潜ってみた海は快適だった。
ぬるいくらいの海水温、頭上からは明るい水面。
下には桜のように広がる桃色のサンゴ礁が。
美しいな……
『じゃあ、この辺で待つように言われてるんで合図の歌を歌います』
マリナが赤い二本の柱と木材を組み合わせた構造物の前に浮いてこちらを振り向いた。
独特なデザインだな……厳かというか神秘的というか。
マリナが陽気な港の歌を歌う。
水中で歌えるのはムジカが開発した『振動』の魔法だな。
もともとは『拡声』の魔法なんだがな。
あいつはそこから音が振動であることを発見してそこだけを抜き出して特化させた。
『ご清聴ありがとうございました!しばらくしたら案内役の人が来ると思うっす』
『うむ……ところでこの柱は何なのだ?おそらくは目印なのだろうが』
私が尋ねると、カシアンが興味深そうに柱を撫でて答えた。
『ああ、これは鳥居というものですね。五龍諸島の火の島に伝わる宗教的な……そうですね、俗世と神域を分ける門のようなものです』
『魔術効果ではなく概念的宗教的な結界ね。魔術学院が信仰を担っているノルド文化圏とはまた違う文化……興味深いわ』
『ふむ、異国の宗教か……何かタブーはあるのか?失礼がないように知っておきたい』
そういうとマリナはその口を開けてサメ歯を見せながら少し考えて言った。
『そうっすねー、まずあの人たち食べ物は大事にするっす。残さず食べて、食べた命に敬意をもってるっす。特にコメは大事で、コメを踏んだりしたらたぶん許されないすね』
『ほう、それは確かに大事だな』
案外常識的なのか?何しろわからん相手だからなあ。
『あとは綺麗好きっす。当たり前すけど、ゴミを散らかしたり外でトイレしたりしたらヤバいらしいす』
『それはそうだろう』
そういえばエンダール王都ではわりとそのへん寛容らしいが、私は普通に母様に王族基準で躾られたし、子にもそう教えてきたからわりとラウレミル首都と浮島は清潔だ。
ふむ……案外気が合うかもしれんな。
『あとは挨拶はしっかり、とか聞いたっすね。向こうはわりと名乗りが大事らしいんで。そのくらいすよ』
『なるほど……良く聞きだしてくれた。助かるよ』
『あざっす!』
いやマリナすごくないか?かなりしっかり相手の礼儀を聞き出している……
私の孫は天才かな?まあ天才だな。ムジカも方向性は違えど普通に天才だしな。
『なるほど、面白い文化圏ね。そこに至るまでの経緯が気になるわ』
『それでしたら私も寡聞ながら学院の記録をお答えしましょう』
うーむ学者どもは学者共で盛り上がってるな。
水の下の都に期待が高まるよ。
そんなことを考えていたら、トリイの向こうから音が聞こえてきた。
なんだろうな、笛かこれ?だが吹き方がバイオリンのようにさめざめと泣く感じだ。
聞いたことのないゆっくりとしたリズムで、神秘的という雅というか……
『あ、来るっすね』
マリナがそうつぶやくと、サンゴ礁の向こうから数人の魚人とラッコ系獣人が泳いできた。
ふーむ変わった衣装だな。ゆったりとした黒っぽい服だ。
『よくお越しくださいました。らうれみる王家の方でございますね?それがしは水の宮に仕えます平野源之丞と申します。御高名をおたずねしてもよろしいでしょうか?』
ティラノ?タイラノ?そういう名前か。異国の響きだな。
マリナが私を見る。うむ、これは私が言わねばならんな。
『お初にお目にかかる。いかにも私はラウレミル連合国女王、グレイス・インガイエル・ラウレミルだ。お招きいただき光栄だ。グレイスと呼んでいただきたい』
ティラノと名乗った相手の魚人は大柄なサメの魚人だ。
だが威圧感というよりは悠々とした気品を感じる。
なにしろずっと頭を下げるような姿勢を取っているからな。
『ご高名をたまわりありがとうございます、ぐれいす殿下。それがしのことはタイラとお呼びくださいませ』
これ私が言わないとずっと敬礼みたいなのやってる感じか?
