機動戦士ガンダム U.C.0155 カサレリアのラジオブースの裏には、サングラスをかけた「木星の英雄」が潜んでいる 〜ウッソとシャクティのラブコメ打率を10割にするためにカンペを出す男〜 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
宇宙世紀0155年。地球圏を包み込むかつてないほどの静かな停滞期(エアポケット)の中にあっても、カサレリアの地は変わらず豊かな自然の生命力に満ちあふれていた。2年前のザンスカール帝国との最終決戦の傷跡など最初からなかったかのように、緑の梢が初夏の爽やかな風にそよいでいる。
ウッソ・エヴィンとシャクティ・カリンの2人が暮らすその家の一角、かつてリガ・ミリティアが残した民間用の公衆データストレージ端末が設置された秘密基地のような部屋は、今や地球圏の生き残りやジャンク屋たちへ向けた、ささやかな日常を守るためのラジオ放送のスタジオと化していた。
15歳となり、身体的にも青年へと成長し、声変わりも終えたウッソは、かつてモビルスーツを駆って一国を壊滅させた最強の戦士としての冷静な分析力を発揮し、手際よく音響機材の配線をチェックしていた。しかし、そのすぐ隣に座るシャクティとの距離が、ほんの数センチメートル近づいただけで、彼の超一流の空間認識能力は瞬時にハングアップしてしまう。
シャクティがふわりと身を乗り出し、ウッソの覗き込むミキサーのインジケーターを一緒に見つめた。ウッソの鼻腔に、彼女の髪から漂う野の花のような優しく甘い香りがダイレクトに届く。
「ねえ、ウッソ。今日のデータパケット、もう届いているのかしら?」
「う、うん! あ、あそこに……いや、カサレリア・ストレージの受信ポートにね、暗号化データパケットとして、さっき滑り込んできたんだよ、シャクティ!」
ウッソは裏返りそうになる声を必死に抑えながら、ミキサーのレベルメーターに視線を走らせた。メーターの針が激しくピンを振っている。
「なんだか、メーターがすごく赤くなっているわね。機械の調子が悪いの?」
「ち、違うんだ! これは僕の……じゃなくて、機機機機材のインプット感度が高すぎるだけで、つまり僕の心拍数が毎分150を突破しているようなエラー数値を示しているだけで、機材はいたって正常だよ!」
パニックを起こしてしどろもどろになるウッソを、シャクティは少し大人びた笑みを浮かべ、上目遣いで覗き込んできた。聖母のような包容力を漂わせながらも、ウッソが自分を意識して狼狽する姿を無自覚に楽しむ小悪魔的な一面が、15歳の彼女には開花しつつあった。
「ふふ、ウッソってば、私の顔がそんなに近くて緊張しているの?」
「そ、そんなことないよ! 僕はいつだって冷静にミノフスキー・ドライブの技術的数値だって計算できるし……!」
その時、防音ガラスの向こう側、サブと呼ばれる調整室に佇む構成作家のカティス・ロゥが、静かにスケッチブックを掲げた。30代後半から40歳前後の彼は、サングラスの奥の目をギラリと光らせ、一切の声を発することなく、無言のト書きのみでウッソにプレッシャーを与えてくる。
スケッチブックには、太いマジックで『ヘタレ禁止! 男なら肩を抱き寄せろ! そのまま本番スタートだ!』と過激なカンペが躍っていた。かつてキンケドゥから男の生き様を学び、自身も甘酸っぱい修羅場をくぐり抜けてきたカティスにとって、ウッソの純情すぎるヘタレ具合は見ていてじれったくて仕方がなかったのだ。カティスはニヤリと笑い、親指を立ててみせる。
「カ、カティスさん! そんな無茶苦茶なカンペ出さないでください!」
ウッソが顔を真っ赤にして叫んだ瞬間、本番のオンエアを示す赤いランプが点灯した。
