旧礼拝堂へ行く。
目的は単純だ。
夜間限定レアモンスター《月喰い鼠》を狩り、ドロップ品《月蝕の牙》を祭壇に捧げ、魔剣の反動を抑えるアクセサリ《静謐の黒環》を回収する。
《静謐の黒環》は正確には攻撃の反動のダメージを半減させることができる。
ゲーム的に言えば、隠し強装備イベントである。
ただし出現率が低い。
逃げ足が速く、暗闇でしか出ない。
初見だと普通に見落とす。
そのくせ倒すと経験値がうまい。
つまり、俺みたいな攻略勢のために存在するモンスターだ。
俺はリリスの私室を出て、帝国軍の城塞を歩いた。
黒い石壁、赤い軍旗、廊下を行き交う兵士たち。
全員が俺を見るたびに姿勢を正し、道を空ける。
怖い。
やめろ。
こっちは前世、家族会議でさえ部屋から出られなかった男だぞ。
そんな奴に軍人の敬礼を浴びせるな。
社会性が爆散する。
「リリス卿、おはようございます!」
「本日も鍛錬ですか!」
「さすがです、黒翼の剣姫……!」
黒翼の剣姫。
リリスの二つ名である。
中二病丸出しで少し羨ましい。
いや、俺が名乗ったら即ブロックされるやつだが、美少女騎士が名乗ると許される。
ほらね、世の中、顔である。
俺は返事の代わりに、軽く顎を引いた。
すると兵士たちは感動したように息を呑む。
「見ろ……あの静けさ」
「余計な言葉を必要としない強者の風格……」
「帝国の刃とは、まさにあの方のことだ」
喋るとボロが出るから黙っているだけです。
あと今、道順がわからなくて内心めちゃくちゃ焦ってます。
誰か案内してくれねえかな。
ゲームだと城塞内はメニュー移動だった。
「訓練場」「会議室」「城門前」みたいな選択肢を押せば勝手に移動できた。
現実の城塞、広すぎる。
マップを開かせろ、ミニマップはどこだ。
不親切にも程があるだろ。
そんな俺の半歩後ろを、ミアがついてくる。
「リリス様、本日はどちらへ?」
来た。
自然な質問。
だが、ここで「旧礼拝堂にレアモン狩りに行く」とは言えない。
暗黒騎士リリスがいきなり辺境の廃墟へ単独行動とか怪しすぎる。
俺は数秒考えた。
そして、低く言った。
「……祈りを」
我ながら意味がわからない。
暗黒騎士が祈りに行くな。
しかも帝国軍所属だぞ。
どこの神に祈るんだ。
女神様か? 俺をこの身体にぶち込んだ雑采配の女神様か?
だがミアは、はっと息を呑んだ。
「祈り……ですか」
「……ああ」
「戦いの前に、己を見つめ直すため……?」
勝手に解釈してくれる。
ありがたいが、怖い。
「……そうだ」
俺は便乗した。
ミアは胸の前で両手を握った。
「リリス様……。帝国の剣でありながら、力に溺れることなく、心の在り方まで律しておられるのですね」
違います。
レアモン狩りです。
経験値とアイテムが欲しいだけです。
だが、ここで否定すると話がややこしくなる。
俺は無言で歩き出した。
ミアはますます尊敬の眼差しを向けてくる。
やめろ。
その視線は俺に効く。
前世で浴びたことのない種類の好意なので、防御力がゼロである。
城門を抜けると、冷たい朝風が頬を撫でた。
帝都ヴァルガルドの外縁部は、石畳と煤けた家並みが続いている。
空は曇天。
街には兵士が多く、住民たちは視線を伏せて歩いていた。
悪の帝国。
ゲームで見た時は「わかりやすい敵国だな」くらいにしか思っていなかった。
だが実際にその中を歩くと、空気が重い。
誰も大声で笑わない。
子どもが兵士を見ると、母親の後ろに隠れる。
商人は税吏の姿を見るたびに肩を縮める。
俺は内心で舌打ちした。
帝国、治安悪すぎ。
これでは主人公に倒されても仕方がない。
いや、倒されてもらわないと俺が困るのだが。
「リリス様」
ミアが小声で言った。
彼女は何も言っていないが、何故かついてきている。
何なのこの子。怖すぎか?
