とりあえず、出来た部分を投稿します。
第十三話 『想い』は時にすれ違う
◇
深雪がアンティナイトを保持していた反逆者を倒したおかげか、《キャスト・ジャミング》の発動自体は停止した。しかし、一度放出された想子(サイオン)ノイズは容易に消え去ることはなく、未だに空間を滞留している。
そのノイズに苛まれながらも、深夜はたったいま己が目にした光景に思考を巡らせた。
__深雪に対して銃撃が浴びせられるさなか、深夜は穂波へ障壁魔法の発動を命じようとしたが、彼女もまた《キャスト・ジャミング》の効果で不調をきたし、魔法の使用が困難な状態だった。
(なんてこと⋯⋯っ!?深雪を救う術がない!?)
この時ばかりは、達也を偵察に向かわせたことを心底後悔する。息子がいれば、この最悪な状況もすべて覆すことができただろう。だが、肝心要の達也はこの場にいない。
自分にできることといえば、娘を救えない無力さを噛み締めることだけだった。
しかし、深雪の死という悲劇が訪れることはない。
それは悪魔の気まぐれか。それとも神の恩恵か。
あるいは__その両方だったのか。
深夜の視界に映ったのは、娘の惨たらしい姿ではなく、正真正銘奇跡の光景だった。
銃撃から身を庇おうと縮こまる深雪の、まさに目の前の空間が突如歪んだ__と深夜が認識した次の瞬間。
一切の音も気配もなく、彼__桃源津那美が現れた。
迫りくる銃弾に対して、彼は焦りの色ひとつ見せず、遮るように静かに左手のひらを翳す。その僅かな仕草だけで、高速で迫っていた銃弾は不可視の壁に衝突したかのように空中でピタリと停止し、そのままジュッと小さな蒸発音を立てて焼滅した。
(なっ⋯⋯!?何をしたの?彼は⋯⋯)
声を出すことすら苦痛な状況のなか、深夜は現代魔法の常識が及ばない現象を目の当たりにし唖然となる。
深雪や達也、何より真夜から彼__桃源津那美の常識外れな力について聞き及びはした。
だが深夜にとってそれは、所詮人づてに聞いた噂話のようなものでしかない。現実味がまるでなく、眉唾ものだと思っていたのだ。少なくとも今、自分自身の目で確認するまでは__。
(《キャスト・ジャミング》が停止したとはいえ、その残留ノイズが満ちる空間で魔法を使用するのは、並大抵の技量では不可能⋯⋯。先ほどの空間転移もそうだけれど、いま展開している障壁魔法じみた現象も、現代魔法の定義からは完全に逸脱しているわ。一体全体、彼は何者で、その振るう力の正体は何なの?)
疑問符が湧き上がる彼女の脳裏に、勝ち誇ったかのような双子の妹の声が反響する。それに影響されてかは判らないが、苦悶に喘ぐ深夜の口元に自嘲の笑みが浮かび上がった。
(フフフッ、なるほどね⋯⋯。確かにこんな摩訶不思議な力を、魔法と呼称するのは無理があるわ。なればこそ、あの呼び名だったわけね、真夜⋯⋯。桃源津那美が振るう力は紛うことなき『神の御業』。ええ、わたくしも認めるわ。それ以外に表現のしようがないことを⋯⋯)
このような状況下で不謹慎とは理解しつつも、彼女はどこか心躍らせる。そして、次はどのような奇跡を目の当たりにできるのかと期待に胸を膨らませ、畏怖と憧憬の念を込めた視線を津那美へと投げかけるのだった。
◇
命の危険に晒されていた深雪にとって、彼の存在はまさに白馬に乗った王子様であり__絶体絶命の窮地に現れたヒーローそのものであった。
「津那美さま⋯⋯津那美さまぁ!!」
彼女は感極まり、大粒の涙を零しながら目の前にある津那美の背中に縋りつく。そのまま震える小さな両手で精一杯、彼のロングコートを握りしめた。
津那美は深雪の行動を咎めることなく、彼女の感触を静かに受け止める。
そのうち、突如現れた謎の青年の姿に呆けていた反逆者たちは我を取り戻し、唾を撒き散らす勢いで怒号を飛ばす。そして、容易く防がれたというのに再度ライフルを構え、発砲を始める。
室内に甲高く轟いた銃声に、背に縋りつく深雪がビクッと身体を震わせた。
「問題はない」
津那美の口から漏れ出た言葉通り、またもや銃弾はある程度の距離を残して空中で静止し、蒸発音とともに焼滅していった。
その美しい顔に微かな笑みを浮かべ、謎めいた力で自分たちの銃撃を防ぎ続ける青年__その存在に、反逆者たちの精神には次第に焦りと恐怖が湧き上がっていく。やがて彼らの狂気に血走り始めた目が、青年の近くにいる二人の女性に向けられた。口元を歪ませ、反逆者たちはライフルの銃口の向きを変える。
銃口を向けられた瞬間、深夜と穂波は息を呑んだ。
「深夜様っ!お逃げください⋯⋯っ!」
穂波は懸命に呼びかけるも、肝心の深夜は未だ滞留している想子ノイズに苛まれ、まともに身体を動かせない。せめて障壁魔法を発動しようとするも、自身もノイズのせいで不調を抱えており上手くいかなかった。
どうにもならない状況下で、反逆者たちのライフルが火を噴く。
高速で迫りくる銃弾の雨が深夜と穂波の身体を貫く__という結果が生じることはなかった。
津那美はいずれ反逆者たちが、銃撃の通じない自分以外を狙うことなどとうに予測していたのだ。その標的が近くにいる深夜と穂波の二人だということも含めて。
ゆえに彼は、自分の周囲に張り巡らせた不可視の防御シールドと同種のものを、深夜と穂波の周囲にも展開していた。
銃弾は二人の身体を穿つ前にシールドにぶつかり、容易く焼滅していく。
(こっ、これは⋯⋯彼が張ったものなの?いつの間に⋯⋯!?)
