グランベルク徴税任務。
それは『レガリア・オブ・ヴァルハイト』序盤における、わかりやすい胸糞イベントである。
辺境都市グランベルクは、帝国に征服されたばかりの旧王国領だ。
帝国軍はそこに重税を課し、払えない者からは家財を奪い、逆らう者は見せしめにする。
そして横暴を働く上級騎士グレイルの前に、旅の青年ノアルが現れる。
『力を持つ者が、弱い者を踏みにじっていいはずがない!』
はい出ました。
王道主人公台詞。
前世の俺なら、ポテチを食いながら「くぅ~! こういうのでいいんだよ!」と拍手していた場面である。
しかし今は違う。
俺は帝国軍側であり、しかもリリスだ。
原作では、この後ノアルと剣を交える立場だ。
ふざけるな。
俺は主人公に倒される側になるために転生したわけではない。
いや、そもそも転生自体がだいぶ迷惑なのだが。
書状を受け取った俺は、しばらく部屋で固まっていた。
ミアが心配そうにこちらを見る。
「リリス様……?」
「……問題ない」
問題しかない。
だが、無口クール美少女は便利である。
問題ないと言えば、周囲は「この方には深い考えがあるのだ」と勝手に思ってくれる。
実際には策などない。
あるのは原作知識と、終わっている胃だけだ。
グランベルクへ向かう馬車の中で、俺はひたすら考えていた。
どうする。
原作通りなら、グレイルが街で暴れてノアルが止める。
そしてリリスが出てくる。
戦闘になり、ノアルの光属性覚醒だ。
リリス撤退の流れは避けたい。
なぜなら、ノアルに敵認定されると後々面倒だからだ。
俺の目的はノアルに帝国を倒してもらうことであって、ノアルと仲良く殴り合うことではない。
できれば「帝国にいるけど、なんか事情ありそうな人」くらいのポジションに収まりたい。
そうすれば将来的に助けてもらえる可能性がある。
助けてもらう。
実に情けない響きだが、俺は前世から自力で人生をどうにかできた試しがない。
使える主人公は使うべきである。
問題は、グレイルだ。
あいつは原作通りに動けば、確実に街で暴れる。
昨日の訓練場で恥をかかされたせいで、俺への敵意も増しているはずだ。
つまり、俺が何もしなければイベントは悪化する。
だが俺が止めれば、原作がズレる。
ズレるのは怖い。
攻略知識が通用しなくなるからだ。
けれど、ズレなければ俺がノアルと敵対する。
詰んでない?
人生二周目、いきなり詰将棋みたいな状況にしないでほしい。
俺は将棋も弱い。
ネット将棋で十級にボコられてアンインストールした男だぞ。
馬車の窓から、グランベルクの街が見えてきた。
城壁に囲まれた、灰色の街。
だが帝都とは違い、人の生活の匂いがあった。
市場。
水路。
古い教会。
小さな広場。
ゲームでは序盤の拠点としてお世話になる街だ。
薬草屋の裏に隠し壺。
宿屋二階の本棚に世界観資料。
東門近くの少年に三回話しかけると小銭がもらえる。
どうでもいい知識だけは無限に出てくる。
現実で役に立つかは別である。
街に入ると、住民たちの空気が固くなった。
帝国軍の徴税隊。
歓迎されるはずもない。
グレイルは馬上で薄く笑っていた。
「いやあ、実に貧相な街だ。ですが、絞ればまだ出るでしょう」
出た。
典型的な悪役発言。
こいつ、悪役辞典を読んでから喋っているのか?
