁みてえな味がしやがるよな」

 

「……んま、でも、飲めるだけマシだな!」

 

 同感だ。

 酒はないよりはあった方がいい。

 

「で、兄ちゃん。最近はどうなんだ。景気のほうは」

 

 ジグは酒を一口あおると、世間話のつもりらしく俺の顔を覗き込んだ。

 

「……そこそこだな」

 

「そこそこ、ねえ」

 

 短い答えに、ジグはそれ以上突っ込んでこなかった。そこそことは、我ながらよく言ったものだと思う。

 

 実際には、降りた当初は右も左も分からなかった。想定よりも住人は多かったが、何もできないまま、時間だけが過ぎていった。持っていた食料はすぐに底を突いて、食えない日が何日も続いた。いま思い返してみると、あの時期はクロームすら鉄の塊より役立たずだった。

 

 クロームを使っての強盗や盗み?あり得ない(ナンセンス)

 

 それからも、色々な事があって──なんとか生き延びてはきた。だが、先を考える余裕なんてものは、つい最近まで欠片もなかった。

 

「兄ちゃん、さては最近この辺に流れてきたクチだな?」

 

 思考に没頭している最中、不意の問いかけに俺は空になった手元のグラスから視線を上げた。

 

「……やっぱり、分かるか?」

 

「そりゃ分かるさ。長いことこの場所で生きてりゃ、見かける面ぐらい覚える。兄ちゃんみたいなのは見なかったからな」

 

「なるほどな。これだけ目立つ格好なら、当然か……」

 

 ジグは鼻を鳴らした後、たいして得意がるでもなく酒をあおった。不味いと愚痴を溢していたあの合成ウイスキーだ。不思議と飲む所作は洗練されて見えた。

 

「ま、事情があるんだろ。でも言っただろ、深く詮索はしねえってよ」

 

 そう言って、また手酌でちびりちびりと飲み始める。飲んで話せればあとは何でもいい。そういう男に見える。

 

「兄ちゃん、最近来たって話だが、誰かしら世話んなった奴はいるんだろ。一人で生き抜くにゃ、ここはちっとばかし厳しい街だ」

 

 ジグの言葉に、少しだけ躊躇した後、俺は答えた。

 

「……ああ。いたよ。食うのも困ってたくらいだったからな。助けて貰わなきゃ死んでた」

 

 それ以上の言葉は続かなかった。

 東区の片隅にあった、リバースホープ──ひっくり返った『HOPE』の看板を目印にした、小さなコミュニティだ。空腹なのはそいつらも同じだったが、わずかな食糧を迷わずに分け与えてくれた。そういう、少女がいた。

 

 粗末な灯りの下、差し出された酷い味のパン、言葉──今はもう何もない。残ったのは空っぽの場所と、ひっくり返った看板だけだ。

 

「……兄ちゃん?」

 

 ジグの声で、現実に引き戻された。頭は明瞭だ。酔っ払うには、まだ飲み足りない。何より、グラスが空っぽのままなのが気に入らない。

 

「いや。なんでもない」

 

「そうかい」

 

 短く返したが、ジグはそれでは納得していなかった。この飲んだくれは、妙に勘が効くらしい。

 

「まあ、……ここじゃただ生きるのも命懸けだからな。アークが恋しくなる時もあるだろうよ」

 

 アウターリムに住む人間は二種類しかいない。ここで生まれたか、アークから追放されたか。俺はそのどちらでもない異邦人だ。

 

 俺は問いには答えなかった。代わりに、クレジットを置いて店主を呼ぶ。空になったグラスを突き返し、次の酒を注文する。

 

「一番良いテキーラを二杯。一杯はコイツに……これで足りるだろ?」

 

 グラスが二つ、カウンターに並んだ。

 見たところは長期熟成(アネホ)のテキーラ。色はウイスキーによく似ているが、カカオのような匂いがする。

 

「おっ、いいのか? おれぁなんもしてねえってのに悪いねえ、兄ちゃん!」

 

 ジグは目を輝かせ、グラスを掲げた。俺もそれに合わせる。乾いた音が、薄暗い店内に小さく響いた。

 

「……っかぁ! うめえ! こいつぁうめえや!」

 