床に倒れ伏しながら、その不可思議な光景を目にした深夜は、そっと目線を津那美へと向けた。
すると彼もこちらに顔を向けており、二人の視線が交錯する。津那美は口元に小さく笑みを浮かべると、再び反逆者たちへと視線を戻した。
(なによ、その余裕の表情は⋯⋯。わたくしに恩でも売ったつもりなのかしら⋯⋯。腹立たしい)
内心で毒づきながらも、深夜の頬には微かな朱が差し込む。
その一方で、反逆者たちの顔には圧倒的な恐怖が滲み出ていた。青年の焦る顔が見たくて女性たちを狙ったというのに、いとも容易く防がれ無為に終わる。
青年の冷ややかな笑みを前にして、彼らは自分たちが軍の魔法師であり、まだ魔法攻撃という手段が残されている事実すら忘れ去っていた。
__無論、その魔法攻撃ですら津那美の防御シールドを破ることなど不可能なのだが。
もはや半狂乱となり、悲鳴を漏らしながら執拗にライフルを乱射する。それだけが、今の彼らの唯一の心の拠り所だった。
全く無意味な銃撃に辟易しながら、津那美は自身の背に縋りつく深雪に声をかけようとするのだが__。
当の深雪は、目尻に涙の痕跡を残しながら恍惚の表情を浮かべていた。
(津那美さまの背中⋯⋯温かい。それにとてもいい匂いがします。叔母様と同じ白檀の甘い香り⋯⋯。心が落ち着きます。ああ、ずっとこうしていられる⋯⋯いいえ、こうしていたい。片時もお傍を離れたくありません、津那美さま⋯⋯)
十二歳の少女が抱くには少々危険な思考に囚われながら、深雪は津那美の背に身を委ね続ける。
彼女が津那美の呼びかけになかなか気づかなかったのは、そのためだろう。
「⋯⋯さん。⋯⋯雪さん。深雪さん」
「は、はいっ!?何でしょうか、津那美さま」
耳朶を打つ彼の声に、深雪は慌てて返事をした。彼女が先ほどから口にする〝さま〟呼びが気にかかったものの、津那美は特に触れることなく深雪に疑問を投げかけた。
「深夜さんたちの体調がよろしくないようだが⋯⋯あれは何が原因だ?危険な毒ガスでも浴びたのか?」
「あっ、あれはガスを浴びたのではなく⋯⋯。お母様たちはキャスト・ジャミングを浴びてしまわれたのです」
「キャスト・ジャミング⋯⋯。ああ、確か特殊な鉱物を媒介にした魔法阻害現象だったか」
彼女の返事に、津那美は自身の知識から該当する情報を導き出す。そして、周囲の空間を素早く睥睨した。
「なるほど、そういうことか」
(何がなるほどなのでしょう?)
