噂によると / Legend Has It [CP2077 × NIKKE]   作:Narrenschiff

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ACT2
1.平等な駆け引き、対等な関係 / The Weighing


 

 アウターリムの東の外れ、寂れた建物の二階。外装とは違って小綺麗な部屋に、小さな円卓がひとつ。椅子が三脚。窓はない。

 

 アークの裏社会には、数えきれない組織がひしめいている。その中でも、強い影響力を持つのが、ヘッドニアのロザンナ、清明会のサクラ、牡丹会のモラン。この三人の長によって組まれた部隊は、U.W.Q.(アンダーワールドクイーン)と呼ばれていた。今日、その全員がこの一室に集う。

 

 ロザンナは脚を組み、メモの束を指先で繰っていた。もっとも、読んでいる風ではない。呼ばれた理由の見当は、来る前からついているらしい。

 

「急にお呼び立てしたことについてはお詫びいたします。……どうにも、記録には残したくない用件でしたから」

 

 向かいでサクラが()()の茶を淹れていた。着物の袖を片手で押さえ、湯気の立つ碗を卓に一つ置く。アークでも貴重な茶葉を、こんな場所で惜しげもなく開ける女だった。

 

「……で、モランは?」

 

「まだですよ。また遅刻のようです」

 

 言い終わらないうちに、階下で扉の鳴る音がした。荒っぽい足音が階段を上がってくる。

 

「待たせたな、お前ら。悪い悪い、ちょっと遅れた!」

 

 モランが戸を開けるなり、半ば笑みを浮かべながら片手を上げて詫びた。長い黒髪の内側で、紅のインナーが揺れる。

 

「子分のひとりが、妙な客と揉めてな。放っちゃおけねえだろ。話のわからん奴で、収めるのに手間取ったんだ」

 

「……ふん、遅刻の言い訳がそれ?」

 不機嫌さを隠そうともせず、鋭い視線は刺すようにモランを咎める。

 

「わかってるよ……だから謝ってるじゃねえか……。相変わらず冷てえなあ、ロザンナ」

 

 モランは空いた椅子に腰を落とすと、卓の上をぐるりと見回した。タブレット、手書きのメモ、茶。それを見て、流石にこれがただの寄り合いでないと察したらしい。

 声のトーンを落とし、眉を寄せる。

 

「で、何の集まりだ? わざわざ三人も揃えて、しかもこんなとこに」

 

 サクラが碗を置いた。

 

「──揃ったところで、話を始めましょう。ご存知かと思いますが、アウターリム東部で、少々厄介なことが起きましてね」

 

 サクラはタブレットを操作し、卓の中央へ滑らせた。映し出されたのは、アウターリム東部の区画図と、幹部数名の顔写真。構成員は約五十。窃盗、人身売買、保護費の徴収──並んだ罪状の脇には組織名、ブラック・ロータス・ブラッズの名がある。

 

「東区画の一部を根城にしていた武装集団です。アウターリムでは、よく見る手合いですね」

 

「黒蓮血か。聞いたことはある……碌でもない連中だろ」

 モランが腕を組む。

 

「……人身売買、ねえ」

 ロザンナがタブレットの図を一瞥して、口を挟んだ。

 女を攫って売る商売は、アウターリムでは珍しくない。ニケの素体に使うか、慰みものにするか。買い手には、事欠かない。

 

「こいつら、男も攫ってたのよ。後でわかったことだけど」

 

「男を?」

 

「それも結構な数を、ね。女と違って、男を買い込む物好きなんて聞いたこともない。卸先がまるで見えないの」

 

 モランが眉間に皺を寄せ、二人を交互に見た。

 

「……おい待て。お前ら、やけに詳しいな」

 

 サクラが薄く笑む。ロザンナは肩をすくめた。

 

「何も知らねえのは、今回も俺だけかよ……」

 

「あんたの情報網が、東まで届いてないのが悪いんでしょ」

 

 気まずそうに、モランが咳払いをひとつ。

「それで──そのブラッズが、どうかしたのか」

 

 サクラはタブレットを次の画面に送った。その瞬間、モランの顔がわずかに強張る。

 

「彼らは全滅しました。一人残らず」

 

「全滅ぅ? ……どこと抗争したらそ──」

 

