ある日のアレクサンドリア。
664番な何不自由なく生活していた。
エルフとして森で生活していた時と比べ、アレクサンドリアにはなんでもあった。
美味しい食事、いつでも入れる大浴場、ふかふかのベッド。
さらに娯楽も充実していた。
昼間はオラリオで666番の侍女として665番と共に活動していたが、泊まり番の時以外はアレクサンドリアに帰ってくる。
そうするとナツメ・カフカの本が読み放題だったり、高級ホテルは泊まり放題だったり、ミツゴシ製のチョコレートも食べ放題とは言わないが、食堂に行けば何個までとは決まっているが食べる事が出来た。
もちろん、訓練も欠かさないし、有事の時は潜入捜査隊に駆り出されるときもある。
真面目な664番は上昇志向だったため、任務もキッチリ行うため分隊長を任されていた。
仕事人間ではあったが、休むときは休めというシャドウガーデンの優しさに、離れられないでいた。
まぁ七陰様に悪魔付きから救われ、忠誠を誓ったのだ。離れる可能性はないのだが。
そんな664番にも不満があった。
「あ~~。個室風呂が欲しい。」
というものだった。
彼女は、お腹に傷があったのだ。
そんなに大きな傷ではない。生まれた時についていたものだ。
ヘソの横に、赤い線の傷。5センチくらいのものだ。
気付かない人は気付かないが、大浴場に入ると、顔見知りの構成員は声をかけて見て来る。
見目麗しい構成員ばかりのシャドウガーデンの中で、ちょっとした劣等感を抱いていた。
◆
ドアがノックされる。
「どうぞ~。」
イプシロンの私室だった。
「あら、664番じゃない。」
イプシロンは黒のセーターを着ていた。ラフな格好だ。
楽譜か何かを見ているのだろう。机の上には所狭しに書類が置かれていた。
イプシロンは664番を一瞥したかと思いきや、紙へ顔を戻す。
「お忙しいところ、申し訳ございません。イプシロン様。ご相談が~。」
「なにかしら?」
イプシロンは紙から目を離さず、664番に返答する。
「個室のお風呂を、ご用意頂けないかと…」
「…?」
イプシロンの頭にハテナが浮かぶ。
やがて、紙から目を外し、664番を見据える。
「大浴場だと、不満だという事?」
「いえ!決してそんなことではございません!」
「…ならなんだというの?」
「私は…生まれた時からお腹に傷がありまして~。」
イプシロンは何となく察する。
「大浴場で他人にあまり見られたくないと、そういうこと?」
「あ、はい。そうなんです…」
事情を説明し、理解して貰えたら終わりだ。
後は決定をお任せすればよい。
う~ん。と考えるイプシロン。
「ちょっと、恥ずかしいと言いますか、個室のお風呂があれば。と思いまして。」
確かにしばしば構成員には「不満がある事はすぐに七陰に報告を」と言っている。
だが、シャドウガーデンも大所帯だ。通る事と通らない事がある。
構成員の大半が不満に思っている事なら通るだろう。当然七陰の許可がいるが。
更に、七陰の許可が取れてあれば事はすんなり進む。
今回はイプシロン様からイータ様に話を通してくれたら、後は664番やら665番がサポートすれば済むことだ。
大体の事は数時間あれば済む。
だが、イプシロンはそんな意見にノーを突き付ける。
「ダメね。」
「ダメ。ですか…」
「ええ。あなただけ特別扱いする事は出来ないわ。」
別に自分だけを特別扱いしろと言っている訳ではない。
「あのですね。例えば、大浴場の近くに、個室浴場を作る。というのはいかがでしょうか。」
「なるほどね。部屋に付けるのではなくね。」
「はい、たまには個室浴場でゆっくりしたいメンバーもいるはずですし、部屋に個別に作るよりはコストが削減できると思いますが。」
う~ん。とイプシロンは唸る。
「でも、ダメね。」
「ダメ。ですか…」
「ええ、まずは身体を見せたくないという貴方の意見だけれど…」
「…はい」
「身体のスタイルについて、我々シャドウガーデンは訓練を怠ってないはずよ。別にお互いに見られて恥ずかしいものじゃない。」
「…確かに…」
「そして、お腹の傷なのだけど、申し訳ないけれど、見られたくないならシャワーで済ませたり、大浴場に誰もいない時に浸かったりする。ではダメなのかしら?」
「…確かに。シャワーがありますね。」
「あと、露天風呂もあるのだから。」
