噂によると / Legend Has It [CP2077 × NIKKE] 作:Narrenschiff
入口に備え付けられた監視カメラの赤外線が、たわわに実った赤い果実のように見えた。物資の貴重なアウターリムにおいては、監視カメラは知恵の実も同然の価値があった。
キロシの示す先、レンズの中心、配線の継ぎ目、振れ角の死角。情報が網膜の端を流れていく。
そこへ
くぐもった音が一つ。
レンズは砕けて、カメラは天井で死んだ角度のまま固まった。火花が散ったが、それでも誰も気づかない。
俺が行き着いたのは、窓のない物置だった。アウターリムの東の外れにあって、地図にも載っていない──これは、他の建物もそうだった。
だが、それは意外にも容易く済んだ。
──電気だ。この一角だけが、周囲と比べて異様な電力集中を見せていた。それは砂漠の真ん中に生えている、青々とした果樹のようにしか見えなかった。
(電気の使いすぎで殺人鬼を呼び寄せるなんざ、80年代のホラー映画でもやらねェ手法だぜ。運のない間抜けたちだったな)
鉄扉を抜けると同時に、俺は光学迷彩を起動する。これで数秒ほど、身体ごと景色に溶ける。そのまま通路の突き当たりを進んだ先、モニターの光が漏れている部屋があった。監視室だ。中で一人、椅子に背を預けて退屈そうに画面を眺めている。入り口のカメラが潰されたのにも気づいていなかった。
この男の背後に立つのと同時に、光学迷彩の効果が切れる。隠れるのはここまでで十分だ。腕を首に回し、抱き寄せるように絞める。すぐに力が抜けた。椅子からずり落ちる体を、床へ寝かせる。
──死んではいない。暫く起きることもないだろうが。
モニターには幾つかの部屋が映っていた。一つの部屋につきカメラは二、三機。視線を順に滑らせる。キロシが、画面の中の売人たちにタグをつけていく。──合計六つ。これでもう、どこにいても見失わない。
しかし、事前にロザンナから聞いていた人数は八名だった。床で転がっている奴を足しても、一名足りていない。考えるまでもなく、答えは単純だ。この建物には、撮られたくない人間が一人だけいる。
「唯一、カメラのない部屋……そこがボスの部屋だな」
(お見事!名探偵Vの推理は今日も冴え渡る……なぁ、お前は何のためにこんなことやってんだ?)
先程からずっと喋っていた声が、頭の中で響く。いるはずのない方角から煙草の煙が流れ来て、視界の端で揺れる。幻聴だけでなく、幻覚まで見えてきた。
ロザンナからの依頼内容は『密売人グループのボスの捕獲』。条件は、喋れる状態のまま確保する。それだけだ。わざわざ対面の場を設けた割には、大した依頼でもない。それだけで、ロザンナの思惑の内のいくつかは想像がつく。
──考えるのはやめた。今は、そういう気分じゃない。
タグの点る方へ歩く。
最初の部屋は、作業場だった。スチールラックに、机の上には小分けされた粉袋。計三人。テーブルを囲んで、手を動かしている。
反応を見るため、積まれた空き箱を爪先で小突く。ボゴ、と乾いた音が鳴った。
「あ?ネズミでも入ったか……」
一人が腰を上げ、ラックの陰を覗きに来る。影で待ち、襟首を取って頸動脈を挟む。膝が抜けるまで、数秒。
残り五人。
よほどノルマが厳しいのか、一人消えたのも気にせず袋詰めに夢中だ。異変に気づくより早く、間合いを詰める。鳩尾に、ゴリラアームを捻じ入れる。詰まった一声。それきり、意識を手放した。
ようやく最後の一人が振り向いたが、その時にはもう首筋には手が掛かっていた。
残り三人。
