雄英高校の闇、伝説の性癖・尊厳破壊ヒーロー『ミッキー』 作:青梅子
昨日の放課後、ゴム製品の会社から支給されたファーストロット――デカデカと『業務用・特級薄膜仕様』と印字された縦横20センチの紙箱を、一晩中どう自室に隠すか悩み抜いた翌朝。
うぶな女子高生であった■■ 光己(みつき)は、親バレは避けたいと決死の覚悟でその最悪の時限爆弾をスクールバッグの奥底へと仕込み、雄英高校の門をくぐっていた。
カバンの中身の形状のせいで、バッグの側面が不自然に四角く膨らんでいる。
(落ち着け、私……。いつも通りにしてれば、誰もカバンの底に100個入りのゴムパックが入ってるなんて気づくわけがない。大丈夫、私はステルス・ステップを修めた女……知覚の盲点を突くのよ……)
下駄箱の前に立ち、心臓を激しく波打たせながら、みっちゃんは周囲のクラスメイトたちに挨拶を交わした。だが、朝一番から彼女の心臓が跳ね上がる。
「おはよーみっちゃん! ……あれ? なんか今日カバン重そうじゃん。中身のなんか四角く浮き出てるよ?」
陽気なクラスメイトの一人が、何気なくみっちゃんのカバンの側面をポンと叩こうと手を伸ばしてきた。その瞬間、みっちゃんの全身の毛穴がキュッと引き締まり、脳内で危険を知らせるアラートが最大音量で鳴り響いた。
(叩かれたら箱の硬さで一発で怪しまれる――見られたら死ぬ!!!)
極限の社会的恐怖。それが、みっちゃんの「知覚の暗殺」の才能を朝から覚醒させた。
相手が瞬きをした、わずかコンマ数秒の『知覚の隙』。
みっちゃんの体は、一切の風切り音すら立てずに斜め後方の死角へと滑り込み、カバンの側面を叩こうとしたクラスメイトの指先を、予備動作ゼロのステップで「するり」とすり抜けた。
「へ? ……あれ、みっちゃんどこ行ったの?」
「あ、あはは! こっちこっち! ちょっと下駄箱の角にぶつかりそうだったからさ!」
冷や汗を流しながら、バッグを体の後ろに完璧に隠した状態で教室内へと滑り込むみっちゃん。朝の登校時という最初の関門を、彼女は文字通り命がけの体術でクリアしたのだった。
だが、本当の地獄は「昼休み」に待っていた。
みっちゃんは毎日、自分で作ったお弁当を学校に持参する「お弁当派」であった。
何しろ23年前の雄英高校の食堂には、まだあの『ランチラッシュ』が就任していない(あるいはまだプロとして活動すらしていない)黎明期なのだ。学食の充実度を考えれば、必然的にお弁当になるのは至極当然の時代背景であった。
しかし、戦闘個性が皆無で、毎日ボコボコにされて保健室に担ぎ込まれている彼女ではあったが、だからこそ「将来は誰もが憧れるような、完璧で素敵な大人の女性になってやる」という、乙女としてのプライドから、女子力を磨くことには冷徹なまでに余念がなかったのである。
特に料理の腕前に関しては、すでにプロ顔負けの領域に達していた。
無駄な力を一切抜き、重心を安定させ、包丁の刃先をミリ単位でコントロールして食材を流れるように刻んでいくその技術。
のちに、林間合宿のカレー作りにおいて麗日お茶子から
「包丁使うの上手いな!」
と驚かれ、
「包丁に上手いもクソもあるか! 物は使いようだろうが!」
と吠え散らかすことになる爆豪勝己。
その、息子が魅せる完璧な包丁さばきのルーツは、間違いなく、この15歳のみっちゃんが毎朝キッチンで持ち前の圧倒的な器用さとセンスでサラリと極めてみせた、女子力の結晶そのものであった。
――しかし、そんな女子力の塊であるお弁当箱をカバンから取り出すという行為すらも、今の彼女にとっては死線を潜り抜けるようなものだった。
机の横にバッグをかけたまま、お弁当箱を引っ張り出そうとすれば、カバンの口から例の『業務用・特級薄膜仕様』のパッケージが滑り落ちて机の下に転がるリスクがある。
(集中しろ……。お弁当箱を抜く瞬間の、摩擦の抵抗を計算するのよ……。個性のグリセリンを指先にコンマ数ミリだけ分泌して、お弁当箱の表面だけを滑らせて引き抜く……!)