 一口あおるなり、ジグは破顔した。大袈裟にも見えるが、奢った酒を喜ばれるのは嬉しいものだ。

 

「おれぁこんな上等なモン、注文したことすらねえぞ。……へえ〜、こういう味なのか。初めて飲んだ!」

 

 無邪気に喜ぶ姿に、俺は曖昧に頷いた。

 

 さっきのウイスキーに比べれば飲める味だが、ランクとしては下の上、だ。本物(センツォン)には、遠く及ばない。舌触りも、喉を抜けるときの厚み、香りも。とはいえ、それを口に出すほど無粋じゃない。隣でこれだけ嬉しそうに飲んでいる男の前で、ソムリエ気取りをやる気にはなれなかった。

 

「ああ、そうだな」

 

「トップだ、トップ! 今まで飲んでた物なんか酒じゃねえって!」

 

 俺の相槌の後に、ジグはひとしきり笑った。それから、ふと目を細めてこちらを見る。

 

「……いやあ、兄ちゃんはもっと“上”を知ってるみたいだな?」

 

 俺は残ったテキーラを呷った。こう何度も見破られると、ジグ相手に隠し事はできないだろうと思い知らされる。

 

「いやいや、隠さなくてもいいって。顔に出てらあ。”こんなもんか“ってな。──だがよ、ここらの店で手に入るのは、これがトップよ」

 

「……アウターリムの場末なんざ、こんなもんさ」

 

 諦めの混じった締めの言葉の後でジグはからからと笑い、空になったグラスをカウンターに置いた。

 

「だがな。兄ちゃんは羽振りがいいんだろ? そんだけ金を回せるならよ、わざわざこんな場末でちびちびやってる手はねえぜ〜」

 

 場末、場末と何度も大声でいうものだから、店主までこちらを見ている。そんなことも、ジグは気にせずこちら側に身を乗り出してきた。

 

「辛気くさい顔してねえで、あそこでパーッと遊んでこいよ。いい酒も、いい飯も、男も女も博打も、欲しいもんが何だって揃ってる場所がある」

 

「金さえありゃ、バッドドリームでなんでもやり放題よ」

 

 空っぽになったグラスを持ち上げたまま、身体が硬直する。

 

 バッドドリーム。

 

 その単語が、頭の奥で別の声と重なった。崩れ落ちる寸前、血の泡を噛みながらジェリーが遺した、最期の言葉。

 

 ──悪い夢(バッドドリーム)……だ……。

 

 死にゆく男が漏らした無念の表れだ。

 そう思っていた。

 

「……待て。なんだって?」

 

 俺の声が、自分でも分かるほどうわずっていた。

 

 ジグは怪訝そうに眉を上げ、それからもう一度、なんでもないことのように繰り返した。

 

「あ? だから、バッドドリームだよ。あ〜、知らねえのか、兄ちゃん。アークでも裏の人間になら結構知られてる筈だけどな〜」

 

「……バッドドリームってのは、何なんだ」

 

 俺の問いに、ジグは少し驚いたように瞬きをした。

 

「なんだじゃねえよ、兄ちゃん。本当に知らねえのか。アウターリムで一番の遊び場よ。あそこの右に出る場所はねえ」

 

「遊び場?」

 

 随分な言い草だが、こんな場所(アウターリム)に作られたものがテーマパークやショッピングモールだとは到底思えない。

 

「ああ。さっきも言ったろ、なんでも揃ってるって。──いや、なんでもってのは言葉が足りねえな」

 

 ジグはにやりと笑い、声を一段落とした。

 

「……あそこじゃ、アークで売れねえもんも、アークではやれねえことも、ぜ〜んぶ通る。金さえ積みゃ、誰も咎めやしねえ。法も掟も、あの中じゃ意味を持たねえのさ。やりたきゃ、何だってやれる。そういう場所だ」

 

 ジグの言葉は全てが想定通りで、特になんの驚きもない。ドラッグや違法BD(ブレインダンス)に溺れ、コーポが息抜きにジョイトイを壊す、命懸けの拳闘を安全な場所から観戦する──ナイトシティでも似たような場所は多かった。

 

「だからこそ、色んな奴が集まる。聞いて驚くなよ、兄ちゃん。アークのお偉いさん連中だって、こ〜っそりと遊びに来るって話だ。お行儀のいい顔して、裏じゃどいつもこいつも、あそこで"悪い夢“を買ってんのさ」