次の部屋は、寝床だった。三人とも、毛布にくるまって仮眠を取っている。起こす必要もない。眠たい奴は、眠らせておけば良い。一人ずつ、手早く拘束して、次へ。
これでカメラに映った六つのタグが、すべて消えた。残るは一部屋。
最後のドアを開ける。
奥で、ボスらしき男が端末をいじっていた。構成員が来たとでも思っているのか、俺がドアを開けても、しばらくこの男は顔を上げなかった。
数歩近づいてから、減音器の長い銃口を、その頭へ突きつける。
「動くな。手を上げろ……顔はそのまま下だ」
ようやく端末を弄るボスの手が止まった。男はゆっくりと両手を上げ、振り向こうとして──やめた。
碌な武装もしていない小規模組織だ。
片付けるための所作には、僅かな熱が籠る隙間もなかった。
ボスに向けた銃の引き金には、常に指を添えている。撃つつもりはないが、この持ち方で慣れている。暴発のリスクを考えても、やめる理由はなかった。
なのに、指の腹がトリガーを撫でた瞬間、別の感触が蘇る。
“あの時”も、ここまでは同じだった。
(はっ、懺悔でも始めようってか?ここには神も神父もいねェ)
顔はぼやけて、暗がりで赤く灯る煙草の先だけが視界の端に映る。先程までよりも幻影の像が近づいている。
俺の頭はずっと冴えていた。手元は正確で、判断には淀みがなかった。標的を見分け、優先順位をつけ、最短で撃つ。一秒たりとも意志を手放していない。
腹の底で、怒りだけが煮えていた。
誰に頼まれたものでもなく、誰かのための正義でもない。
あれは、堪えきれない俺の“私怨”だ。
誰に許された裁きでもない。俺が測り、俺が裁いた。
(おっと、神ならここにいたな。正確に言えば、神気取りのクズだが)
俺は空いている方の手で、男の両腕を背中へねじり上げた。両手首から前腕にかけて、そこら辺にあったダクトテープをキツく巻く。これで、まともに腕は動かせない。喋る口さえ無事なら、それでいい。
ボスが見ていた端末の画面はまだ点いたままだった。出来の悪い作りの映画が、音もなく流れている。陳列された人間が一つ手に取られ、白塗りのピエロがそれを“使う”。そこから先の展開は、見るまでもない。酷い作り物だ。全てが適当な作りで、リアリティの欠片もない。
ただ、この映画を一目見ただけで、心の中に、すとんと
熟れて、張り詰めて、限界まで膨らんだ果実。指か引き金を撫でるたび、待っていたように内側から裂ける。種が、赤い汁と共に飛び散る。割ったのは俺だ。俺には、奴らが割れたがっているように見えた。
(…………)
幻覚の語る声が、遠くなる。
柘榴を割るのは一度で足りるはずだった。
少しだけ目を瞑って、軽く首を振る。
俺は依頼完了の連絡を送るため、ロザンナから渡された端末を取り出した。BlaBla──チャットアプリを開いて、短く打ち込む。『完了。場所を送る』。続けて、この物置の座標を貼り付けて、送信した。
既読はすぐについた。向こうも待っていたらしい。これで、人を寄越してくる。ここまでの道のりを考えれば、着くまでに小一時間といったところか。
端末を仕舞う。指先に感じていた熱が、次第に引いていく。
(選んで殺すのが、そんなに上等か?)
声が戻ってきた。
今度はすぐ耳元にある。
怒りの中にあっても、冷えた頭で、相手を選んで手を下した。無差別じゃない。あれはサイバーサイコとは違う。
俺はまだ、
(ご立派な理屈だ。だがな、V)
煙草の煙が、目の前を白くする。匂いすら感じるほど、この幻覚はそこに
(お前の境界線ってのはな、結局はてめえで勝手に引いたもんだろ。都合で描き変えないなんて、どうやって言える?)
