モンスター社員になるために俺が頑張ったこと   作:雨風 時雨

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休日の「緊急LIME」は鳴るパニックホラー。通知音を破壊する【労基法第32条】の斬撃

 ――労働者にとって、金曜の夜から月曜の朝までの約60時間は、神によってのみ不可侵を許された『絶対聖域(サンクチュアリ)』である。

 

 月曜日の午前9時10分。

 出社してPCを立ち上げたばかりのオフィスで、俺――氷室 迅は心の中で深く静かに語った。

 

 土日という休日は、平日の間にすり減らしたHPとMPを回復させるための、命のゆりかごだ。

 特に俺のような人間にとっては、土曜日にアキバへ足を運んで薄い本を買い漁り、日曜日は一歩も外に出ずに新作アニメを第1話から最終話まで一挙見するという、己のアイデンティティを構成するための極めて神聖な儀式を行う時間でもある。

 

 この2日間(絶対聖域)、俺の頭の中から『会社』や『仕事』という概念は完璧に消去される。

 上司の顔すら思い出すことはない。もし街中で同じ部署の人間に遭遇しようものなら、赤の他人のような顔をして全速力で逃走するレベルの徹底ぶりだ。

 

 これこそが、オンとオフを切り替える「モンスター社員」としての正しい在り方である。

 今日も俺は、心身ともに120%チャージされた完璧なコンディションで月曜の朝を迎えていた。

 

 ――はずなのだが。

 

『ピロリン♪』

『ピロリン♪』

『ピローーン♪』

 

 俺の席から二つ隣。営業二課の若手社員・宮本(みやもと)のデスクに置かれた私用のスマートフォンが、先ほどから休むことなく甲高い通知音を鳴らし続けていた。

 

「おい、宮本」

 

 俺が低い声で呼ぶと、宮本はビクッと肩を跳ねさせ、幽鬼のように虚ろな目でこちらを向いた。

 

「は、はい……氷室先輩、おはようございます……」

 

「お前のスマホ、さっきからうるさいぞ。設定をサイレントにするか、バイブも切れ。俺が昨晩のアニメの余韻に浸りながら午前中のタスクを処理するにあたって、深刻なノイズになっている」

 

「す、すみません! すぐに消します!」

 

 慌ててスマホを操作する宮本。しかし、彼の目の下にはマリアナ海溝よりも深い真っ黒なクマが刻まれており、ワイシャツの下の体は小刻みに震えていた。

 その震えはまるで、何かに怯えているかのような――トラウマのフラッシュバックのような異常な状態だった。

 

「……宮本、お前、週末なにしてた? まるで超高難易度のゾンビパニックホラーゲームを三日三晩ぶっ通しでプレイした後のような顔になってるぞ。しっかり休まなかったのか?」

 

 俺の問いに、宮本は自嘲気味な笑みを浮かべ、机の上のスマホを弱々しく指差した。

 

「休む……ですか。そんな時間、僕の土日には1秒もありませんでしたよ」

 

「何?」

 

「……これ、見てください」

 

 宮本がそっと見せてきたスマホの画面。そこには緑色のアイコンでおなじみのメッセージアプリ『LIME(ライム)』が開かれていた。

 グループ名は【営業二課☆絆のキックオフ・チーム!】。

 

 思わず鳥肌が立つようなサムい名前のグループチャットだったが、問題はそこではない。

 トーク履歴のタイムスタンプだ。

 

【土曜 13:45】柴田チーフ:『みんなお疲れ! 来週のコンペ資料、3ページ目の図解をもっと派手にしてほしいな。宮本、夕方までにラフ送って!』

【土曜 14:10】宮本:『承知いたしました。すぐに作成します!』

【土曜 18:30】柴田チーフ:『おお、早いね! でもここ、少し色合い変えよう。あと、今日の夜中にアイデア思いついたから、明日の朝イチで打ち合わせのZoon(ズーン)やろう!』

【日曜 07:15】柴田チーフ:『おはよう! 宮本、起きてる? ミーティングURL送るよー!』

 

「…………おい。これ、全部土日のやり取りか」

 

「はい。昨日の日曜日も、柴田チーフから次々とタスクの確認や『思いつきのアイデア』がLIMEで飛んできて……。気付いたら日曜の深夜まで、ずっとスマホでやり取りしながら、家のPCで資料を作ってました。LIMEに既読がつくのが遅れると、チーフから個別の着信が来るんで……気が休まる瞬間なんてなくて……」