俺は無言で馬を進める。
リリスの身体は乗馬もできるらしい。
ありがたい。
前世の俺は自転車すらパンクしたまま放置していた。
街の広場に着くと、徴税官が住民を集め始めた。
老人、商人、母親に手を引かれた子ども。
皆、怯えた顔をしている。
俺は内心で胃を押さえた。
やめてくれ。
こういう生々しい空気は無理だ。
ゲームなら「帝国兵は横暴だな」で済むが、目の前で怯えられると普通にしんどい。
俺は自分が善人だとは思っていない。
だが、胸糞イベントを至近距離で見る趣味もない。
徴税官が声を張る。
「今月分の税を納めよ。遅れた者は、帝国法により財産を没収する」
ざわめきが広がる。
住民の一人、痩せた中年男が震える声で言った。
「お待ちください。先月も臨時徴税がありました。これ以上は、冬を越せません」
グレイルが笑った。
「冬を越せない? それは努力が足りないのでは?」
うわ。
言い方が最悪すぎる。
前世のネット炎上で見たことあるタイプの理屈だ。
何でも自己責任にするやつ。
こいつ、匿名掲示板にいたら強そう。
グレイルは馬から降り、中年男に近づいた。
「払えぬなら、娘を奉公に出すなり、家を売るなり、いくらでも方法はあるでしょう」
周囲が凍りつく。
中年男の背後に、十代半ばほどの少女がいた。
怯えた顔で父親の服を握っている。
グレイルの視線が、その少女へ向いた。
ぞわりとした。
俺は昨日、あの視線を向けられた。
身体を値踏みするような、不快な目。
少女が小さく震える。
その瞬間、俺の中で何かが切れた。
いや、正義感ではない。
たぶん違う。
俺はそんな立派な人間ではない。
ただ、見ていられなかった。
自分に向けられた時の恐怖が、まだ身体に残っていたからだ。
「グレイル」
俺は低く呼んだ。
広場の空気が止まる。
グレイルが振り返った。
「何でしょう、リリス卿」
「……徴税官の職務を妨げるな」
俺は言った。
これが精一杯だった。
民を守るとか、下品な真似をするなとか、そんな真正面の善人発言はできない。
だから職務の話にした。
頼む。
これで引いてくれ。
グレイルの眉がぴくりと動く。
「妨げる? 私は徴税の助言をしているだけですが」
「……お前の役目は護衛だ」
俺は馬上から見下ろした。
中身は半泣きコミュ障だが、外見は冷たい美少女暗黒騎士である。
たぶん迫力はある。
「余計な口を挟むな」
言ってしまった。
やばい。
上級騎士相手に喧嘩を売った。
前世の俺なら、町内会の回覧板を隣に渡すだけで心拍数が上がっていたのに。
グレイルの顔が歪む。
「……昨日から、随分と私に厳しいですね」
「…………」
怖い。
でも黙る。
ここで喋ると負ける。
グレイルは笑みを消した。
「まさか、辺境の民などに情でも移りましたか?」
まずい。
ここで「そうだ」と言えば危険思想。
「違う」と言えば少女を見捨てる感じになる。
やめろ。
会話で二択を迫るな。
コミュ障は選択肢が出るだけで頭が真っ白になる。
俺は数秒沈黙した。
そして、最も無難そうな言葉を選ぶ。
「……帝国の威信を、私情で汚すな」
おお。
それっぽい。
俺の中のネット弁慶が、ギリギリ使える建前をひねり出した。
帝国のためっぽく聞こえるし、グレイル批判にもなる。
完璧では?
ミアが後ろで息を呑んだ。
住民たちも、徴税官も、帝国兵たちも静まり返る。
グレイルだけが、怒りで頬を引きつらせていた。
「なるほど。では、リリス卿はこの私が帝国の威信を汚していると?」
しまった。
完璧ではなかった。
めちゃくちゃ喧嘩になっている。
俺は内心で頭を抱えた。
何でこうなる。
俺は穏便に生きたいだけなのに。
その時だった。
広場の端から、青年の声が響いた。
「その通りだろ」
俺の心臓が跳ねた。
声のした方を見る。
