DARK SOULS:灰が降るゆえ、夜は静か   作:水色蛍

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アノール・ロンドの残光、分かたれる道

 最下層の泥濘と、毒霧が渦巻く「病みの街」の底。

 

 死臭に満ちたその深淵で二つの鐘が鳴り響いたとき、閉ざされていた古き英雄の試練、――「センの古城」の巨大な鉄門が、不快な悲鳴を上げて開かれた。

 

 その城は、神の国へと挑む不死たちの肉体を切り刻むためだけに作られた、悪意の迷宮であった。

 

 幾度となく肉体を切り裂く巨大な振り子刃。

 容赦なく圧殺する巨石の罠。

 そして、影から音もなく刃を突き出す蛇人たちの急襲。

 

 名も無き不死とアストラの騎士オスカーは、互いの背中を預け合い、血の海を這うようにしてその罠を一つずつ踏み潰していった。

 

 オスカーの「アストラの直剣」は蛇人の硬質な鱗を削り取り、名も無き不死の掲げる盾は、死角から飛来する毒矢をことごとく弾いた。

 

 そして今、二人は古城の最上層から、白い翼を持つ異形の眷属――デーモンたちに抱えられ、分厚い雲を突き抜けてゆく。

 

 激しい風が吹き荒れ、やがて視界が開けたその瞬間、彼らの眼前に「それ」は現れた。

 

 永遠の黄昏に彩られた、神々の旧領「アノール・ロンド」。

 

 峻険な山脈の天辺に築かれたその白亜の都は、巨人が造り上げたかのような圧倒的なスケールで聳え立っていた。

 

 傾く陽光が、壮麗な大聖堂の尖塔を黄金色に染め上げている。

 

 だが、その美しさは同時に、恐ろしいほどの空虚を孕んでいた。

 

 街を巡る回廊には人の気配が一切なく、ただ不気味なほどの静寂が、大理石の床に冷たくこびりついている。

 

 着地したオスカーは、鉄の兜を外し、目の前の光景に息を呑んだ。

 その瞳には、かつてアストラの神殿で夢見た神話の輝きが、そのまま映り込んでいるようだった。

 

「……素晴らしい。アノール・ロンド。神々の王グウィンの故郷か。伝承は、嘘をついていなかった。世界を救う鍵は、本当にここにあるのだ」

 

 オスカーの言葉は、熱を帯びていた。

 

 それは、数々の死線で擦り切れかけた彼の理性を強引に繋ぎ止める、最後の信仰であった。

 

 一方、名も無き不死は、黄金の光に照らされる己の手を見つめていた。

 

 その皮膚はさらに干からび、爪の先は黒く変色している。

 どれほど神々しい光を浴びようとも、己の内に巣食う「ダークリング」の呪いが消えることはない。

 

 むしろ、この過剰な光は、己の影をより濃く、深く石床に縫い付けるだけのように思えた。

 

 二人は無言のまま、巨大な大聖堂へと歩みを進めた。

 

 神の国の探索は、これまで以上に苛烈を極めた。

 

 大聖堂の梁を渡る細い足場では、白い衣服を纏った「絵画守り」たちが音もなく刃を振るって肉を削り、巨大な巨人の近衛兵たちが、その大盾で道を塞ぐ。

 さらに、城壁の隙間からは、一撃で肉体を消し飛ばすほどの巨矢が、竜狩りの大弓から無慈悲に放たれた。

 

 名も無き不死の身体は、すでに限界をとうに超えていた。

 何度矢に貫かれ、何度高所から叩きつけられても、篝火の火に身を焦がすことで、その肉体を無理やり再生させる。

 そのたびに、魂の輪郭が摩耗していく感覚があった。

 

 オスカーの鎧もまた、白亜の壁に擦り付けられ、煤と血、そして大理石の粉で白く汚れていた。彼の呼吸は喘鳴に近く、剣を握る指先は微かに震えている。

 

 だが、その瞳だけが、爛々と狂気的な輝きを放ち続けていた。

 

「あと、少しだ。友よ。神の御前へ……火を継ぐ資格を、我らの手に」

 

 オスカーは己に言い聞かせるように呟き、大聖堂の最深部へと続く、巨大な装飾扉を押し開けた。

 

 その先に待っていたのは、神話そのものの具現であった。

 

 一方は、金色に輝く獅子の鎧を身に纏い、激しい雷光を放つ十字槍を構える「竜狩りオーンスタイン」。

 

 もう一方は、その数倍もの巨体を誇る黄金の鎧に、人間の頭部ほどもある巨大な処刑大槌を担いだ「処刑人スモウ」。

 

 言葉なき挑戦状の如く、オーンスタインの槍から放たれた雷撃が、大理石の床を爆砕した。

 

「私が引き受ける……!」

 

 オスカーが叫び、紋章の盾を構えてスモウの突進を受け止めた。

 

 凄まじい衝撃音が響き、オスカーの足元の石床が蜘蛛の巣状にひび割れる。

 大槌が振り下ろされるたび、オスカーの骨が軋む音が回廊に木霊した。

 

 名も無き不死は、風となって大聖堂を駆けた。

 

