DARK SOULS:灰が降るゆえ、夜は静か   作:水色蛍

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王のソウル、擦り切れる理性

 神の国を離れた二人の道は、物理的にも、そして魂の行方においても、完全に引き裂かれることとなった。

 

 名も無き不死が赴いたのは、かつて水底に沈められた呪われた都「小ロンドの遺跡」であった。

 

 そこは、かつて人間の王たちが深淵の誘惑に屈し、神々によって街ごと吸血鬼たちと共に封印された、文字通りの死都である。

 

 水が抜かれた後に剥き出しとなったのは、折り重なる無数の人間の骸と、湿った泥の臭い。

 

 その最奥、五感を狂わせるほどの絶対的な暗黒――「深淵」の底で、不死は四人の公王の成れの果てを討ち果たし、ひとつの巨大な王のソウルを手に入れた。

 

 だが、そこでもたらされたのは、勝利の賛歌ではなかった。

 

 闇の底から鎌首をもたげた、古き「世界蛇」の「闇撫でのカアス」は、乾いた鱗を擦り合わせながら、名も無き不死に真実を囁いたのだ。

 

 神々が語る「火継ぎ」の伝承こそが、人間を「不死の呪い」という永遠の檻に縛り付けるための欺瞞であること。

 

 火が絶えた後に訪れる「闇の時代」こそが、人間に宿る『人間性』の、本来の姿であること。

 

 深淵の冷気に晒されながら、名も無き不死の胸の奥で、ダークリングが不気味に、しかし狂おしいほど愛おしく脈打った。

 

 王のソウルを貪るたびに、己の内に蓄積されてゆく昏い力。

 それは、火を燃え立たせるための薪などではない。

 いつかそのすべての火を圧殺し、世界を静かなる闇へと誘うための、重く黒い泥の塊であった。

 

 同じ頃、アストラの騎士オスカーは、自らの内に残されたかすかな人間性を摩耗させながら、神々の意志を完遂すべく、世界の深部へと潜っていった。

 

 彼が挑んだのは、生命の根源たる炎が暴走した灼熱の奈落「混沌の廃都イザリス」、そして一筋の光すら届かぬ死者の王国「巨人の墓場」であった。

 

 かつて彼が纏っていたアストラの上級騎士の鎧は、混沌の溶岩によって赤黒く焼け爛れ、至る所の革紐が千切れかけていた。

 

 美しい星の意匠は煤に埋もれ、もはやかつての輝きはどこにもない。

 それでも、彼は歪んだ剣を杖代わりにし、ただ「火を継ぐ」という妄執の灯火だけを頼りに、骸骨たちの包囲網を、魔女たちの残滓を、執念だけで叩き潰していった。

 

 二人が再び相見えたのは、すべての王のソウルが揃い、物語が終焉へと収束しつつある、デーモン遺跡の崩落した石橋の上であった。

 

 かつて不死街で背中を預け合った二人の影が、赤黒い溶岩の照り返しの中に佇んでいる。

 

「……ああ、貴公、か」

 

 オスカーの声は、地を這うようなかすれた音だった。

 

 鉄の兜の隙間から漏れる彼の息は、生者のそれではなく、焦げ付いた灰の匂いが混ざり合っている。

 

 彼の歩みは、右足を引きずるようにして、ひどくおぼつかない。

 その剥き出しになった首元や手首の皮膚は、すでに生気を完全に失い、亡者特有の、腐りかけた土気色に変色していた。

 

 理性が、完全に擦り切れる寸前であった。

 

 彼を辛うじて人間として繋ぎ止めているのは、もはや「アストラの騎士」という過去の栄光ではなく、「火を継がねばならない」という、呪いにも似た狂信的な義務感だけであった。

 

「私は、手に入れたぞ……。魔女のソウルを、最初の死者のソウルを……。これで、王の器は、満たされる。神々の火は、再び……世界を、照らすはずだ……」

 

 オスカーはブツブツと、まるで己に言い聞かせるように、あるいは耳元の幻聴を振り払うように呟き続けた。

 

 その濁った瞳は、目の前に立つ名も無き不死を捉えているようで、その実、何も見ていないようだった。

 

 名も無き不死は、一歩も動かず、その哀れな騎士の姿を見つめていた。

 不死の身体からは、小ロンドで浴びた深淵の、あの冷たく昏い「闇」の気配が、黒い霧のように立ち上っている。それは火を求める者にとって、最も忌むべき、世界を裏切る者の色であった。

 

 オスカーの呟きが、ピタリと止まった。

 

 じわじわと、彼の鉄の兜が持ち上がる。

 その奥にある瞳が、かつてないほど激しい、拒絶の光を宿して名も無き不死を睨み据えた。

 

 亡者化の狂気の中に、アストラの騎士としての、最後の理性が割り込む。

 

「……お前、その身体に、何を宿している」

 

 オスカーの手が、腰の「アストラの直剣」の柄へと伸びた。

 だが、その手は激しく震え、金属同士がカチカチと虚しい音を立てる。

 

「その昏さ……それは、火の温もりではない。深淵の、世界の終わりを望む、闇の……。まさか、貴公、火を継ぐのではなく、火を絶やすというのか……?」

 

 名も無き不死は、何も答えなかった。

 ただ、手にした武器の柄を静かに握り直す。その沈黙こそが、何よりの肯定であった。

 

「なぜだ……」

 

 オスカーの口から、血の混じった黒い唾液が溢れる。

 

「世界が闇に包まれれば、人は皆、正気を失い、永遠に彷徨う亡者となるのだぞ……! この、私のようにな。それが、貴公の望む世界なのか! アストラの伝承を、神々の救いを、踏みにじるというのか!」

 

 オスカーは叫び、剣を引き抜こうとした。

 しかし、あまりの肉体の摩耗に耐えかね、その場に膝を突いて激しく咳き込んだ。

 彼の指先から、ポタポタと黒い血液が石床に滴り、溶岩の熱で一瞬にして蒸発してゆく。

 

 名も無き不死は、その背中に向けて、エストの瓶を差し出そうとした。

 

 だが、その手を、オスカーは歪んだ紋章の盾で、激しく撥ね退けた。

 

「……触れるな」

 

 オスカーの、これまでで最も冷徹な、そして最も正気に満ちた声が響いた。

 

「私の命は、不死院で貴公に拾われた。だが……私の魂は、火と共にある。アストラの誇りは、深淵に跪くことなど、決して許さない」

 

 オスカーは壁に手をかけ、執念だけで再びその身体を立ち上がらせた。

 

 彼の背中は、もはや救世の英雄のものではなかった。

 それは、滅びゆく古い時代の残骸を、必死に両腕で抱え込もうとする、哀れな亡者の背中であった。

 

「……次に出会う時が、私たちの最後だ」

 

 オスカーは、名も無き不死に背を向けたまま、暗闇の奥へと歩き出した。

 

「貴公が火を拒むというのなら、私は、かつての友であっても、この剣で貫かねばならない。それが、私の最後の使命だ」

 

 引きずる足音と、ボロボロになった鎧の擦れ合う哀しい金属音が、デーモン遺跡の奥へと消えてゆく。

 

 残された名も無き不死は、暗闇の中で、自らの手を見つめた。

 掌の中で、深淵の闇が、静かに、しかし確かに広がってゆく。

 

 二人の歩む道は、ついに完全に断絶した。

 

 残された場所は、ただひとつ。「最初の火の炉」。

 世界が始まる場所であり、すべてが灰に帰るその最果てで、彼らは真の決着をつけねばならなかった。

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