「その話は後。黙ってて」

 ロザンナが遮った。モランは口を尖らせたが、渋々従う。

 

 更に画面が切り替わる。ブラッズの拠点だった廃工場の、内部の写真。確認された死体の数──三十九。

 

 モランはその数字を眺め、ふと口を止めた。どう計算しても合わない、という顔で二人を見比べる。

 

「……待て。さっき構成員は五十だと言わなかったか」

 

「……その問いの答えを口に出すのは、憚られますね」

 サクラはそれだけ言うと、答える代わりにスライドを進めた。

 

 次に映ったのは、現場の分析レポート。確認された遺体は原形を留めぬものが多く、総数は割り出せない。三十九という数は、おおよその数値だとの但し書きが目を惹いた。

 

「……なんだよ、これは」

 モランの困惑が口から漏れだした。本気で気味の悪いものを見た時の声だった。

 

 ロザンナは、画面から目を逸らさない。やがて、その視線が、資料の一点で止まった。

 現場には二種類の薬莢が落ちていた。一方はミシリス製の標準弾薬。ブラッズが応戦した跡だ。

 

「妙なのはもう一種類のほう。人間が撃つには、威力が高すぎる」

 

 高威力の弾。その一言で、モランの顔から血の気が引いた。

 

「いや、ちょっと待て。ということは……」

 

 ニケの脳には、特殊なリミッターが組み込まれている。通常、人間に銃口を向けることすらできない。もし、その弾を撃ったのがニケだったとしたら。それは最早、ギャングが一つ消えた程度の話では済まない。ニケによる、人間の大量虐殺だ。

 

「ニケが、人間を……!? だが、こんな一方的に……まさか、複数が同時に思考転換を起こしたってのか!」

 

「鋭いですね。私も、最初はそれを疑いました」

 意外な肯定だった。モランが、これ見よがしに胸を張る。サクラもロザンナも、それには何も言わない。

 

「ですが、結論から言えば──ニケの線は、薄いかと」

 

 サクラがスライドを送るたび、分析結果が次々と流れていく。アウターリムへ出入りしたニケの一覧とその所在、既存規格との弾薬の照合、現場から延びる足跡の本数とその大きさ──いずれも、ニケの関与を否定する方向を指していた。

 

 もっとも、情報処理が不得手なモランが追えたのは、サクラの述べた結論だけだ。ともあれニケではないらしいと聞いて、強張っていた肩から、ふっと力が抜けかける。

 

 しかし、サクラの話はまだ続いていた。

 

「奇妙なのは、ここからです。撃ち合った跡はある。なのに、ブラッズ以外の死体は一つもない。現場の血痕から考えても、攻め込んだ側はほぼ無傷で引き上げたことになります」

 

 一通りの説明を終えたサクラは、タブレットを伏せた。

 

「……一体全体、何だってんだそりゃ」

 モランが呻いた。

 あまりに異様な話に、しばらくは誰も口を開かなかった。

 

「ちょっと待て、じゃあ……誰がやったんだ、こんなこと」

 最初に沈黙に耐えきれなくなったのは──モランだ。問いというより、行き場のない呟きに近い。ニケでもない、抗争でもない。ならば一体、何が五十人を殺したのか。

 その答えを探すように、モランは記憶を手繰り──ふと、思い当たった。

 

「待てよ。最近アウターリムに、エニックんとこのニケが配備されたって聞いたぞ。あれの仕業ってことは──」

 

「はァ……、とっくに消した線よ」

 ロザンナが再び切って捨てた。

 

「アンタ、さっきのデータの中身、見てなかったでしょ。アレが関わってたなら、死体も薬莢も残らない。──現場の状況とは噛み合わないの。分かる?」

 

 ぐうの音も出ず、モランは口をつぐむ。

 

「あの弾を扱える者は限られます。本件の実行犯も、ごく少数での──」

 サクラの分析が途中で遮られる。

 

「一人よ」

 話の舵を握り直すように、ロザンナがその先を奪った。

 

「出ていった足跡は、一人分だけ。──たった一人で五十人を相手取って、誰にも見られることなく、無事に生きて帰ったってわけ」

 

 言葉を奪われたサクラは、気を悪くするでもなく、茶を啜っている。気づけば、碗は空になっていた。

 