ひとり納得の言葉を漏らす彼に、深雪は可愛らしく首を傾げる。
その間にも続いている反逆者たちの乱射に、津那美は冷酷な視線を向け、うんざりしたように呟く。
「いい加減に煩わしいな。まとめて消えろ」
__パチンッ__
脈絡なく無造作に津那美の指先が打ち鳴らされた。
その瞬間、深雪の視界いっぱいに、真紅の陽炎が空間を染め上げるような鮮烈な光景が映り込む。
それと同時に部屋の壁面に、人ひとりが通り抜けられるほどの完璧な円状の穴が穿たれる。そして穴の向こう側から、ひとりの少年が室内に飛び込んできたのだった。
◇
深夜の命令により偵察に出た達也だったが、その道中で母と妹に迫る危険を予兆する。即座に踵を返し、来た道を最速で戻るのだが、愛する家族の危機という焦燥に駆られた彼に、常識に囚われている余裕はなかった。先を急ぐ達也は、部屋の扉から入るのではなく、ショートカット目的で通路の壁面に異能《分解》で穴を開け、そこから室内に飛び込んだ。
非常識な入室を果たした彼がまず目撃したのは、我が目を疑うような光景__。
空間を染める真紅の陽炎と、銃を乱射している二人の軍人。そのすぐ側に倒れている一人の軍人を含めた三人が、焔に包まれ灰と化す様だった。
あまりに摩訶不思議な現象に言葉を失う達也だったが、すぐさま意識を切り替え、室内を素早く見渡す。
部屋の片隅では、先ほど不快な接触をしてきた家族が身を寄せ合いながらガタガタと震え怯えていた。取るに足らぬ存在へなど微塵も関心を示さず、即刻視線を外した達也の目が次に捉えたのは、本来ならここにいるはずのない人物__桃源津那美と彼の背にピタリと寄り添っている深雪の姿だった。
「深雪!!」
「⋯⋯お兄様?」
普段から物静かな達也には珍しい大声の呼びかけに、深雪は津那美の背から名残惜しそうに離れ、兄へと近寄る。しかし、これまでのわだかまりから達也に近づくことを一瞬躊躇ってしまう。
そんな彼女の背中を優しく押す感触があった。
振り返れば津那美が微笑みを浮かべ、行きなさいと言わんばかりに頷いている。愛しい男性に後押しされ、深雪は達也の元へ駆け出した。
「お兄様っ!!」
「深雪!」
駆け寄ってくる妹を、達也はその無事を確かめるように力強く抱きしめる。深雪もまた兄の腕のなかで涙を零しながら、安堵の表情を浮かべた。
そんな兄妹の様子を、津那美は満足げな顔で眺める。
(やれやれ、ようやく兄妹仲の修復が叶ったか⋯⋯)
小さく息を吐き出しながら、ふと視線を深夜へ向けた。すると、床から上体を起こした彼女も普段の冷徹な眼差しが嘘のような温かい目で、達也と深雪を見つめている。
それが意味することを察した津那美は、胸の内の予想を確信へと変えた。
(やはり、そうか。それが貴女の本心なのだな、深夜さん⋯⋯)
何故、子どもたちに冷徹な態度を取るのか__。
その確証を得た彼はもはや怒りを通り越し、深夜に対して憐れみさえ感じていた。
(我が子を愛する資格がないなどと、一体誰が定められる⋯⋯。例え貴女自身であっても、そのような事を決める権利はありはしないのだ。何故それが判らない⋯⋯)
深い溜め息を漏らしながら、津那美は穏やかな足取りで、未だ床に座り込んだままの深夜へと歩を進めていく。
自身に近寄る他者の気配に、彼女は表情を戻し静かに顔を上げた。視線の先には、窮地を救ってくれた恩人__津那美が微笑みを浮かべて立っている。
深夜の目の前に、すっと彼の手が差し出された。意図を察した彼女は口元を微かに和らげると、素直に津那美の手を取る。
優しく引き起こされた深夜は、そのまま彼と真正面から向き合い、焔のような真紅の瞳を見つめた。
「真夜や深雪の言う通り紳士なのね、貴方は⋯⋯。あら、わたくしとしたことが肝心なことを忘れていたわ。津那美さん、子どもたちに続いて、母親であるわたくしのことまで救っていただき感謝に堪えません」
「礼は不要だ。おそらくだが、いま現在私たちの間には強力な縁が結ばれている。私の行動は、その結果にすぎない」
「縁ですか⋯⋯。そういえば以前、別荘を去られる際にも深雪さんにそのような言葉を伝えていましたわね。でしたらわたくしは、その巡り合わせにこそ感謝すべきかしら」
津那美は否定も肯定もせず、深夜の細く美しい手をそっと離すと、穂波の元へと向かい同じように手を差し出した。
「あっ、ありがとうございます、桃源様⋯⋯」
あまり男性経験のない穂波は、若干頬を染めながら彼の手を取る。引き起こしてもらった彼女は、衣服に付いた埃をはたくことも忘れ、主人である深夜を気遣った。
