橋本は人を轢いた。
「あー、終わった」
口から漏れ出たのは、冗談みたいに軽い言葉。
事態を正しく認識できているからこそ、一周回って無感情だ。
正直、ぶつかる直前まで前に誰かいたのかなんてわからなかった。
しかし、確実に何かにはぶつかり、そして道の真ん中に人が倒れている。
ならば、これはもう、そういうことなのだ。
「とにかく救急車……と安否確認」
橋本は不思議なほど動揺せずに、スマホを119番へと繋げて座席から降りた。
「あの! 大丈夫です、か」
そして、倒れた人に駆け寄り、驚愕する。
倒れたはずの人が立っていたのだ。
女だ。外国人だろうか、長い金髪の女。
コスプレでもするのか、女神様のようなカッコをしている。
「お怪我は、ありませんか?」
橋本は阿呆のように、そう問いかけてしまった。
「……」
女は何も言わず、ただ振り抜いた。
サファイアのような青い目が橋本を射抜く。
どきりとしてしまうような視線だった。
「あの」
そのまましばし見つめ合い、限界になった橋本が手を伸ばそうとすると。
「えっ」
今まで見てきた光景は嘘だったように。
女は、ぱたりといなくなってしまった。
*
「うーん」
「橋本先輩、何すかそれ?」
「ドラレコの映像」
翌日。昼休み。
橋本は持参の弁当をつつきながら、スマホの画面を食い入るように見つめていた。
「あー、あれっすか。例の死んだ女神様」
「死んでない。立ち上がったぞ」
「でも轢いたんでしょ?」
「思いっきり」
「思いっきりかぁ」
後輩の金田は、橋本の話をツマミに焼肉弁当をつついている。
「死体はナシ。ドラレコにはなんも映ってない。車体にも異常ナシ。そもそもブレーキ跡すら見当たらないって……やっぱ夢だったんすよ。働きすぎっす、先輩」
「そうだったのかなぁ」
昨晩。
救急車を呼んでも意味がなくなってしまったので、代わりに警察を呼んで現場検証をしてもらった。
だが、事故を示す証拠と言えるものは何もなく、橋本は軽い聞き取りだけをされて解放された。
警察も、金田も、お袋もみんな言う。
疲れていたのだと。
特に、「女神のようなカッコをしていた」の辺りで一気に聞く気を無くす。
本当なのに。
「まぁ、でも女神のコスした綺麗な人は興味ありますけどね。お顔はどんな感じっすか?」
「どんな感じって……あ、誰か来た」
椅子から立ち上がり、呼び鈴が鳴ったドアへと近寄る。
ドアを開く。
「どうも」
女神が立っていた。
「……こんな感じ?」
橋本が体を引いて女神を金田に見せると。
金田は口をあんぐりと開けて、割り箸を焼肉だれのなかに落とした。
*
「ユースラフィスィ・ゼドバゥア・リシテン・ドゥラゥアです。初めまして、ハシモトさん」
「ユースラ……?」
「ユフィでかまいませんよ」
「ユフィさん、様?」
「呼び捨てでいいですが」
「それはちょっと」
こんな、明らかに女神様っぽいカッコと名前の人を相手に。
恐れ多いです。
パイプ椅子に座らせてる時点で恐れ多いのに。
「ちなみに、俺の名前はどこで? というか、どうしてここが」
「トラックに会社名が書いてあったので。名前はホームページで」
現実的な手法だ。
女神様もネットで特定する時代か。
「あの、お怪我はありませんでしたか」
「怪我?」
「昨日ユフィさんのこと、轢いちゃったと思うんですけど」
「あぁ、ご心配には及びません。物理的干渉は全て遮断できますから」
すげぇ。
能力バトル漫画でしか聞いたことない単語が飛び出たぞ。
「ハシモトさんは」
「はい」
「トラック運転手、なのですよね」
「まぁ、そうですね」
そのような仕事をさせていただいておりますが。
「ラノベって読みます?」
まずい。
会話の前後が繋がらない。
下手な営業を聞いている気分だ。
「中学生時代に、ちょっと?」
「異世界転生、あるじゃないですか」
「あぁ、ありましたね」
「最初、トラックで轢くじゃないですか」