「え、あー……! リスナーのみなさん、こんにちは! 『ウッソとシャクティのカサレリア・リミテッド・レディオ!』の時間です! パーソナリティのウッソ・エヴィンです!」
「みなさん、こんにちは。シャクティ・カリンです。今日もカサレリアの風に乗せて、私たちの声をお届けしますね」
シャクティが完璧なマイクパフォーマンスでウッソの動揺をフォローする。ウッソはゴホンと一つ咳払いをして、手元のデータ端末に意識を集中させた。
「さあ、今日も地球圏のジャンク屋や生き残りのみなさんからミノフスキー粒子による通信障害を潜り抜けて届いた、貴重なデータパケットを紹介するよ。今回、ネオ・ガンダム由来の精神感応型サイコフレームがサルベージした、公式正史に完全準拠した歴史の真実は……これだ。連邦軍極秘アーカイブ・コード:HM編番号409492、『旧アナハイム社遺品データパケット・識別名:機動戦士ガンダム UC0092 サウス・ナポリの「キッカの家」 ホワイトベースの少女とシャングリラの孤児たちが、放課後のキッチンで幸せを盛り付ける話』だよ」
「宇宙世紀0092年……。私たちが生きている0155年から数えて、60年以上も昔の、あの第二次ネオ・ジオン抗争の直前の時代の記録なのね」
「うん。アナハイム・エレクトロニクス社がまだ一大全盛期を誇っていた頃で、僕たちが生まれるずっと昔の記録なんだ。一年戦争でホワイトベースに乗っていたあの有名な女の子や、かつてグリプス戦役を戦い抜いたシャングリラ出身の少年たちが、とある街のキッチンで出会うところから始まるんだ。それじゃあシャクティ、サイコフレームに手を重ねよう」
「ええ、ウッソ」
2人はデスクの中央に据えられた、かつてネオ・ガンダム2号機のコア・ファイター残骸から発掘されたサイコフレームの結晶体にそっと手を重ねた。
刹那、スタジオが淡い虹色の光に包まれる。安定したニュータイプ能力を持つ2人の精神がサイコフレームと同調し、隠蔽された史実が脳内へとダイレクトに流れ込んできた。それは映像として映るのではなく、当時の人々の感情や五感、さらには美味しそうな料理の匂いまでも追体験させる、圧倒的な精神感応だった。
――そこは、南欧の温かな太陽が降り注ぐ、どこか懐かしく美しいキッチンのある家だった。
「うわあ……! これは、すごく温かくて美味しそうな匂いがするな……!」
ウッソはサイコフレームがもたらすビジョンの中で、思わず声を上げた。
語られるのは、激動の宇宙世紀の裏側で、かつて戦火を潜り抜けてきた少年少女たちが、一つの食卓を囲んで絆を深めていく、優しくも泥臭くて愛おしい日常の物語。
一年戦争を経験したあの少女が、かつてジュドーさんたちと共に戦ったシャングリラの少年たちと出会い、放課後のキッチンで様々な料理を盛り付けていく。最初に出会う『おにぎり』から始まって、放課後のポテトサラダ、さらには高級な缶詰を使った料理や、思い出の詰まったシチュー、揚げ物の試練まで、数々の美味しそうなメニューが彼らの心を繋いでいく。
「戦いの中で傷ついた心を抱えながらも、今日のご飯が美味しいっていう、何よりも尊い共感でみんなが笑顔になっていくのね。なんて素敵なんでしょう」
シャクティもまた、その温かい食卓の光景と、料理を通じて通じ合う彼らの心の交流に触れて、慈愛に満ちた涙を浮かべていた。
しかし、物語が進むにつれて、歴史の歯車は静かに、けれど確実に動き出していく。窓の外のニュースでは、あの新生ネオ・ジオンの総帥による演説が近づいていると告げられ、世界が大きな破滅へと加速していく不穏な影が忍び寄る。
「すごいよ……世界がどれだけ険しい破滅に向かおうとしていても、彼らは明日を生きるために食材を考え、布巾を絞り、食卓を守り続けようとするんだ。ニュータイプという高尚な理念じゃなくて、生きるための泥臭い温かさがここにある。抱腹絶倒で大爆笑してしまうような賑やかな放課後のパニックや、学園祭の屋台での大騒ぎもあるけれど、その裏にある14年目の祈りや、最後のごはんを囲むシーンは、胸がキュッとなるくらい切なくて熱いよ!」
