DARK SOULS:灰が降るゆえ、夜は静か   作:水色蛍

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最初の火の炉

 すべての偉大なる王のソウルが「王の器」へと注がれたとき、火継ぎの祭祀場の地下に眠る、巨大な石の扉が轟音を立てて開かれた。

 

 その先に広がっていたのは、世界の終わりそのものの光景であった。

 

「最初の火の炉」――かつて最初の王たちが火を見出し、世界の理を定めた始まりの地。しかし今やそこは、色を失った白い灰だけが果てしなく降り積もる、広大で虚無的な墓所と化していた。

 

 かつて壮麗であったろう建造物は、凄まじい熱量によって歪み、ねじ切れた螺旋の柱のように灰の海から突き出ている。

 

 空は昏く、太陽の代わりに巨大な「ダークリング」のような黒い穴が、ただ静かに世界を見下ろしていた。

 

 名も無き不死は、膝まで埋まる灰を掻き分けながら、一歩、また一歩と炉の深部へ向かって歩を進めていた。

 

 不死の身体からは、小ロンドや深淵の底で培った、濃密な「闇」の気配が揺らめき立っている。

 

 その歩みは重く、しかし一切の迷いはなかった。

 

 目指すは、この世界の最奥に今もなお燻る「最初の火」。

 それを完全に掻き消し、神々の時代を終わらせる。

 それが、世界の蛇に示された、名も無き不死の選んだ道であった。

 

 灰の尾根を渡る途中、かつてグウィン王に仕えた「黒騎士」たちの残影が、音もなく立ち塞がった。

 

 彼らの鎧は最初の火の熱で黒く焼け焦げ、中身はとうに失われ、ただ主の火を守るという本能だけで動く灰の操り人形であった。

 

 名も無き不死は、大剣を静かに構え、襲いかかる黒騎士たちの重撃を払いのけた。鉄と鉄が噛み合い、白い灰の中に火花が散る。

 

 一切の情けを排した正確な一撃が黒騎士の胸当てを貫き、呪われた鎧は、サラサラと音を立てて灰の海へと崩れ落ちていった。

 

 黒騎士たちの屍を越え、円形の巨大な闘技場のような遺構へと辿り着いたとき、名も無き不死の足が止まった。

 

 そこは、最初の火が最も近くで燻る、世界の心臓部であった。

 

 すり鉢状になった遺構の中央、かすかな煙を上げる燠火の前に、一つの影が佇んでいた。

 

 上級騎士の鎧。

 

 煤と混沌の炎に焼かれ、幾千の戦いによって原型を留めぬほどに凹み、歪んだ鉄の皮膚。

 その胸元に刻まれたアストラの星の紋章は、すでに削れ落ちて判別すらつかない。

 

 アストラの騎士オスカーであった。

 

 彼はそこにいた。

 かつて最初の王グウィンが座していたであろう、火の最も近くに。

 

 オスカーの身体は、完全に亡者化の極致に達していた。

 鉄の兜の隙間から覗く肌は干からびた黒い樹皮のようであり、その瞳には、もはや人間としての理性や記憶の光は一片も残されていない。

 

 だが、彼は動いていた。

 

 アストラの直剣を右手で固く握り締め、左手には引き裂かれ、ひび割れた紋章の盾を掲げている。

 

 その佇まいは、世界のすべてが灰に帰そうとも、己に課せられた「火を継ぐ」というただ一つの呪いだけを握り締めて離さない、盲執の塊そのものであった。

 

 言葉は、もう必要なかった。

 いや、彼にはもう、言葉を発する声帯も、それを組み立てる心も残されてはいまい。

 

 オスカーの濁った瞳が、名も無き不死の纏う「深淵の闇」を捉えた。

 

 その瞬間、亡者の騎士の身体から、ゴウ、と激しい残り火の熱風が立ち上った。

 彼の内に残された全ソウルが、侵入者である「闇」を排除すべく、その枯れ果てた肉体を極限まで駆動させたのだ。

 

 オスカーが灰を蹴った。

 その踏み込みは、不死院で出会ったときよりも、不死街で並び立ったときよりも、遥かに重く、凄まじい執念に満ちていた。

 

 ガキィンッ!

