DARK SOULS:灰が降るゆえ、夜は静か   作:水色蛍

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火は陰り神々は去った。だが、その旅路の影が二つ並んでいたならば。


北の不死院、あるいは二人の亡者

 世界がその輪郭を失い、ただ冷たい灰と沈黙に向かって衰えてゆく時代。

 

 北の果て、切り立った断崖の頂に聳える「北の不死院」は、世界の終わりを縮小したかのような絶望の檻であった。

 

 呪われ、正気を失い、ただ肉体の朽ちるのを待つだけの「不死」を隔離するための巨大な墓標。

 

 そこには陽光など届かず、ただ陰鬱な霧と、石壁を伝う黒い地下水の滴りだけが時の経過を告げていた。

 

 その最奥、湿った藁の敷かれた狭隘な牢獄の中に、一つの身体が横たわっていた。

 

 肌は干からびて土気色に変色し、肋骨の浮き出た胸は微かにも動かない。

 生者であればとうに事切れているはずのその肉体は、しかし死ぬことすら許されない「呪い」の檻にあった。

 

 名も無き不死。

 

 己の古郷も、かつて持っていたはずの名前も、すべては霧の彼方に霧散し、ただ「生への執着」だけが澱のように魂の底へ沈殿している。

 

 どれほどの刻が流れただろうか。

 不意に、昏い静寂を破る音が響いた。

 石造りの高い天井、その僅かな格子窓の隙間から、何かが滑り落ちてくる。

 

 ガサリ、と重い革袋が床に落ち、次いで金属が石床と擦れ合う乾いた音が響いた。

 

 倒れていた不死が、ぎちぎちと軋む首を動かす。虚ろな眼窩が捉えたのは、天井の隙間からこちらを見下ろす、一人の騎士の輪郭であった。

 その騎士の胸当てには、煤と血に汚れながらも、気高き星の意匠が刻まれていた。

 

 アストラの上級騎士。

 

 世界の崩壊を食い止めるべく、伝説の預言を信じて旅立ったとされる、誇り高き血統の証。

 騎士は無言のまま、冷たい鉄の兜の奥から檻の底を見つめ、やがて音もなく気配を消した。

 床に転がっていたのは、一個の死体。

 そしてその硬直した指先には、古びた鉄の鍵が握られていた。

 

「……不死院の牢鍵」

 

 掠れた声は、己のものか、あるいは耳の奥で鳴る幻聴か。

 名も無き不死は、這うようにして鍵を掴み、錆びついた鉄格子へと向かった。

 

 鍵穴が不快な悲鳴を上げて回り、重い扉が開く。

 それが、のちに世界を揺るがす二人の不死が結ぶ、最初の、そして最も細い因縁の糸であった。

 

 牢を出た先は、正気を失った亡者たちが徘徊する地獄の回廊であった。

 

 彼らはもはや言葉を持たず、ただ壁に頭を打ち付け、あるいは虚空を睨んで物乞いのように手を震わせている。

 名も無き不死は、道傍に落ちていた「直剣の柄」を拾い上げ、その折れた刃の重みを確かめた。

 

 肉体が、戦いの記憶をかすかに呼び覚ます。

 ソウルを求める渇きが、冷え切った血管を巡る。

 

 進むほどに、建物の深部から不穏な地響きが伝わってきた。

 床が震え、天井から古い漆喰の粉が舞い落ちる。

 何かが暴れている。それも、人間の範疇を遥かに超えた、異形の怪物が。

 

 大扉を押し開けた先は、広大な礼拝堂の跡地であった。

 

 そこにいたのは、肥大化した肉体と、背中に生えた見窄らしい羽、そして自らの身の丈ほどもある巨大な大槌を携えた、悪魔の眷属――「不死院のデーモン」であった。

 そして、その怪物の足元で、泥を舐めるようにして這いつくばる影があった。

 先ほど、天井から鍵を落としたアストラの騎士であった。

 

「グ、お、おおお……!」

 

 騎士――オスカーの口から、苦悶の呻きが漏れる。

 

 彼の美しい上級騎士の鎧は、デーモンの無慈悲な大槌によって無惨に歪み、隙間からどす黒い血が止めどなく溢れていた。

 

 彼が持つ「紋章の盾」は衝撃で弾け飛び、遥か遠くの石床に転がっている。

 

 デーモンが再び大槌を持ち上げる。

 その質量が振り下ろされれば、アストラの騎士は肉塊にすら残るまい。

 

 その時、風を切る音が響いた。

 

 名も無き不死は、躊躇わなかった。手にあるのは折れた直剣の柄に過ぎない。

 しかし、その身体は吸い寄せられるように悪魔の懐へと滑り込み、剥き出しになった太腿の肉へと、折れた刃を深く突き立てた。

 

 凄まじい咆哮が礼拝堂に木霊する。

 標的を狂わされたデーモンが、巨体を反転させて名も無き不死へと襲いかかった。

 