 ロザンナが、伏せられていたタブレットを開く。何枚もの現場写真の中から一枚を選び、卓へ滑らせた。血だまりを踏み抜き、点々と赤い足跡が、出口へと続いている。一人分。ただ、その一人分だけが。

 

 その赤を、モランはしばらく見つめていた。強力、隠密、そのうえ──と、何かに思い至った顔になる。

 

「……ただの皆殺しじゃねえ、これは。殺すだけなら、ここまでやる必要がどこにある。──完全にタガが外れてる」

 

 ロザンナは、モランを見て小さく頷いた。否定する者はいない。サクラは足跡の写真に目を落としたまま、動かない。

 窓のない部屋に、淀んだ静けさだけが、重く沈んでいた。

 

 やがて、サクラが写真から目を上げた。

 

「今回だけ見れば、厄介者が片付いた、それだけの話。ですが、ブラッズの抜けた穴を巡って、近隣はもう燻り始めています」

 

 モランが舌打ちする。アウターリムでは、力の空白は一日と保たない。

 

「どこの誰とも知れない者が、たった一人でこれをやってのける。そんな輩が野放しとあれば──秩序など、あってないようなものです」

 

「……放っておけば、どこまでも燃え広がるってわけね」

 ロザンナが、足跡の写真を指で弾いた。

 

「ああ。だったら火が小せえうちに、消しとくに限る」

 モランが腕を組み、唸るように同意した。

 が、すぐにその腕をほどく。

 

「とはいえ、だ。相手がどこの誰とも知れねえうちから、闇雲に踏み消すってのも、俺の性に合わねえ」

 

 異物は即座に取り除く。それが最適解だとしても、モランの流儀がそれを許さない。

 

「まずは、この目で見極める。話はそれからだ」

 

「それは構いませんが」

 サクラが、まだ温もりの残っている碗を指先で回した。

 

「モラン。こういう手合いの相手は、貴女よりロザンナのほうが手慣れているのでは?」

 

「へぇ。意外」

 ロザンナが片眉を上げた。

 

「アンタの口から、そんな言葉が出るなんてね」

 

 サクラは答えず、ただ碗を回している。ロザンナは、ふっと鼻を鳴らした。

 

「まあいいわ……乗った。荒事の始末は、もとよりウチの得意な領分だし」

 

「待て、ロザンナ。だったら俺も行くぜ。隣で見届けねえと、どうにも落ち着かねえ」

 

 先ほどまでなら食い気味に遮るロザンナが、今回は最後まで言わせた。そのうえで、首を振る。

 

「得体の知れない相手を探るの。二人でやったって、良いことはないわ」

 

「……わかった」

 

 モランは、一度引き下がった。が、すぐに顔を上げ、卓に身を乗り出す。

 

「見極めはお前に任せる。だが、ブラッズが消えて空いた穴──そいつを巡る小競り合いは、牡丹会に預けろ。アウターリムの揉め事を黙らせんのが、俺らの仕事だ」

 

 ここまで二人に流されるばかりだったモランが、初めて、自分から舵を取った。

 

「火が広がる前に、片っ端から踏み消してやる。任せとけ」

 

「……ふぅん。じゃあ、よろしくね」

 ロザンナが、口の端で笑った。

 

「では、まとまりましたね」

 サクラが場を引き取った。

 

「この件は中央政府にもマスタング社長にも伏せて、私たちの内々で進めることとしましょう」

 

「……弟は?」

 モランが、ふと口を挟んだ。

 

「弟には、一報くらい入れておいたほうが良いんじゃねえか。相手が相手だ。いざってときに、力を借りられりゃ心強い」

 

 中央政府の人間でありながら、指揮官は、U.W.Q.と個人的にも近しい間柄にある。モランがそう言うのも、無理からぬことだった。

 

「お気持ちは分かります。ですが」

 サクラは、やわらかく、しかしきっぱりと首を振った。

 

「あの方の手を借りるにしても、それは相手の正体を見極めてから。何も掴めていない今、手を煩わせるべきではありません」

 

「……それは違いねえな」

 モランが、渋々引き下がる。

 