そう。アレクサンドシアは大浴場とは別に、大露天風呂もある。
664番は言いたかった。混雑するのは夜であると。そして、664番が入りたいのも夜の時間であると。
七陰やナンバーズの様な、部屋に個室風呂が付いている人には分からないと、そう言ってやりたかった。
だが、ガッツいてどうなる。私の意見をはっきりと伝え、事情も説明し、理解を得られ、考えてもらい、ノーを出されたのだ。
今後もシャドウガーデン内で生きていくのだ。変なヤツと思われたくない。
「そう…ですね。分かりました!お時間取らせてしまい、申し訳ございませんでした!!」
「いえ、理解が得られてよかったわ。」
「それでは失礼します。」
◇
「やっぱりダメだったか…。」
まぁ始めからそこまで期待はしていない。我儘な考えだった。と反省をする。
そんな世の中簡単ではない。私は絶対的な縦社会の、末端構成員なのだ。
暗い表情をしながら、イプシロン様の部屋から自室へ戻る時だった。
「どうしたの?」
目の前には少年が立っていた。
黒髪、黒目の、なんてことのない少年だった。白のTシャツに黒のジャケット。『じーぱん』とか言うものを履いていた。
「シャドウ様!!!!!」
「お、おう。」
「こ、これは失礼致しました。今日はアレクサンドリアで、いかな用事でございましょうか?」
「あ~、ちょっとイプシロンに話があってね。」
「イプシロン様に?」
「そう、オリアナの事でね。あのロボみたいなヤツ倒して……アレ?君そこにいたっけ?」
「は、はい!シャドウ様の戦闘!わたくししっかりと拝見させて頂きました!」
「まぁ僕の戦闘は良いんだけど…あのあと異世界に行って戻って来てすぐにミドガルに戻っちゃったから、その後のオリアナの話を聞きたくてね」
「さ、さようでございますか!私も先程までイプシロン様のお部屋におりましたので、ご案内いたします!」
「ありがと~。助かるよ~。」
「こちらです。」
両手を頭の後ろに回し、ラッキーといいながらシャドウは664番の後ろを付いてくる。
若干の緊張を持ちながら、シャドウを案内する。
ホントに一般の男性と見分けがつかない。
私もシャドウガーデンで鍛えられ、魔力察知が出来なければ、目の前の男性がシャドウ様と同一人物など思わないだろう。
いつもはどこかで、ラムダ様辺りが案内を仕るのだが、今日はいらっしゃらなかったのだろうか。
そんなことを考えていると、シャドウ様に話しかけられてしまった。
「ところで、イプシオンとは何の話をしていたの?」
「あ~。」
664番は考える。シャドウ様に話してよいものか。
こんな末端の分隊長の戯言を。七陰様がノーと決断をした意見を。
自分勝手な考えで、シャドウガーデンの時間を使用させてしまう考えを。
時間だけでない、水道代やら建設資材やら諸々を私の意見で支出させてしまう考えを。
他の構成員にメリットがないかもしれない、考えの至らない意見を。
いや!しかし、嘘やはぐらかす事こそ罪である。
シャドウ様のご質問なのだ。正直に答える以外ありえない。665番はそう結論した。
「…ん?」
「はっ!個室風呂が欲しいとの希望を、イプシロン様にお願いしておりました!」
「個室風呂?あ~1人でお風呂に入りたいの?」
「あ、はい。」
「ここには大浴場しかないんだっけ?個室風呂たまに入りたくなるよね」
「は、はい。」
「気持ち分かるよ。分かった。イプシロンに言っておくね」
「は、はい?」
そんなやりとりをしているとイプシロンの部屋に到着する。
664番はイプシロンの部屋をノックする。
コンコン
はーい。とイプシロンがドアの向こうで返答する。
「シャドウ様がいらっしゃいました」
きわめておしとやかな女性を崩さない。私はシャドウガーデンの召使いだからだ。
シャドウ様。盟主様の使いとして、今動いているのだ。
ガタタっ!!イスを立つ音が聞こえる。
やがて、ガチャ。とドアが開けられる。
「シャ、シャ、シャ、シャドウ様!!!」
「やぁイプシロン、久しぶりだね~。オラリオ振りかな?」
「はぁい!シャドウ様。来てくれて嬉しいです~!!」
眼がハートのイプシロンが目の前にいた。
先程の毅然とした態度の七陰はどこに言ったのか…。
今日もイプシロンはスタイル良いね~。
やぁだ!!やめて下さいよ~!!