「あの者たちを、哀れんでおられるのですか?」
ぎくりとした。
俺はただ「この国ブラック企業みたいだな」と思っていただけである。
だが、リリスの無表情はまたしても深読みされた。
「……弱者を踏みにじる国は、長くは続かない」
口から出た瞬間、俺は後悔した。
しまった。
それっぽいことを言いすぎた。
帝国軍の中でそんな発言、普通に危険思想である。
しかしミアは、なぜか瞳を潤ませた。
「リリス様……」
何。
なんで感動してるの。
「やはり貴女は、帝国の誰よりも民のことを考えておられるのですね」
違う。
俺は自分のことしか考えてない。
だが言い訳できない。
コミュ障なので。
もうそれでいいよ。
俺は無言で歩き続けた。
旧礼拝堂は、帝都から少し離れた森の中にある。
かつて月神を祀っていた場所らしいが、帝国が信仰を統制した際に廃棄された。
ゲームでは「古びた礼拝堂」としか表示されなかったが、実際に見るとけっこう怖い。
蔦に覆われた石壁、割れたステンドグラス、崩れかけた鐘楼。
黒い森の中で、そこだけ時間が止まっているようだった。
俺は唾を呑んだ。
やだなあ。
ゲームなら平気だった廃墟も、現実だと普通に怖い。
しかも今の俺は女の身体で、隣には俺に心酔している女騎士一名。
何かあった時に「キャー」とか言ったら終わる。
暗黒騎士としての威厳が死ぬ。
「ミア」
「はい」
「……ここから先は、私一人で行く」
当然である。
隠しイベントを見られると面倒だ。
あと、月喰い鼠はドロップ条件に「発見から三十秒以内に撃破」がある。
NPCが余計な行動をすると逃げられる可能性がある。
ミアは驚いたように目を見開いた。
「ですが、危険です」
「……危険だからだ」
俺は適当に返した。
ミアは硬直した。
やばい。
また何か変な意味になったか。
「危険だからこそ、私を巻き込まない……ということですか」
はい、来ました。
勘違い解釈、入りました。
違います。
君がいると俺の緊張と、言い訳しないといけないことが増えるんです。
あと効率の問題です。
「……命令だ」
俺は逃げた。
ミアは悔しそうに唇を噛み、それでも深く頭を下げる。
「承知しました。どうか、ご無事で」
うん。
俺もそう思う。
俺は礼拝堂の扉を押し開けた。
ぎぎ、と嫌な音がした。
中は薄暗い。
壊れた長椅子、砕けた石像、床に積もった埃。
そして、祭壇の奥に、月の紋章。
間違いない。
ここだ。
俺は魔剣を抜いた。
黒い刀身が、淡く魔力を帯びる。
その瞬間、ぞくりとした痛みが腕を走った。
「っ……!」
反動だ。
HPが削られるというゲーム表現が、現実ではこうなるらしい。
焼けるような痛みが血管を伝い、心臓の奥に冷たいものが落ちる。
無理。
これを通常武器にしていた原作リリス、根性がありすぎる。
俺なら二回振ったらお母さん呼ぶ。
だが、今はやるしかない。
月喰い鼠は夜に出る。
まだ時間がある。
俺は礼拝堂の隅に座り、ステータスの感覚を探った。
メニューは開けない。
当然だ。
現実だから。
しかし、魔力の流れはわかる。
リリスの身体に刻まれた剣術も、なんとなく掴める。
俺は呼吸を整え、素振りを始めた。
一回。
二回。
三回。
重い。
痛い。
腕が震える。
だが、身体は動く。
前世の俺なら、十回スクワットしただけで翌日死亡していた。
それに比べれば、リリスの身体は化け物じみている。
細いのに強い。
軽いのに速い。
これならいける。
そう思った矢先、胸当ての内側が擦れて、妙な違和感が走った。
「ひっ」
変な声が出た。
誰もいないよな。