「段取りはこっちで進める。何か掴んだら、共有するわ。──ただ、アンタに伝えるときは、一度ジンを通す。それでいいでしょ」

 

 ジンに預けておけば、雑多な情報も過不足なくモランへ渡るだろう。それに、腹に納めておくべきことをモランがうっかり外で漏らす──その手の心配もいくらか減る。

 

「連絡はBlaBlaで。いい?」

 

「ジン経由か。……うーん、まあ、あいつが噛むなら、安心だわな」

 モランは得心しつつも、どこか手持ち無沙汰な顔で、腕を組んだ。

 

 やがて話も尽きると、その腕をほどいて、ぐいと伸びをする。

 

「さて。辛気くせえ話のあとは飯だな。お前ら、どうだ。たまには付き合えよ」

 

「私は、お茶をもう一杯いただいてから」

 サクラが、空の碗を軽く持ち上げてみせる。

 

「あたしはやることがあるから」

 ロザンナは持ち上げた手元の書類に目を落としたまま、応じた。

 

「なんでえ、二人とも。つれねえな」

 モランはぼやきつつ、それでも機嫌よく席を立った。重い足音が階段を下り、やがて遠ざかっていく。

 

 扉の閉まる音を聞いて、ロザンナは手にした書類を、机の少し上で離した。ぱさり、と紙が落ちる。

 

「──アンタ、もう一杯はどこから出すつもり? 一杯分の茶葉しか持ってきてないくせに」

 

 サクラは悪びれない。空の碗を撫でて、薄く笑む。

 

「貴女も。やることの指示は終えたのでしょう? あとは待つだけだと思いますが」

 

「……はっ」

 ロザンナは、唇の端を僅かに上げた。否定はしない。それが答えだった。

 

「で、用件は? ──ああ、いいわ。当ててみせる。アレ、わざとでしょ」

 

「ええ」

 サクラは、間も置かずに頷いた。

 

 アレ、とは。今回の一件を、ロザンナの手へ流したことだ。成り行きを装ってはいたが、その実、すべてが仕組まれていた。サクラは、それを弁解もせず認める。──認めること自体が、そのまま牽制になる。

 

「さっきも言ったでしょう。貴女のほうが手慣れていて──もう、本格的に動き出しているようでしたから」

 

 ロザンナは立ち上がった。読まれていたことも、掌の上で転がされたことも、今さら腹は立たない。

 

「いいわ。あたしは、きっちりやるだけ。アンタがやったって、こうはいかないってくらいに、完璧にね」

 

 椅子の背に掛けた上着を取る。サクラのほうは、もう見ていない。

 

「話は終わったんでしょ? じゃあね」

 

 返事を待たず、扉へ向かう。背中で、空の碗を弄ぶ気配がした。あの女は、まだしばらく、ここに居座るつもりらしい。

 

────────────────

 

 容疑者を探し当てるのには、丸二日を要した。

 

 手がかりはほとんどない。名も、素性も、後ろ盾も知れない。だからこそ、持てる手はすべて打った──そしてその内の一本が、偶然を引き当てた。

 

 現場周辺を片端から洗ったことで、容疑者の足取りを掴んだのだ。特徴と一致する流れ者の“自称”傭兵が、周辺を転々としているという目撃情報があった。

 

 傭兵。

 ならば、見極める手段も自ずと決まってくる。

 

 私の名は出さず、腕の立つ傭兵を探しているとだけ伝えさせた。その男が今、部下に連れられ、此処に向かっている。

 

 実物を見た時の第一印象はまさに、“アウトロー”の一言だった。黒い髪を短く刈り上げ、無精髭。珍しい仕立ての服、三人分の認識票(ドッグタグ)とメダルのついた銀のネックレス。何より──こめかみと目の縁に埋め込まれた金属の光。全てが異様を醸しているが、隠す気もないらしい。

 

(機械まみれで、半分ニケみたいなもの……情報通りね)

 

 歩き方には淀みがない。部屋に入った瞬間、その四隅と扉際に佇む二人を一瞥している。それだけで、油断しているわけではないと分かった。

 

「……よく来たわね。座ってちょうだい」

 

 男は、勧めた椅子に腰を下ろした。深くもなく、浅くもなく。すぐにでも立てる座り方だ。

 