ウッソは興奮気味に語る。過酷な戦争の歴史の隙間で、これほど豊かな愛と食卓のドラマが紡がれていたことに深く唸らされる。
「ルオ商会との関わりや、クリスマスに囲むローストチキン、そしてバレンタインの甘い謀略まで、魅力的な日常がぎゅっと詰まっているわ。ネタバレになっちゃうから、彼らが最後にどんな答えを見つけるのかは言えないけれど、このお話はぜひ、以下のURLから地球圏のすべての人に直接確かめてほしいな」
https://syosetu.org/novel/409492/
「うん、歴史の教科書には絶対に載らない、宇宙世紀の最も愛しき食卓のゆくえを描いた素晴らしい記録だね。公式設定に完全準拠した、最高の隠れた名作データパケットだよ。みんなも絶対にアクセスしてみてね!」
サイコフレームの虹色の光が静かに収束し、2人はカサレリアのスタジオへと引き戻された。
歴史の重みと、そこに生きた人々の切実な温もりに触れたウッソは、ふと、今こうしてシャクティと2人でいられるカサレリアの穏やかな日常が、どれほど奇跡的なものであるかを再確認していた。
「……あの時代の人たちは、これから大きな戦争が始まるかもしれないっていう恐怖の中でも、今日のご飯を美味しく食べるために必死に日常を盛り付けていた。僕たちが今、このカサレリアで自給自足しながら平和に暮らせているのって、本当に感謝しなきゃいけないことなんだよね。だから僕は、このかけがえのない場所を、シャクティとのこの時間を、絶対に守りたいんだ」
ウッソが真剣な目でポツリと独白した。そのあまりにも真っ直ぐな言葉に、シャクティは一瞬だけ驚いたように目を見張った。
しかし、すぐにその表情は、とろけるような甘い微笑みへと変わる。
「ウッソ……そんな風に私のこと、想ってくれていたのね」
シャクティは、パーソナリティとしての距離を完全に踏み越え、ウッソの座る丸椅子のすぐ隣へと、さらに距離を詰めてきた。ウッソの肩に、シャクティの柔らかい肩がピト、と触れ合う。
「わ、わ、シャクティ!? ちょっと近いよ! マイクが僕たちの衣擦れの音まで拾っちゃうから!」
「いいじゃない。カサレリアの平和をリスナーのみなさんにもお裾分けしましょう? ほら、ウッソの心拍数、またレベルメーターを突き抜けそうよ?」
いたずらっぽく微笑むシャクティの顔が、目と鼻の先にある。彼女の吐息がウッソの頬をかすめ、甘酸っぱいキュンキュンとした空気がスタジオを支配する。ウッソの脳内思考力は完全にゼロになり、顔から火が出そうなほど真っ赤になった。
サブのガラスの向こうでは、カティス・ロゥが、かつて自分がくぐり抜けてきた数々の甘酸っぱい修羅場を思い出したのか、静かに目を伏せて深く共感しつつも、『素晴らしい! そのまま押し通せ!』と言わんばかりに、激しくサングラスを直しながら、満面の笑みで両手の親指をグッと立てていた。
「う、うわあぁぁ! リ、リスナーのみなさん! 今回のお便りやデータ要求の送信先は、カサレリア・ストレージの旧民間公衆データ端末アドレスまでお願いします! それでは、お元気でー!」
パニックになったウッソが、勢い余ってマイクに手をぶつけ、そのままバランスを崩してシャクティのほうへと倒れ込んでしまう。
「きゃっ!?」
「うわっ、ごめんシャクティ……って、あれ? な、何これ、すごく柔らかいものが僕の手に……ひ、ひえええええ!?」
偶然の事故による特大のラッキースケベが発生し、ウッソの心拍数はついに限界数値を突破して機材のブレーカーを落とした。カサレリアのスタジオは、甘酸っぱい悲鳴と共に静かにフェードアウトしていった。