噂によると / Legend Has It [CP2077 × NIKKE] 作:Narrenschiff
開かれたままとなっていた扉を潜り、廃ビルへと足を踏み入れる。
──ここに、さっきの機械腕の持ち主がいる。
中は薄暗く、入っただけで埃が舞う。
血の痕跡は、足元の直ぐそばにまだ生々しく残っていた。
先を目で追う。
入り口の直ぐ横に、壁に
より正確に言えば、軍事作戦服のような衣装を纏った少女がいた。
まず目を引くこと。左腕がない。
次に、服を貫通して胸元に開いた大きめの穴。
それから、全身に大小無数の傷跡。これらによって、彼女の傷が戦闘によるものだと推測できた。
──間違いない、外で見た腕の持ち主だ。
左腕切断面は止血帯の効果もあり、出血は既に止まっている。
だが、胸からは今も絶えず血が滴っていた。
そばまで寄って、その場で膝を折る。
顔は若い女に見える。長い髪。
右目に大きな負傷があり、目を閉じているが──まだ、息はあった。
揺り動かさないよう注意しながら、右手首を取って脈拍を取る。
先ほど見つけた腕と違って、彼女の皮膚は人間そのものだった。ずっしりとした腕の重さから、此方も義手なのは間違いない。
だとすれば、おそらくこの皮膚はエネルギーを受けて動作するタイプの人工皮膚だ。
質感も、体温も生身と変わらない。
だが、左腕の切断面から覗いている内部は──全てが金属だった。
骨となる合金フレーム、神経束に似た配線。
胸部付近の損傷部からも、同様の構造が覗いていた。
皮の下には機械、機械。
大人しそうな顔の割には、かなりの部分を
(……誰だか知らないが、俺とお揃いだな)
胸部に開いた隙間からは、異質な構造体が覗いている。心臓に似た装置は機械的な拍動を繰り返して見えるが、さきほど測った脈だと間隔はかなり乱れていた。
(──機械心肺か)
続けての推測だ。失血の量は心配ない。
俺たちぐらい機械化が進んでいる場合は、あれぐらいなら生命に支障はないはずだ。
だが、出力が安定していない。
──可能性として最も高いのは、血流装置の損傷。つまり、放っておけば、この心臓は間も無く止まる。
極めて機械化率の高い人間。──あるいは、人間に極めて近いアンドロイド。
どっちだって構わない。
「機械は機械だ。──だったら、俺なら直せる」
頭の中で、すぐに処置の段取りが組み上がる。
まずは胸の傷を整え、胸部の失血を完全に止める。循環機能の回復、或いは循環補助によって長期間の延命を可能にする。
最後に、皮膚の損傷部は
コンテナ内には幾つかサイバーウェアのストックがあったはずだ。俺用のメンテナンス機材と合わせれば、緊急時の処置としては成立する。
立ち上がりながら、視線を一度だけ落とす。
「お前、運が良かったな」
足早に外へ出た。
入ってきた時とは違い、軽やかな足取り。
いつ彼女の心臓が止まるかわからない。
無事に起きてくれれば、此処がどこなのかを聞くことも出来るだろう。
コンテナがあった場所はマッピング済みだ。
ここから徒歩で片道三十分。走ればその半分。
だが、もっと手っ取り早い手段が、俺の身近には有った。
──サンデヴィスタンと、チャージジャンプを併用する。
「これなら、
チャージジャンプの一瞬にだけ、サンデヴィスタンを噛ませる。跳ぶ度、風景が線に変わる。
道とも呼べない場所を掴み、飛び、最短距離で行って、帰る。
それだけのことだ。
コンテナまでの僅かな時間の間も、頭の中では処置の手順が回り続けている。
いつもなら俺を責め立てるあの声も、その間だけは何も言わなかった。
────────────────
コンテナにつくまでにかかった時間は約二分。無茶な道を通ったのもあって、思ってた時間通り済ませられそうだな。
壊れたコンテナドアは腕で払い、中の電子ロックを解除し、中へと入る。
内部の配置は把握済みだ。
奥の壁面、サイバーウェア類が収まった軍用ケース。手前の作業台、その下の引き出しに工具一式。台の上には消耗品類の小型ケース。