『うむ、よろしく頼む。タイラ殿。どうぞ楽にされよ』
『はっ、かたじけない』
なんか……ものすごく丁寧な人たちだなあ~!
落ち着いているがこちらも背筋が伸びてしまうよ。
『では、ご案内いたします。どうぞこちらに』
『うむ』
そうして私は魔力の義肢で生やしたシャチの尻尾や足のヒレでぐんぐん泳いでいく。
何か泳ぎやすいな?と思ったらタイラ殿が水流操作の魔法を使っているらしい。
水中にわずかに感じる香の匂いと海に流れる桜の花びらのような魔力の結晶でわかった。
は~!おもてなしだなあ!
『眼下に見えますは、沖の市でございます。我が君たる水の宮とのご歓談の後はどうぞ自由にご覧下さい』
『これが……海の中の都か』
『その一部にございます』
水底のサンゴ礁には、海底の砂の上に白い布を広げてその上に様々な品を売りに出している者たちがいた。
何やら宝石のようなもの、真ん中が縊れた木の水筒、干物のような食べ物。
それらが賑やかに商われている。
多くは魚人とラッコやアザラシ系の獣人だ。
どうも獣人が食べ物と金属を差し出し、魚人が宝石や薬を差し出している。
『なるほど、陸の金属と海底の宝石に薬。合理的な交換ですね』
『海の中でも人の営みはそれほど変わらない……これも一つの発見ね』
だが、明らかに異様な連中もいる。
なんだあのデカいヒトデみたいなのは!
なんでここにタコ人間がいる!?ネブラ伯の所から逃げ出したのか?
『へえ……あれはダゴン人と似て非なる物ね。私はタコに人間性を与えて作ったけど、あれはたぶん天然物よ。自然にそう進化した存在……とても興味深いわね。ダゴン人を連れてくればよかったわ』
『あちらのヒトデのような種族は学院の記録にもごくわずかに残されていますね。ここにこれほどいたとは……』
落ち着いてくれ学者ども!うかつな事を言うんじゃない!
『学者様方が深き海の方々に興味をお持ちなのは、もっともにございます。ですがこの市では、暴くことで知は開かれませぬ。所作の端々から少しずつ意味を知られるのがよいでしょう』
ほら言われてるぞ!
『お二人とも、ここは異国であると思い出していただけるか?あまり誤解を招く発言は慎んでもらいたい』
『あらごめんなさい。でも直接尋ねず観察から知るというのも味があっていいじゃない』
『ええ、礼は尽くします。ただ、不思議ですね……学院もこのあたりは海図を作っています。その時にはさしたる発見はなかったのですが』
ここで前を泳ぐタイラ氏が少しためらってから口を開いた。
『この市はいつでも畳めるようにできております。学院の皆様には失礼でございましたが、かつてここは戦の起こった海。そして我が主たる水の宮は敗軍の末裔にございます』
ああ、政治的問題でここは落人村や隠れ里扱いだったのだな。
うーん、我がラウレミルも最近までそういう感じだったことを思うと他人事ではないな。
『今でこそ因縁は薄れました。ですがほんの百年ほど前まで我らが生きている事そのものが……隠し事だったのです』
ここは私が言った方がいいなこれ。
『……私も他人事ではありませんね。我がラウレミル王家もほんの数十年前までは政に負け、私自身もその時に見つかっておれば命はなかったでしょう。隠れ潜み生きる恐怖……わずかなれど、理解いたします』
少しだけ、タイラ氏がこちらを振り向いた。その目にはわずかな驚きと深い共感があった。
『さようのご事情が……これはお辛い事を思い出させてしまいました。どうぞ平にご容赦を』
『構わない。むしろ親しみがわきました』
市を通り抜け、何やら暗い海中洞窟に向かっていく。
『かたじけない……ここからは少し暗うなります。これ木下、灯りを持て』
『へえ、どうぞお客人。壁にお気をつけくだせえよ』
ラッコ系獣人らしき男が懐から何かの触媒がついた棒を取り出してむにゃむにゃと呪文を唱える。
するとその棒が水中で松明のようにバチバチと光り輝いた。
『海の民の技か……』