「そうだっけ」
そんな、史上最悪みたいな導入の作品ばかりでは。
無かった気がするけど。
「それをやって欲しいんです」
「何?」
「トラックで、人を轢いてほしくて」
ほしくて、じゃないが。
「嫌です……」
「そこをなんとか」
なぜ粘る。
そこをなんとか、で切り抜けられる局面ではないだろう。
「人を轢いたら、捕まってしまいます」
「? 捕まってないじゃないですか」
「あなたは人じゃないでしょ」
「肉体は人に近いですよ?」
「心の話ですよ」
というか、肉体も人間と思えないけど。
「酷いですハシモトさん。私、酷いことを言われました。今」
「こちらも酷いお願い事をされたので」
「心が傷ついて……ハシモトさんが私のお願いを引き受けてくれないと、この傷はとても」
「同情を誘おうとするのやめてください」
まるで全部こちらが悪いみたいに。
今の所、罪の比重は6:4くらいのはずだ。
「そもそも、トラックで人を轢いてどうするんです」
「転生させるんです」
「はぁ」
「転生させるんです」
「聞こえなかったわけじゃないですよ」
意味が、わからなかっただけです。
「異世界への転移に必要なのは、慣性と質量でして」
「難しい話?」
「難しい話です」
「じゃあ、聞き流すので金田に聞かせてください」
「えっ」
「カネダさん。理論上、最も安定して魂を異界に飛ばせる方法は重量車両による衝撃なんです。つまり異世界転生のためには、トラックで轢く必要がありまして」
「ちょっ、先輩?」
「トラック運転手は日本全国、津々浦々に広がっていますよね? つまり、魂輸送ネットワークとして優秀なんです」
「先輩ー! 助けてー!」
コーヒーを淹れてきて、金田とユフィさんに出す。
「いただきます……お砂糖あります?」
「スティックのやつでよければ」
ザァァ、と滝のように注がれる砂糖の雪崩。
「どこまで話しましたっけ」
「金田?」
「えっ!? お、覚えてない、っす」
「金田……」
「カネダさん……」
お前って奴は、本当に。
「先輩、キレそうっす」
「ともかく、異世界転生にはトラックが持つ不思議な力が必要なんです。ハシモトさん、協力していただけますね?」
「聞きたいことがあるんですが」
「ありがとうございます」
「早い」
感謝っていうのは、相手が頷いてから言ってください。
「なぜ、俺なんですか。俺がユフィさんを轢いたからですか」
「それもありますけど」
それもあるらしい。
「“橋本運送”さんには、実は以前、異世界転送業務を請け負ってもらっていたんです。ハシモトさんの、先代の方にです」
「……親父が」
そんなこと、一言も言わなかったけどな。
「お父様のことは、残念でした」
「そうですね。転売するために買い占めた、高額カードの山に埋もれて……」
「それは、あの」
「なにか」
「いえ」
言葉をつぐむ、ユフィさん。
流石のこの人でも、言えないことはあるらしい。
「自業自得じゃないっすか?」
「金田」
「カネダ」
「呼び捨て?」
お前のそういうところ、たまに羨ましいよ。
「ですので、ハシモトさんに業務の引き継ぎをお願いするために、昨夜こちらの世界へ降りてきたのです」
「なるほど、それで突然」
「轢かれましたけど」
「轢きましたね」
思いっ切り。
「しかし、それで納得しました」
「なにがですか?」
「証拠が何も残っていなかったので、不思議だったんです」
ユフィさんは女神だったということで。
消えた証拠は、女神パワーにより消え去ったということだろう。
「なんの話ですか?」
「え。いや、ドラレコの映像とか、車体の凹みとか、ブレーキ痕とか……消しましたよね?」
きょとんとする、ユフィさん。
その顔が、段々と怪訝になっていって。
「何それ……知りません……怖……」
彼女が今日、この橋本運送の事務所にやって来てから。
一番の爆弾を投下したのだった。
続かないかも。