 

 宮本はうつむき、両手で顔を覆った。

 

「休日なのに、休日じゃないんです……。土日に家にいても、いつあの『ピロリン♪』っていう通知音が鳴るか分からなくて、お風呂に入っててもスマホをジップロックに入れて持ち込むようになって……もう僕、通知音が鳴るだけで、吐き気がするんです……っ」

 

 宮本からの悲痛なSOS。

 それを受け、俺の脳内である人物の顔がパチッとフラッシュした。

 

 営業二課のリーダー、柴田(しばた)チーフ。

 年齢は30代半ば。「スピード重視」「アジャイル」「圧倒的当事者意識」など横文字と意識高い系ワードをこよなく愛する男だ。

 

 一見すると若手ともフラットに接する「良い兄貴分」を演じているが、その実態は『仕事とプライベートの境界線』が完全に崩壊しているだけの、ただのワーカホリック・サイコパスである。

 

 土日の休日はもちろん、夜中の2時だろうがお構いなしに業務LIMEを飛ばしてくる。

『ちょっとした確認だから!』『一言返信くれるだけでいいから!』と笑顔で部下のプライベートを侵食し、もしオンライン会議アプリ『Zoon』への参加が遅れれば『仕事への熱意が足りないな~』とレッテルを貼る。

 

 ある意味、物理的に怒鳴るだけの大門部長よりもタチの悪い、真綿で首を絞めるような【最新型のブラック管理職】だ。

 

「……宮本。お前は何も悪くない。狂っているのは完全に会社(あいつ)の方だ」

 

 俺は席を立ち、冷め切った目でフロアの向こう側を見た。

 他人の部署のやり方に首を突っ込むのは、俺の平和主義的信条に反する。

 

 だが……宮本にトラウマを植え付けたあの『通知音』は、俺にとって絶対許容できない地雷を踏み抜いていた。

 平日は定時の17時以降、そして土日の完全なる休息を不当に奪うなど、万死に値する暴挙。

 

 ここで前例を作ってこの『業務LIME文化』が社内全体に蔓延するようなことになれば、いずれ俺の神聖な土日にも汚れた通知音が鳴り響く可能性がある。

 

 ――俺の安息を守るために。

 これは立派な、防衛戦争(ジハード)だ。

 

「宮本、お前のスマホの画面、スクショ撮らせろ。ついでに一緒に来い」

 

「ひ、氷室先輩……? どこに行くんですか?」

 

「どこって決まってるだろ。害虫駆除(デバッグ)の時間だ」

 

 ***

 

 午前9時40分。

 フロアの窓際に位置する営業二課のエリアで、柴田チーフはノートPCを開き、有名なシアトル系チェーンのテイクアウトコーヒーを片手に、優雅にキーボードを叩いていた。

 

「柴田チーフ」

 

 俺が声をかけると、柴田は爽やかな笑顔で振り向いた。

 

「おっ、他部署の氷室くん! どうしたの? 朝からすごいオーラ出してるじゃん! 業務効率化のアイデアでも提案に来てくれた?」

 

「いいえ、あなたの致命的な『コンプライアンス違反』についての通告に上がりました」

 

 俺の直球すぎる言葉に、柴田の笑顔がピクリと引きつった。

 

「え……コンプラ違反? 何のこと? 僕、なんか怒られるようなことしたっけ?」

 

「ええ、バリバリに」

 

 俺はスマホを取り出し、先ほど宮本から送ってもらったLIME画面のスクリーンショットを、柴田の顔の前に突きつけた。

 

「休日の土日を利用した、深夜・早朝に及ぶ業務LIMEの連打。そして宮本に対しての無許可な業務命令およびオンライン通話での在宅作業の強制です」

 

 それを見た瞬間、柴田は「なんだ、そんなことか」と安堵したように息を吐き、へらっと笑った。

 

「あはは! ビックリさせないでよ氷室くん。こんなのただのコミュニケーションじゃん。僕らのチームはスピード命の『アジャイル体制』だからね! 思いついたアイデアをすぐに共有して、スマホでチャチャッと打ち返す。1回の返信なんてたった2~3秒で終わることでしょ? そんなのをわざわざ『仕事』なんて大げさに捉えてたら、今の時代生き残れないよ?」

 

 典型的な勘違い人間だ。

 部下の時間を無料で使える都合の良いリソースとしか思っていない。

 