と声が聞こえる。
664番は部屋に入っていった2人に礼をし、そっとドアを閉じた。
シャ、シャドウ様と会話をしてしまったー!!!
664番はシャドウと会話をしたことを665番と666番に自慢しようと誓った。
◆
翌日、朝起きてアレクサンドリアからオリアナへ出勤した。
そして、アレクサンドリアに帰って来た時、自室のある建物を見て違和感に気付いた。
「ん??何あれ…?」
「え~。にゃんだろうね~。」
「…あんたまだ食べてんの…?」
665番と一緒に速足で帰って来たばかりだった。
建物が一回り大きくなっているのが見えた。
彼女らの部屋は四角形の建物にあるが、各部屋に半円の同じレンガの『何か』が付いていた。
「もしかして…」
「増築工事かな?昨日の今日ですごいね~。何があったんだろう。」
「もしかして…」
「じゃ~また明日ね~664番ちゃん。」
665番と別れ、小走りで自室まで走る。
ポケットから自室の鍵を探し、そっと鍵穴に差して回す。
自室の鍵を開けて入ると、部屋の左奥に見慣れない扉があった。
だが、まずは机の上に見慣れない紙と、白くて丸いものが置いてあるのが目に映った。
紙は七陰が構成員に正式な書類を出すときに使用する、特別な紙だった。
紙にうっすらと七陰のマークが書いてあるものだ。
『シャドウガーデンの皆へ
全部屋に個室風呂とトイレを付けたよ。使い方は大浴場と同じ。
ぶいぶいV。
大浴場にも広めの個室を付けたから順番で喧嘩しないで使ってね。
石鹸はガンマに人数分貰ったから、一個おまけであげるね。
イータ』
おっふ・・・。
手に掴んでいる白い石鹸を見る。
イータ様・・・ガンマ様に許可取ってないだろうな…ミツゴシから取って来たのか?
いや、在庫があるか…
そして、浴室・・・まさか…シャドウ様が動いたのか。
と思いながら、664番は部屋の左端にある扉の前に行き、開く。
そこは空気の透き通った空間だった。
白い洗面所と白いトイレ、更にその先にガラスの扉がついており、扉を開くと白いピカピカな浴室があった。
シャワー付きである。
信じられない気持ちで蛇口ハンドルを回すと、蛇口から心地よい温度の水が流れて来る。
シャワーにも蛇口ハンドルが設置してあり、そちらを回すとシャワーからも水が流れて来た。
大浴場のものと同じ、肌に心地よい粒だった。
「シャドウ様…感謝、申し上げます。」
664番は感極まり、神に祈ったのだった。
◆
個室風呂の評判は非常に良かった。
個を尊重するシャドウガーデンの満足度がまた一つ上がった瞬間だった。
664番は毎日個室風呂でナツメ・カフカの本を読む。