「深夜様、ご気分は大丈夫ですか?どこか、お身体に問題は⋯⋯?」
「平気よ、穂波。先ほどまでの苦痛が嘘のように消えているわ⋯⋯」
平然と立つ二人の様子から、想子ノイズによる不調からは脱却したと判断し、津那美は口元を微かに吊り上げる。
それを目ざとく捉えた深夜は、彼を問い質した。
「もしかして⋯⋯これは貴方の仕業かしら、津那美さん?先ほどの不思議な光景と何か関係があるのよね⋯⋯?」
「さてな。私はただ、不浄を灼き払っただけだ」
誇るでもなく淡々と告げる津那美に、深夜は何とか彼の力の源泉を探ろうと思考を巡らせる。
(灼き払った⋯⋯ね。額面通りに受け取るなら、彼は想子ノイズを消し去ったということよね。《術式解体:グラム・デモリッション》と似た術式なのかしら?あるいは、まったく別の⋯⋯駄目ね、さっぱり判らないわ。というより、これはそれ以前の問題よ。魔法師といえど、所詮わたくしたちは人間にすぎない。神の力を解明しようとすること自体が、無謀な試みなのかもしれないわね⋯⋯)
彼女は様々な可能性を検討するが、明確な回答を導き出せるはずもなかった。
何より深夜へ報告を述べていないだけで、すでに達也が《精霊の眼:エレメンタル・サイト》を用いて、津那美の肉体や力の一端を解析しようと試みていたのだ。
しかし、達也の明晰な頭脳を以てしても桃源津那美という存在は理解不能なものであり、彼が早々に解析を放棄したという結末を、深夜は知る由もない。
桃源津那美__彼は、人類の理解の範疇を超えた力を振るう唯一無二の絶対者。現状、それだけが深夜の脳髄に確実に刻み込まれた事実だった。
やがて異変を察知したのか、あるいは別の要因があってのことか。焦りと苛立ちを纏った複数の軍人が、怒涛の勢いで駆け込んできた。
深雪を抱擁していた達也は、即座に彼女を背後に庇い警戒の体勢を取る。だが、先頭に立っているのが見知った顔である風間大尉だと気づき、緩やかに構えを解いた。
◇
__大亜連合への鞍替えを目論む兵士が複数。そして彼らは、軍のシェルターに保護した司波家を含む一般人を手土産にしようとしている。
風間が部下からその報告を受けたのは、これから自身も部隊を率いて大亜連合軍の迎撃に向かおうとした矢先のこと。
一瞬、報告の意味が理解できなかった彼は唖然となるが__やがて全身から血の気が引く恐怖を覚えた。もはや一刻の猶予もなく、風間は戦場指揮を副官である真田に一任すると、信頼できる部下を引き連れシェルターの一室へと急行する。
その道中、耳朶に響く甲高いライフルの銃声に、最悪の想像が風間の脳裏をよぎっていた。
しかし、風間の予想は良い意味で裏切られる。室内に駆け込んだ彼の視界に映ったのは、至って平穏な光景だった。報告にあった反逆者たちの姿は影も形もない。
だが、至る所に空薬莢や弾痕が残っていることから、この場で戦闘が行われていたのは確かだった。
妹を背に庇う達也に事情を聴取したいところだったが、風間は部隊の責任者としての義務を優先する。
負傷している味方兵士を医務室へ、部屋の片隅で怯えている家族を別室へ案内するよう部下たちへ矢継ぎ早に指示を下す。
部下たちの迅速な行動を横目に、風間は険しい表情を浮かべながら達也に歩み寄っていく。そんな彼は収容報告時にはいなかった人物__津那美の存在に気がついた。
僅かな警戒と疑問を混ぜた視線を注ぎつつ、風間は達也に声をかける。
「達也くん、無事のようだな⋯⋯。いや、まずは謝罪が先か。君たちの身の安全のためを思い招いたというのに、むしろ命の危険に晒してしまった。誠に申し訳ない」
「謝罪は受け取ります、風間大尉。そして、これ以上の言及はしません。実質、こちらに被害はありませんでしたから」
「⋯⋯感謝する。しかし、我々の不手際であることに変わりはない。償いの意味も込めて、できる範囲で要望を叶えよう。言ってみてくれ」
風間の申し出は今の達也にとって渡りに船であり、自身の内を二分する感情を叶えてもらうのに最適だった。
「でしたら二点、要望があります。風間大尉」
「言ってくれ」
「まず一点目、俺を除く家族の皆を、より安全な場所に避難させてください。⋯⋯可能ですか?」
「分かった。軍の発令所に案内しよう。ここよりさらに強固に建造されているうえ、内にいる者たちも信頼できる者ばかりだ。だが、君はどうするのだ?」
「それにお答えする前に、二点目の要望です⋯⋯。俺に軍の戦闘スーツを一式お貸しいただけませんか?もっとも無事にお返しできる保証はありませんが⋯⋯」
