モンスター社員になるために俺が頑張ったこと   作:雨風 時雨

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「始業前のボランティア」は労働者の血をすする呪い。謎の朝活を粉砕する【最高裁判例】の鉄槌

 「――労働契約とは、すなわち『時間と労働力』を金銭と交換する【等価交換】の儀式である」

 

 月曜の朝。満員電車の息詰まるような人口密度を抜け出し、オフィスのビルへと続く道を歩きながら、俺――氷室迅は心の中で真理を唱えた。

 

 会社の所定始業時間が『9時00分』であるならば。俺が労働者としての顔を被り、この身を会社という名のシステムに接続するのもまた、9時00分ジャストでなければならない。

 

 10分前に来て準備をする? 始業の30分前に来て仕事のウォーミングアップをする?

 

 バカバカしい。そんなのはスーパーのレジで「少し多めにお金払っときますね」と店側に寄付するのと同じだ。1分1秒の狂いもなく【契約通りの時間だけを提供する】。これぞプロの労働者であり、誇り高きモンスター社員の鉄則である。

 

 現在時刻、8時57分。

 

 今日も完璧なタイムマネジメントで出社した俺は、悠然とタイムカードに社員証をかざし、オフィスの重厚なドアを開けた。

 

 「――よォォォオオッシ!! 皆の衆、今日も元気よく、一日のスタートダッシュを切っていくぞ!! 声出し、いってみようか!」

 

 「「「はいッ!! お客様第一!! 誠心誠意!!」」」

 

 ドアを開けた瞬間。耳をつんざくような異常な大声と、宗教の儀式を思わせる唱和の合唱が、フロア全体に響き渡っていた。

 

 俺は無表情のまま、その異様な光景を見渡した。

 

 フロアの中央では、数名の若手社員たちが等間隔に並ばされ、まるで軍隊の朝礼のように社訓を絶叫している。

 その周囲では別の若手社員たちが、掃除機をかけたり、給湯室の布巾を洗ったり、先輩たちのデスクのゴミ箱を回収したりと、汗だくになりながら慌ただしく動き回っていた。

 

 そして、その光景をフロアの中心から満足げに眺め、パンパンと手を叩いて煽っている男が一人。

 

 先週、関西の支社から異動してきてシステム営業部の本部長に就任した、笹岡(ささおか)本部長だ。

 年中日焼けサロンに通っているのか肌は浅黒く、ピッチピチのオーダースーツを着こなし、とにかく声がデカい。『熱血・気合い・朝活』という昭和から持ち越された精神論のキメラのような男である。

 

 「よし! 次は本日の目標発表だ! 順番にいってみよう!!」

 

 笹岡本部長の声に合わせて、若手社員たちがビクッと体を震わせる。

 

 その中には、俺によくなついている後輩の星野や、佐々木、さらに新人男子の神田(かんだ)の姿もあった。彼らは疲れ切った死んだ魚のような目で、しかし無理やりに口角だけを上げて「本日は……新規テレアポ50件を取ります!」と叫んでいる。

 

 時刻は、まだ8時58分である。

 

 俺はため息を一つ吐き、騒ぎをスルーして自席へと向かった。カバンを下ろし、マイカップに給湯器のコーヒーを注ごうとしたその時だ。

 

 「おい、ちょっと待て!! そこのお前!」

 

 フロア中に響き渡る野太い声。振り返ると、笹岡本部長が俺をギロリと睨みつけながら、ズンズンとこちらへ歩いてきていた。

 

 「君は……ああ、氷室くんか。君は毎日毎日、ギリギリの出社だと聞いているが。今、時計の針は何時を指しているか言ってみろ!」

 

 「8時59分です」

 

 「そうだな! 我が社の始業は9時からだ。だが、社会人たるもの、9時から『よし仕事だ』と動き出すのでは遅すぎると思わないか!? プロなら、最低でも30分前には出社し、オフィスを綺麗に掃除し、こうして皆で大きな声を出して脳を活性化させてから、9時に最高のパフォーマンスを発揮できるように【準備】をするのが常識だろうが!!」

 

 大演説をぶつ笹岡本部長。周囲の若手たちが、青ざめた顔で「ああ、またあの氷室先輩が絡まれている……」と見守っている。

 