 

 激しい金属音が炉の静寂を切り裂いた。

 オスカーの放った渾身の唐竹割りを、名も無き不死は己の武器で受け止めた。凄まじい質量と、ソウルが放つ熱量が刃を伝って流れ込んでくる。

 

 かつて高潔だった騎士の剣技は、今や泥臭く、ただ相手を屠るためだけの無慈悲な凶器へと変貌していた。

 

 名も無き不死は、刃を滑らせて間合いを外すと、即座にオスカーの死角へと回り込み、その背中へと鋭い一撃を放った。

 

 しかし、オスカーは崩れかけの紋章の盾を驚異的な反応で背後に回し、その一撃を弾いた。

 かつて幾度となく名も無き不死の窮地を救った、あの鉄壁の盾の技術。

 それが今、最大の障壁となって目の前に立ち塞がっている。

 

 灰が舞い、二つの残り火が激しく交錯する。

 

 オスカーの剣が風を切り、名も無き不死の頬を掠めて黒い血を散らす。

 名も無き不死の刃がオスカーの太腿を貫き、上級騎士の鎧の隙間から、血の代わりに熱い灰が吹き出す。

 

 それは、世界の行方を決めるための戦闘でありながら、同時に、あまりにも哀しい過去の清算であった。

 

 刃が交わるたび、火花が散るたび、名も無き不死の脳裏に、あの冷たい不死院の牢獄の天井から落とされた鍵の音が、暗闇の中で分かち合ったエストの瓶のあたたかさが、アノール・ロンドの残光の中で交わした無言の決別が、走馬灯のように駆け巡る。

 

 だが、名も無き不死の手が鈍ることはなかった。

 

 ここで彼を倒すことこそが、アストラの伝承という呪いに縛られ、亡者となってもなお戦い続けなければならないこの騎士に対する、唯一の、そして最後の報いであると知っていたからだ。

 

「……おおおおおッ!」

 

 オスカーの裂けた喉から、言葉にならない咆哮が漏れた。

 

 彼はアストラの直剣を両手で握り直し、その刃に最初の火の残り火を纏わせた。

 赤黒い炎が刃を包み込み、周囲の白い灰が熱風で巻き上がる。

 彼はすべての力を乗せ、名も無き不死の胸元へと決死の突きを放った。

 

 防げない。そう直感した名も無き不死は、あえて盾を捨てた。

 肉を切らせて骨を断つ。亡者特有の、死の恐怖を持たぬ狂気の選択。

 

 炎を纏った刃が、名も無き不死の左肩を深く貫いた。肉が焼け焦げる不快な臭いと、凄まじい激痛が走る。

 

 しかし、名も無き不死は退かなかった。

 貫かれたまま一歩前に踏み込み、オスカーとの距離を完全にゼロにする。

 

 オスカーの鉄の兜が、至近距離で名も無き不死の瞳を捉えた。

 

 名も無き不死は、右手に全ての力を込め、手にした剣をオスカーの胸当ての、あの星の紋章が刻まれていたはずの、最も脆くなった中心へと突き立てた。

 

 ズブ、という重い手応え。

 

 刃は上級騎士の鎧を貫き、その奥にある、枯れ果てた騎士の心臓を、確かに捉えた。

 

 時が止まったかのような静寂が、三度、炉を包み込んだ。

 

 オスカーの動きが、ピタリと止まった。

 

 彼の剣から炎が消え、名も無き不死の肩から力が抜けるようにして、刃が滑り落ちた。

 

 オスカーの左手から、完全に砕け散った紋章の盾が、カラリと音を立てて灰の中に落ちてゆく。

 

 彼は、己の胸に深く突き刺さった剣を見つめ、それから、ゆっくりと顔を上げた。

 

 鉄の兜の奥、先ほどまで狂気と盲執に染まっていた彼の瞳から、徐々に濁りが引いてゆく。

 