予備心臓を一基。
最後に工具を取る。リパードク御用達のサイバーウェア用の精密工具一式。手のひらに懐かしい重みが伝わった。
全てをバックパックに収め、立ち上がる。
──視界の端に、何の変哲もない段ボールが映った。
前回は気づかなかったが、コンテナの隅に一つ。中身は無造作に放り込まれた保存食と、ペットボトルが数本。量にして二日分ほどだ。
保存食を一個手に取り、これも収めた。
あいつが起きた時の為だ。
水も同様に一本、引き抜く。
手に取った瞬間、俺は喉が猛烈に渇いていた事に漸く気がついた。戦闘の余波か、駆け続けた所為か。自覚した途端、渇きは堪えようもなくなっていく。
キャップを開け、一気に呷った。
乾ききった喉に冷たい液体が落ちる。砂に水が吸われるように、半分が一息で、残りも追いかけるように喉を通りすぎた。
飲み干してもなお、まだ残る渇きを意識した瞬間。
一人だけの時間は、終わりを告げた。
(あんだけ急いだのも──結局、自分のためだったってわけだな)
返事はしない。
左手でもう一本の水をバックパックへ収め、背負い込む。
同時にもう片方で空となったペットボトルを背後へ放る。
サンデヴィスタンを立ち上げた。
世界が自分から切り離される。
あれが落ちる音より先に。急がなくては。
駆ける様に跳ぶ。あるいは、飛ぶ様に駆ける。
サイバーウェアを活用した独特な走法は、人間のそれとは似ても似つかない。
キロシ無しでは到底御しきれない、異様な機動。
軍用バックパックが衝撃を吸収していなければ、荷物は一つ残らず砕けていただろう。
帰路では行きにも増して、
着地。
ここから脚部チャージが完了するまでの動きは、人間とそう変わらない。
この時間だけは、他の工程より速度が鈍る。
(偽善者がポイント稼ぎか?これはゲームじゃねえんだぞ)
返事はしない。次のチャージが脚部に溜まる。
再びサンデヴィスタンが立ち上がる。
跳び上がり、風景は線。
着地。
(動かしたとして、お前にゃ責任なんか取れねえだろ)
跳ぶ。
加速。線。着地。
(──ああ、起きて襲われたら、殺せばいい。得意だもんな)
走る。
廃ビルの入口が、目の前に来ていた。
扉の前でバックパックを一度下ろす。
処置に入る前に、まずは身を清める。
砂一粒で機械は壊れる。どれだけ技術が進んでも、それは変わらない。
完璧な滅菌は不可能だが、急いで服の土埃を払い、装備に付着した煤を手早く落とす。
清潔な布に消毒薬を染み込ませて顔を拭う。乾いた血がべっとりと布に染みつく。
ふと、違和感を覚えて頬に手を当てた。
拭った跡には傷一つ残っていない。もう治ったのか?考える間にも動かす手は止めない。
次だ。
気を失った女性兵士の側へ寄り、脈を確認する。──前回から変化なし。
ただちに処置を始めるため、全道具の配置を整える。最後に、診断装置を手に取った。
手のひらに収まる小型端末。事前の動作確認を忘れていたが、問題なく起動してくれた。
(自分が何やろうとしてるか、わかってんだろうな。V)
返事は、診断装置に向けて返す。
「分かってるからやるんだ。見てろ……」
レーザースキャンのプロトコルを選択。診断装置の発光部を、胸の傷の上にかざした。
短い駆動音が走り、青白い光が走査線として降りる。
ディスプレイにデータが流れ始め、同時に無線でキロシに投影される。視界の端でデータの波形と数値が積み上がっていく。
データ波形の内容は概ね予想の範囲内に収まる。
だが、全てを診終えた瞬間、眉間に皺が寄った。
──生体部分が、極めて少ない。
想定が甘かった。生体組織どころか、有機物すら碌に検出されない。しかも、殆どが未知の金属との合金だ。残りの全てが、金属と回路と駆動機構で構成されている。
(ここまでだとは……、アダム・スマッシャー並じゃないか)
これによって、
この手は使えない。
(んで、次はなんだ?