「なぜ装備を要求する?」
まだ幼さを残すこの少年が、なぜ戦闘装備を求めるのか。風間にはおおよその予想はついていたが、あえて問いかけてみる。
達也は僅かに顔を上げ、正面から目線を合わせてきた。その瞳の奥に、静かに燃え盛る激怒の炎が宿っている__風間にはそう感じられた。
そして、達也の口から決定的な言葉が紡がれる。
「無論、戦場に出るためですが⋯⋯何か問題がありますか?」
「お兄様っ!?」
「達也くんっ!?」
(やはりか⋯⋯)
深雪と穂波は驚きを露わにし、風間は自身の予想が的を射ていたことにひとり納得の表情を浮かべた。
深夜は腕組みをしながら呆れたように溜め息をつき、津那美は哀しげな目で達也を見つめている。
「司波達也くん⋯⋯。軍人でもない君が戦場に立つ必然性はない。残念だが、その要望は却下させてもらう。君は一般人だ。ご家族と一緒に避難したまえ」
達也の肩に手を置き、風間は真摯に諭していくが、その言葉は微塵も彼の心には響かない。
__家族愛という限られた感情しか持たない達也の心を動かせるのは、ごく一部の者たちだけだった。
そのひとりである妹の深雪は、兄を諌めようと縋りつく。
「お兄様が戦闘に参加する必要など、微塵もありません!どうか私たちと一緒に避難してください。お願いですから⋯⋯っ」
青い瞳を涙で滲ませながら必死に頼み込む深雪の姿に、達也の心が僅かに揺らいだ。しかし、大切な家族が脅かされようとした怒りは、生半可なことでは収まらない。
「⋯⋯すまない、深雪。今回ばかりは俺自身、我慢がならないんだ。俺の大切な〝家族〟に危害を加えようとした奴らがいる。俺はそれを決して許すことができない⋯⋯」
深雪の美しい黒髪を優しく撫でながら、達也はほんの一瞬、母である深夜へと視線を投げかけた。
息子の視線の動きを敏感に察した深夜は、小さく首を傾げる。
(何故いま、わたくしを見たの⋯⋯?達也の精神に残っている情動は、妹の深雪を守り愛するというものだけ。わたくしのことなど気にかける必要はないはず⋯⋯。なのに何故、わたくしを優しい目で見つめたの、達也⋯⋯)
彼女の胸の中に、違和感という小さな波紋が静かに広がった。
◇
_司波深夜。旧姓、四葉深夜。彼女は《精神構造干渉魔法》と呼称される特異な固有魔法を持つ魔法師。これは、現在確認できる精神系魔法のなかで唯一、精神を直接改変させる恐るべき魔法である。
__司波達也。本来ならば、四葉の新世代を担うべく期待された子どもだった。しかし、その身に宿した力が彼の立場を歪ませる。『星すら滅ぼせる力』__魔法とすら呼べぬ達也の異能を、四葉分家当主たちは悍ましき脅威と捉え、恐れた。
そして彼らはこぞって、当時の四葉当主にして達也の祖父でもある元造に存在の抹消を提言する。
これに対し、元造は真っ向から猛反発した。大切な孫の命をなぜ奪わねばならぬのかと分家当主たちを諌める。だが頑として彼らも引き下がらない。双方ともに一歩も譲らないため、議論は過熱していくばかりだった。
そんななか、穏やかに眠る達也の寝顔を見つめながら、深夜は母として、また四葉の魔法師として苦悩し続けていた。彼女は分家当主たちの言い分にも、ある程度の理解を示したからだ。息子の持つ力はあまりに異質で、怖れを抱くなと言うほうが土台無理なのだ。
やがて懊悩した末、深夜はひとつの計画を立案する。それは自身の精神魔法を用いて、達也の精神構造を改変、異能が容易く暴走しないようリミッターを設けるというものだった。
孫の命を守るため、元造も渋々ながらこの案を承認し、彼の立ち会いのもと、達也の精神改変という施術が、深夜の魔法により行われる。
結果、達也の精神から深雪との兄妹愛を除く大半の情動が消去され、深夜は母としての不甲斐なさを嘆き、その心に生涯癒えぬ痛みを抱え込むこととなった。
術後、意識を取り戻した達也は詳細を母からではなく、祖父の元造の口から聞かされる。すでに稀有な頭脳を有していた彼は、事のすべてを理解した上で激しい困惑を覚えた。
確かに祖父への情愛は希薄になっていた。しかし、母への愛情は変わらず胸の内に残っていたのだ。達也はこの事実を即座に深夜へ伝えようとしたが、時すでに遅く__彼女は自身の愚かさへの戒めとして心を閉ざしていた。
そして我が子である達也と深雪を前にして、愛など微塵もない悪逆じみた態度を取り始める。
だが、それは愚かな母からの一刻も早い自立を願ってのこと。すべては子どもたちを愛するがゆえだった。