 俺はコーヒーカップをデスクに置き、無感動な声で返した。

 

 「笹岡本部長。私は自分のタスクを9時の開始と同時に100%で遂行できるよう、独自のルーティンで通勤時間を調整しています。掃除なら昨日退勤する前に自分の周辺は終わらせていますし、声を出さなくても私の脳は活性化されていますので、この朝礼に参加する必要性を感じません」

 

 「屁理屈を言うな!!」

 

 笹岡が机をバンッと叩いた。

 

 「見ろ! 星野や神田たち若手を! 彼女たちは『自分たちを成長させたい』『会社を綺麗にしたい』という素晴らしい熱意を持って、毎朝8時15分に出社し、【自発的に(ボランティアで)】掃除と朝活に参加しているんだぞ! 先輩である君が、それをギリギリに出社してきて横目で見ながらコーヒーを飲むとは何事だ! 恥ずかしくないのか!」

 

 「えっ……私……『自発的』?」

 

 笹岡の背後で、ゴミ袋を握りしめた星野が「何言ってんだこいつ」というような信じられないモノを見る目をしていた。新人の神田に至っては、掃除機を片手にポカーンと口を開けている。

 

 なるほど、完全に理解した。

 

 【自発的(ボランティア)】。この一言は、ブラック企業が労働基準法をすり抜けるために好んで使う『魔法のワード』だ。

 若手に対し「強制はしないけど、社会人の常識として普通はやるよね? やらない奴の評価は下がるけどね?」と無言の同調圧力(プレッシャー)をかけ、給料を払わずに朝の30分から45分をタダ働きさせる古き良き(悪しき)悪魔のスキームである。

 

 「笹岡本部長。確認ですが、この8時15分からの『掃除と朝礼』は、業務の一環ではないのですね?」

 

 「当たり前だ! 業務ではない! 社員たちの【自主的な自己研鑽】であり、環境美化のための【ボランティア活動】だ! だから9時前でもやっているんだろうが!」

 

 笹岡は自信満々に胸を張った。おそらく「自発的だと言い張れば、残業代(早出の手当)は払わなくていいし、労基署にも突っ込まれない」という彼なりの入れ知恵なのだろう。

 

 しかし……俺の脳内の時計が、ちょうど「9時00分」を知らせた。

 カチリ、と俺の中の「労働者モード」のスイッチが入る。つまり、仕事開始。害虫駆除(デバッグ)のお時間だ。

 

 「……なるほど。自己研鑽でボランティア、ね」

 

 俺はクックッと低く笑い声を漏らした。

 冷たい視線で、威圧的に立つ笹岡本部長を見下ろす。俺の目の奥に宿る【モンスター社員】の狂気を察知したのか、笹岡が一瞬怯んだように後ずさった。

 

 「な、なんだ氷室! 不服があるなら言ってみろ!」

 

 「いいえ、不服はありません。ただ、本部長の『常識』とやらが、この国の【絶対ルール】の前にどれだけ脆弱か、無料でレクチャーして差し上げようと思っただけです」

 

 俺は左手を掲げ、フロア全体に響く声で堂々と言い放った。

 

 「召(アクティベート)!! くだらぬボランティアの幻想を打ち砕く法の刃……出でよ! ――【労働基準法・第32条】および、最高裁判例・『三ツ星重工造船所事件』が示す【黙示(もくし)の指揮命令】ッッ!!」

 

 その決めゼリフの響きに、若手たちが「来たっ!」とばかりに息を呑んだ。

 笹岡は「もくし……? さいこうさい?」と目を白黒させている。

 

 「いいですか笹岡本部長! 労働基準法において『労働時間』とは、『使用者の指揮命令下に置かれている時間』を指します。そしてあなたは今、『強制ではなく自主的なボランティアだ』と主張した! だがしかし!! 過去の最高裁判例は、あなたのような浅はかな言い逃れを完璧に封殺しているんですよ!」

 

 俺は一歩前に踏み込み、圧倒的な法知識で空間を制圧した。

 

 「判例において労働時間とは、『明示(直接的な命令)』だけでなく、『黙示(暗黙の了解)』による命令でも労働時間とみなされると定義されています! 例えば!」

 

 俺は笹岡の背後にいる星野たちを指差した。

 