 

 ただ一言。悪い夢。

 その言葉が、また胸の奥を引っ掻いた。

 

「場所は、どこだ?」

 

「あ?」

 

「……だから、その場所だ。どこにあって、どうやって行くのかが知りたい」

 

 矢継ぎ早に重ねると、ジグは目を丸くした。

 

「おいおい、急にどうしたよ。さっきまで辛気くせえ顔してたのが、人が変わったみてえだ」

 

「気晴らしする気になったのか? まあ、元気になったのは良いけどよ〜」

 

「いいから教えてくれ」

 

 俺の食いつきに、ジグは面食らいながらも、悪い気はしないようだった。酔いも手伝って、機嫌良く場所と道順を教えてくれた。

 

「……まあ、そういうこった。金があんなら、一度行ってみりゃいい。兄ちゃんなら歓迎されるさ」

 

 それで十分だった。俺はカウンターにクレジットを置いて、席を立った。

 

「悪いが、用事を思い出した」

 

「なんだよ、もう行っちまうのか。せっかく面白くなってきたとこだろうに」

 

 ジグは名残惜しそうにしながらも、上機嫌でグラスを掲げてみせた。それからカウンターに置かれたクレジットを見て声を上げる。

 

「お〜い、忘れモンだ! 先払いだぜ、ここ。兄ちゃん、さっき払っただろ〜!」

 

「礼だ、それで好きなように飲んでくれ」

 

 言うと、ジグはきょとんとしていたが、理解すると同時にこれまでよりも騒がしくなった。

 

「いいのかよ、兄ちゃん! へへっ、こりゃありがてえ。今夜は飲めるだけ飲んでやるぞ〜!」

 

 子供みたいにクレジットを握りしめ、ジグは早速店主を呼びつけている。

 

「おう。気が向いたらまた飲もうや、兄ちゃん。──今度はおれが奢ってやるよ! 安いやつで良けりゃな!」

 

 俺は軽く手を上げて応え、ジグに背を向けた。賑やかな声を背中に受けながら、店の扉を押し開ける。

 

 店を出ると、目の前には見慣れた暗がりが広がっていた。

 

 アウターリムに夜は来ない。正確には、いつだって暗い。頭上にあるのは、どこまでも続く真っ黒な天井だけだ。星も、月も、雲もない。地の底に蓋をされた、終わりのない夜。最初は気が滅入ったが、今はもう慣れた。

 

 俺は壁にもたれ、冷えた空気を肺に入れた。酔いはとっくに醒めている。

 

 バッドドリーム。

 ジェリーが最期に遺したのは無念じゃない、行き先だ。

 

 胸の内ポケットに手をやる。指先が、硬い金属の感触を拾った。メダルが三枚。血に塗れたもの、汚れなきもの、傷を背負ったもの。それと、どこのものとも知れない鍵が一本。

 

 手がかりは、この鍵だけだった。どこを開けるのかも分からないまま、ずっと懐に抱えてきた。

 だが今、その鍵が、初めて熱を持った気がした。

 

(はァ……独りで気持ち良く浸ってるみたいだが、ちゃんと先の事を考えてんのか?)

 

 頭の奥で、幻覚が囁いた。この感覚にも慣れてきた。俺はメダルの縁を、親指でなぞる。

 

(死んだ男の言葉を聞いて、得体の知れねえ享楽街に乗り込む。無事とは思ってねえだろ──なあV、それは弔いのつもりか? それとも、いつもの癖なのか)

 

 弔い。執着。好奇心。どれも当たっているし、どれも違う気がした。それでも、征く道は決まった。

 

「……今回ばかりは、黙って着いてきてもらう。依頼を途中で放り出したことがないのも、知ってるだろ」

 

(……まあいい。お前が決めたんなら、俺の行く先も同じだ。お前の頭の中にいるわけだからな)

 

 それきり、声は聞こえなくなった。

 鍵を握る手に、力がこもる。俺は壁から背を離し、黒い天の下を歩き出した。

 

 バッドドリームへ。

 鬼が出るか、蛇が出るか。──まあ、いつものことだ。

 

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