我が子のために悪になろうとする母の姿を目の当たりにして、賢明な達也は子どもながらに思い悩む。やがて彼は真実を伏せ、深夜からの冷遇を是として受け止めることを決意した。それがどれほど残酷な選択なのか、まだ幼い彼は知る由もない。
こうして深夜は、愛情の反転という過ちを犯しながら子どもたちと接し、その代償として娘である深雪は「母は自分を愛していない」と思い込むようになり、激しい苛立ちを兄へぶつけていく。
そして達也はひとり、すべてを知りつつも母と妹から粗末な扱いを受ける道を歩むことになったのだった。
果たして、罪は誰にあるのだろうか__。
子どもたちと向き合うことを諦め、心を閉ざした母か。
それとも母を慮るあまり、真実を伝え損なった息子か。
あるいは、大切にされるあまり、事情を知らされぬままでいた娘か。
罪には罰を__とよく言うが、必ずしも正しいわけではない。時には、罪に美しい花が添えられることもあるのだから。
それが愛するがゆえに犯された罪なら、尚更だ。
やがて司波家が抱えた愚かな罪は、ひとりの青年が起こす裁きの焔に灼かれ灰と化すだろう。
その痕跡から、絆という光の花が咲き誇るときが__すぐそこまで迫っていた。
◇
「⋯⋯様。⋯⋯奥さま!」
「っ!?⋯⋯何かしら、穂波?」
思考に没頭していた深夜は、穂波からの呼びかけで我に返った。
「先ほどから何度もお呼びしたのですが⋯⋯。やはり、ご気分が優れないのでは⋯⋯」
「いいえ、大丈夫よ。それで、何の話だったかしら⋯⋯」
誤魔化すように微笑む深夜を前に、穂波は微かに不審がるも言葉を紡いでいく。
「達也くんの件です。戦場に向かうという彼をお止めにならなくてよいのですか?」
「ああ、そのこと⋯⋯。そうね、あれの好きにさせるわ」
「⋯⋯そうですか。奥さまがそうおっしゃるのでしたら、私はこれ以上なにも申しません」
事も無げに告げる主人を目にして、彼女は悲しげに目を伏せた。
(そうよ。わたくしに達也を止める資格などありはしない。あの子の行動は、その身に残された唯一の感情から湧き上がった衝動なのだから。それだけが、達也の生きる目的⋯⋯その証左なのよ。散々奪い尽くしておいて、今またあの子から奪うなんて、わたくしにはもうできないわ⋯⋯っ)
悔恨を抱えた心とは裏腹に、深夜は冷めた表情を達也に向けるのだった。
彼女の視線の先では、達也が真摯な眼差しで深雪を見つめ、静かに言い聞かせていた。
「これは俺のエゴだ。俺の心に残された唯一の衝動だ。本当にすまない、深雪。妹のお願いひとつ叶えられない、不甲斐ない兄を許してくれ⋯⋯」
「お兄様⋯⋯っ」
もはやいかなる説得も通じないと悟った深雪は、涙を零しながら俯いてしまう。そんな妹に背を向け、達也は改めて風間と向き合った。
「風間大尉。俺は愛国心などという高尚な理由で、戦場に立つわけではありません。俺の大切な家族を脅かした奴らを許しておけない、報いを受けさせたいという至って個人的な理由です⋯⋯。装備を貸していただけないならそれも結構です。このままの姿で戦場に立つだけですから」
「君は⋯⋯っ」
彼の言葉の端々に宿る怒りと頑なな態度を前にして、風間は口籠ってしまう。その上で達也は、さらに風間を驚嘆させる言葉を放った。
「危険分子として俺を拘束するのなら、それも結構です。その時は、あなた方を害してでも先に進むだけですので⋯⋯」
「「「なっ!?」」」
あまりの言動に、風間どころか深雪も穂波も息を呑み、深夜と津那美はやれやれと軽く肩を竦めるのだった。
脅迫しているのかと思えるような達也の言葉に、風間は若干の憤りを覚える。それでもどうにか説得しようと、頭を巡らせるが、妙案は思いつかない。そもそも会話が成り立つかどうかすら危ぶむほどに、眼前の少年が自分とは別種の生き物に見え始めていた。
そんな風間を見かねたのか、津那美が一歩進み出て声をかける。
「随分とお困りのようだな。ならば私からひとつ提案させてもらおう」
「今さらだが、貴君は誰だ?部下からの報告にはなかったが⋯⋯。達也くん⋯⋯司波家の者たちと、一体どういう関係だ?」
「これは失礼した。私は桃源津那美という者で達也くんの友人⋯⋯だろうか。それと、つい先ほど深雪さんたちを手に掛けようとした三人の愚かな軍人を鏖殺した者だ⋯⋯」
「何だと⋯⋯っ!?」
「フフッ、私を責めるか?」
凍えるような笑みを浮かべる津那美に風間は一瞬気圧され、小さく一歩後退してしまう。
それを見咎めた彼はより一層笑みを深めたが、風間は丹田に力を込めて持ち直した。
