「ふんふんふん~」
昨日たくさん依頼されたから、今日は集中してお仕事をしなくちゃならない。偶には窓のそばでお仕事しよう、そっちのほうが針も見やすくて、きっと作業が捗る。
砥石と甕からすくってきた水を手元に用意する。
窓の外はちょっとだけ曇り。
この子は先が丸くなっちゃったみたい。傷もないから、きっと大事に使われてたんだ。研ぎ直せばまた活躍できるはずだ。
椀から水をすくって、砥石に少しかける。
ころころと指で転がすようにしないと、いびつな形になっちゃうから。
「え? ううん、大丈夫。また使いたいから、修理をお願いしたんだよ。ほら、もうちょっと」
そんな心配しなくていいのに。だってこんなに綺麗に使われてるんだから。
「これでよし」
次の子は鍬だ。固定していた楔が壊れちゃったみたい。少し大変だけど、木を削って嵌めてあげれば元通り。
ひとつ、またひとつ。
額を拭って、ふうと一息ついた。
道具を直すのは大変だ。でも、みんなの喜ぶ声は嬉しい。あとお金ももらえる。それに、長く使われるに越したことはないもん。
磨き上げた包丁に水をかけて、出来栄えを確認しようと、光が当たるように掲げた。私と目が合う。こうやって綺麗になった道具を見るのが、一番好きだ。磨かれた刃には、いつもより少しだけ、私の顔がよく見える。
少し傾けると、後ろの窓が映って、子供が草履を大きく蹴り上げている姿が見えた。お天気占いをしてるみたい。こんなに暑いのに、人間の子供は元気に走り回っていて、感心する。暑さには妖怪だって敵わないのに。
空は曇り模様だ。前に雨が降ったのは、5日も前だ。
水気を拭って、包丁を紙で包んでやって、箱に入れた。すっかり綺麗になって、誇らしい気分。
土間に脱いであった下駄を手に取る。この子たちも、そろそろ手入れをしてあげたい。少し鼻緒が毛羽立っているように見えるし、木も少し欠けてる。
それから仕事に戻ろうと思って、土間に戻そうとしたけど、なんとなくその手を引っ込めた。
たまには上を向きたいよね。
「……明日天気になあれ」
台をつまんでいた指を払うように投げると、空中で回転して、土間に着地する。カランコロンと、数転。歯を下にしてピタッと静止した。
……いつも足蹴してた腹いせっていうの。
もう一度下駄を空に放り投げる。今度は横を向いた。
「もういいもん」
下駄を指で弾いてやった。もうあなたは歯が折れても、鼻緒が切れても直してあげないもんね。
そろそろお昼どきだ。今日はもうお仕事終わり。
こんなにいい天気なんだから、お散歩……じゃなくて人間狩りに行こう。
直してあげた子は、一つ一つ紙に包んで、宛名を書いて籠に入れておく。みんな最初より元気そうだった。
それから下駄を履いて、入り口の傘を手に取る。
戸を開けて空を見上げると、やっぱり曇りだ。雨の日じゃないけれど、晴れの日でもない。
いい空。
「さあ人間たちよ、わちきの華麗な傘捌きに……」
「傘のお姉さんこんにちはー」
「あっ、こんにちは」
「また今度一緒に遊ぼ! ばいばい!」
「いいよ! ばいばーい」
女の子はそのまま母親に手を引かれて歩いて行った。元気で良い子。
気を取り直して。
「わちきの傘捌きに恐れ慄くがいい! ……よし」
これで気合が入った。
誰を驚かせてやろうか。人があんまりいても、きっと驚かせにくい。
狩りの鉄則その1、逸れたやつを狙うべし、だ。
*
細い路地の十字路にさしかかるたび、角に隠れて様子を窺う。
はあ、と口からため息が出る。
お昼時だからか、人っ子ひとりいない。
家の並びを見ると、もうすぐ里の外れの方についてしまう。もう今日は帰って大人しくご飯でお腹を満たそうか……ううん。
せっかくお外まできたんだから、誰かは驚かせたい。
次の角が見えてきた。角から傘をちらと出して見てもらう。
「誰か居た?」
声は立てずに、こっそりと。
「え、いたの。うそ……じゃなくて、よーし」
狩りの鉄則その2、死角から襲うべし。
相手が角に近づいてくるのを、耳をそばだてて待つ。
遠くからセミの鳴き声。包丁で何かを切る音、何か煮込んでいる音、お味噌のいい匂い。ぐう、とお腹が鳴った。
かさり。
「驚けー! あれ?」
ひょうと風が通って、家の壁を軋ませている。
風に笑われてるみたいだ。
「ちょっと、誰かいるって言ったじゃない……え、傘に驚いて立ち去ってたって……先に言ってよ!」
もう、骨折り損じゃない。この子が驚かせても私のお腹は膨らまないのだ。
ため息が出た。
時折談笑が家の中から聞こえる。今日は暑いから、長めに休憩を取っているのかもしれない。
足元から、じゃり、という音とともに、張り付くような不快感を感じた。
下駄に土埃がついている。きっと土埃が舞ったのだ。
鼻緒についた土をほろってやって、ふと目線を地面にやると、乾いた土が鱗のように割れ、反り返ってぼろぼろに盛り上がっていた。
最後に指の間に張り付いた土を取り除いて、空を見上げた。
空模様は変わらない。
「……もう少しだけ歩いてみよう。もうちょっと行けば見つかるかもしれないもんね」
歩き続けて、里の外側の方までたどり着いた。
この先は畑だ。この時間帯はみんなお昼だ。
遠くの畑で、人影みたいなのが揺れている。
ようやく驚かせられる!