 俺はフッと冷笑を漏らし、右手のメガネのブリッジをクイッと押し上げた。

 さあ、テンポよく(ルール)で両断してやろう。

 

「……柴田チーフ。たった2~3秒で終わる返信だと? ふざけるのも大概にしてください。あなたみたいな男を縛るために、我々には【日本の法律】があるんです」

 

「は?」

 

 俺の口上と共に、フロアの空気がピリッと張り詰める。

 

召喚(アクティベート)!! 思いつきの迷惑通知(スパム)を切り裂く絶対法理! ――出でよ、【労働基準法・第32条ならびに第37条】ッッ!!!」

 

 長めの条文名をフルに詠唱し、俺は右手の指を柴田にビシィッ! と突きつけた。

 

「いいですか柴田チーフ! 日本の労働基準法においては『法定労働時間(1日8時間・週40時間)』を超えて労働させる場合、ならびに『法定休日』に労働させる場合は、会社側から明確な業務命令(休日出勤の許可)を出した上で、定められた【割増賃金(残業代)】を支払う義務があります!」

 

「だから、大げさなんだよ! スマホでスタンプ送ったり、『了解です』って打ったりする数秒の作業で、いちいち残業だの賃金だのって騒ぐ方が非常識だって言ってるの!」

 

「それが非常識でないということを今から説明するんだよ!」

 

 俺は一喝し、一歩前へ踏込んで威圧した。

 

「チーフ、そもそも休日の業務連絡において一番の問題は『返信に数秒かかること』じゃない。宮本の休日は、あなたからの通知が鳴った瞬間から、いや、『いつ連絡が来るか分からないからスマホを手放せない状態にされた瞬間』から、もはや休日としての体をなしていないんです! 精神的に会社に縛り付けられているこの時間は、法的な解釈において立派な【手待ち時間(使用者の指揮命令下に置かれている労働時間)】とみなされます!」

 

「て、手待ち……?」

 

「そうです! 近年、世界各国で『つながらない権利(Right to Disconnect)』という法律が整備され始めていますが、日本の労基法でもこれは十分に違法性を持つんです! 休日にもかかわらずLIME等のチャットツールでの対応を常態化させている時点で、宮本は【休日出勤】をしているのと同義です!!」

 

 俺の立て板に水のようなロジックの波状攻撃に、柴田の余裕ぶっていた顔から一気に血の気が引いていく。

 俺は宮本のチャット履歴を指差し、さらに冷徹に計算を始めた。

 

「さあ、見ろ。金曜の夜から日曜の深夜までのこの絶え間ないチャット履歴! さらに日曜の朝からやらされたオンラインでの打ち合わせ! これ、宮本は実質【48時間ぶっ通しで働いていた(手待ち状態だった)】ことになりますね。法定休日である日曜日の労働には、通常の賃金に【35%】以上の割増(第37条に基づく休日割増賃金)が適用されます。さて、深夜割増も合算して計算すると……今週末のたった2日間で、会社は宮本に対して【数万円から十数万円の未払い賃金】を抱えている計算になりますが」

 

「じゅ、じゅうすうまんえん……っ!? 返信させただけで!?」

 

 柴田が目をひん剥いて後ずさった。コスト意識が高い『意識高い系』だからこそ、金額の具体化は死の宣告(クリティカルヒット)としてぶっ刺さるのだ。

 

「ええ。もし私がこの履歴のスクショ一式とZoonの通話ログを労働基準監督署へ持ち込んだり、あるいは社内の人事コンプライアンス窓口に通報すれば……どうなるでしょうね?」

 

 俺はにっこりと、最高に極悪な笑みを浮かべて首を傾げた。

 

「無断で部下に時間外・休日労働を強要し、しかもその割増賃金(残業代)の申請も行わせていない。これは立派な【サービス残業の強要】であり、【法令違反】。会社の予算に莫大な見えない負債を作った元凶として、あなたが懲戒処分や降格処分を受ける可能性は……果てしなく100%に近いですね」

 

「ヒッ……!! ちょ、ちょっと待て氷室くん! ま、待ってくれ!!」

 

 冷や汗をダラダラと流しながら、柴田は両手を必死に前に出して制止のポーズをとった。

 

「わ、わかった! 悪かった! 俺が行き過ぎてた! だから頼む、人事や労基への通報だけは……っ!! 俺のキャリアに傷がつく!!」

 

「スピード重視のあなたにふさわしい、実にスピーディな自己判断ですね。結構です」

 