手を動かせ、考えている暇はない。
スキャンで見つかった出血箇所を、改めて確認する。胸の穴、骨格フレームの内側に走る太い血管──エネルギーラインに亀裂が一つ。
安堵の息を吐く。
この位置、この大きさなら、胸の傷跡を拡げずとも塞げる。だが油断するな。
俺は工具箱からナックルダスター型の装置を取り出し、両手に装着する。軽く握ると、拳の上で装置が展開し、各指先から針状の端子が伸びた。戦場でも使われる、信頼性の高い多機能メンテナンス道具だ。
急いではいるが、止血処置の前にまだやる事がある。診断装置に付属する極小の
次──最重要項目が残っている。素材の選定だ。下手なものを使えば、未知の合金が拒絶反応を起こしかねない。
──金属自体と反応しにくいリアルスキンは?仮説でしかないが、今は、これしかない。
一度深呼吸し、息を整える。
ここまで来たら、やるしかない。
一か、八かだ。
リアルスキンを適切な形と大きさに切除。亀裂周辺に薬液を散布して清める。それを押し付け、端子の先から微細な電気を流す。リアルスキンが収縮し、
残ったのは、機械の血管へと不恰好に張り付く皮膚もどきの姿。
それでも、失血は止まった。
短く息を吐く。一度展開させたナックルを元の形へ引き戻し、診断装置のディスプレイに視線を落とした。──同時に、先程貼った有機チップからのデータが流れ込んでいる。
レーザースキャンの売りが速さなら、有機チップによるモニタリングは、それより詳細で正確な情報を得られることだろう。
ディスプレイを四つに分け、複数の波形が流れる。左上、血流には問題なし。
その他二つも、止血によってかは知らないが安定したステータスを示していた。
右下の波形。……僅かだが、これだけが振幅が小さくなり続けている。
エネルギー出力を示すグラフだ。
まだだ。止血したばかりで安定していないだけかもしれない。
急いで時間軸を横にした図形へと表示を変え、エネルギー推移を確認する。
減少は緩やかなものだった。
だがそれは──止血の前も、後も、変わらない速度で進んでいた。
予備心臓も、
止まりかけているのは、その先。
(嗚呼、見事な止血の腕だ。惚れ惚れするよ。で?救いは何処だ?)
手が、止まった。
視線が向かうのは、周到に用意した、手元に並んだ道具──全てが、何の価値もないガラクタにしか見えなかった。
右目に大きな負傷はあるが、眠っているように気絶している顔。
長い髪が、頬の横に落ちている。
表情はないが、安らかさすら覚えた。
ここへ戻ってから、彼女の顔に一度も目を向けていなかったことに気づいた。
この感覚は前にもある。
目の前の彼女の顔に、別の顔が重なって浮かんで見えた。
一度は、助けられたと思ったんだ。
だが、全て思い違いだった。
俺は、彼女を安全な場所に移しはしたが、俺は、彼女を助けてなんか────
(おい、
突如、大音量で響いてくる
(さっき自分で言ったことを、もう忘れちまったのか?)
……さっ、き?……一体、俺が、何を……?
(……本当にこいつを助けたいってんなら、
頭の奥で声が走った。
その言葉には返事も、無視も、出来なかった。
代わりに視線が動いた。
彼女の顔から、下へ。胸の傷の縁、塞いだ亀裂と、血管に張り付く皮膚もどき。次に胴体の輪郭、次に、失われた腕の切断面が目に入った。
骨格フレームと配線の断面。激しい戦闘の結果だ。その視線が、今度は逆を辿った。
残った右腕。両脚。
その瞬間、気づいてしまった。
全身に悪寒がまとわりつく。
吐き気にも似た嫌悪が、喉の奥から這い上がってくる。腐った発想に対して反吐が出る。
(……だめだ、ありえない。そんな事は旧時代の、劣悪な状況だからこその蛮行だ)
一つ、道がある。
道とも呼べない道が。
その道の先に、救いはない。
無論、成功すれば彼女は目覚めるだろう。
だがそれは時間を稼ぐだけだ。
稼げる時間すら長くはない。
(俺に、
答えは出てこない。
反対でも肯定でも、何でもいい。
何か言ってくれれば楽になれた。
だが、幻覚が選択に関わる事はない。
彼女の仲間、医者、誰でもいい。
誰か、助けが来るかもしれない。
知っている。限られた今の時間で、来るはずがない。
このまま放っておけば、彼女は眠ったまま、苦しまずに死ねるだろう。
だが、コンマゼロ以下の確率に俺が賭ければ──眠りから引き摺り出す事になる。
その賭けに負けた時、彼女は死ぬ。
それは、俺が殺す事と何が違う?
見殺しか、自分の手で殺すか。
二択だ。
選べ──
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扉の右の壁にもたれて座る。
診断装置のディスプレイには、波形と数値が流れ続けていた。
視線はそこへと向かっている。
微かな衣擦れの音が、左の方から聞こえた。
その音がして初めて、ディスプレイに示された数値が変わっていたことに気づいた。
視線を彼女へ向ける。
先程までの眠り姫とはうってかわって、利発な風に見える。
彼女は目覚めた──俺は、最初の賭けに勝ったとも言える。
だが、この時は、それが良いことだとは思えなかった。
直視できず、手の中へ視線を戻す。
ゆっくりと持ち上げる。
残った左の瞳が、こちらを見ていた。
今度は、装置に視線を戻すフリをして──それから、装置を膝の上に置いた。
「えっと……処置してくれたんですか?」
「ありがとう、ございます……」
思い返してみると、自分以外の声を聞いたのは、あれが久しぶりだった。
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