 「『参加しなくてもよい』と言いつつ、不参加の社員を本部長であるあなたが今のように大声で叱責したり! 不参加であることを理由に人事評価を下げたり! 職場全体に『参加しなければならない空気(同調圧力)』を形成して事実上余儀なくされている場合! これらはすべて法的に【会社の指揮命令下にある労働時間】として認定されるんです!!」

 

 「な……っ!? い、いや、俺は強制なんて一言も……」

 

 「今さっき私に向かって『ギリギリに出社して準備しないのは恥ずかしくないのか』『不参加なんて非常識だ』と堂々と怒鳴りつけましたよね? あれこそが参加を強要する【黙示の指揮命令】の動かぬ証拠(エビデンス)なんですよ!」

 

 俺は言葉のナイフで、笹岡の逃げ道を完全に塞いだ。

 星野が胸の前に両手を組み「氷室先輩、カッコいい……!」というような目をしているが、俺はただ自分の静かな9時出社を守りたいだけである。

 

 「つまり、本部長。あなたが『自己研鑽』だの『ボランティア』だのと美しい言葉で飾っているこの時間は、法律の視点から見ればただの【早出残業(時間外労働)】です。業務時間前の掃除、朝礼、これらは完全に労働時間であり、1分単位で給料が発生するべきものなんですよ!」

 

 「ば……バカな! 掃除や朝礼くらいで給料が出るわけないだろう! そんなの、俺が若い頃はどこの会社でもやってた常識――」

 

 「『俺が若い頃の違法行為の武勇伝』など、化石時代の寝言に過ぎないんですよ! いい加減に昭和の夢から醒めろ!!」

 

 俺の怒号が、フロアを切り裂いた。

 完全に縮み上がった笹岡本部長を見下ろしながら、俺はポケットからスマホの計算機アプリを起動させた。

 

 「さあ、見ろ。現在、毎朝8時15分から参加させられている若手社員の『無給の早出残業』は45分間です。月に20日稼働として15時間。この謎の朝活に参加している若手が仮に20人いるとして、月に合計300時間分の労働! 時間外割増賃金を最低の時給で換算したとしても……月に約50万円!!」

 

 「ご、ごじゅうまんっ……!?」

 

 コスト管理を重んじる役員クラスにとって、この未払い額の弾き出しは致命傷だ。俺はさらに追い打ちをかける。

 

 「さらにこれを年間に換算すれば約600万円になりますね。しかも未払い残業代の請求時効は現在【3年間】です。過去に遡れば最大で1,800万円の未払い賃金が、あなたの『気合いとボランティアの朝活ルール』一つによって発生しているんですよ。いやあ、見事な負債のクリエイターですねぇ、本部長」

 

 「ひっ……!? せ、せんはっぴゃくまん……!?」

 

 笹岡は顔面を土気色にし、ワナワナと膝を震わせた。

 額には汗が滝のように流れ落ちている。

 

 「さて」

 

 俺はスマホを懐にしまい、悪魔のような冷ややかな笑みを浮かべた。

 

 「私、他部署とはいえ会社の財政がこのまま無駄に傾くのを見過ごすわけにはいきませんから。今この瞬間の動画と録音データ、および若手たちの出退勤記録をまとめて、『労働基準監督署』、ならびに『本社の監査部』へ【緊急コンプライアンス事案】として報告させていただいてもよろしいですね?」

 

 「待てッッ!!!!」

 

 フロア中に、これまでで一番大きな笹岡本部長の悲鳴が轟いた。

 

 「ま、待ってくれ氷室くん!! 俺が悪かった! コンプラや労基への通報だけは……それだけは勘弁してくれ! 俺の本部長としてのキャリアが、始末書どころじゃすまなくなる!!」

 

 プライドの塊だった男が、哀れなほどにペコペコと頭を下げている。

 これが「権力」や「常識」という砂上の楼閣の上にふんぞり返っている連中の本当の姿だ。

 彼らは法律という名のガチの「刃」を突きつけられると、一瞬で崩れ去る。

 

 「では、交渉(ネゴシエーション)に入りましょう」

 

 俺は腕を組み、冷然と言い放った。

 

