あなたは、えりーとである。 作:どろーをとがめるめがね
手間もかかるのにさ。みんな親切すぎる。涙ちょちょぎれそうだよ。
(前回のあらすじ)
なぜうかったし。
あなたの初出勤の日である。
研究所の建物は、思っていたより地味だった。
外壁は白く、窓は少なく、看板は小さい。正面玄関に掲げられた施設名も、控えめな金属プレートに刻まれているだけだった。知らない人が見れば、せいぜい精密機械メーカーや医療系ベンチャーの支社くらいに思うだろう。
カード競技安全規格の中枢。次世代媒体研究の最前線。ニュース番組や進路情報誌では、だいたいそんな肩書きが並ぶ。
だからこそ、もっと印象的な建物を期待していたあなたに言わせれば、国内最高峰のエリート的スポットとしては、あまりにも野暮ったく無愛想な風貌であった。
光るゲートとか、空中投影された案内表示とか、やたら滑らかに動く変形型受付ロボとか。探したところで、そういうものはなかった。
子どもが秘密基地に抱くようなロマンを期待していた、あなたの少年心は残念ながら満たされることはなかった。エリートポイント、マイナス10点。
実際、初日であなたが少し浮かれていたというのは否定できないだろう。
あなたはがっかりした。実にしょんぼりであった。
そうして、とぼとぼと正面玄関をくぐったあなたを、受付の職員は気だるげな目で見た。
名前を確認され、あなたは仮の職員証と分厚い封筒を渡される。
「新規採用の方ですね。あちらの部屋で署名をお願いします」
封筒を抱えたまま、あなたは示された小部屋へ向かった。
小部屋は、面談室のような場所だった。
白い壁と長机。椅子が二脚。壁際には観葉植物が植えられている。最低限の物品しか置かれていない、無機質な空間であった。
天井の隅には監視カメラが付いていた。あなたは手を振ってみる。当然ながら監視カメラが何か返すことはない。
あなたは椅子に座った。
机の上に封筒を置き、改めて中身を確認する。
封筒の中身は、契約書を中心とした書類の数々だった。
機密保持契約書。研究倫理規程への同意書。未登録カード媒体の持ち込みに関する念書。職員の初期化処分と終了処理に関する誓約書。業務中に取得した記憶・夢・幻聴等の取扱規程。未確認のカード名を不用意に読み上げないことへの同意書。中央管理室の前で三分以上の時間をかけてコーヒーを飲まないことに関する同意書。
エトセトラ、エトセトラ。
目が滑る。読む気が失せる。
すべてを熟読していたら、おそらく初日が終わってしまうだろう。
契約書というものは、読み進めるほどにこちらの理解力を削ってくる恐ろしい魔物だ。
エリートに盲目的な信頼を寄せているあなたは、流し読みすらせずに黙々と署名をした。
まあ、エリート機関だし、そんなに変なことは書いてないだろ。ヨシ!
名前を書き、日付を書き、押印し、また名前を書く。
あなたは判子を押す機械になった。
ロマンは申請書の下に埋まっているのだろうか。
そうしてうんざりするような時間をかけながらも手続きを終え、あなたは椅子の背にもたれた。
しばらくして、小部屋の扉がノックされる。
「終わりましたか?」
返事をする前に、扉が開いた。ちょっとちょっと。
入ってきた職員は、机の上に置かれた書類の束を手に取って見る。
すばやく視線を走らせていくさまは慣れたものだった。
「はい、大丈夫です。では、こちらを」
そう言って差し出されたのは、職員証だった。
あなたはそれを首から下げる。少しだけ背筋が伸びるあなた。
首から下がるプレートには、あなたの顔写真と名前が印字されていた。
まだ見慣れない所属名も書かれている。
東央応用認知技術研究機構。
第一解析部、研究補助員。
それは、昨日までのあなたにはなかった肩書きだった。
肩書きというものは不思議だ。紙やプラスチックに印字されただけで、人間は少しだけ自分が変わったような気分になれる。
あなたも例外ではなかった。今なら背伸びして少しくらい難しい論文も読めそうな気がした。あくまで気がするだけである。
「では、このまま私が施設を案内します」
職員はそう言って、扉の外へ出るよう促す。
あなたは嬉しそうな様子で職員証をぎゅっと胸元に抱き留めながら、その後に続いた。
廊下に出て、改めてその職員の姿を見る。
髪はきっちりまとめられており、白衣の袖口にも皺ひとつない。手元のタブレットを確認する動作にも無駄がなく、いかにも仕事ができる人間の雰囲気がある。
受付にいたときの気だるげな姿は、仮の姿だったのかもしれない。
視線を少し下げると、胸ポケットから潰れた栄養補助食品の袋がはみ出していた。
仮の姿ではなかったのかもしれない。
そういえばこっちに来て受付業務は大丈夫なのだろうか、と思い至る。
あなたは少しだけ正面玄関の方を見た。
やはり受付カウンターは空だった。
国内屈指のエリート研究機関の入口が、無人であるのはいいのか。
あなたがそう思ったのを視線で察したのか、受付もとい案内役の職員は淡々と言った。
「受付業務は自動化されています。私が座っていたのは……あー、眠気覚ましです」
サボり?