古びた旅装に腰に下げた剣。
茶色の髪と、まっすぐすぎる目。
ノアル……原作主人公様のお出ましだ。
ついに来た。
俺の人生を救う予定の男であり、原作では俺を何度もぶん殴る男であり、リリスが惚れる男。
画面越しに見ていた時は「主人公らしい爽やかイケメンだな」くらいに思っていた。
だが、現実で見ると違った。
目が強い。
怖いくらい真っ直ぐで、けれど不思議と嫌な感じがしない。
さっきまで広場を支配していた重苦しい空気が、少し揺らいだ気がした。
俺は一瞬、見入ってしまった。
いや違う。
これは主人公補正を観察しているだけだ。
男にドキッとしたわけではない。
断じてない。
俺は元男だぞ。
そういうのではない。
でも、こいつの声、思ったより低くて通るな。
いやだから違う。
グレイルがノアルを睨む。
「何だ、貴様は」
「通りすがりだ。けど、見過ごせない」
出た。
通りすがりで首を突っ込むタイプ。
前世の俺なら絶対にできない。
コンビニで前の客が店員に絡んでいても、イヤホンの音量を上げる男だった。
ノアルは一歩前に出る。
「払えない人から奪って、それでも足りなければ娘を差し出せ? そんなもの、税じゃなくて脅しだ」
住民たちが息を呑む。
グレイルの手が剣にかかった。
原作通りだ。
ここでグレイルとノアルが戦う。
ノアルが勝つ。
そしてリリスが出る。
だが、今の流れは少し違う。
グレイルの怒りはノアルだけでなく、俺にも向いている。
もしここでノアルがグレイルを倒せば、グレイルは「リリスが民と旅人を煽った」と上に報告するかもしれない。
非常に面倒。
だから俺は、最悪の選択をした。
「グレイル。下がれ」
広場が凍った。
俺は馬から降りる。
内心では「やめろ俺、何してんの」と叫んでいる。
だが足は止まらない。
ここでグレイルに任せると、もっと悪化する。
なら俺が処理するしかない。
「この場は、私が預かる」
グレイルが目を見開く。
「リリス卿?」
「……二度は言わない」
俺は魔剣に手をかけた。
もちろん抜かない。
抜いたら反動が来るし、普通に怖い。
だが威嚇にはなる。
グレイルは歯ぎしりしながらも、一歩下がった。
よし。
まず一つ。
次に問題はノアルである。
俺は彼に向き直った。
ノアルもこちらを見る。
近すぎる。ゲーム画面より近い。
当たり前だ。
現実だから。
そして、何だこの目。
まっすぐ見てくるな。
俺は目を合わせるのが苦手なんだ。
美少女の顔面が無表情で耐えているだけで、中の俺は視線を泳がせたい衝動と戦っている。
「あなたが、この部隊の責任者か」
ノアルが言った。
「……そうだ」
嘘ではない。
たぶん今回の武力面では俺が上位だ。
「なら、今すぐこの徴税をやめさせてくれ」
無理。
即答したかった。
俺にそんな権限はない。
いや、多少はあるかもしれないが、全面的にやめさせたら帝国への反逆である。
死ぬ。
もしくはめでたくマッド送りか。
俺は数秒考えた。
そして、徴税官へ視線を向ける。
「……記録を確認しろ」
「は?」
徴税官が間抜けな声を出した。
「先月、臨時徴税があったと言ったな」
中年男が怯えながら頷く。
「は、はい」
「なら、二重徴税の可能性がある。帳簿を照合し、過徴収分は延期扱いにしろ」
自分で言っていて驚いた。
俺、今、かなりまともなことを言ってないか?
前世では役所の書類を読むだけで気絶しかけていたのに。
もちろん、これも原作知識のおかげだ。
グランベルク徴税イベントには、実は裏設定がある。
グレイルが勝手に臨時徴税を水増しし、差額を懐に入れていたのだ。
ゲームでは後のサブクエストで判明する情報である。
つまり帳簿を掘れば、グレイルの不正が出る。
ここで全額免除はできない。
だが、徴税の延期や減額なら建前が立つ。
俺、天才では?