 それは、泥臭く、しかし神速の死闘であった。

 名も無き不死の動きには、華麗な騎士の型こそなかったが、死を恐れぬ亡者特有の、狂気じみた正確さがあった。

 

 大槌の巻き起こす風圧を紙一重でかわし、巨体の隙を突いては、敵の体表を削り、ソウルを毟り取る。悪魔の怪力が床を砕き、爆風が二人を包む。

 

 だが、死線を超え続けた者の剣は、ついに悪魔の喉元を捉えた。

 

 深い一撃が肉を裂き、デーモンは断末魔の叫びと共に、どす黒い灰となって霧散していった。

 あとに残されたのは、静寂と、莫大なソウルの残滓。

 それを吸い込んだ名も無き不死の身体に、微かな熱が戻る。

 

「……見事な、戦いぶりだ」

 

 崩れ落ちた壁の影、血の海の中で、オスカーが弱々しく声を漏らした。

 彼はかろうじて理性を保っていたが、その身体は既に限界を迎えていた。

 

 兜を外した彼の顔は、亡者化の兆候である青白い斑点に覆われ、瞳の光は今にも消え入りそうだった。

 名も無き不死が歩み寄ると、オスカーは震える手で、自らの腰に帯びていた、

 不思議な緑色のガラス瓶を引き抜いた。

 中には、まるで生きているかのように揺らめく、あたたかな「火」が封じ込められている。

 

「私は、もう駄目だ。じきに正気を失い、ただの亡者となるだろう……。だが、貴公の強さを見た。お願いだ、この『エストの瓶』を受け取ってくれ。それは不死の旅を助ける、火守りの秘宝だ」

 

 オスカーは血を吐きながら、なおも言葉を続けた。

 彼の脳裏にあるのは、己の血脈に伝わる、狂信的なまでの伝承であった。

 

「アストラの一族には、古い言い伝えがある……。不死、鐘を鳴らし、火を継ぐ者とならん、と。私はそのためにここへ来た。だが、使命はここで潰える……。頼む、私の代わりに……」

 

 オスカーの指から、エストの瓶が滑り落ちそうになる。

 だが、名も無き不死はその手を受け止めなかった。

 

 代わりに、手にしたエストの瓶の栓を抜き、その燃えるような液体を、オスカーの傷口と、その青白い唇へと流し込んだ。

 

「……何を、する……。それは、貴公の……」

 

 エストの熱が、オスカーの体内で爆発するように広がった。

 

 消えかけていた命の残り火が、強引に繋ぎ止められる。

 砕けた骨が軋みながら繋がり、溢れていた血が止まる。

 それは完全な治癒ではなかったが、彼を「死」と「完全な亡者化」の淵から、力尽くで引き戻すには十分な奇跡であった。

 

 名も無き不死は、転がっていた「紋章の盾」を拾い上げ、オスカーの前に突き出した。

 

 言葉はなかった。

 だが、その濁った瞳は雄弁に語っていた。

 預言など知らぬ。

 だが、ここで一人で朽ちるな。

 立ち上がれ、騎士よ。

 

 オスカーは呆然と己の手を見つめ、それから這うようにして盾を受け取った。彼の内にあった「アストラの誇り」と、救われたことへの困惑が混ざり合い、鉄の兜の奥で新たな光が灯る。

 

「……狂気か。それとも、これが『導き』なのか」

 

 オスカーは壁に手をかけ、苦痛に顔を歪めながらも、自らの足で立ち上がった。上級騎士の鎧が、再びジャラリと誇り高い音を立てる。

 

「よかろう。我が命、貴公に拾われた。アストラの騎士オスカー、不条理なる旅路の、最初の同行者となろう」

 

 二人の不死は、不死院の最上層、切り立った断崖の突き出しへと辿り着いた。

 

 そこからは、遥か彼方に霞む、神々の旧領「ロードラン」の峻険な山々が見えた。

 世界は終わろうとしており、彼らが向かう先には、さらなる絶望と裏切りが待ち受けている。

 

 不意に、巨大な影が二人を覆った。

 

 大空を歪めるほどの巨躯を持った、漆黒の巨大な烏が、断崖の縁に舞い降りたのだ。

 烏は二人の不死を、その鋭い爪で優しく、しかし抗えぬ力で掴み上げる。

 羽ばたきの突風が、不死院の冷気を吹き飛ばす。

 遠ざかってゆく灰色の牢獄を見下ろしながら、オスカーは愛剣の柄を強く握り締めていた。その隣には、ただ前方の霧を見つめる、名も無き不死の姿がある。

 

 二つの残り火は、今、ひとつの束となって、神話の終焉へと飛び立った。

 

 それが、互いの喉元を焼き尽くす「最期の決闘」へと繋がる狂おしい旅路の始まりであるとは、まだ誰も知る由がなかった。

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