狩りの鉄則その3、よく観察するべし。
あの人が何をしてるか、よく見て死角から驚かせにいくんだ。
宙に浮いて、あの人の視界に影が映らないように、陽に体を向けて近づく。
でも、背中を丸めて妙に動かない。
もしかして体調が悪い?
近づくにつれて、様子がはっきりと見えてくる。腕がよく焼けて、服がボロボロで……
「……カカシじゃん」
どこからか飛んできたカラスがカカシに止まって鳴き始めた。まったく役目をはたしてない。
もう傘を放り投げて家に帰りたい気分になった。
「狩りの鉄則その4……えっと、諦めないこと!」
どうせだから、いつものコースはまわり切ろう。今日こそあそこまで行けるかもしれない。
そう思ったらもう少し歩ける気がした。
暑さなのか、虫の鳴き声なのか、耳がずっとジリジリしてる。
暑さをどうにかできないかと思って、傘を開いた。足元にうっすらと、私の影ができた。
涼しくなるわけなかった。せめて涼しくなる機能でもついていればなあと思った。この子には悪いけど、黒塗りにして、日差しくらいは吸収できるようにしようかな。
風が吹いて土の香りがした。汗を乾かしてくれて、涼しい。
こんな日に、木陰でお昼寝したら、気持ちいいだろうな。
畑を抜けた。ここからは傾斜が大きくなって、畑がまばらになっていく。それでも、山麓から続くように道はある。
曇り空は変わらない。
下からだと、木々の見分けはつかない。
傘の柄を、握り込んだ。
やっぱりもう帰ろう。お腹も空いたし。
振り返って、来た道を戻る。里の入口の方から、人がまばらに出てきはじめていて、畑ではすでに何人か作業していた。
でも、驚かせる気にはならなかった。
明日こそは。
さっきよりずっと影が大きく見えた。羽まで生えて……
「なになになに!? 冷たい!」
首筋をなにか冷たくて無機質なものが……あれ、これって前も。
「涼しくなった?」
顔を上げたら、ぬえちゃんが逆さまに浮いていた。
「ぬえちゃ……ち、近いよ」
反射的に顔を逸らした、のに、胸のあたりだけあったかい。
彼女はそのまま足を蹴り上げるように宙で一回転して、立ちふさがるように着地した。
「あんたって猫の妖怪にでもなった?」
「……はい?」
「いや、毎日毎日この辺うろついて、見回りにでも来てるのかってさ」
「……し、知らない。毎日なんて来てないけど?」
見られてた。あの木の前までは行ってないのに。
それらしい理由、それらしい理由。
「そうそう。このへんは私の縄張りだもん。見回りに来て、他の妖怪が暴れないように牽制してたの!」
「猫じゃん。てかさっきと言ってること違うけど?」
「毎日は来てない!」
「来てはいるんじゃん」
「……っ!」
もう何も言えなかった。口が勝手に動いて、ボロを出した。
私はどうしてむきになってるんだろう。別に良いじゃない。ここへ来たって何も不思議じゃない。ただの散歩だっていえば良い。
よく考えたら、ぬえちゃんはどうしてここまで追及するんだろう。私がどこをうろついていようが、関係ないじゃない。
そうだ、ちゃんとビシッと言ってやるんだ。
彼女の方を向いた。
ぬえちゃんはムスッとしていた。表情はあんまり変わってないように見えるけど、とにかくムスッとしてることはわかった。
「……怒ってる?」
「別に。お前が目障りだったの。うろちょろうろちょろ」
「……ごめんなさい」
「そうじゃなくて……はあ」
頬をぽりぽりと掻いてる。それから何かに気づいたように舌打ちをした。
「だから……」
ぐう、と間抜けな音が聞こえた。私のお腹だ。
顔が熱を持ってるのをはっきり感じた。呆れてる。ぜったい。
「あの、その」
声が出づらくて、つばを飲み込んだ。
傘を両手で強く握った。なんにも残ってないのに。
「あっ、私人間狩りの途中だったの! もう行くね!」
「おい……ふーん」
その声は遠ざかって聞こえた。追ってきてはいないようだった。
振り返ったりはしなかった。ぬえちゃんの言葉の続き。聞こうと思ったけど、やっぱり無理だった。
乾いた地面の硬さが、いまはありがたかった。