 最後のソウルが消えゆくその一瞬だけ、世界の理が、彼に「アストラの騎士オスカー」としての正気を取り戻させたのかもしれなかった。

 

 オスカーの震える手が、名も無き不死の肩に触れた。

 

 その手には、もう武器を握る力も、敵を呪う意志もなかった。

 ただ、かつて不死院の床で、見知らぬ亡者にエストの瓶を託したときのような、静かで、穏やかな温もりだけがあった。

 

「……ああ……」

 

 鉄格子の向こうから、微かな、本当に微かな掠れた声が漏れた。

 

「……見事だ……我が、友よ……」

 

 それが、彼の最後の言葉であった。

 

 オスカーの身体が、足元からサラサラと白い灰へと変わり始める。

 彼の纏っていた上級騎士の鎧が、中身を失って崩れ落ち、灰の海へと沈んでゆく。

 

 あとに残されたのは、彼が旅の果てに集め、そして今、名も無き不死へと捧げられた、純粋で、あまりにも巨大なソウルの残滓。

 

 名も無き不死が手を伸ばすと、そのソウルは拒むことなく、不死の胸の中へと吸い込まれていった。

 

 流れ込んできたのは、オスカーの記憶。

 アストラの美しい故郷の風景、父の笑顔、そして、世界を救いたいと願った、一人の騎士のあまりにも無垢な祈り。

 

 ソウルは名も無き不死の体内で、昏い深淵の闇と混ざり合い、静かに静止した。

 

 名も無き不死は、独り、最初の火の前に立っていた。

 

 目の前にあるのは、今にも消え入りそうな、世界の最後の残り火。

 もしここに身を投じれば、オスカーが望んだように、世界は再び光を取り戻し、神々の時代が僅かに延命されるだろう。

 

 だが、名も無き不死は、火に背を向けた。

 

 不死が歩き出すと同時に、その背後で、最初の火がパチリと音を立てて爆ぜ、そして、静かに、完全に消灯した。

 

 世界を支配していた偽りの光が消え去り、炉のすべてが、そして世界のすべてが、深い、深い、本物の闇へと包まれてゆく。

 

 しかし、その闇は決して恐ろしいものではなかった。

 それは、永きに渡る火継ぎの苦痛から、ようやくすべての人間が解放される、穏やかな、安息の夜の始まりであった。

 

 名も無き不死が、炉の巨大な石門をくぐり、灰の都へと歩みを進める。

 その行く手を阻むものは、もう何もなかった。

 

 代わりに待っていたのは、闇の深淵から這い出てきた、異形の巨躯たちであった。

 

 闇撫でのカアス。そして、かつて神々に仕えていたはずのフラムト。

 

 彼らを筆頭に、数きれないほどの「世界蛇」たちが、闇の底から無数の鎌首をもたげ、名も無き不死を囲むようにして、一斉に、深く、その首を石床へと垂れた。

 

 彼らは言葉を持たぬはずの這うもの。

 しかし、その歪んだ顎から、世界の真の始まりを告げる合唱が、低く、重々しく響き渡る。

 

「……我が主、闇の王よ」

「我ら、世界の蛇、貴方様をお供いたしましょう……」

「これより始まる、真の人の時代を……」

 

 世界蛇たちが道を示すその中央を、新たな王――「闇の王」となった名も無き不死は、前だけを見据えて歩いてゆく。

 

 その足元、白く煙る灰の海の底へと、傷だらけのアストラの直剣が、静かに埋もれてゆく。

 

 世界を救おうとした一人の騎士の物語は、ここに灰となりて終わりを告げ、世界を終わらせた不死の、昏き闇の時代が幕を開ける。

 

 ……だが、やがて火は消え、闇だけが残る

 

 いまや、火は消えた

 神々は去り、古い神話の残光は、完全に灰の底へと沈んだのだ

 

 ……だが、恐れることはない

 真の闇、真の人の時代が、ここから始まるのだから

 

 アストラの騎士、その果て無き狂おしき旅路もまた……

 ただ、物語という名の、小さなソウルとなって、永劫の闇に消えゆくのみ……

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