「新人が来る時間だったので、待つついでに座っていただけです」
やはりサボりでは?
案内役の職員は、あなたの疑念を特に訂正することなく、手元のタブレットへ視線を落とした。
「では、施設案内に移ります」
何事もなかったように話を進める。
「第一棟が総務、倫理審査、一般解析。第二棟が観測ログの集約と保存。第三棟が高等媒体試験区画です。新人のうちは第三棟には入れません……実際に第三棟へ立ち入るには、所属長の許可、管理主任の承認、同行者二名以上、事前申請、事後報告が必要です」
あなたは満足そうに頷いた。
許可、承認……物々しく、かっこいい響きだ。そういう単語には、どうしても胸がそわつくあなた。
途中、あなたは壁際にある、装飾もない金属製の扉を見つけた。
他の扉より厚く作られていそうに見える。
ああいう扉は、だいたい重要な場所へ繋がっているのだ、と推測するあなた。
主に映画と漫画と深夜アニメから得た知識である。
あなたの視線に気づいたのか、案内役の職員は、少し振り返って言った。
「そちらは関係者以外立入禁止ですよ」
関係者以外立入禁止。
なんと甘美な響きだろう。切に関係者になりたい。
「関係者になれば必ず入れるという意味ではありませんよ。あと、落とし物をしたとか、道に迷ったとか、そういうわざとらしい理由で後から近づくのもやめてくださいね」
釘を刺された。早く、そして的確だった。
なぜ考えていることがわかったんだろう?
この人はひょっとしたらエスパーなのかもしれない。
「この建物は地上三階、第一棟から第三棟までが通常業務区画です」
案内役の職員は、淡々と続ける。
通常業務区画!
あなたにとって今日は素敵な単語が何度も飛び出してくる。
通常があるなら、通常ではない区画もあるのではないか。
ねえ秘密基地とかないの? 地下とか。
「地下はありません」
そう……それは、残念……。
「少なくとも、新人に説明する必要のある、地下施設はありません」
あるやつだ! これあるやつだ!
やっぱりロマンはあったんだ!
しなびかけていたあなたの心は、かなり現金に復活した。
あなたは努めて平静に頷く。エリートはうろたえない。
「なお、地下区画への無許可接近を試みた新人は、過去に少なくとも四名います」
案内役の職員は、あなたを見ずに言った。
どうやら先人がいたようだ。参考までに聞いておこう。
「うち三名は入口を突破できず警備部に捕まり、一名は存在しない階段を三時間ほど下り続けました」
最後の一名が気になる。
「そういう前例があるので、私は新人案内の時点で釘を刺すことにしています……特に、今みたいな顔をする人には」
あなたは表情を引き締めた。
遅かった。
「見張っていますからね」
くそ。
愚かな先駆者がいたせいで、あなたのお忍び計画は生まれる前に死んだ。
いや、そもそも侵入するつもりなんかなかった。ほんとだよ。えりーと、うそつかない。
「ですから顔に出ていますよ」
あなたは視線を逸らした。
「初日に警備記録の中だけの存在になりたくないなら、説明されていない区画には近づかないでください」
はーい。
あなた:
初出勤で東応研の建物にがっかりしたが、職員証を下げたことで即座にエリート気分を取り戻した。単純である。
危なそうな誓約書にも署名済み。大丈夫そ?
案内係:
新人案内担当のベテラン職員。くたびれた姿が似合う。
淡々とした説明で、危ない区画に近づきそうな新人の芽を事前に摘むのがうまい。
〝存在しない階段〟については、あまり詳細を話したがらない。
東応研:
国内屈指の大手研究機関。表向きはカード競技安全規格や次世代媒体研究の最前線。
なぜか外観より内部が広い気がする。エリートポイントって何だよ。