 狙うは、神速で間合いを詰めてくるオーンスタイン。

 放たれる突きを紙一重でかわし、刃が空を切る一瞬の隙に、その黄金の鎧の継ぎ目へと剣を叩き込む。

 

 火花が散り、雷の残光が不死の肉体を焼いたが、痛覚などとうに麻痺していた。

 

 それは、世界の命運を分けるに相応しい、凄惨な乱戦であった。

 

 オスカーが死力を尽くしてスモウの注意を引きつけ、その隙に名も無き不死がオーンスタインの肉体を削る。

 

 やがて、不死の渾身の一撃がオーンスタインの胸当てを貫いた。

 獅子の騎士はかすかな唸り声を上げ、光の粒子となって崩れ落ちる。

 

 だが、安堵の暇はなかった。

 

 残されたスモウが、倒れた相棒の肉体をその大槌で容赦なく叩き潰したのだ。オーンスタインの放っていた雷の力が大槌へと吸収され、処刑人は倍以上の巨躯となって咆哮した。

 

「おおおおおッ!」

 

 オスカーがアストラの直剣を両手で構え、雷を纏った大槌へと飛びかかる。

 

 激突。オスカーの盾が完全に砕け散り、彼の身体は大聖堂の壁まで吹き飛ばされた。激しい吐血と共に、騎士が崩れ落ちる。

 

 スモウがトドメを刺すべく、大槌を振り上げた。

 

 その背後から、名も無き不死が影のように肉薄していた。

 手にした武器を逆手に持ち替え、処刑人の剥き出しの首筋へと、全体重をかけて刃を突き立てる。

 

 肉を裂き、骨を砕く重い感触。

 

 大槌が床に落ちて凄まじい音を立て、巨漢の処刑人は、断末魔の叫びと共に霧散していった。

 

 大聖堂に、長い静寂が戻った。

 

 名も無き不死は、息も絶え絶えに横たわるオスカーの元へと歩み寄り、最後の一滴となったエストを彼の口へと流し込んだ。

 

 傷口が塞がり、オスカーは激しく咳き込みながらも、かろうじて上体を起こした。

 

 彼の「紋章の盾」は見る影もなく歪んでいたが、その目はまだ死んでいなかった。

 

「……感謝する、友よ。これで、ついに……」

 

 二人は、大聖堂の奥にある昇降機を登り、最上層の聖域へと足を踏み入れた。

 

 そこにいたのは、人間の数十倍もの大きさを誇る、圧倒的な美しさを湛えた巨人の王女――「太陽の王女グウィネヴィア」であった。

 

 彼女の放つ温らかな光が、大部屋を満たしている。

 

『よくぞ、試練を乗り越え、ここまで辿り着きました、呪われた不死よ』

 

 王女の声は、耳ではなく魂に直接響くように優しかった。

 彼女は、その巨大な手の中に、一つの「器」を携えていた。

 古ぼけた、しかし世界の全ソウルを受け止めることができるという神の遺物。

 

『あなた方に、王の意志を継ぐ者としての証――「王の器」を授けましょう。これに初代の王たちのソウルを満たし、最初の火の炉へと向かいなさい。そして、衰えゆく世界の火を、再び燃え上がらせるのです』

 

 オスカーはその場にひざまずき、涙を流さんばかりの法悦の表情で王の器を見上げていた。彼の旅は、彼の信仰は、ここに報われたのだ。

 

 しかし、その隣で平伏する名も無き不死の目に映っていたのは、全く別の景色であった。

 

 王女の放つ光は、確かにあたたかい。

 

 だが、その光があまりにも強すぎるがゆえに、彼女の背後に広がる影は、底知れないほど昏く、深い「闇」となっていた。

 

 そして、名も無き不死の胸の奥で、その闇が、呼応するように激しく脈打った。

 

(……これは、本当に本物の光なのか?)

(なぜ、これほどの神の力が残っていながら、世界は亡者で満ち溢れているのか?)

 

 王女の手から放たれた「王の器」が、二人の前に厳かに降り立つ。

 

 オスカーがその器に触れようと、手を伸ばした。

 その瞬間、彼は隣に立つ名も無き不死の視線に気づき、動きを止めた。

 

 二人の視線が、鉄の兜越しに交錯する。

 

 オスカーの目は、世界を救うという盲信的な光に満ちていた。

 名も無き不死の目は、世界の理そのものに対する、昏い猜疑の深淵に沈んでいた。

 

 言葉はなかった。だが、二人は確かに理解した。

 

 これまでは、同じ「不死院からの脱出」という目的のために背中を預け合ってきた。

 だが、ここから先は違う。

 世界をどうすべきか、その選択の道において、二人は決して交わらぬ決定的な崖を挟んで立っているのだと。

 

「……行こう、我が友よ」

 

 オスカーは、微かに声音を冷たく沈めながら、王の器を抱え上げた。

 

「世界に、火を取り戻すために」

 

 名も無き不死は何も答えず、ただ己の影が、黄金の床の上に長く、長く伸びてゆくのを、じっと見つめていた。

 

 神の国の残光の中で、二人の歩調は、確実に狂い始めていた。

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