みっちゃんは机の上でお弁当を食べるクラスの女子グループに囲まれながら、極限の集中力でカバンの中に手を突っ込んだ。
「ねえねえみっちゃん、今日のおかず何ー?」
「あ、これ? ……ただの玉子焼きと、タコさんウインナーと……」
女子たちが覗き込んでくる知覚の隙を暗殺歩法の応用で誘導し、パシィン!と音を立ててお弁当箱だけを神速で抜き取ることに成功する。
しかし、ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、女子たちの話題は、15歳の女の子たちが集まれば当然のように行き着く「恋バナ」へとシフトしていった。
「そういえばさ、隣のクラスの〇〇くんに彼女できたらしいよ!」
「えー、マジ!? あのメンツでアイツが先とか超ウケるんだけどー!」
「でもさー、うちらも早く素敵な初めての経験とかしてみたいよねー」
「初めてって、やっぱり最初にすごく緊張するのかなぁ……」
「わかるー、ぶっちゃけ最初は緊張だし絶対ヤバいっしょ!」
キャッキャと盛り上がる女子たちの会話。
その言葉を聞いた瞬間、みっちゃんの脳裏に、自分のカバンの底に鎮座している、あの「両腕のゴツい籠手からヴィランのケツにローションを高圧噴射するための使い捨てゴム指サック100個」という、あまりにも非人道的な現実がフラッシュバックした。
(みんなが素敵な初めての恋に胸を躍らせて、『最初は緊張だしヤバい』とか語ってる中で……私の『初めてのゴム製品』、カバンの底で今も出番待ってるんだけど……何この格差……)
お弁当の玉子焼きを口に運びながら、みっちゃんの顔は、恥ずかしさと哀しさとカバンの中身を意識しすぎる恐怖で、チェリーのように真っ赤に染まっていく。
「あれ? みっちゃん、なんか顔真っ赤だよ? どうしたの?」
「な、なんでもないわよ!! ちょっとウインナーのタコが辛かっただけ!!」
完全に挙動不審になり、お弁当箱を抱え込んで固まるみっちゃん。
誤解を解こうとすればするほど、カバンの中の「時限爆弾」の存在が彼女の精神をジワジワと摩耗させていくのだった。
そして過酷なお弁当ミッションをなんとかクリアし、ついに放課後のチャイムが鳴り響いた。
みっちゃんは机の横にかけたスクールバッグをサッと抱え込み、大きな安堵のため息を漏らす。丸1日、心臓が縮み上がるような緊張感に晒され続けたせいで、全身が心地よい疲労感に包まれていた。
(終わった……! なんとか誰にも気づかれずに放課後まで隠し通せたぞ! あとはこのまま寄り道しないで真っ直ぐ家に帰って、部屋のクローゼットの奥底にこの爆弾を封印すれば、私の勝ちよ……!)
勝利を確信したみっちゃんは、足取りも軽く、教室のドアへと向かった。
だが、運命の神様は、最後の最後に最も凶悪なトラップを用意していた。
「あ、みっちゃーーん! 待って待ってー!」
ドアを開けようとした瞬間、背後から陽気で、かつ今この瞬間に最も聞きたくなかったクラスの女子たちの声が響いた。
振り返ると、お喋りと噂話が大好物な女子グループが、笑顔でこちらに手を振りながら距離を詰めてくる。その中の一人が、みっちゃんのバッグの不自然な膨らみに、昼休み以上の鋭い視線を走らせた。
「みっちゃん、やっぱり今日カバンおかしいってー! 朝からずーっと大事そうに抱え込んでるし、なんか四角くて硬い箱が入ってるでしょ?」
「え!? あ、いや、これは……その、ただのノートのまとめ買いだから!」
「えー、怪しい! 昼休みも顔を真っ赤にしてウインナーのせいにしてたし! もしかして……彼氏へのプレゼントとか、そういう乙女の秘密の買い物じゃないのー?」
女子たちの目が、恋バナへの飢えと好奇心でギラギラと輝き始める。
一人が冗談めかして、
「ちょっと見せてよー!」
とみっちゃんのバッグのファスナーへと手を伸ばしてきた。
(アカン!!! 見られたら死ぬ!!! 確実に『ヒーロー科の■■、学校にオカモト工業の業務用100個パック持ってきてた』って噂が広まって私の女子高生ライフが完全に爆死する!!!)