 俺はスマホを懐にしまい、見下ろすように条件を突きつけた。

 

「ならば、今すぐそのくだらないグループチャット『絆のキックオフ(笑)』を解散・削除してください。そして今日以降、緊急のサーバーダウンなどの物理的トラブルを除き、休日に若手へ業務連絡を入れることを【完全禁止】にすること。金曜の17時をもって、全員が『オフライン状態』になる権利を約束していただきます」

 

「わ……わかった。約束する。休日の業務連絡は、もう二度としない……」

 

 肩をガックリと落とし、白旗を揚げる柴田チーフ。もはや最初の「意識高い系アニキ」の面影はどこにもない。

 見事な完全論破、ミッションクリアだ。

 

「……あの、氷室先輩……」

 

 俺の背中の後ろで一部始終を見ていた宮本が、震える声で話しかけてきた。

 俺が振り返ると、彼は目尻にうっすらと涙を浮かべながら、胸の奥から絞り出すように言った。

 

「ありがとうございます……僕、ずっと『数秒で返信できるのに怒る自分が狭量なのかな』って思ってて……。でも先輩が『会社がおかしい』って言い切ってくれて、本当に……胸のつかえが取れました……」

 

「馬鹿め、狭量なのは相手の常識のキャパシティだ。休日(お前の命の時間)を会社にくれてやる義務など、1秒たりとも存在しないんだよ」

 

 俺は鼻で笑い、宮本の肩をポンと叩いた。

 

「これでお前のスマホは、今日から『プライベート専用の無敵の武器』に戻った。次に来る土日はスマホの電源切って、部屋で14時間くらい爆睡しろ。月曜にはまともな人間のツラで出社してこい」

 

「っ、はい!!」

 

 ***

 

 時刻は午後17時00分ジャスト。

 俺の脳内の正確無比なタイマーと共に、フロア中に天使の歌声――定時退社のチャイムが鳴り響く。

 

「よし、本日の業務はこれにて完全終了。ゲームオーバーだ」

 

 PCをシャットダウンし、カバンを手にした俺は、一切の未練を残さずにフロアの出口へ向かう。

 後輩たちが憧れ(と少しの恐怖)の目を向けてくるのを感じながら、エレベーターへ向かってまっすぐに歩を進めた。

 

 休日に仕事を考えるなんて、労働者の敗北だ。

 我々の人生の真のメインシナリオは、会社を【退勤したその瞬間】から始まるのだから。

 

 さあ、今日は寄り道せずに帰って、俺だけの最高の『推しのライブ配信』に心魂を捧げようではないか!

 世界はブラックで理不尽かもしれないが。

 

 最強の盾【法律】の使い方を知っている限り、モンスター社員・氷室 迅のパーフェクト・ライフは誰にも脅かされはしない。

 

 

 

【氷室 迅のモンスター社員・ワンポイント法律塾】

 

 みんな、月曜の労働お疲れさん! 今日は現代のガン『休日のチャット強要』についてだ。

 

 いいか、「スタンプ返すだけでいいから!」「既読つけるだけでいいから!」という上司の言葉に騙されるな。

 休日にスマホへ業務連絡をよこし、返信や対応を求める行為は、れっきとした【業務指示(使用者の指揮命令下)】だ。

 

 海外の国では『つながらない権利(Right to Disconnect)』として法律で明確に禁止されているところもあるくらいヤバい問題なんだ。

 日本でも労働基準法において、休日に対応させられる時間や「いつ連絡が来るかと待機している時間(手待ち時間)」は、すべて労働時間とみなされる可能性が高い!

 

 つまり、休日に仕事のメッセージへ対応をしたなら、会社は休日の【割増賃金(残業代)】を払う義務があるんだ。

 

 もし「休日に返信してこない」という理由で怒られたら、「休日の業務連絡への対応は勤務時間に該当しますので、今後の休日はすべて『休日出勤』として事前の残業申請を行ってよろしいですね?」と真顔で言い返してやれ! 予算とコンプライアンスにビビって、向こうから青ざめて黙るから。

 

 休日はな、会社のためにあるんじゃない。お前が「生きてて良かった」って思うためにあるんだ。

 金曜の定時が過ぎたら、心置きなくスマホの仕事用通知はオフ(無音)にしろ。

 既読なんか月曜の朝につければ十分だ!

 

 じゃあ俺は、推しのバーチャル配信者の放送が始まるから全速力で帰る! また明日な!(※実践する時は自己責任でな!)

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