いや、攻略情報をカンニングしているだけだが。
徴税官は慌てて帳簿を開いた。
グレイルの顔色が変わる。
「お、お待ちくださいリリス卿。そのような些事、今この場で――」
「些事か?」
俺はグレイルを見る。
「帝国の税務を乱すことが?」
グレイルが黙った。
効いてる。
権力者同士の会話、怖いけど意外となんとかなる。
なぜなら正義ではなく建前で殴ればいいからだ。
前世のレスバ経験が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
徴税官が帳簿をめくる手を止めた。
「……リリス卿。確かに、先月分の臨時徴税記録と、今回の請求額に不整合があります」
広場がざわめいた。
グレイルが青ざめる。
ノアルがこちらを見る。
やめろ。
そんな目で見るな。
俺はただ自分の立場を守るために、グレイルの不正を使っただけだ。
民を救おうとしたわけではない。
いや、結果的に救った形にはなったかもしれないが、主目的は保身である。
俺は低く告げた。
「本日の徴税は延期する。再調査の上、正規額のみを通達しろ」
徴税官が深く頭を下げる。
「はっ」
住民たちの間に、安堵が広がった。
中年男と少女が、震えながら頭を下げる。
「あ、ありがとうございます……!」
やめて。
感謝しないで。
罪悪感が出る。
俺はそんな清い存在ではない。
ミアが後ろで小さく呟いた。
「リリス様……最初からグレイル卿の不正を見抜いて……」
違う。
ゲームで知ってただけだし、別に告発する気もありませんでした。
面倒なんでね。
ノアルが近づいてきた。
「ありがとう。あなたのおかげで、みんな助かった」
主人公、距離が近い。
あと笑うな。
爽やかに笑うな。
その顔はリリスの情緒に悪い。
いや俺の情緒に悪い。
「……礼を言われる筋合いはない」
俺は目を逸らして言った。
本音は「これ以上関わると原作が壊れるので帰りたい」である。
だがノアルは、何かを感じ取ったように表情を引き締めた。
「そうか。あなたにも、立場があるんだな」
何をわかった感じになっている。
立場はある。
めちゃくちゃある。
保身という名の立場が。
「俺はノアル。旅をしている」
知ってます。
ゲームを八周しました。
「あなたの名前は?」
言いたくない。
しかし周囲は全員知っている。
隠す意味がない。
「……リリス」
「リリス、か」
ノアルはその名を、まっすぐ口にした。
なぜか胸が変な感じになった。
違う。
これは原作キャラに名前を呼ばれたオタク的感動である。
推しに認知された時のそれに近い。
恋愛ではない。
断じてない。
俺は無表情を保った。
「……去れ。次は庇えない」
それっぽく言った。
実際、次はどうなるかわからない。
ノアルは少し目を細めた。
「わかった。でも、覚えておく。帝国にも、あなたみたいな人がいるって」
違う。
覚えなくていい。
俺は帝国の良心枠ではない。
ただの原作知識持ち保身モンスターだ。
ノアルは背を向け、広場を去っていく。
住民たちも頭を下げながら散っていった。
グレイルは最後まで俺を睨んでいたが、何も言えなかった。
俺は勝った。
たぶん。
ノアルとの戦闘を回避し、グレイルの不正を表に出し、徴税イベントを穏便に処理した。
上出来である。
そう思っていた。
その日の夜、宿舎でミアが報告書を持ってきた。
「リリス様。本日の件ですが、グレイル卿の不正疑惑として正式に処理されるそうです」
「……そうか」
「それと、街の者たちの間で噂になっております」
嫌な予感がした。
「何が」
「黒翼の剣姫リリス様は、帝国の腐敗を正すため、あえて冷酷な仮面を被っている……と」
やめろ。
変な二次設定を生やすな。
「あの御方……ノアル殿も、リリス様を深く信頼している様子でした」
やめろ。
主人公陣営への好感度を勝手に上げるな。
俺は頭を抱えたくなった。
だがリリスの顔は、ただ静かに窓の外を見つめている。
ミアには、俺が遠大な理想を胸に秘めているように見えたらしい。
「私、どこまでもお供します。リリス様が帝国を変えようとしているのなら」
違う。
俺は帝国を変えたいんじゃない。
帝国に潰れてほしいんだ。
しかも自分が逃げるために。
俺は窓の外を見た。
グランベルクの夜。
遠くの通りに、ノアルの背中が一瞬見えた気がした。
原作はズレた。
ノアルは俺を敵としてではなく、複雑な立場の協力者として認識したかもしれない。
これは良いズレなのか。
それとも、取り返しのつかないズレなのか。
わからない。
ただ一つ、確かなことがある。
グレイルは俺を恨んだ。
そして原作では、グレイルはこの後、主人公に倒されて退場するだけの雑魚だった。
だが今、俺が先に彼の破滅を早めた。
雑魚ほど、追い詰められると何をするかわからない。
その夜。
宿舎の廊下の向こうで、グレイルが低く笑っていたことを、俺はまだ知らなかった。