極限の社会的恐怖。それが、みっちゃんの「戦場で生き残るための暗殺歩法」を、ついに完全な実戦レベルへと引き上げた。
女子生徒の指先がファスナーに触れる、そのコンマ数秒前の『知覚の隙』。
みっちゃんの肌から高純度のグリセリンがドバッと分泌され、隠密ヒーローから叩き込まれた『暗殺歩法(ステルス・ステップ)』が、予備動作(ノーモーション)を完全にゼロにした状態で発動した。
シュッ、と教室の空気が微かに揺れた。
女子生徒が瞬きをした一瞬の間に、みっちゃんの姿はその場から掻き消え、一切の風切り音すら立てずに斜め後方の死角へと滑り込んでいた。さらに、指先に纏ったグリセリンの摩擦係数ゼロ効果により、伸びてきた相手の手を「するり」と物理的にすり抜ける。
「……あれ? みっちゃん!?」
女子生徒が我に返ったときには、みっちゃんはバッグを体の後ろに完璧に隠した状態で、教室の隅の教卓の影へと音もなく移動していた。気配も、足音も、空気の振動すらも一切なかった。
「あ、あはは! 違うから! 本当にただの、見せられないプライベートな買い物だからさ!!」
冷や汗を滝のように流しながら、引きつった笑顔で言い訳をまくし立てるみっちゃん。
しかし、その驚異的な身のこなしと、必死すぎる形相が、逆に女子たちの「最悪の(しかし最高にピュアな)勘違い」をマッハの速度で決定づけてしまった。
「ちょっと……今の動き何!? そこまで命がけで隠す『乙女の秘密』って……それ、絶対に大好きな彼氏とお揃いの、すっごく可愛い『指輪(ペアリング)』とかでしょーーー!?」
「あ! もしかして、こっそり少女漫画みたいなおしゃれな恋バナ始めようとしてるのかなぁ!? キャーーー! みっちゃん可愛いーーー!」
「えー、マジ!? ■■のくせにペアリングとか超ウケるんだけど! 青春してんじゃん、隠さなくていーっしょ!」
「違うわよーーーー!!! 1ミリも、いや分子レベルでかすってないからね!!」
黄色い悲鳴と歓声が響き渡る教室。
みっちゃんは顔面が沸騰しそうなほど真っ赤になりながら、内心で激しく血の涙を流していた。
(みんなの妄想が15歳の女の子らしくてキラキラに可愛すぎて……カバンの底にある『ヴィランのケツを掘るための指サック100個』の最低さが引き立って、私が一番悲しいわ!! 指輪って……まあ、確かに、ある意味『指にはめる』製品ではあるんだけどさぁ……!! どんな恐ろしい指輪だよ!!)
「いいから、私もう帰るーーー!!!」
これ以上の追及は命に関わると判断したみっちゃんは、再び暗殺歩法をフル稼働。
女子たちの包囲網の『知覚の隙』を完璧に見抜き、相手の意識の盲点へ自身の行動を最速でねじ込むようにして、教室のドアをすり抜けた。そのまま、夕暮れの校庭へと全力で駆け抜けていく。
「あ、待ってよみっちゃん! 逃げるってことは、やっぱりそういうことじゃんー!」
背後から追いかけてくる女子たちの声を完全に置き去りにし、みっちゃんはスクールバッグを強く抱きしめながら走った。恥じらいの涙が、風に煽られて後ろへと飛んでいく。
のちに彼女が戦場において見せる、「音もなくヴィランの背後を完璧にとる技術」や、「相手のわずかな意識の隙に自身の行動を最速でねじ込む冷徹な立ち回り」の基礎は、正真正銘、この「カバンの中の業務用ゴム製品をクラスメイトから隠し通す」という、涙ぐましい命がけの隠蔽心理戦によって、この時に急激な練度の上昇をもたらしていたのである。
実戦訓練でのヴィランの猛攻よりも、保健室のリカバリーガールへ「いつかお茶にローションを混ぜてやる」と誓ったあの復讐よりも、何よりも過酷だった「初めてのゴム」にまつわる青春の試練。
みっちゃんは夕日に向かって全力で走り抜け、自らの社会的尊厳を(ひとまずは)守り抜くのだった。