 「一つ。この無意味な『朝活・自主的掃除・声出し』等の早出ルールは、たった今この瞬間をもって【永久撤廃】すること。若手たちが9時ちょうどに出社しても、評価で一切の不利益な扱いをしないこと」

 

 「わかった……! 撤廃する! 掃除は専門の業者に予算を割くように手配する!」

 

 「よろしい。二つ。……私の穏やかな朝のコーヒータイムに、二度と口出ししないこと」

 

 「は、はいぃぃっ……!! もちろんでございます……!」

 

 笹岡本部長が崩れ落ちるように平伏したのを見て、俺は小さく息を吐いた。

 クエスト達成(コンプリート)だ。

 

 「終わったな」

 

 俺が踵を返して自分のデスクへ戻ろうとすると。

 

 「――っっ、やったぁぁぁあ!!!」

 

 「うおおおおおっ!! 明日からゆっくり寝られるぞおおお!!!」

 

 俺の背後で、抑えきれなくなった若手社員たちの大歓声と拍手が沸き起こった。

 星野が目に涙を浮かべながらバンザイをし、新人の神田が手に持っていた掃除機を高々と掲げて喜んでいる。

 それはまるで、長い暴政から解放された市民たちの歓喜の舞だった。

 

 「氷室先輩! ありがとうございます……! 私、毎朝5時起きでもう化粧のノリも最悪で、毎日限界だったんです!!」

 

 星野が俺の袖を引っ張ってブンブンと振る。

 

 「おい、離せ星野。コーヒーがこぼれる。……いいか、お前ら。9時から働く契約なら、9時にパフォーマンスを発揮するのが労働者(プロ)だ。朝礼や掃除でヘトヘトになって始業を迎えるなんて、本末転倒もいいところだ」

 

 俺がそう言い放つと、神田たちも深く頷いた。

 

 「はいっ!! 僕、明日からはギリギリの8時58分に出社します!!」

 

 「極端だな。……まあ、遅刻さえしなきゃいいさ」

 

 俺はあきれながらも、自分のデスクのPCのキーボードに手を置いた。

 

 さあ、時計の針は9時08分を回っている。

 少しトラブルに時間を取られたが、定時の17時ジャストで撤退するためには、ここからの生産性を極限まで高めなければならない。

 

 会社は今日も相変わらず理不尽で、次々と新しいバグ(謎ルール)を生み出してくる。

 だが、そんな魔球も【法律】という名のフルスイングで打ち返せば、痛快なホームランに変わるのだ。

 

 今夜の秋アニメの録画予約はバッチリだ。

 俺は定時退社に向けて、誰よりも静かに、猛烈な速度で今日のタスク処理を開始した。

 

 

 

 【氷室 迅のモンスター社員・ワンポイント法律塾】

 

 みんな、月曜の朝からお疲れ!

 今日のテーマは『始業前の謎ボランティア』だ!

 

 いいか、会社がよく使う「自主的な朝礼」「自由参加の掃除」「就業前の準備体操」……。

 これらが【労働時間】にあたるかどうかの分かれ道は、ズバリ『会社からの指揮命令下にあるかどうか』だ!

 

 「自由参加だから給料(残業代)は出ないよ」と言われていても、今日俺が論破したように、「参加しないと怒られる」「評価が下がる」「参加しないと気まずい空気を作られる」などの状態があれば、それは法的には立派な『黙示の指示(暗黙の強制)』となり、【労働時間(給料発生対象)】とみなされる可能性が極めて高い!

 

 作業着への着替えや朝礼なんかもこれに該当するぞ。(今回の話に出てきたのは、過去に長崎の有名な造船所の裁判で争われた基準が元になっている)

 

 もし明日、無能な上司が「9時始業だけど30分前には来て掃除しろ!」と言ってきたら、「分かりました! ではこの30分は早出の時間外労働になりますので、残業代として処理させてもらいますね!」って笑顔で返してやれ!

 コンプライアンスに厳しい現代、労基署を恐れて一瞬で顔を青くするはずだ。

 

 お前らの大事な「朝の睡眠時間」を、会社の謎ルールにタダで奪われるな!

 

 じゃあ俺は、昨日の深夜アニメを見直すため、今日も17時に光の速さで帰る!

 またな!(※実践する時は自己責任でな!)

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