「依頼主と傭兵で立場は違うけど、私たちは対等にやりましょう。……だから、私のことはロザンナと呼んで?」

 

 名前以外は、何も明かさない。どこの誰で、何を束ねているか──それはまだ、握っておくべき手札だ。

 

 男は、ほんの少しだけ間を置いた。

 

「……Vだ」

 

 短い。それだけ言って、こちらを見る。

 

「よろしく頼む、ロザンナ」

 

 自己紹介から僅かな間をおいて、動かしたのは、指先のほんの少し。

 

 それだけで、そばで控えていた部下が進み出る。卓にワイングラスが二つ置かれ、若く、濃い赤が満たされていく。更には、本物の葡萄から造られた一本だ。

 

 葡萄が育つ広大な土地も陽もないアークでは、本物というだけで高値がつく。間違っても、傭兵風情に振る舞うようなものではない。──それを承知で振る舞わせた。部下の所作は、流れるようだった。いつも通りの光景だ。

 

 Vの視線が静かに動いた。

 グラスにでも、酒にでもない。

 その目は私の指先と、即座に応じた部下とを順々にたどって──ふと、得心したように止まる。

 

(へえ……)

 

 鈍い男なら、出された酒に喜ぶ。臆病なら、毒を疑う。でもこの男は、どちらでもない。ただ指一本の動きで、人が動いた。その意味を一目で量った。

 

 出だしとしては悪くない。

 

 私は薔薇のタトゥーを、中指の腹で幾度か叩いた。癖のようなものだ。考えごとをするとき、本題に入るとき、いつのまにか触れている。それを見た部下がすかさず小箱を差し出す。そこから煙草を一本、唇に挟む。

 

 ──だが、いつもならすぐに差し出される炎が、今は来ない。部下が懐を探っている。ライターが見当たらないらしい。

 

(……はぁ、こんな重要な時に何やってんの)

 

 小さく、ため息をついた。苛立ちより先に、呆れが立つ。

 

 ジジ…。

 

 紙の焼ける音。

 音に遅れて煙が口の中へ流れ込み、喉の奥をやわく撫でた。

 

 目前、煙草の先端には紅が咲いていた。

 

 そして、火の更に先にVはいた。

 

 向かいの椅子にいたはずのこの男は、いつの間にか私の横で片膝をついて、煙草の先へ炎を寄せている。

 

 火が移ったのを見届けると、Vは炎を消し、ゆっくりと立ち上がった。カチン、という金属音だけが部屋に残る。その手元に揺れはない。

 

 どうやって。火を点した。

 いつ。卓を回り、ここへきた。

 目を離したのは、ほんの一瞬。それで移動の過程を取りこぼしている。

 

 顔には微塵も出さない。煙を細く吐き、私はグラスの脚をテーブルにつけたまま中身を緩く回(スワリング)した。

 

「……へえ。こうやって火をつけるのも、傭兵のサービス?」

 

「いいや。“対等な友人”への、ちょっとした礼儀って奴だ」

 Vは手持ち無沙汰にライターを転がして遊んでいる。

 

「だが、自前のはオイルを切らしててな。断りがなかったのは悪かったが、──そこの彼女から借りさせてもらった」

 

 借りた、の一言とともに、Vが指先のライターを軽く掲げてみせる。見慣れた意匠が光った。薔薇の紋章。アレは、ヘッドニアの──あのライターは、私たちの物だ。視線をそばの部下へ送る。彼女はまだ懐を探る手を止められず、間の悪い顔をしている。

 

(なるほど。……アンタから抜いたわけね)

 

 これはサービスでも好意でもない。私の懐は、いつでも探れる。そう言っているのだ。指一本で人を動かしてみせた私に対して、指一本動かす間もない速度で間合いへ入ってみせた。

 

 ……今回はやられたと言わざるを得ない。

 

 だが、それでわかったこともある。

 此方への意趣返しに、手品を選んだ“意味”だ。このやり方は、飢えた獣の牙ではなく、振るい方を選ぶ人の刃だ。

 ──少なくとも、今は。

 

「──ただ、サービスがお望みなら」

 Vが、ライターを指の間で転がす。まるで手品師の持つコインだ。

 

「俺にもできることが、一つある。……これから、簡単な手品を披露する」

 

