TS魔法使いさんは師匠のために今日も戦う 作:第616特別情報大隊
……………………
──傭兵
クマの振り下ろした前足が魔力装甲によって弾かれた。
クマは狼狽え、私を威嚇するように吠える。
そこでクマの頭が爆ぜた。
クマの頭蓋が弾け、脳漿がスプレーされたように茂みにまき散らされる。
私ではない。ソフィアが魔法を放ったのだ。
「大丈夫か、リンクス!」
ソフィアはクマの死体がぐらりとよろめいて倒れる中、右足を引きずるようにして私の方に駆け寄ってきた。
地面にへたり込んだ私の身体に傷がないかを確かめ、無事だと分かると安堵の息を吐いて彼女は私を抱きしめた。
「もっと用心して行動しろ。肝が冷えたぞ」
「すみません、師匠……」
私を抱きしめてそう言うソフィアに私はそう謝罪の言葉を口にする。
「しかし……さっきお前は詠唱したか?」
「いいえ……」
ソフィアはそれから私の顔を見てそう確認を取るのに、私は首を横に振った。
私は詠唱しなかった。
それでも魔法は発動したのだ。
それもソフィアが事前に渡していた魔法陣で展開される薄く全方向に展開した魔力装甲ではなく、クマの前足の攻撃をもっとも強固に弾く部分的なものであった。
「……では、まさか無詠唱で……」
ソフィアの表情が険しくなる。
何か不味いことが起きたのだということは、私にも分かった。
「リンクス。もう一度同じことができるか?」
「分かりません……」
それでも私は何が起きたのかさっぱり分からなかった。
気づいたらこうなっていたとしか。
「……なら、試してみよう」
ソフィアはそう言い、私に立ち上がるように促す。
私はソフィアに支えられ、よろめきながらも立ち上がり、ソフィアの前に立つ。
「詠唱せずに私の投げる石に対して魔力装甲を展開してみるんだ。いいな?」
「はい」
さっきのは気づかないうちに詠唱していたのではないだろうかという疑問を解決するために、ソフィアは河原にある小石を拾った。
「いくぞ」
そして、彼女はそれを軽く投げる。
放物線を描いて飛んでくるそれに向けて私は詠唱せずに、魔力装甲を意識した。
すると──。
「……間違いないな……」
青緑色の魔力装甲が部分的に生じ、小石が弾かれる。
ソフィアはそれを見て険しい表情を浮かべた。
「明らかに私が渡した魔法陣のそれではない。それを詠唱なしで……」
そう呟き、ソフィアは考え込む。
「これは不味いことなのでしょうか……?」
私は心配になってそう尋ねる。
「不味いと言えば不味い。魔法使いには制約が存在する。人間が魔法という奇跡の力を使うには必ず魔法陣や詠唱、あるいは魔導書が必要なのだ。だが……お前はそれを必要としない……」
ソフィアは続ける。
「少なくとも私は聞いたことがない。魔法使いが制約なしに魔法を使うなど……。だから、私にも何が起きるのか分からない……」
まだ彼女と一緒に暮らし始めてから半年程度だが、彼女がこんなに不安そうな顔をしているのは初めて見た。
「だが、もし他の人間がこのことを知ったら、あまりよくない結果になるだろう。お前を異端として排除するか、あるいは利用しようとするか。人は自分と異なるものには、酷く冷酷になれるからな……」
ソフィアはそのような心配を抱いていたのだ。
「リンクス。これからは詠唱する振りだけでもしておけ。それが必要なくともお前を守ることに繋がる。そして、同時に──」
彼女は続ける。
「詠唱も魔法陣も必要ない魔法。その才能を伸ばしていくぞ。それはお前を危険にさらすかもしれないが、同時にお前の武器にもなる」
「武器に……」
「ああ。生き残るには武器が必要だ」
思えばずっと私は魔法というよりも、生き残る術を教わっていたのだと思う。
飲み水を確保し、狩りで獲物を捕らえ、解体して調理するという生き延びる方法を。
そして彼女の武器になるという言葉は比喩ではなく、文字通りのものだった。
* * * *
私とソフィアの山小屋での日々は続いた。
私は11歳になり、五芒星が刺繍された魔法使いのローブを与えられて、狩りもひとりで任されるようになった。
とはいってもソフィアが上空から使い魔で様子を見ているのは知っている。
彼女は過保護なまでに心配性なのだ。
だが、今の私は狩りのコツも身に付けている。
風下と風上を意識し、臭いで獲物に気づかれないように接近すること。
獲物の急所となる心臓の部位を正確に狙うこと。
そして、狩りの際には自分が狩られる側にならないように十分に用心すること。
「いた」
私は獲物を見つけた。
それは大きなイノシシで、ソフィアとふたりで食べるならば10日は持ちそうなほどの大きさのイノシシである。
そのイノシシはまだ私の方に気づいておらず、私は可能な限り距離を詰めた。
「えい」
そして、私はほぼ無詠唱で魔力の矢を形成。
大口径ライフル弾クラスの破壊力を持つ矢を作り、それを加速させてイノシシに叩き込む。
イノシシは矢を受けると心臓を貫かれ、数歩歩いたのちにぐらりと倒れた。
今の私は無詠唱であらゆることができる。
飛行魔法も、攻撃魔法も、防御魔法も全て無詠唱だし、魔法陣も魔導書もいらない。
複雑な詠唱や魔法陣が必要になる強力な魔法だって、すぐに発動できるのだ。
これは他の人間にはできないことだった。
私は仕留めたイノシシを飛行魔法で浮かべて運び、ソフィアの待つ山小屋に帰る。
「師匠、ただいま」
「ああ。お帰り、リンクス。大きな獲物だな」
ソフィアは笑顔を浮かべて私を迎える。
「師匠、それは手紙?」
「……ああ」
ソフィアは羊皮紙に書かれた手紙をテーブルの上に広げていた。
彼女のそれを見る表情は複雑なもので、少し心配になった。
私は魔法を教わる過程で文字の読み書きも教わったので、その手紙が読める。
私は手紙に視線を向けてその文面を盗み見た。
「帝国西部の反乱鎮圧への参加要請?」
堅苦しい文章で書かれたそれに私はソフィアの方を見る。
「……これまで言っていなかったが私は傭兵だ。人を殺し、それで対価を得る職業」
ソフィアはゆっくりと、重々しくそう語った。
彼女が傭兵だったとは私も初めて聞かされた。
魔法使いというのが彼女の職業だとばかり思っていたのだ。
「これまでは何とかやりくりしてきたが、税を払ったり、食料を買ったりしていれば金は出ていく。そろそろ本業に戻らなければならない……」
彼女はどこか謝罪するようにそう言った。
「お前はどうする……? もうお前ならばひとりでやっていけるだろう。無理に私と来る必要はない。傭兵以外のもっと真っ当な仕事を見つけることだって──」
「一緒に行きます」
私はソフィアが突き放そうとするかのような言葉でそういうのにそう返す。
「ソフィアが傭兵でも私は構わない。私はあなたと一緒にいたい」
私はソフィアが人殺しでも、もっと酷い大量殺人鬼でも構いはしなかった。
彼女は私に希望を与えてくれたのだ。
この暗い世界で唯一の希望を──魔法を与えてくれたのだ。
そんな恩人に私はまだ何も返せていない。
「……そうか。ありがとう、リンクス」
ソフィアは深く感謝するようにそう言い、小さく微笑んだ。
それから私たちは傭兵として旅に出た──。
……………………