「んー、ぼっちちゃん最近弾き方変えた?」
虹夏が言った。
STARRYでのスタジオ練の合間。汗を拭いながら虹夏が軽く投げかけた問いにひとりは狼狽えた。
「あっえ、特には……もももしかして下手でしたか……?」
「そんなこと全然ないよ!」
末端から液状化するひとりに虹夏は慌てて言った。
「別に技術的に悪くはなってない」
リョウが無表情に言って、ひとりは安心したように輪郭を取り戻した。
「良かったわねひとりちゃん!」
「そうそう。ぼっちちゃんの腕は疑ってないからさ。ただ、音に余裕が出てきた気がするんだよね。叩きつけるような感じがなくなったっていうか」
上手く言えないや、と虹夏は笑った。
「いや、虹夏の感覚は正しい。私も同じことを思ってた。ひとりの音は変わった」
リョウが言った。
「流石リョウ先輩! つまり……どういうことなんですか?」
郁代は首を傾げた。
「つまり……」
リョウはベースを置いてひとりに歩み寄った。リョウに見下ろされ、椅子に座ったままのひとりはごくりと唾を飲んだ。
「別れよう、ひとり」
虹夏と郁代は顔を見合わせた。
ひとりの体は足の先から徐々にファンデルワールス力を失い孤独な原子に還っていく。
「あっえっあ、あ、え、どうして……」
「私たちは孤独を埋め合い過ぎた。元の自分の形が分からなくなるくらいに」
「そんな……ででででも、ギターは悪くなってないって……」
「悪くはないよ。でも合わない。今のひと……ぼっちは上手いだけ。私は今ほど力は出せてなくても前のぼっちのギターが好きだった」
リョウはきっぱり言った。
「リョウ先輩ひとりちゃんが! ひとりちゃんが自分の形が分からなくなってます!」
「自我境界線を失って量子状態のままSTARRYを漂ってる!? おーいぼっちちゃん!」
虹夏がひとりの肩を揺すった。その両足は既に光の粒になって辺りに浮かんでいる。様子を見ていた星歌は慌ててエアコンと空気清浄機の電源を切った。
「はっ……ああそっか、悪い夢を見てたんだ。私は今から高校の入学式に行くんだ。ギターで学校中のアイドルになって中退してメジャーデビューしてアーリーリタイアするんだ……」
「ぼっち」
リョウの呼び声でひとりの意識は現実に引き戻された。
「あっはい……」
「新曲の歌詞書けてないよね?」
「ヴァッ! すみませんすみませんすみませんすみません! 靴舐めます! 全身で!」
空気中に分散したひとりが集まって遠慮がちにリョウの足元を包む。
「舐めなくて良い。まあ、正確には私が全部ボツにしてるからだし。あんな、理解ある彼君がいるから辛いことも何とかなるみたいな歌詞はぼっちらしくない」
「あっで、でも、私はリョウさんに歌詞を褒めて貰えて、私の気持ちを分かってくれて、すごく幸せだから……」
「だからだよ。私は今までのぼっちの歌詞が好きだった。普通に生きてたら抱かないような小さな不満を大げさにぶちまけた歌詞が」
リョウはあくまで淡々と続ける。
「えっへへへ……まあ、降りて来た? みたいな?」
ひとりはクネクネと喜んだ。
「でも、だから今は危険な状態。ぼっち、私たちは飢えてなきゃいけない」
「じゃ、じゃあ私も今日から草しか食べません!」
「そういう意味じゃない。私たちは音楽以外で満足したらもう今までみたいに音楽ができない。音楽が人生を懸けるものじゃなくて、人生を豊かにするものの一つになる。ぼっちは、毎日ゴミみたいな日常のことを呟いて1万いいねつくようになってもギターヒーロー続ける自信ある?」
「あっ続けないです」
「そうでしょ。だから別れよう。私たちは音楽でまだやることがある」
「そうですよね……分かりました……」
空気中に散っていたひとりが集まり元の人型に戻った。ひとりは二本の足で立ち上がった。そして虹夏に向き直り、
「あっすみません、歌詞書くので帰ります」
「うん分かった。気を付けてね」
「……ねえ、ぼっち」
ギターを背負ってスタジオの出口に向かうひとりは振り向いた。
「あっはい」
「もし私たちが印税でタワマンに住んで、適当なMCでファンが爆笑するくらい売れたらさ……また名前で呼ばせてよ」
「あっ……はい!」
ひとりは振り向かず階段を上った。重いドアを開けると西日が目を差す。涙を乾かそうとする太陽を睨みつけて、ジャージの袖で目元を拭う。この感情を太陽になんてくれてやるものか。孤独を握りしめてひとりは駆けだした。
★
ひとりがスタジオを出て行くのを見送ると、虹夏が口を開いた。
「はあ~。どっちかがスランプになる度に別れてるけど、これで5回目くらい? またライブまでこの感じか~」
「ハラハラしたの最初だけでしたね」
郁代が頷く。
「本人たちは毎回きっちり凹んでるの逆にすごいよね」
虹夏が言う通り、リョウはテーブルに突っ伏していた。
「……決めた。向こう一週間は働かない」
「決めんな」
離れて見ていた星歌がリョウの頭をハリセンで叩いた。
「傷心のぼっちちゃんの分も働けよ」
「うぅ……私も傷心なのに」
「てめえのせいだろ。ぼっちちゃん泣かせやがって」
まあまあ、と虹夏が間に入った。
「二人には必要なことみたいだからさ」
「実際あれの後っていつも凄く良い曲出来ますもんね! 私ひとりちゃんの書くラブソングが大好きで! 歌うの楽しみです~!」
郁代が言った。
「っていうか喜多ちゃんは良いの? 二人があんな感じなのは」
「幸せならOKです。虹夏先輩も、二人の結束感のなさは大丈夫なんですか?」
「ま、強く締め付けるだけが結束じゃないからね。近づいたり離れたりがちょうど良い距離感ならそれで良いんだよ。それも結束のうちってことで」
「なんか深いですね! そうだ、虹夏先輩も作詞しましょうよ!」
郁代が身を乗り出した。
「自分の作詞が詰まってるからって私を巻き込まないでね」
「あっはい」
リョウと並んで頭を抱え始めた郁代を見て、虹夏はため息と共に天を仰いだ。
「知ってる天井だ……」