俺は慌てて周囲を見た。
いない。
よし。
いや、よくない。
鎧のフィット感が最悪だ。
いや、サイズは合っているのだろう。
問題は俺の脳が合っていないことだ。
胸が邪魔、髪が邪魔。
腰まわりの感覚が知らない。
身体をひねるたびに、前世にはなかった重心のズレが来る。
TSものの主人公たち、よく初日から普通に動けるな。
あいつら適応力高すぎだろ。
俺なんか歩くだけで自分の身体にビビってるぞ。
その後、数時間。
俺は礼拝堂でひたすら身体を慣らした。
剣を振る。
魔力を流す。
痛みで泣きそうになる。
休む。
また振る。
夕方になる頃には、汗で下着が肌に張りついていた。
不快。
ものすごく不快。
だが、同時に妙な実感があった。
生きている。
動ける。
強くなれる。
前世の俺は、何かを努力する前に「どうせ無理」と言って逃げていた。
努力して失敗するのが怖かったからだ。
だが今は、逃げた先に死ぬほど嫌な未来がある。
マッドに捕まる。
洗脳されて犯され、改造され、徹底的に尊厳が破壊される。
絶対に無理。
だからやるしかない。
なんて立派な決意のように聞こえるが、要するに「痛い目に遭いたくないから頑張る」である。
動機が小学生の歯医者回避レベル。
だが、人間そんなものでいいのかもしれない。
夜が来た。
礼拝堂の割れた窓から、青白い月明かりが差し込む。
俺は祭壇の影に身を潜めた。
月喰い鼠は、月光が床の紋章に重なる瞬間に出る。
ゲームでは演出が一瞬なので見逃しがちだった。
だが、俺は覚えている。
床の紋章に、月明かりが触れた。
ちりん、と鈴のような音がした。
祭壇の奥。
影が揺れる。
現れたのは、白銀の毛並みを持つ小さな鼠だった。
ただし、目が三つある。
口元から、黒い霧のような魔力を吐いている。
いた。
《月喰い鼠》。
俺は一気に踏み込んだ。
反動を覚悟して魔剣を振る。
黒い斬撃が床を走った。
月喰い鼠が跳ねる。
速い。
ゲーム画面で見ていた時より、ずっと速い。
というか怖い。
三つ目の鼠がこっちに向かって跳ねてくるの、普通に嫌すぎる。
「くっ……!」
俺は歯を食いしばり、身体をひねった。
リリスの剣術が、勝手に最適な軌道を選ぶ。
魔剣の切っ先が、月喰い鼠の逃げ道を塞いだ。
鼠が空中で方向を変える。
そこへ、俺は左手を突き出した。
「《影縫い》」
リリスの初期闇魔法。
影を縛る拘束技。
ゲームでは命中率が微妙で使いにくい技だったが、月明かりの下なら補正がかかる。
黒い糸が床を走り、月喰い鼠の影に絡みついた。
鼠が動きを止める。
いまだ。
俺は魔剣を振り下ろした。
鈍い感触。
白銀の小さな身体が、黒い霧となって消える。
残ったのは、小さな牙。
《月蝕の牙》。
「……取った」
声が震えた。
勝った。
初めて、自分の力でこの世界の敵を倒した。
いや、鼠だが。
しかも攻略知識込みだが。
それでも勝ちは勝ちである。
俺は牙を拾い、祭壇へ捧げた。
月の紋章が淡く光る。
石の祭壇が音もなく開き、中から黒い指輪が現れた。
《静謐の黒環》。
俺はそれを手に取り、指にはめた。
腕を流れていた魔剣の痛みが、すっと軽くなる。
完全に消えたわけではない。
だが、耐えられる。
これなら戦える。
俺は深く息を吐いた。
その時。
背後で、小さな物音がした。
俺は反射的に剣を構え、振り返る。
そこには、ミアが立っていた。
顔を青ざめさせ、目に涙を浮かべている。
見られた。
終わった。
勝手に隠しアイテムを回収しているところを見られた。
どう説明する。
旧礼拝堂で鼠を殺して指輪ゲットしてました?