『……ええと、あっし程度が直言するわけにはいきませんで、マリナ殿にお伝えしますが、そのようなものですわ。水底の民の売ってる薬をちょちょいとね……』
『だ、そうっすよ』
『う、うむ。どうぞ楽にされよ』
なんか……そういうノリなのか!?だいぶ礼儀作法がややこしいんだな……
そうか直接やり取りしてはいかん場面もある感じか。
しかし本来暗いはずの洞窟なのに美しいな……
生白いわけのわからん小エビや小魚もいるが。
『これより先は水より出もうす。お気をつけ召されよ』
そうして海底洞窟を抜けた先は、松明の灯りが煌々と暗闇を照らす洞窟内の宮殿だった。
「すごいな……これは……」
「なるほど確かにこれは火の国の建築様式ですね。それもかなり歴史のある物でしょう」
なんだろうな、全部木造なんだが妙に気品があるし、柱や壁がしっかり平面とか筒状なんだ。
ものすごく綺麗に磨き上げられている。偏執的なほどだ。
柱はどれも朱色というのか、赤い色に塗られてつるつるだ。
「どうぞ、お召し物をお拭きください」
「は、はあ。どうも歓迎に感謝します」
なんか……獣人系の女官が布をもってわらわらやってきて我々の身体を拭いてくれるんだ。
か、過剰歓迎!なんか……火の国の文化って過剰に丁寧だな!
「こちらに、水の宮が参ります。どうぞそれまで茶をお楽しみください」
「う、うむ……」
そうやって水を落としたあと通されたのは草で編んだ絨毯のようなものが敷き詰められた部屋だ。
すごく立派で美しいが、緊張感がある……!
ゆ、床にクッションを置いてあるがこれに座るのか!?わからん、何もかもわからん。
目の前に置かれた器にはほかほかと湯気を立てる緑色の茶があった。
これは茶なのか?なんかホイップされてるんだが。
と、とりあえず飲むか……苦い!だがその奥に甘さがある!
「なかなか……不思議な味だ。しかし温かい」
「ええ、薄めに作りましたが異国の方には少し苦いかもしれませぬ。どうぞ菓子で苦みを消されませ」
なんか小さいアクセサリーみたいな花の形をした菓子が置かれた。
うおっ甘い!まるで砂糖を煮詰めたみたいに甘い!
この国の茶の飲み方ってそういう感じか!?苦みと甘味を相殺させる感じなのか!
「へえ……面白いわね。苦みと甘味が口の中で溶け合うのを前提にした茶の作法……それにこのお茶、かなりカフェインが多いし菓子も糖分が高い……合理的ね。これは冷えた体に強壮効果が高いわ」
「渋うございましたか?」
「いいえ、もてなしとして完成されていると言っているのよ」
「かたじけのうございます」
だからネブラ伯はこの何もかもわからん異国でなんでそう平然と普段通りをできるんだよ!
木戸の向こうから静かに声がかかった。静かだが重みのある声だ。
「御屋形様、お越しにございます」
「うむ、頃合いであろう。ぐれいす陛下、水の宮が参ります」
「うむ、どうぞお越しいただきたい」
「では」
スッと横に滑る扉を開いて出てきたのは長い黒髪の美少年だった。
おお……!目に毒!美しすぎる……!
これがここの当主!?最近継いだのか!?
「お初にお目にかかります、当代の水の宮、澪徳にございます」
「これはご丁寧に……ラウレミル連合国女王グレイス・インガイエル・ラウレミル。お招きいただき光栄です」
いや~!記憶の石板で火の国の言語、火ノ元言葉を覚えてきてよかったよ!
学院の技術とネブラ伯の技術の合わせ技だ。
これは普及させて良かったと心から思う。
「いえ、こちらこそお越しいただきかたじけなく思います」
レイトクと名乗ったこの少年王は美しかった。
まず眉目秀麗、顔立ちが整っているのも、髪がさらさらと長くうつくしいのもそうだが。
耳や手足にわずかに水かきやヒレ、鱗があるのも神秘的だ。
身にまとう服も品がよく上質で、白に青いラインが入る異国的なデザインもいい。
宝石一つ身に着けていないが、これはこれですごく気品がある。
サイードとは方向性が逆だが、同じくらい高貴さがあふれてるんだよ……!