反論の言葉は、思い浮かべる前に自重で潰れていく。
選んで殺すか、無差別に殺すか。その間に引かれた、一本の線。──正直、俺にも意味があるのかわからなくなる時がある。
(お前は元々、殺しを厭うようなタチじゃねえ。ボケて、これまでのことを忘れたわけじゃねえよな)
「……ああ。俺が選んだ結果は、一つ残らず覚えている」
声に出していた。
「──これまでも、これからも変わらない。俺に言えることは、それだけだ……」
ジョニーは、しばらく黙っていた。
(……ったく。相変わらず、救えねえ)
呆れたような、それでいて、どこか諦めたような声。煙草の煙が、目の前からゆっくりと薄れていく。
その時、拘束したボスが身じろぎした。俯いたまま、こちらの様子を窺っている。
少し遠くで、複数の足音が聞こえる。
小一時間と踏んでいたが、思ったより早い。俺は端末に手をやらず、ただ入口の方へ顔を向けた。
ロザンナの寄越した連中が、来た。
入ってきたのは、三人組だった。
先頭の二人が、手早く現場を検めていく。床に転がしておいた売人を一人ずつ確認し、小声で何かを相談しつつ、慣れた手つきで運び出す算段をつけ始める。後始末には、よほど慣れているらしい。
俺は拘束したボスを顎で示した。
「そっちが本命だ。さっきから黙っちゃいるが、喋れないってことはないはずだ」
引き取りに来たのは、三人目の部下だった。その顔を見て、俺は思わず動きを止めた。見覚えがある。ロザンナとの初顔合わせの時にいた──ライターの女だ。
嗚呼、目が合った。
ライター女の眉があの時と同じく、キッ、ときつく吊り上がる。射殺さんばかりの視線がまっすぐ俺に突き刺さった。あの時のことを、しっかり根に持っているらしい。
……まあ、無理もない。
「……いや、悪かったって」
ここで茶化すと話がこじれるのは目に見えていた。女は鼻を鳴らしただけで、何も言わずにボスを引き取っていった。
それで済んだ。依頼通りボスは死んでないし、怪我一つない。文句のつけようもない仕事だ。
ライター女が撤収前の最後に俺へ何かを押しつけてきた。
小さな包みだ。中を検める。当面しのげるだけの食糧と、それから一枚のカード。クレジットと呼ばれる、この世界の電子通貨が入っているらしい。
口座も回線も持っていない
女たちは、来た時と同じく手際よくボスと売人を運び出していく。最後にもう一度、あの女がこちらを睨んでから、扉の向こうへ消えた。
静かになった物置で、俺は包みを懐へ仕舞う。
久しぶりの仕事は、終わった。
包みの中からパン──によく似た食べ物を取り出し、齧る。
悪くない。
────────────────
時刻は深夜、店じまいを済ませた後の静けさが、フロアの隅々まで沈んでいた。先程までは客と酒、穏やかなジャズで満ちていた空間には、もう私以外、誰も残っていない。
その店の上階で、私はグラスを傾ける。酒は既に飲み終えた後だったが、氷から溶け出た水が、淡い琥珀色と薫香を纏っている。手元の端末が短く震えたのは、その時だった。
あの男に持たせた専用回線だ。画面には、『完了。場所を送る』の簡潔な一文だけが浮かんでいる。
(……まだ半日も経ってないんだけど)
とはいえ、ちょうど良いタイミングだった。私はグラスを置いて、立ち上がった。
上着を羽織り、部屋を出る。消灯した店内を、ヒールの音だけ連れて歩いた。脚を動かしているうちに、散らかった思考が、勝手にあるべき場所へ収まっていく。
ほどなくして、現場へ向かわせた部下たちからも連絡が入る。密売人たちとボスの身柄、確保済み。
死者、ゼロ。
クスリの売人どもは、ボスから構成員に至るまで一人残らず生きていた。
(……ふうん)
私が出した条件は、一つきり。「ボスを喋れる状態で確保しろ」。それだけだ。残りの売人については、何も言っていない。殺すか、潰すか、好きにすればいい。そういう余白をわざと残しておいた。
たった一人で五十人を挽き潰した男。あの惨状を見せられた後では、誰だって同じ絵を思い描く。今度もまた、血の海ができるんだろう、と。私も、最悪の場合は依頼失敗まで想定していた。
ところが、どうだ。
あの男は、誰一人殺さなかった。
(いいえ、今はその
今考えるべきは、あの男が見境なく暴れまわる力ではなかったという
それがわかっただけでも大きな進歩だ。何か、条件が──ブラッズの時にはあった理由が、今回はなかったのだろう。
(何があんたをそこまでさせたんだか……)
あの虐殺には理由がある。私にはまだ、その中身が見えない。だが、明確な意志を持って振るわれた暴力だった。
そこでふと、気づく。
もしも、
(……ま、人のことは言えないってわけね)
だからこそ、目を離す気にはなれなかった。
一時的に除外はしたが、私の目を欺く為に、殺人衝動を抑えている可能性もまだ残っている。
面白い。実に、面白い男だ。
思案の内に、目的地についた。
目当ての建物は、事情を知る者だけが辿り着ける、そういう作りだ。
中へ入ると、見慣れた部屋が私を迎えた。
飾り気のない一室。椅子が二脚と、卓が一つ。あの男と向かって言葉を交わしたのも、この場所だった。
卓に着こうとした、その時。
懐の端末が、また震えた。
(あの男……今度は何)
画面を確かめる。さっきの一文の下に、新しいメッセージが続いていた。
『報酬は確認した』
『ついでに二つほど訊いていいか』
わざわざ聞くほどの内容であればいいが、まさかこの男は世間話でも始めようというのか。
(まあ、いいわ。聞くだけ聞いてあげる)
私は片手で、短く返す。
『何かしら』
返事はすぐに来た。
『このパン、結構美味いな』
『どこで買える?』
『あと、』
『アウターリムで』
『今日までニケを見なかったんだが』
『理由は知ってるか』
『?』
呆れた問いの後に来た言葉を目にして、指が止まった。『今日まで』?