 言うが早いか、Vはそのライターを、ふっと上へ放った。つられて、部屋中の目が宙を追う。時間にして一秒も目を逸らしていない。

 

 ──落ちてこない。違う。宙には何もなかった。

 

 Vの手も既に空だ。

 では、ライターはどこへ。

 その思考よりも早く、そばの部下が驚嘆の声を上げた。彼女は胸ポケットから何かを急いで取り出した。先程確かめた時は、()っぽだった場所からだ。

 

 彼女の手に握られていたのは──薔薇の紋章が刻まれたライター。あれは間違いなく、先程と同じ物だ。

 

 ある程度の推測はできる。放るふりをして、視線を誘導した。その隙に戻したのだろう。そこまでは分かる。

 

 ……やめた。

 

 それ以上は考えるだけ無駄だ。私のすべきことは、手品の種探しなんかじゃない。

 

「なるほど……いい余興だったわ。それで気は済んだ?」

 

「まあな。ついでに、俺にも一本分けてもらえるか?」

 悪びれもせずにVが言う。

 身の程知らずがねだる姿はこれまで何度も見てきた。だが、目の前の男は分かち合うに足る人間だ。煙草の一本くらいは、だが。

 

 顎で部下に指示を出す。今度こそ、Vへ手渡した煙草の火を点す。何事もなく、当たり前に。

 

「ありがとう」

 Vが、私と部下の二人に礼を言う。その表情からは焦りひとつ伺えない。

 

「……ねえ。さっきの手品だけど」

 私は、煙を吐きながら言ってやった。

 

「質はともかく──淑女の胸元を勝手にまさぐるのは、感心しないわね」

 ちょうどライターをしまい終わった部下が、キッとVを睨み、自分の胸元を手で押さえた。

 

 Vは、煙草を咥えたまま、目だけを右から左へ滑らせた。続けて、首も同じほうへ。座り方のバランスまで左へ寄せて、誰もいない方へ、ふう、と鋭く煙を吐く。

 

(……ふん。ただの仏頂面ってわけでもなさそうね)

 

 張り詰めていた糸が緩む。これ以上の探り合いは要らない。お互い、手の内のいくらかを見せ合った。

 

 Vは、煙草をくゆらせるばかりで、グラスには手を伸ばさない。

 

「はっ、毒なんて入ってないわよ」

 この言葉すら、彼の反応を測るための物差しに過ぎない。

 

「対等にやろうって言ったでしょ。そんな無粋はしないわ」

 

「ああ、毒の心配はしてない。──ただ、もう少し待ちたくてな。フルボディの若い赤だろう? 香りが開くまで、置いてやったほうがいい」

 個人的な好みとしてはだが、とVは続けた。

 

 表情こそ崩さなかったが、こればかりは、笑いたくなる気分を抑えるので精一杯だった。アウターリムで、ワインの好みを語る男に会ったのは初めてだ。こんな時でもなければ腹を抱えていただろう。

 

 ギャングをまるごと潰した機械の腕に、種の知れない手品。そのうえで、どこか洗練されている。別の表情を知るたびに、ミスター──指揮官とは別の意味で、この男は面白くなっていく。

 

(……このワイン、開けた甲斐があったわね)

 

 耳飾りを、後ろから指で撫でる。

 その拍子に、ちいさな飾りが、ふわりと持ち上がる。扉際の二人と、そばの一人が、音もなく退いていく。残るのは私と、この男だけ。

 

 護衛を、下げた。

 得体の知れない男相手に正気じゃない、と笑う者もいるだろう。

 でも、これでいい。対等と言ったのは私だ。守られながら吐く言葉に、重さはない。それに──依頼の内容は、部下たちにも聞かせられない。

 

 くゆらせていた煙草を、灰皿の縁へ置く。

 先ほどは遊びで驚かされたが、本番は始まってもいない。

 

 グラスを持ち上げた。

 

 (ワイン)も、ちょうど開いてきた頃合いだろう。

 

 まるで、祝杯でも上げるみたいに、私はそれを、軽く掲げてみせる。

 

「さて。親睦は十分深まったでしょう?」

 

「──そろそろ、本題に入りましょうか」

 

 私がこの男を見極める──虐殺者としての、表情を。

 

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