怪しすぎる。
帝国軍に報告されたら面倒なことになる。
俺が固まっていると、ミアが震える声で言った。
「リリス様……古い礼拝堂が魔物に巣食われていたことに、心を痛めていらしたのですね」
違う。
「厳しい訓練の合間に、一人で礼拝堂の魔物退治を行い、祈りを捧げていたなんて」
違う。
「私、リリス様を誤解していました。ただ強く、美しいだけの方だと。でも違った。訓練の合間にわざわざ遠出して何をするのかと思えば、民の在り方に心を傷め、廃礼拝堂で祈りを捧げ……貴女は……誰よりも孤独に、誰よりも優しい方なんですね」
やめろ。
俺に優しさ成分を見出すな。
中身はゴミニートだ。
さっきまで「経験値うめえ」と思ってたぞ。
ミアは涙をこぼしながら、俺の手を取った。
近い近い、顔近づけないで!
手が柔らかい。
女の子の手である。
前世の俺ならこの接触だけで三日寝込む。
だが今は、俺も女の手なので、脳が「これは百合イベントですか? それとも友情ですか?」と処理落ちしている。
「私も、背負わせてください」
「……離せ」
俺は短く言った。
冷たい声になった。
本音は「手汗やばいから離して」だった。
ミアはびくりとしたが、すぐに頬を染めて手を離した。
「す、すみません……。私、出過ぎた真似を」
何その反応。
もしかして今の、クールに突き放した感じになった?
違います、ただのコミュ障です。
俺は指輪を隠すように手を握った。
「……今夜のことは、誰にも言うな」
ミアは真剣な顔で頷いた。
「はい。リリス様が帝国の闇の中で密かに何かを成そうとしていること、決して口外いたしません」
そこまで言ってない。
密かに何かを成そうとしているのは事実だが、内容は保身だ。
俺は疲れ切って礼拝堂を出た。
外の空気は冷たかった。
森の向こうに、帝都の灯りが見える。
その灯りの中に、俺の最悪の未来へ繋がる道がある。
マッド……四翼将、帝王、そして主人公ノアル。
俺はまだ、物語の端にいる。
だが今日、最初の一歩は踏み出した。
魔剣の反動を抑えた。
経験値も少し入った感覚がある。
何より、リリスの身体を少しだけ扱えるようになった。
いいぞ。
この調子だ。
コソコソ鍛えて、原作を利用して、悲惨ルートを回避する。
誰にも気づかれず、誰にも期待されず、俺は俺のためだけに生き延びる。
そう決意した瞬間、ミアが背後で呟いた。
「リリス様……私は必ず、貴女の理想をお支えします」
だから理想とかないんだって。
そういうの重いからやめてね。
俺は振り返らず、無言で歩き続けた。
黒衣の暗黒騎士が、月明かりの下で孤高の決意を秘めて進む。
たぶんミアには、そう見えていた。
実際の俺はこうだ。
疲れた。
風呂入りたい。
でも女の身体で風呂ってどうするの。
脱ぐの?
自分で?
いや自分の身体なんだから当たり前だろ。
でも当たり前じゃないんだよこっちは。
そして、城塞に戻ってから気づいた。
リリスの部屋には、当然のように侍女が待機していた。
「お召し物をお脱がせいたします」
俺は人生で初めて、暗黒騎士の威厳をかなぐり捨てて叫びそうになった。
転生二日目。
敵より先に、生活習慣が俺を殺しに来ていた。