つまりこの男は、今日はニケを見た、と言っている。今日──既に日付は変わってしまったが、私と会った時のことを指していると考えるのが自然。
(……はぁ?)
危うく声が出かかった。
第一に、ニケと人間を見分けるなんて普通じゃない。量産型であれば、顔や服装などで判別できるだろうが、今回の例には当てはまらない。
そして第二、アウターリムにニケがいないなど、今さら問うようなことじゃない。理由を知らないなど、あり得るのか。
最初は、脅しか皮肉かと思った。
だが、すぐにその線は消えた。それにしては問い方が素朴すぎる。このタイミングで行う意味も薄い。これではまるで──記憶喪失にでもかかった人間の問いだ。しかし、記憶を失くした人間が、一
目。
あの男の、目?
記憶を辿る。最も近くに来たのは──煙草の先に火を灯して貰ったあの時、あの目。
Vの眼窩には、見慣れない機械が嵌まっていた。
(……あれ、か)
腑に落ちた。見抜く目を持ちながら、何も知らない。矛盾しているようで、していない。考えられる可能性として導き出されたのは、一見してあり得ないものだった。
──Vという男は、アウターリムの人間じゃない。それどころか、アークの人間ですらない。どこか、私たちの知らない場所から流れ着いてきた。
風の噂で聞いたことがあるのだ。異世界から来た人間がアークや地上でしばらく過ごし、光のように去っていくと。
(本当だとしたら……どこまでもはみ出し者ってわけね)
私は、短く返事を打った。
『後でね』
あの男のことは、今日はここまで。
──モランのいっていた通り、ミスターに助力を求めた方が良い案件かもしれない。
今は、他にやるべきことがある。
私はようやく、もう一方の椅子に座る男へ視線を向けた。
クスリの密売人どものボス。後ろ手に拘束され、猿轡を噛まされたまま、静かにそこにいる。Vが注文通り、喋れる状態で届けてくれた品だ。
この男を生きたまま欲しがった理由は、二つある。一つは、あの傭兵の値踏み。与えた仕事を、どうこなすか。そっちはもう済んだ。
そして、もう一つ。
──本来の用件は、こちらだ。
(まあ、コイツが潰れても大丈夫なように、他の手段も用意してたけど……)
私は部下に目で合図して、猿轡を外させた。
ボスは何度か咳き込んでから、媚びるような笑みを浮かべる。この男が何を言い出すかまで、概ね想像できる。
「ま、待ってくれ!俺は何も知らない。誤解な──」
「静かに」
男の言葉を、遮る。
「聞かれたことにだけ答えて。難しい質問はしないから」
「……“誰か”が、貴方たちの商売を助けてくれていた。そうでしょう?」
男の笑みが、固まった。
額に流れる冷や汗の量が増す。
気になる点は二つあった。一つは『ブラック・レース』──アークのどの売人も扱っていない高度な合成麻薬を、この小物が売り捌いていたこと。妙なことに、ブラック・レースは工場にはなかった。それはつまり、外部から持ち込まれたものを意味した。
もう一つ──この男自体はどうでもいい。私の興味は、その後ろだ。私の身内でありながら、よそ者に庭を貸した者。私が、絶対に許すことのできない者。
──裏切り者。
私は、空いた椅子に腰を下ろした。
視線の高さを合わせる。反応から見るに、そう長い時間はかからないだろう。
「あのクスリの出どころは、後でゆっくり聞くわ」
まずは、と私は続ける。
「その“誰か”と少しお話がしたいの──教えてくれる?」