「は、これはどうも……これはお近づきの印のお土産です。どうぞ」
ウーッ!己を鑑みるとやはり田舎娘の気がしてしまう~!
私も間違いなく貴族の血が入ってるんだがな。
とりあえずマリナに持たせていたお土産の香辛料と干し肉を出させる。
「……!これはありがとうございます。後ほどこちらからもお土産をぜひ」
うーん、サイードのやってたお近づきの印って渡すほうは楽しいな。
「さっそくですが、今日はどのようなご用件で?」
「そうですね、まずはよしみを深めようと思いまして……正式な挨拶を兼ねましてらうれみるの国と取引をもちたいのです」
んー!気品がある!この方自分が美形なのわかってる節がある!
しかしまあ、それだけの用件なのか?
いやまあ、ちゃんと国交を始めようよ、というのは普通だが。
「つまり、我が国と貿易し親交をもちたいと?それはぜひ受けたいですし、ありがたいことですが……」
「ご懸念がおありなのはごもっともです。ですが私共のような小さな国にとってはらうれみるの飛ぶ鳥を落とす権勢はまことに輝かしく……すがりたいと思ってしまうものなのです」
すがるって何!?重たくないか!?
いや~でも復権のために戦に関わってくれとかなったら嫌だよ私は。
「ククク……自国を客観的に見たほうがいいわよ女王陛下。勢いがあって富がある国が隠れ住むような国からどう見えるかをね」
「それはそうだが……その、単刀直入にお聞きしますが、復権をお考えですか?」
ここでレイトク殿下は静かに首を振った。
「我々はただ静かに暮らしたいだけなのです、陸の王権など遥か昔の栄華……我々にはさしたる魅力はありません」
ここで少し言葉を区切ってレイトク殿下は悩まし気にため息をついた。
所作が……所作がしっとりしている!
海の中の王宮だからそれはそうなんだろうが!
「私にとっては生まれた時からこの水の宮が故郷です。むろん完璧とは申しませんが、それでもここは我らの安住の地なのです」
いやでもさっきすがるって言ったよな!?どういうことだ!?気にし過ぎなのか?
「ククク……なるほど、その安住の地の発展が頭打ちだから勢いのある我が国と交易を持ちたいってわけなのね?」
だからいきなり踏み込んだことを言うなって!だが解説助かるよ!
「はい。お恥ずかしながらそれが本意でございます。そしてもし願わくば、今の時の王権とよりを戻したいのです。今の世にて王権を握っている方は我々を滅ぼした者共とは違う勢力ですので」
うーん、本当か~?
「願わくば、武の力より商いの力をお借りしたいのです」
うーん、本当らしいな。
ここでネブラ伯が私に視線を向ける。
解説はしてやったからあとは私が決めろという感じだな。
「事情はわかりました。その上で火の国との交渉は我々も持っていません。ここですら最近到達した所ですので。ですのでまずはこの街……『沖の市』と貿易と親交を持つところから始めさせていただけませんか?」
「はい、それで十分でございます。あなたがたと出会えてやはり善うございました」
そこでちょいちょいとマリナが懐から書類を押し付けてくる。
あっ、これアリアの字だ。素材はここで買ったらしき耐水紙だが。
表には『通商条約』とあり、ざっくりした説明が私向けに添付されたメモで書かれている。
うむ……ごく常識的な対等の条約だな、よし!
「では、通商条約の案をこちらでも用意してきました。もしよければ署名を」
「はい、目を通させていただきます」
レイトク殿下がつらつらと目を通し、側近たちとボソボソと会話してうなずく。
「……!対等の条約を結んでいただけるのですね」
「ええ、そのつもりです」
そしてレイトク殿下はさっと筆で流麗なサインをされた。
あとその赤いスタンプは何?文字もまったくわからんが、まあたぶん大丈夫だろう。
「……では確かに。では、政の話はここまでに。よろしければ歓迎の宴をさせていただけますか?」
「よしなにお願いいたします」
な、なんか静かだが重い国だな~!どんな宴が出てくるか今から恐ろしいよ!