「いや⋯⋯すべての咎は我々にある。貴方が気にすることではない」
「そうか。ならば、ついでにもうひとつ⋯⋯数日前に達也くんと深雪さんに絡んでいた軍人たちを退けたのだが⋯⋯。これもお咎めなし、ということでいいか?」
津那美の発言に、とある報告を思い出した風間は僅かに顔を綻ばせる。
「なるほど。以前、部下からの報告にあった見目麗しい青年とは貴方のことだったか⋯⋯。ああ、その件も気に病む必要はない。いかなる理由があろうと、一般人⋯⋯しかも子どもを威嚇するなど、軍人として恥ずべき行いだ。むしろ部下の過ちを諌めていただけたこと、上官として感謝を述べたい」
「礼は不要だ。それといかに軍が縦割り社会とはいえ、そうやすやすと末端にまで意識が割けないことくらい私にも判る。よって貴方もいちいち気に病む必要はないと思うが、如何かな?」
打てば響くような津那美との会話はどこか愉しく、風間は口元に確かな笑みを浮かべた。
「一軍人としては肯定しかねるが⋯⋯貴方の気遣いには感謝しよう。__さて、時間も押しているため、話を戻させてもらう。先ほどおっしゃっていた案とは、どのような内容か聞かせていただいても?」
「ああ、そうだったな。なに、とても簡単なことだ。このままでは、達也くんはひとりで戦場に向かってしまう⋯⋯。それが問題だというなら⋯⋯私が同行して、彼を監督しよう。これなら問題あるまい」
「津那美さまっ!?」
「桃源さまっ!?」
「「っ!?」」
津那美の提言に、深雪と穂波は焦った声を上げ、達也と深夜は目を見開くのだった。
風間は提案の意図を読み解こうと、津那美の目を見つめるが、彼の紅い瞳からは何ひとつ窺うことができない。だからか風間は、率直に問うことにした。
「貴方が求める意図はなんだ⋯⋯?達也くんの友人と言っていたが⋯⋯それが戦場にまで同行するほどの理由になるのか?」
津那美は静かに歩を進め、達也の隣に立つ。
「逆に問うが、貴方は友を助ける際、いちいち損得や理由を考えているのか?まあ、中にはそういう人種もいるだろうが⋯⋯おそらく大半の人間は咄嗟の判断で動いているはずだ」
津那美の声には優しさと同時に、どこか厳かさもあふれており、耳朶を通して深く心に染み込んでゆく。
まるで偉大な王を前にした臣下の如く__。
一瞬、その場にいた全員が奇妙な錯覚を覚えた。特に深雪は歓喜にその身を震わせ、今にもその場に跪いてしまいそうだった。
娘の異常に気づいた深夜は、感心した目を津那美に向ける。
(大したものね⋯⋯。自身の圧倒的カリスマを用いての会話。抑揚のつけ方から始まり、会話全体の流れの把握まで見事と言うほかない。深雪なんてすっかり魅了されきって⋯⋯淑女にあるまじき顔を晒しているわ。__それにしても、彼は一体どこであのような会話の技量を身に着けたのかしら?本当に謎が多い男性(ひと)ね⋯⋯)
ますます興味を唆られた深夜もまた、少々うっとりとした眼差しで津那美を見つめ続けるのだった。
深夜からの意味ありげな視線に気づいてはいるものの、津那美は気に留めることなく話を続ける。
「そして、私の場合は母の教えゆえだ。『義を見てせざるは勇無きなり』__母が好きな言葉で、私の行動指針のひとつにもなっている。あとは単純に、子どもが戦場に行くというのに、それをただ黙って見ているなどという恥を晒したくない⋯⋯それだけだ」
自分を見上げる達也と目を合わせながら、津那美は優しく微笑んだ。
彼の言葉と笑みに呑まれていた風間だったが、それでも承諾の返事は出さない。よって津那美は、さらにもう一手打つことにした。
「先ほど貴方は時間が押している__そう告げたな。もしや貴方自身、その意味が理解できていないのではないか?こんな些細な問答をしている間にも、大亜連合軍が市街地に押し入り、傍若無人に振る舞い、無辜の民が嘆いているかもしれない⋯⋯。それに対して、ただ黙って放置するのが国防軍の役割か?」
「っ!?それは⋯⋯っ」
津那美の口から出た至極真っ当な正論に、風間は何も言い返せず口籠り、俯いてしまう。発言した津那美自身も嫌味な言い方だった自覚はあるが、撤回するつもりなど微塵もなかった。
やがて、ようやく決断したのか。風間は静かに顔を上げるものの、その表情は苦渋に満ちている。
「⋯⋯承知した。君たちのことは現地協力者として参戦を認めよう。これでいいだろうか⋯⋯」
「感謝します、風間大尉」
達也は小さく一礼し、津那美は美しい唇を微かに吊り上げた。そのまま、背後にいる深雪へと振り返る。
「というわけだ。深雪さん、達也くんには私が付いていくから、どうか安心してほしい。それとも、私では不安か?」
「あっ!?えっと⋯⋯その⋯⋯っ」
津那美の言葉に心酔しきっていた深雪は、唐突に声をかけられ、赤面しながら焦り声を漏らす。
そして彼女は、軽度の混乱に陥った。兄を止めるはずが気づけば話がどんどん飛躍し、津那美が同行するという結論に至っていた。しまいには参戦の許可まで下りてしまう。
深雪は何か伝えようとするも、入り乱れた思考のせいか上手く口が動かない。内心、己への不甲斐なさに苛まれる一方__彼女の脳裏にふと真夜の姿がよぎった。
(叔母様なら、こんな時どうするのでしょうか⋯⋯?きっと動揺することなく、気高い姿勢で見送られるのでしょうね。あるいは、津那美さまとご一緒に自身も戦場に立たれるかもしれません⋯⋯。叔母様はお強いですから。それに比べて、私はなんて⋯⋯弱い。共に戦場に立つ勇気もなければ、あたふたとして毅然と見送ることすらできない)
深雪は俯き、微かに震える両手で白いワンピースの裾をぎゅっと握り締める。
(⋯⋯強くなりたいっ!津那美さまや叔母様のように己の意志を、信念を貫く強さが欲しい。そうなるためにも自分を鍛えなければなりません⋯⋯!そして再びこのような機会が訪れたならば、今度はどこまでも共にあれるようになってみせます⋯⋯。さあ、司波深雪。誓いを立てたならば、、今は潔く見送るときです。それが今、私にできることだから⋯⋯っ)
俯いていた顔を上げ、目尻にまだ微かな涙を湛えながらも、彼女は美しい笑みを浮かべ、津那美へ向けて深々と頭を下げた。
「お兄様をよろしくお願いいたします、津那美さま。そして、どうかあなた様もご無事でありますよう、深雪は祈っております」
「ありがとう、深雪さん。達也くんは必ず無事に君たちの元へ帰すと約束する」
「はいっ!」
そんな二人の様子を、達也は複雑な気持ちで眺めていた。先ほどまで自分を行かせまいと必死だった深雪が、津那美が同行すると決まった途端に素直になったからだ。
ひとりの兄としてそんな妹の姿にどこか心を波立たせつつも、達也はそのような素振りを一切見せず、深雪に近寄る。
「それじゃあ、行ってくるよ、深雪。大丈夫だ、津那美さんも一緒だからな。それと⋯⋯」
達也は深雪の耳元に口を寄せると、そっと一言二言囁いた。ハッとした彼女は、顔を離した兄の目を静かに見つめ返す。そのさなか、風間の声がかかった。
「では案内するので付いてきてくれ、二人とも。残されたご家族は、のちほど部下が発令所まで案内するので、この場で待機していてほしい」
踵を返し、深雪から離れた達也は風間の先導に従い、部屋を出ていく。津那美も深雪に向けて小さく手を振ると、そのまま続いて部屋を出て行った。
深雪はもはや何も言わず、ただ静かに二人の背中を見送るのだった。
◇
しばらくすると、風間の部下とおぼしき軍人が入室してきて、敬礼とともに穏やかに告げた。
「発令所までご案内いたします。自分に付いてきてください」
軍人の先導に従い、深夜、深雪、穂波の順で部屋を出て長い廊下を歩く。
優雅な足取りで歩く母の背中を見つめながら、深雪の脳裏には先ほど兄から耳打ちされた言葉が反響していた。
『深雪⋯⋯。俺たち、家族の歪さの理由(わけ)をお前もそろそろ知っていいはずだ。詳しいことは母さんに直接聞きなさい』
彼女自身、ずっと思い悩んでいたことがある。
通っていた学校のテストなどで優秀な成績を収めたとき__深夜は褒めてはくれるものの、その紅い瞳には母親らしい愛情や優しさは微塵も浮かんでいない。
深雪が期待し、望み続けた母の愛は、どこをどう探しても何ひとつ見つけられなかった。その現実を直視したとき、彼女は深夜と向き合うことを諦めたのだ。
だが、もしかしたら真実は違うのではないか。達也が残した言葉は、それを確信させるのに充分な重みを有していた。
(お母様⋯⋯っ。思い返せば、私はお母様に本心をお話したこともなければ⋯⋯お母様の本心を伺ったこともありませんでしたね。それなのに自分勝手に諦めてしまった。本当に情けないです。ですが、私はもう逃げません!お兄様とも向き合えたのですから、お母様ともしかと向き合ってみせます!)
密かな決意を胸に抱き、深雪は前を行く母の後を静かに、だが確実に追っていくのだった。
次話も出来るだけ早く投稿出来るよう頑張ります。
途中で投げ出すような真似だけはしないとお約束します。どうか見限らず、これからもお読みいただけると嬉しいです。